- スライ・ストーン Sly Stone -

<栄光と悲劇の人生>
 スライ・&ザ・ファミリー・ストーンのリーダー、スライ・ストーン、彼ほどポピュラー・ミュージックの世界において、多くの人々から尊敬を受けながら、その期待を裏切り続けてきた人物も珍しい。かつての栄光が、あまりに輝かしすぎたため、ちょっとした作品でお茶を濁すようなことは、彼には許されなかったのです。麻薬に溺れていったのも、それが影響していたのかもしれません。おまけに警察に目の敵にされているかのように、何度となく逮捕されています。助け船は何度も出されましたが、彼はその都度自ら水に飛び込んでしまいました。一歩道を踏み誤ってしまうと天才と呼ばれた人物の人生ほど、悲劇的なものはないのかもしれません。

<神童としての生い立ち>
 スライ・ストーンことシルヴェスター・スチュアートは、1944年3月15日テキサス州のダラスに生まれています。多くの優れた黒人アーティストたちがそうであるように、彼もまた教会でゴスペルを歌い神童と呼ばれるほどの目立った存在でした。5歳でデビューし、9歳でカリフォルニアに移住した後、16歳でソロ・デビュー、早くも「ロング・タイム・アウェイ」というローカル・ヒットを飛ばしています。

<音楽業界での下積み>
 彼は、大学で作曲、音楽理論も学んでいたこともあり、その知識を買われて、オータム・レコードという新興レーベルのスタッフとして働くことになりました。その会社は、当時フラワー・ムーブメントの勢いによって、ピークを迎えようとしていたサンフランシスコの勢いが生んだレーベルでした。そのレーベルで、彼は後にソフト・ロックの代表的バンドとなるボー・ブラメルズグレイス・スリックが所属した最初のバンド、グレイト・ソサェティなどの録音に関わりました。ここで彼は、さらに編曲や録音のノウハウを学び、今度はラジオのディスク・ジョッキーとしての活躍を始めます。彼は、持ち前のしゃべりのうまさと頭の良さによって、あっという間に人気DJとしての地位を確立しました。しかし、その間も彼の頭の中には、ミュージシャンとしての活躍という目的がしっかりとあり、その準備を着々と進めていました。

<ファミリー・ストーンの結成>
 彼は1966年にそれまでのバンド、ストーニーを解散し、新しいバンドを結成しました。妹のローズがピアノ、弟のフレディがギターを担当し、シンシア・ロビンソンのトランペット、ジェリー・マーティンのサックス、グレッグ・エリコのドラムス、そして、後にチョッパー・ベースの元祖としてファンクの神として崇められることになるラリー・グラハムのベースからなるスライ&ザ・ファミリー・ストーンの誕生でした。

<白黒&男女混成バンド>
 当時このバンドが世間を驚かせたのは、なんと言っても、白人黒人混成であることと同時に男女混成という未だかつてない構成でした。リズムの要、ドラムスとサックスが白人男性、ピアノとトランペットが黒人女性、そして残りが黒人男性というバンド編成は、公民権運動により人種の壁が崩れつつあったアメリカの姿を見事に象徴していました。(実際は、黒人女性がヴォーカルではなく器楽奏者として参加していたことの方が珍しかったのですが)

<時代の空気を象徴するバンド>
 さらにド派手な衣装とそれに負けないファンキーな演奏を武器に持つ、この最新型バンドを見て、アメリカ国民の多くは、そこに自分たちの未来を見ていたのかもしれません。
 それは、ジェイムス・ブラウ率いるファンク軍団のまるで軍隊のように統率のとれた演奏と異なり、明るく自由な空気に満ちあふれていました。彼らはまさに1960年代末というフラワー・ムーブメントの時代を象徴する存在だったのです。

<いかにして売り出すか?>
 こうして、時代を反映した理想的なバンドが出来上がったのですが、それだけでスターになれるほど、アメリカの音楽業界は甘くはありませんでした。まして、白人黒人混成という編成のバンドが生み出すサウンドは、販売するターゲットを絞りづらく、白人黒人どちらにもそっぽを向かれる危険性を持っていました。(実際、黒人のロック・バンドというのは、未だにほとんど存在していません。リヴィング・カラーフィッシュ・ボーンも苦労し続けています)
 その上、海のものとも山の物ともわからない新しいバンドを売り出すことは、普通ならどのレコード会社も尻込みするはずでした。ところが、スライには今まで積み上げてきた音楽業界についての豊富な知識と経験がありました。DJやプロデューサーとして苦労してきたことが、ここで大いに役立つことになったのです。彼はCBSレコードの重役に直接自分たちを売り込み、見事に説得に成功しました。そして、ついにメジャー・レーベルからデビューする初の黒人ロック系アーティストとなったのです。

