弱き者たちにロックと薔薇の花束を


- ザ・スミス The Smiths -
映画「イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語」
England Is Mine

<大幅改定>2020年7月

<スミスの美しさの意味>
 パンクとブリット・ポップ、不況とブレア主導の好景気時代の合間に咲いた美しき一輪のバラ。スミスというグループは、時代の移り変わりの狭間が生んだ貴重な存在だったと言えるでしょう。しかし、その美しさの意味は、もっともっと理解されるべきです。
 21世紀に入って再び吹き荒れ始めている暴力の嵐、その根源となっている弱肉強食型社会(その先導者は、アラブ諸国ではなくアメリカです)に対して明確にNO!と宣言した数少ないミュージシャンがスミスだったのですから。
 ロックもパンクも反体制の音楽であり、権力という強者に対抗する若者たちのためのものでした。しかし、スミスのサウンドは、そんな権力に対抗する若者たちよりも、さらに弱い者たちのためのものでした。失業者や精神異常者、母親の元を離れられない子供たちなど、社会に適応できない人々が彼の詞の主人公でしたが、そんな主人公が登場する歌は、それまで非常に少なかったと言えるでしょう。まして、ロックと言う音楽は、今やハリウッド製のアクション映画にぴったりのマッチョで健康的な音楽の代表格になってしまいました。もちろん、健康的なロックを否定するわけではありませんが、「だから何?」と思うのも確かです。(それはハリウッド製の映画も同じこと、最近は特にくだらない映画ばっかりです)
 20世紀を代表する作家とも言えるスティーブン・キングは、自らの小説について「読者が数時間、時を忘れて楽しんでもらえればそれでよい」そう言っています。どうして、どうしてそう自ら言い切る人に限って、実は奥深い作品を生みだしているのかもしれません。
 ちょっと聴くと実にさわやかなポップスに聞こえるスミスのサウンドもまた、そんな奥の深い歌詞に支えられていたと言えるでしょう。

<ロック史に残る情けない歌詞>
 ザ・スミスの中心となったモリッシーこと、スティーブン・パトリック・モリッシー Steve Patric Morrissey は、1959年5月22日イングランド北部のマンチェスターで生まれました。彼は、ニューヨークのパンクバンド、ニューヨーク・ドールズの大ファンで自ら英国初のファンクラブを立ち上げるほどのロック・オタクでした。当初は、バンド活動よりも、詩作、音楽評論、ファンクラブの会報制作など文筆活動がメインで、家族と同居しながらの暮らしを続けていました。それでも、ジョニー・マーはそんな彼の文章のファンだったようです。
 カリスマ的ヴォーカリスト「モリッシー」誕生までには彼が自殺しかねないほど人生に追い込まれていた時期がありました。その情けないほどのダメダメ人生があってこそ、彼のその後の歌詞が生まれたとも言える時代です。この時代こそ、ザ・スミスというバンドにとって、実は最も大切な時代だった。という発想から生まれたのが、デビューまで、ジョニー・マーとのコンビが誕生するまでの苦節の時代を映画化した異色の青春映画「イングランド・イズ・マイン」(2017年)です。(この映画については、下記をご覧ください!)
 ザ・スミスは、1982年イギリス中部の工業都市マンチェスターで結成されました。バンドの中心は、音楽マニアで優れた歌詞を書くヴォーカリストのモリッシー(1959年5月22日生まれ)、それとキャッチーな曲作りが得意なギタリストのジョニー・マー、この二人でした。(ベースはアンディー・クラーク、ドラムスはマイク・ジョイス
 文学青年のモリッシーが書く不況イギリスの社会状況の下で押しつぶされた人々の苦しみや悲しみ。それは今までロックが取り上げてきた歌詞の中でも類を見ない情けない内容でした。「スミス」というバンド名も、モリッシーのインタビューによると、世界で最もありふれた名前ということで選んだとのことです。(山田太郎みたいな)
好きな人と一緒なら、2階建てのバスに押しつぶされても幸せだ、と言う男とか
バレエのテュテュを着て踊るのが喜びという変態牧師さまとか
大口叩きの俺なんて人類の一員になる権利もない、とグチる男とか
「母さん、僕の頭に泥が落ちてくるよ」と母親から離れられない男とか・・・。
 こうした歌詞の多くがモリッシーならぬ、スティーブの青春時代そのものなのでした。
 そんなどこまでも情けない男たちの本音に、ジョニー・マーは実にさわやかでポップなギター・サウンドを与えました。なんというアンバランス!こうして生まれた歌は、モリッシー自身の明解で表現豊かな歌唱、そして優しさに満ちあふれた声によって、見事なポップ・チューンとなりました。
 ある意味で、彼らは、XTC10CCなど、数多くのひねくれポップ・バンドを生み出してきたイギリスならではのヒーローとも言えるのかもしれません。

