「シェルタリング・スカイ The Sheltering Sky 」 1990年

- ポール・ボウルズ Paul Bowles -

<僕のモロッコ旅行>
 僕がモロッコを一人で旅したのは、たしかこの映画が公開されるちょっと前のことだったと思います。それはマラケシュ、フェズ、タンジールを一週間でまわり、その後、スペインに船で渡りマドリード、バルセロナへと向かうという旅でした。それ以前にもトルコを3週間かけて一人で旅したことがあったせいか、災難に巻き込まれるはずはないという妙な自信があり、夜のフェズを得たいの知れない案内人に連れられて歩いたり、タンジールではバスに乗り合わせた若者の自宅に泊めてもらったりと、それなりに危険な場面もありました。
 しかし、僕みたいな一人旅の貧乏旅行の若者が「シェルタリング・スカイ」の主人公のように原作者であるポール・ボウルズの描く不気味な世界に入り込む可能性は間違ってもなかったでしょう。おかげさまで、フェズの迷路のような街並みを歩き、タンジールの海岸で向こう岸のスペインを眺め、マラケシュの有名な広場に立ったりした体験は、どれも良い思い出ばかりです。
 それでもなお、モロッコという国には理解しがたい何かがあり、それは危険と紙一重の何かかもしれません。そして、それはモロッコがイスラム圏の国だからでしょうが、他にもイスラムの国はたくさんあります。ではなぜ、モロッコなのか?
 基本的に厳格なイスラム社会では、金銭目的の犯罪や性犯罪はめったに起きません。しかし、西欧社会と交わった社会では、そのバランスは危うくなってしまいます。第一、我々が思う犯罪についての考え方はあくまで西欧式の法律にもとずくものであって、それが万国共通であるとは限らないのです。その点、モロッコはどちらかといえば、西欧よりの文化をもちイランのように原理主義的な国ではありません。そのうえ、ヨーロッパのキリスト教国との戦争の歴史や植民地となっていた歴史などによって、その文化は混ざり合い、混乱が生じる傾向にあります。さらにタンジールのように一時的とはいえ中立地帯として、どの国にも属さなかった街があるなど、世界中のどの国とも違う文化を生む環境にありました。1950年代以前にも、映画「カサブランカ」では、そうしたモロッコの無国籍地帯的な様子が描かれていました。その後も1960年代に入り、モロッコは船で渡れ、日帰りで行き来が可能な異国として若者たちに人気の土地となり、レッドツェッペリンやローリング・ストーンズらの時代をリードしたロックバンドのメンバーもマラケシュやタンジールなどの旅で大きな影響を受けることになり、モロッコはヒッピーの聖地の一つとして世界中の若者たちが向かう人気の土地となります。
 そうしたモロッコのイメージを決定づけることになった原点の一人、それがこの映画の原作者ポール・ボウルズです。映画化にあたり監督のベルナルド・ベルトルッチは主人公夫婦の人間像として、原作者のボウルズとその妻ジェイン・オアーを思い描いていたようです。従って、この映画について語ることは、そのまま原作者であるポール・ボウルズの人生を語ることにつながるのです。そんなわけで、先ずはポール・ボウルズのはみ出し人生録を振り返ります。

<ポール・ボウルズ>
 ポール・ボウルズ Paul Bowles は、1910年12月30日ニューヨーク州ロングアイランドに生まれ、歯科医の息子として何不自由な無く育てられました。彼は小さな頃から空想好きで小学校に入学する頃、すでに架空の世界、架空の人々の日記や物語を書き記す不思議な少年だったといいます。初めは詩を書いていてヴァージニア大学に入学。しかし、作曲に興味が移り、有名な作曲家アーロン・コープランドの下で作曲について学びました。ちなみにボウルズはゲイで、アーロンもゲイでした。当時、ゲイのアーティストたちはアメリカではそのことを明かすことができず、自由にゲイとして生きるのにもパリは最高の土地だったようです。
 1930年にヨーロッパに渡った彼は、そこで多くの作家やアーティストたちと出会いました。ガートルード・スタイン、エスラ・パウンド、ジャン・コクトーやヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルドなど多くの作家たちであふれる当時のパリの街は世界で最も刺激にあふれた街でした。こうして「失われた世代」と呼ばれる作家たちと知り合いになった彼は、後に「ビート世代」の作家たちから慕われる存在となり、その両方をつなぐ数少ない存在と言われることになります。そして、このヨーロッパ旅行の途中で、彼はコープランドに連れられて初めてモロッコの地を訪れることになりました。当時、タンジールの街は、国際的に中立地帯に指定されていて文字通り無国籍な地域として自由な雰囲気にあふれていたといいます。しかし、旅の途中で彼はチフスに感染してしまい、やむなくパリに戻り、一度アメリカに帰国。その後、しばらくはニューヨークで作曲家として活躍し、そこで写真家のスティーグリッツや画家のジョージア・オキーフ、映画監督ジョセフ・ロージーらと出会い、後に「市民ケーン」を撮るオーソン・ウェルズ演出の芝居に音楽を提供しています。そして、この頃彼は後に彼の妻となるユダヤ人資産家の令嬢ジェイン・オアーと出会いました。彼女は、彼と一緒に旅をしながら小説を書き、1941年にはその代表作となる長編小説「ふたりの真面目な女性」を発表しています。
 実は、7歳年下の妻ジェインはレズビアンで、ゲイのボウルズとの不思議なカップルは、この後再びタンジールを訪れると1945年には、そのままそこに住み着くことになります。その街は、性的な自由と麻薬を求める二人にとって最高の街だったのでした。そしてある日、ジェインの作品について話し合っていた時、ジェインがあなたも小説を書いてみたら?と彼に奨めたことがきっかけで彼の作家活動が始まることになったのでした。
 小説家ボウルズは1944年最初の短編小説「蠍」を完成させ、その後何作かの短編を書き上げます。しかし、出版社は彼にデビュー作となる長編小説を書くよう求め、こうして初の長編小説「シェルタリング・スカイ」が誕生することになりました。
 その後、1950年代に入るとウィリアム・バロウズやアレン・ギンズバーグなど、ビート族の英雄たちが彼のもとを訪れ、モロッコはビート族にとっての聖地となります。しかし、その間アメリカ人作家でありながら故国を捨てた彼は本国でまったく評価されず、その存在は忘れられたものになりつつありました。
 状況が変わったのは1978年のこと。幻となっていた彼の小説「シェルタリング・スカイ」が再販されアメリカで高い評価を得たのです。

