- スラップ・ハッピー Slapp Happy -

<スラップ・ハッピー>
 1970年代に現れ、数枚のアルバムを残してすぐに解散。その後1998年、20数年ぶりに復活し素晴らしいアルバムを発表し世界を驚かせた後、再び消えていった伝説のバンド。それがスラップ・ハッピーという不思議な名前のバンドです。「スラップ・ハッピー」とは、ボクサーが殴られた時にフッと気持ちよくなる「パンチ・ドランカー状態」の気分をさす言葉で、そこから派生して呑気で楽天的な「なんとかなるさ」的な生き方を表す言葉として用いられているようです。(そこにはドラッグによるハイな精神状態のことも含まれていたのでしょう)
 しかし、彼らが残したアルバムは、単にお気楽でハイなムードのポップ・ミュージックではありません。美しいメロディーと複雑な構造、そしてセンスの良い編曲によるポップなサウンドではありますが、その歌詞は怪しく輝くナイフのような危険な美しさをたたえています。
 70年代に彼らが残したアルバムは、その時点ではほとんど話題にならなかったにも関わらず、確実に聞く者の心に忘れられない傷を残しました。だからこそ、1998年になって彼らの新しいアルバムが発表されると、その話題はあっという間に世界中に広まったのでしょう。世の中はやっと彼らの音楽を楽しめるところまで成熟したのかもしれません。
「・・・もうあなたと会うことがないのなら
   いっしょに過ごした時の記念に
   やさしい傷をわたしに残して
   永遠に残るなにかを残して・・・」

"Scarred for Life" by Slapp Happy

<スラップ・ハッピー誕生>
 スラップ・ハッピーは、二つの出会いがきっかけとなって生まれました。時は1960年代末、アメリカに生まれ、その後イギリスに移住したピーター・ブレグヴァド Peter Blegvad が、ロンドンの街でアンソニー・ムーア Anthony Moore と出会い音楽活動を開始したことが一つめ。
 二人はその後ドイツに移住し、そこである実験的映画のための音楽を担当することになりました。そして、この時アンソニーは、地元ドイツのバンドでヴォーカルをつとめていた美しい女性と出会います。彼女の名はダグマー・クラウゼ Dagmar Krause 。これが二つめの出会いでした。二人はすぐに恋に落ち、ピーターと3人でバンドを組むことになりました。彼らは実験性の高いポピュラー音楽を演奏する新しいバンドを目指します。こうして、1971年スラップ・ハッピーは活動を開始しました。

<デビュー、いきなりの壁>
 彼らはドイツのロック・グループ、ファウストの協力を得てデビュー・アルバムの制作にかかり、1972年アルバム「Sort Of」を発表します。しかし、このアルバムは実験的な作りが災いし、まったく売れず、セカンド・アルバムとして録音された「Noom Acnalbasac」は、レコード会社によって発売を中止されてしまいます。(このアルバムは1980年になってやっと日の目をみることになりました)
 途方に暮れる彼らに助けの手を差し伸べてくれたのは、当時スタートしたばかりだったヴァージン・レーベルのオーナー、リチャード・ブランソンでした。彼はイギリスでもう一度彼らのアルバムを録音し直させます。この時の条件は一つ、前回よりもポップなサウンドに仕上げることでした。
 こうして、彼らのセカンド・アルバム「カサブランカ・ムーン Casablanca Moon」が世に出ることになったのです。