<ライブだって、ひと味違うらしい>
 僕は彼らのライブを見ていませんが、彼らのコンサート会場は、いつも花で飾られ、ロック・コンサートの定番とも言える力強い男っぽさとは正反対の雰囲気に包まれていたといいます。モリッシーの歌いっぷりとダンスもまた、男っぽさとは無縁のもののようです。考えてみると、花で飾られたロック・コンサートなんて、1960年代のフラワー・ムーブメント以来、聴いたことがない。
なんというアンバランス!

<デビューに向けて>
 マンチェスターで活躍していた彼らには、当時一大ムーブメントを起こしつつあったファクトリー・レーベルトニー・ウィルソンも目を付けていましたが、ジョイ・ディビジョンドゥルッティ・コラムらのプロデュースで忙しすぎたため、結局彼らはロンドンに進出し、同じく独立レーベルとして大躍進を遂げていたラフ・トレードと契約することになりました。
 こうして、彼らはデビュー・シングル"Hand In Globe"を発表、それに続いたセカンド・シングル"This Charming Man"がヒットし、いよいよ1984年デビュー・アルバム"The Smiths"を発表することになりました。

<1984年という時代>
 パンク・ロックは、現状に対する怒りをそのまま音楽として社会にぶつけたムーブメントでした。しかし、残念ながら「怒りのエネルギー」だけでは、社会を変えることは到底できませんでした。破壊することは簡単でも、そこから何かを作り上げることは、その何倍ものエネルギーを必要とするからです。(パンクの時代が残した遺産も確かにありました。それはラフ・トレードなど、独立系のレーベルが誕生したことです。これらのレーベルは、この後も新人アーテイストたちを発掘しイギリスの新しい音楽を生み出し続けることになりました)
 こうして、パンクの時代はしだいに冷めてゆき、若者たちには暗く重い閉塞感だけが残りました。(そんな時代を象徴するのが、ジョーイ・ディヴィジョンの中心メンバー、イアン・カーティスの自殺でした)こんな状況の中、スミスが登場し、内にこもらざるを得なかった人々の心の内をさらけ出して見せたのです。

<負け犬の遠吠えから、権力への攻撃へ>
 しかし、彼らの歌は、けっして負け犬たちの遠吠えではありませんでした。マッチョ性を一切排除じた彼らのステージングとは対照的に、その歌詞には体制に対する激しい攻撃の姿勢が込められていたのです。だからこそ、若者たちはいっせいにそんなスミスのサウンドを支持しました。
 セカンド・アルバム「ミート・イズ・マーダー Meat Is Marder」(1985年)では、ついに全英アルバム・チャートNo.1を獲得します。(アルバム・タイトル「ミート・イズ・マーダー」とは、ズバリ「肉食は殺戮である」という菜食主義者モリッシーからのメッセージです)
 続くサード・アルバム「クイーン・イズ・デッド The Qeen Is Dead」(1986年)では、タイトルどうり英国王室を批判の対象にするなど、その勢いはいよいよピークに達しました。(それにしても、こんなタイトルが許されるなんて、さすがはブラック・ユーモアの国英国です) 弱者の情けない本音を歌っていたはずのスミスは、いつしか権力の最高峰にまで闘いを挑む存在になっていたのです。

