「執着」する意識が生み出す完全犯罪小説

「執着 Los Enamoramientos」

- ハビエル・マリアス Javier Marias -
<手ごわい本ですが・・・>
 なかなかに手ごわい本でした。それほど厚くない本にも関わらず、読むのにけっこう時間を要しました。この本の「あとがき」にもこうありました。
「・・・この本には、腹を固めて向き合っていただきたい。回りくどい文章のくらくらする世界に引き込まれ、途中で投げ出したくなる危険にさらされるかもしれない。が、それこそが本領を発揮しているマリアスの術中にはまった証、・・・」
 確かにそのとうりでした。読んでいる途中、かなりイライラさせられ、同じところを何度も読み直したりして、苦労させられました。それでも読むのをやめなかったのは、基本的なストーリーが推理小説的になっていて、「謎解き」の要素があるからかもしれません。
 往々にして、優れた推理小説は、登場人物の行動にイライラさせられながら、先へ先へと読み進まされるものです。(ディック・フランシスの小説などは、まさにそんな感じです)

<意識の流れ>
 この小説のどこが難解かというと、その長く続く独特の文章です。それはまるで「意識の流れ」を文章化しようと試みたジェイムズ・ジョイスの作品のようです。主人公の頭の中に浮かんだ考えや記憶が次々に文章化されて行くので、文章は長く、切れ目がなく、主体が不明確です。そして、そこで描写されていることは、脳内のイメージなのか、目の前の事実の描写なのか、過去の記憶なのか、それも集中しないとわからなくなってきます。
 そして、そんな文章の迷宮を行ったり来たりするうちに、読者はいつしか「小説」と「現実」の境目が不明確になりつつあることに気がつき、いつしかそれが混じりあいつつあると思えてきます。小説の中で起きた殺人事件がなぜ起きたのか?誰が犯人なのか?そのことを明らかにするのが「推理小説」の醍醐味であるはずが、この小説の場合は事件の真相をはっきりさせないだけでなく、なかったことにしてしまいます!
 あなたが、もしアガサ・クリスティやエラリー・クイーン風の本格的な推理小説を読みたいのであれば、この小説はお薦めできません。ただし、この小説を「究極の完全犯罪」を描いた新手の推理小説として読むことは可能かもしれません。
 この小説の著者ハビエル・マリアスは、この小説を今では珍しくなったタイプライターを用いて書いたのだそうです。そのため、一度書き始めると、一枚の紙を書き終わるまでは、途中で書き直すことはできず、文章を途中に挿入することもできません。改行もせずに長い文章を書き続ける作業となると、それはさらに困難な作業になったはずです。逆に、延々と思いついたままに文章を書き連ねる手法には、タイプライター用いることは向いていたといえるかもしれません。とはいえ、彼はそのために膨大な作業時間を要することになり、完成まで2年の歳月を必要としたといいます。それだもの、読む方だって時間がかかって当然というものです。

・・・将来についてなにを思っていたかが大事なんだ。生きている人間が人生の幕を下ろす前、その人の物語が閉じられる寸前に見ていたことの内容のほうが。自分が消えていなくなっても世界は変わらずつづき、いなくなったかといってそこで終わりにはならない、そのことはよくわかっている。しかし、あとにつづく世界はどうでもいいんだ。大事な点は、僕にとってはそこで人生が停止し、すべてがその時点で停止すること、人生を終える人間がそのときを迎え(事実上)にも、もう意味はないんだ。それより先にはなにかをすることも、なにかが変わることもない。現在が不変の永遠になり、そこに未来はない。・・・

<責任を遠ざける「悪」>
 人類は様々なテクノロジーを発展させる中で、自分たちが犯す様々な過ちについて、責任を遠ざけたり、回避したりする方法を身に着けるようになりました。この小説で犯人が用いた方法は、その究極の利用法で、完全犯罪のお手本のような作戦でした。それは、戦場で戦う兵士たちと、彼らを戦場へと向かわせた政治家たちとの関係と似ています。

 政治家が戦争を宣言し、戦場へ兵士を送り込むのはなぜだ?それもわざわざ宣戦布告までして。政治家には、ほかのケースとは違い兵士の任務は務まらないためもあるだろうが、その理由はそれだけじゃない。こうしたケースのすべてには、たいへんな自己暗示が働く恩恵があるからだ。仲介を立てて距離をとり、自分は直接そこに身を置かないということで・・・
 なにが起きていようと、真正面から衝突していようと、それを挑発し、けしかけて金まで払っているのが自分であろうと、自分にはなんのかかわりもないことだと思うことができる。


 それは我々が、テレビ画面やネットの映像で「戦場の悲劇」を見ても、それを身近には感じられないのと似ています。政治家は例え「核のボタン」を押したとしても、その攻撃によって引き起こされた悲劇ははるか彼方、それも人工衛星のカメラが撮影した画面内の出来事にしか思えないのと同じなのです。

<ハビエル・マリアス>
 著者のハビエル・マリアス Javier Marias は、1951年9月20日、スペイン、マドリードに生まれています。父親は哲学者でイエール大学などの教授として働いていたため、幼少時代は家族と共にアメリカで生活したため、英語が堪能でした。文学にも早くから親しみ、10代の頃から小説を書き始め、その後は英米文学の翻訳者として活躍します。(ジョン・アップダイク、ジョセフ・コンラッド、ヘンリー・ジェイムスなど)
 1986年に小説「センチメンタルな男」を発表して、彼は小説家としてデビュー。その後、「すべての魂」(1988年)、「白い心臓」(1992年)などを発表しています。上記二作品に加え、短編小説「女が眠る時」は映画化もされています。(「女が眠る時」は、2016年アメリカの映画監督ウェイン・ワンが監督し、日本で撮影されています。出演は、ビートたけし、西島秀俊、忽那汐里・・・)
 この作品でもわかるように、独特な文体を用いた作風は、スペイン国外でも高く評価されており、ノーベル文学賞に近い作家との評価も高いようです。

「執着 Los Enamoramientos」 2011年
(著)ハビエル・マリアス Javier Marias
(訳)白川貴子
東京創元社
<あらすじ>
 スペインの首都マドリードの出版社で働く編集者のマリアは、毎朝カフェで見かける仲の良い夫婦に理想のカップル像を見ていました。ところがある日、そのカップルの夫が路上で通り魔によって刺殺されるという事件が起きます。夫を失ったその妻ルイサをなぐさめようとしたマリアは、彼女の家に招かれ、そこで亡き夫の親友だった人物ディアスを紹介されます。そして、ディアスとマリアはいつしか愛し合うようになります。本当はルイサを愛していると知っているものの、その思いを告げられづにいるディアスに恋してしまったマリアはその関係をつづけようとします。
 ところが、ある日、彼女は突然ディアスを訪ねてきた人物と彼の会話を盗み出し、衝撃を受けます。ルイサの夫の死は、ディアスの指示を受けたその人物が別の人物を介して、ホームレスの男を使って襲わせた計画殺人だったのかもしれない。彼女は会話の断片からそうとしか思えなくなってしまいます。
 彼女はそのことを知って、どう反応するのか?警察に通報するのか?ルイサに打ち明けるのか?自らの手で証拠を探すのか?危険を恐れて死ななかったふりをするのか?

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