<華々しいデビュー>
 こうして、メジャー・レーベルのバック・アップで華々しいデビューを飾った彼らは、まさに乗りに乗っていました。そして、回りの状況もまたそんな彼らを後押しするかのように動いていました。例えば、この当時誕生したばかりのカラーテレビは、彼らの斬新でファンキーなファッションを見事に写し出し、全米にその名をとどろかせるのに重要な役割を果たしました。特に、エド・サリヴァン・ショーでの「ダンス・トゥー・ザ・ミュージック」の演奏は人々をテレビの前に釘付けにし、後に伝説となるウッドストック・コンサートでのライブもまた、彼らの名を世界中に知らせる役割を果たしました。

<人種の壁を飛び越えて>
 こうして彼らのサウンドは、軽々と人種の壁を飛び越え、ファンク・サウンドを初めて白人大衆の耳に届けることに成功したのです。(当時、ジェイムス・ブラウンは、基本的に黒人大衆だけを対象とした音楽活動をしており、ポップ・チャートに彼の曲が現れることはほとんどありませんでした)
ダンス・トゥー・ザ・ミュージック」(1968年)、「ライフ」(1968年)、「スタンド!」(1969年)と次々に素晴らしいアルバムを発表し、彼らは「時代の顔」となります。さらに、歴史的名曲「サンキュー」では、ラリー・グラハムが史上初めてチョッパー・ベースによるファンク・サウンドを展開、ベース・ギターがリズムだけでなく旋律をも奏でるという新時代のファンク・スタイルを生み出すなど、その勢いは止まりませんでした。

<時代の変化、人生の曲がり角>
 しかし、1年半の沈黙を破って1971年に発表されたアルバム「暴動 There's A Riot Goin' On」あたりから、彼の人生の歯車は少しずつ狂いだし始めます。もちろんアルバム「暴動」自体は文句なしに傑作です。「ファミリー・アフェア」「ラニン・アウェイ」などポップなヒット曲もでたし、ファンク・アルバムとして歴史に残る作品のひとつであることは間違いありません。しかし、そこには彼のアルバムにそれまでなかった暗い影のようなものが、はっきりと姿を現していました。タイトル曲の「暴動」「アフリカは君に語りかける」などの曲は、それまで彼らが軽々と飛び越えていたはずの人種の壁の問題を改めて重く問い直し、それまで自分たちが生みだしてきたポジティブで明るいサウンドを否定しているかのように聞こえたのも事実です。

<暗い道のりの始まり>
 それまでのような明るくポップなファンク・アルバムを期待していたファンは、すっかり混乱してしまいました。その次のアルバム「フレッシュ」は、再びポップでポジティブな面を取り戻したかのように見えましたが、彼の精神面での本質的な変化はもう元に戻すことはできなかったのです。
 いつしか、彼は麻薬にどっぷりとつかるようになり、コンサート・ツアーの3分の1以上をさぼるようになっていました。当然、コンサート・ツアーに変わるニュー・アルバムの発表も、いつになることやら、まったくわからない状況に陥っていました。そして、それに追い打ちをかけるように、警察が彼を麻薬の不法所持や銃の不法所持、脅迫の罪などで何度も何度も逮捕しました。(これは、武力闘争を宣言していた黒人解放組織「ブラック・パンサー」と彼の関係を危険視した警察の嫌がらせという側面があったと言われています)こうして、彼は音楽業界から、少しずつというよりは、急速に忘れ去られ、1980年代に入ると、ほとんどその名前は聞かれなくなってしまいました。

<ファンクの元祖としての再評価>
 それでも、彼の名前が消えずに残っていたのは、ひとえに彼の生みだした優れた音楽のおかげでした。黒人社会の中で、ジェイムス・ブラウンによって創造され、スライによって全米へと伝道されたファンクの教えは、その後アース・ウィンド&ファイヤーウォータワー・オブ・パワーオハイオ・プレイヤーズ、そしてP−ファンクの一団、プリンスへ、さらにはヒップ・ホップへと受け継がれて行く中で、多くのファンク・ファンたちの耳を再びファンクの伝道師、スライへと傾けさせました。(我が日本のスガ・シカオも忘れちゃいけません)
 かつて、ウッドストック・コンサートで50万人の観衆が、彼に与えた強力なパワーは、もう現在の社会には存在しません。そして絶妙のバランスの上に成り立っていた混成バンドももう存在しません。そして、何より常にポジティブだったスライ・ストーンのソウル「魂」がくたびれきってしまった今、彼に復活を求めることは、あまりに残酷なことなのかもしれません。

<締めのお言葉>
「このバンドの音には、計り知れないほどの自由があった。バンドの音が複雑だったのは、自由というものが複雑だからだ。…」 
スライ&ザ・ファミリー・ストーンについて、グリル・マーカス(音楽評論家)

[参考資料 ]
「ファンク -歴史、人物そしてワンネス - 」 リッキー・ヴィンセント著(BI Press)
「ロック伝説」 ティモシー・ホワイト著(音楽之友社)

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