- シーラ・マジッド Sheila Majid -

<マレーシアという国>
 マレーシアという国に僕はまだ行ったことがありません。インドネシアには行ったことがあるのですが、どうやら全然違う国のようです。(言語的には、かなり近いのですが)今やハイテク分野を中心に経済的に東南アジアをリードする先進国であり、だからといって、アジア的なのどかさも残した多重構造を持つハイブリッドな国。そして、その多重構造を生みだしているのが、中国系、マレー系、インド系を中心とした人種の混在であり、そこからくる異文化のぶつかり合いこそが、マレーシアの発展とその魅力のもととなっているようです。(もちろん、マハティーニ首相というアジア圏最大のカリスマ・リーダーの存在も見逃せません。日本の総理大臣にも爪の垢でも煎じて飲んで欲しいものです!)
 マレーシア・ポップスのNo.1シンガー、シーラ・マジッドの曲を聴くと、そんなマレーシアについてのウンチクが、けっこう説得力を持ってきます。それほど、彼女の存在はマレーシア的なハイブリッド感覚と東洋の魅力に満ちているのです。

<シーラ・マジッドの歌>
 彼女の歌の特徴は、そこにマレーシアを含む東南アジア的な民族音楽の要素が、ほとんど含まれていないと言うことかもしれません。それは、我々日本人がJ−ポップとして聞いている日本のポップスのように日本語で歌われた西欧型ポピュラー音楽と同質のものであるということです。(もちろん言葉はマレーシア語ですが)それでは、いったいどこにその魅力があるのでしょうか?その答えは単純明快、彼女の歌が西欧型ポピュラー音楽の世界水準に達した素晴らしいものだということです。
 しかし、その音楽が、例え全米ヒットチャートのナンバー1になれるほどのキャッチーな名曲だったとしても、それがマレーシアというアジアの片隅で、マレーシア語で歌われている曲だとしたら、それが海外でヒットするのは、そう簡単なことではないはずです。それを見事にやってのけたシーラ・マジッドという才色兼備の女性アーティストとは、どんな人物なのでしょうか?

<シーラ・マジッド、その生い立ち>
 彼女は1965年、マレーシアの林野庁長官を務める人物を父に生まれました。木材を輸出品の重要な柱としているマレーシアにおいて、林野庁は巨大な権限を持つ組織であり(日本のかつての通産省並み?)、家柄的には文句なしのハイクラスのお嬢様だったといえそうです。そんな彼女が大好きだった音楽は、アメリカ製のソウル、R&Bでした。特にモータウン・サウンドは大のお気に入りで、ダイアナ・ロスジャクソン・ファイブなどを聞きながら、彼女は育ったといいます。ピアノも習い、合唱隊にも入っていた彼女はプロ・シンガーを目指すことを決意して、クラブなどで歌い始めます。当然のことながら、家族からは猛反対されましたが、彼女の意志は固く、結局彼女はその道を歩み続けることになりました。

<マレーシアのポップス>
 この当時マレーシアのポップスは、インドネシアからやって来たダンドゥットが主流でした。(インドネシアも、同じマレーシア語圏なので、その影響は常に大きかったのです)ほとんどの歌手は、インドネシアのアーティストのスタイルをマネてダンドゥットを歌っていたのですが、彼女はあえて自分の好きなスタイル、R&Bにこだわりました。

<ニュー・マレーシアン・ポップス>
 そして、マレーシア語で歌うR&Bという新しいスタイルによってアルバムを制作、1985年にデビュー作として発表しました。そのアルバム「ディメンシ・バル(新しい局面)」は、意外なことに同じような世代の共感を呼び大ヒット。あっという間に、彼女はマレーシアを代表するアーティストになってしまいます。この新しいポップスへのチャレンジは、ある意味お金持ちのお嬢様だった彼女だからこそできたことなのかもしれないし、泥臭さを極力排除した洗練されたサウンドが生まれたのも、そのせいかもしれない。(こういった上流階級からの発信は、ブラジルにおけるボサノヴァを思い起こさせます)

<優秀な多国籍メンバー>
 それにもうひとつ、彼女の極上ポップスが生まれた影には、秘密がありました。それは彼女のバックに控える優秀な多国籍メンバーたちの存在です。特に、音楽監修やアレンジ、キーボードなどの演奏を担当するマック・チュージェニー・チンのコンビは、それぞれがバンドをもって活動もしている一流のミュージシャンでした。二人はともにバークレー音楽院を出た中国系マレーシア人の秀才で、シーラよりも早くからマレーシアの音楽界で活躍しているベテランでした。この二人以外にも、インド系のタブラ奏者、ザキール・フセイン、そしてマレー系のミュージシャンたち、これら多様な人種からなる優れたミュージシャンたちによって、彼女の音楽は作り上げられていました。そんなことが分かってみると、彼女の音楽の無国籍性は、実に当然のことのような気もしてきます。

<彼女ならではの魅力>
 しかし、彼女の歌の魅力は、やはりそこに秘められた汎アジア的でエキゾチックな彼女自身のもつ個性抜きには語れないでしょう。しかし、こればっかりは聞いてもらわなければ、分からないのです。優しくて、美しくて、しっとりとした、今や日本から消え去ろうとしているアジア女性ならではの魅力とアメリカン・ポップスが見事に合体した至高の逸品です。とりあえず、お薦めはとしては、1989年に発売された初期のベスト・アルバムとも言える「シナラン SINARAN」とマレーシアを代表するミュージシャン、P.ラムリーの作品を現代に甦らせた作品集「レジェンダ LEGENDA」です。ともに文句なしの極上品、多様性に満ちた国、マレーシアが生んだ純度100%のポップスを是非ご賞味あれ!
(参考)P.ラムリーについて
 P.ラムリーは、1950年代から1960年代にかけて活躍したマレーシアの近代史を代表するアーティストで映画監督、俳優、作詞家、作曲家、歌手すべてをこなした天才アーティストでした 。彼はまた、当時人気ナンバー1の女性歌手サローマの夫でもあり、彼女とともに一足早くワー ルド・ミュージック的なアプローチの曲を数多く発表していました。1973年死去。
 
<締めのお言葉>
「心が乱れたとき、事物は多様なものとしてあらわれ、心が平静なときには、事物はその多様性を失う」
 アシュバゴーシャ (フリッチョフ・カプラ著「タオ自然学」より)

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