<吸収合併から消滅へ>
 1975年、彼らはサード・アルバム「Desperate Straights」を発表します。このアルバムは前作で演奏を担当していたバンド、ヘンリー・カウ Henry Cow が演奏だけでなくプロデュースにも参加しています。同年発表のヘンリー・カウ名義のアルバム「In Praise of Learning」には、逆にスラップ・ハッピーが全員で参加し、いつのまにかほとんど吸収合併状態になってしまいました。
 ところが、ヘンリー・カウのもつ共産主義的思想とスラップ・ハッピーのメンバーのもつボヘミアン的で享楽的な生き方は、すぐに衝突するようになり、あっという間にバンドは空中分解してしまいました。こうして、スラップ・ハッピーは消滅してしまい3人はそれぞれ別の道を歩み始めることになります。その後彼らは1984年に一度だけ同じステージにのぼったことがあるものの、その後80年代に3人がそろうことは二度とありませんでした。
 しかし、1990年代に入り、アンソニーとピーターがイギリスのテレビ番組「カメラ Camera」で音楽を担当。ダグマーもその番組に出演することになり、3人は久しぶりに顔を合わせました。この時の演奏でもう一度いっしょにやれる自信を得た彼らは、バンドの再結成を決意します。(この頃、スラップ・ハッピーの作品はすでに幻の名作の仲間入りをしており、バンドの再結成は大きなプレッシャーをともなうものになっていました)

<再結成へ>
 話題性があるとは言え、アルバムの過去の売上実績からいうと、未知数の新人同然だった彼らに簡単にアルバムを出させてくれるレコード会社はなかなか現れませんでした。しかし、再び彼らはヴァージンのリチャード・ブランソンから資金援助を得ることが出来、アルバムの録音を開始することができました。(この頃ヴァージンは、彼らのチャレンジに資金を提供する余裕をもつ大企業に成長していました)
 1998年、彼らは20数年ぶりの新録アルバム「サ・ヴァ Ca Va」を発表しました。ところが、20年以上のブランクがあったにも関わらず、その間にファンは少しずつ増えており、このアルバムは世界各地で静かなブームを巻き起こします。

<ジャパン・ハイク・ツアー>
 日本でもその人気は高く、僕自身もこの時初めて彼らの存在を知りました。(ちょっと遅い出会いでしたが、けっして遅すぎるということはなかった気がします)おまけに、日本での高い人気に支えられ、2000年になって日本のみで彼らのライブ・ツアーが行われたました。それもなんと、日本を北海道から京都まで縦断する本格的なツアーでした。
(札幌でもベッシー・ホールを会場に行われたのですが、僕は彼らのライブのことをまったく知りませんでした。当時、僕はこのサイトの立ち上げ準備に熱中していたためラジオもほとんど聴いていなかったのです。残念・・・)
 彼らのアルバム「カサブランカ・ムーン」の収録曲に「Haiku 俳句」という作品があるぐらい、彼らは昔から日本が好きだったようです。このツアーはその意味では、彼らにとって松尾芭蕉の「奥の細道」ツアーのようなものだったのかもしれません。できればいつか、この旅から生まれた曲を聴かせてもらいたいものです。
(このライブ・ツアーは驚いたことにCD化されて発売されました。タイトルは「Live In Japan - May 2000 SLAPP HAPPY」です。久々に日本で価値あるライブ・アルバムがつくられたと言えるでしょう)

<ボヘミアン人生>
 ボヘミアンのように世界を旅し、少年時代の冒険心を忘れない素敵な3人組。タンゴあり、ボサ・ノヴァあり、ロック、ポップありのアルバム「カサブランカ・ムーン」を聞いていて、僕は日本が生んだ冒険少年、あがた森魚のことを思い出しました。ある意味、スラップ・ハッピーの音楽は「あがたワールド」のヨーロッパ版かもしれません。それもちょっぴり大人向けで、切ない恋物語の付録付きです。もちろん、彼らに共通の喜びは世界中を旅することのようです。
「 身軽に光の速さで旅をしましょう
 身体なんか置いて
 私達に身体なんか必要ない
 心の中で
 夜を飛びましょう・・・」

"Let's Travel Light" By Slapp Happy

<締めのお言葉>
「もし、永遠を無限の時間的持続という意味でなく、無時間性という意味に解するなら、永遠の生は現在生きている者たちに属する。我々の視野に限界がないのと同じような意味で、我々の生には果てがない」

ヴィトゲンシュタイン
「瞬間ごとに、自然は長い旅に出る。そして瞬間ごとに、その旅を終える・・・。彼女は過去も未来も知らず、すべては永遠に現在である。彼女にとって、現在は永遠なのだ」
ゲーテ

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