<映画化への長い道>
 小説が当初売れていなかったものの、映画化の動きは早く、再評価が始まる前に映画監督のロバート・アルドリッチが映画化権を獲得していました。しかし、アクション映画を得意とし「ロンゲストヤード」や「突撃」など数多くのヒット作を撮った彼は、結局映画化を実現できないままこの世を去ってしまいます。その間、イギリスの鬼才ニコラス・ローグも、この小説の映画化を望みましたが、映画化権を獲得できずに断念していたといいます。結局、アルドリッチ監督亡き後、その映画化権は息子へと移り、それを獲得したのが当時「ラストエンペラー」によってアカデミー賞を獲得したばかりの巨匠ベルナルド・ベルトルッチだったのです。
 小説の発表から40年の歳月の後にやっと映画化されたその映画版には、ラスト・シーンにちょっとしたサプライズが仕掛けられています。主人公のキットが一人で迷い込んだカフェで出会った謎の老人、その役を当時すでに80歳を越えていたボウルズ自身が演じているのです。

<異教の地に住み着いて>
 アメリカを飛び出し、モロッコという異教の地に住み着いて西欧社会から遥かに離れたところで生きた男。電話もなく、訪ねてくる者以外に人と会うこともなく、文明から孤立する生き方を選んだ男は、イスラム教徒になったわけではなく、モロッコという国に溶け込んだわかでもありませんでした。モロッコに住み着く以前、彼は世界中を放浪していて日本にも着たことがあるといいます。たまたま彼の生理にぴたりとはまった土地、それがモロッコだったということなのでしょう。
 彼が描くグロテスクで残虐で理不尽な世界、それが彼の心の奥底の世界と強く結びついていたのだとすれば、やはり彼が住むべき土地は、砂漠の民たちの国だったのかもしれません。ただし、彼がモロッコから見ていたアメリカという国がどう見えていたのか?それは一見豊かで美しい国かもしれません。しかし、彼がモロッコへと移り住んだ当時のアメリカは、広島への原爆投下、朝鮮戦争、ベトナム戦争など、海外での残虐行為を繰り返す国でもありました。もちろん、彼はそんな国だからモロッコへと逃れたというわけではないでしょう。
 彼は、世界には西欧とは異なる価値観をもつ国があり、それを冷静に西欧人の目を通して描いただけなのです。その世界は時に美しく、時に残虐このうえないのですが、それは決して狂った世界ではなく、異なる価値観からなる国なのだというだけです。
 人を騙そうとする奴、正直で素直な人々、イスラムの世界に「グレーゾーン」の人々は珍しく、はっきりとしたキャラの人々が生きています。そのうえ、異なる価値観をもつだけに、イスラムの国々を旅することは、「旅行」であると同時に「冒険」になりうるのです。
 ある西欧人カップルが、自らの命と価値観を賭けた究極の冒険。その一つの結末を描いたのが、この映画「シェルタリング・スカイ」でした。そして、ポール・ボウルズと彼の妻は、そうした「冒険」をたまたま無事に息抜き、その顛末を語る役目を担うことになったのだともいえそうです。
 ポール・ボウルズは1999年11月18日にこの世を去りました。彼は晩年まで創作活動を続け、同時に地元モロッコの作家の作品の翻訳や語り継がれてきた伝承の作品化にも力を注ぎました。
 平穏な日常にうんざりしている方、生きるための力をつけたいという方、冒険が大好きな方、バーチャルではない本物の冒険を体験したい方は、是非モロッコの旅へ!きっと満足できるはず!大丈夫、無事に帰ってこられます!

<あらすじ>
 ニューヨークでの生活にあきた中年夫婦キット(デブラ・ウィンガー)とポート・モレスビー(ジョン・マルコビッチ)は、気分転換を求めてサハラ砂漠観光の旅に出発します。ところがその旅はサービスも宿泊環境も最悪で、そのおかげで夫婦関係までもがおかしくなります。そのうえ、夫はパスポートを盗まれたうえ、チフスに感染し命を落としてしまいました。妻もまた地元のアラブ人に誘拐されたうえ白人の女奴隷として売られてしまいます。ついには精神喪失状態となってしまった彼女は、ある日偶然フランス人によって発見され、アルジェへと送還されます。ところが彼女はすぐに自らの意志で失踪してしまうのでした。

「シェルタリング・スカイ The Sheltering Sky 」 1990年
(監)(脚)ベルナルド・ベルトルッチ
(製)ジェレミー・トーマス
(脚)マーク・ペプロー
(原)ポール・ボウルズ
(撮)ヴィットリオ・ストラーロ
(音)坂本龍一、リチャード・ホロウィッツ
(美)ジャンニ・シルヴェストリ
(編)ガブリエッラ・クリスティアーニ
(出)デブラ・ウィンガー、ジョン・マルコビッチ、キャンベル・スコット、ジル・ベネット 

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