<解散へ>
 しかし、こうして人気、実力ともに最高の状態に達し、弱者の代表だった彼らが、王室と対峙できるほどの力をもったとき、その使命は終わりを向かえようとしていました。彼らの立場は、すでに「弱者」の側ではなく「権力」の側になってしまったのです。
 1987年、4枚目のアルバム"Strangeways, Here We Come"の発表と時を同じくして、メジャー・レーベルへの移籍問題が起こり、バンドの方向性に疑問を感じていたジョニー・マーはバンドを脱退してしまいます。モリッシーは、代わりのギタリストを探し、バンドの存続を目指しましたが結局それをあきらめ、バンドは自然解散となりました。
 その後、モリッシーはソロとして活躍を続け、ジョニー・マーもザ・ザのギタリストやその他のセッションで活躍を続けています。

<優しすぎるロック・スターの存在価値>
 今、ザ・スミスが復活したとしても、かつてのように大衆には受け入れられないかもしれません。時代は変わってしまったのです。
 1990年代後半、イギリスの社会状況は、ブレア主導の経済戦略が効をそうし、画期的に好転しました。しかし、彼らは、あの時代があったからこそ美しく花開いたし、だからこそ、その美しさは時を越えて輝きを放ち続けることができるのです!
 2003年、イラク戦争が始まりました。その戦争を仕掛けたのは、アメリカとイギリスでした。不況下から脱けだしたイギリスはやはりマッチョの国アメリカの仲間に戻ってしまったのです。
 たぶん、再びスミスのような優しすぎるロック・スターが求められる時代がやって来るでしょう。
 男らしい男の時代が地球をだめにしてゆくなか、男らしくない男、女らしくない女の時代こそが、地球のバランスを取り戻すためには必要なのかもしれません。世界がバランスを失い始めようとしている21世紀、今再びスミスの存在を思いだしてみたいものです。

<締めのお言葉>
「これこそ真理なのだ、と僕は思った。怖いときには大声で怖がること - そうすれば誰も英雄ととんまを混同したりはしない。とんまな人間は笑いものになるし、みんなに馬鹿にされる。しかし、本当に頭が悪いのは英雄の方だ。英雄の頭は陳腐な言葉と空虚な考えでいっぱいになっている」

ジョン・アーヴィング著「熊を放つ」より

映画「イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語」 2017年 
(監)(脚)マーク・ギル
(製)ボールドウィン・リー、オライアン・ウィリアムズ
(製総)ロジャー・オドネル、ブライアン・ペレラ、ティム・ヤスイ、フィル・ハント他
(脚)ウィリアム・サッカー
(撮)ニコラス・D・ノウランド
(編)アダム・ビスクプスキー
(音監)イアン・ニール
(出)ジャック・ロウデン、ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ、ジョディ・カマー、シモーヌ・カービー
<映画のためのバンド>
The Ten Ton Trucks
(Vo)(AGui)Gillan Edgar (EGui)Steven Marsden (EBass)Ryan Mayes (dr)Nick Vaal
The Nosebleeds
(V)Jack Lowden (Egui)Gillan Edger (Ebass)Chris Radditts (Dr)Benjamin Gwynne 
 この映画では、「モリッシー」の誕生とザ・スミスのバンド活動スタートまでを描いています。多くのミュージシャンの伝記映画は無名からスターになって行く過程を描きますが、この作品では彼らがデビューする前で終わってしまうので、彼らの有名曲すら聞けません。もしかすると、スミスのファンですら物足りないと思うかもしれません。
 でもオープニングの映像から引き込まれ、様々な場面が彼らの曲の歌詞を感じさせるので飽きないはず。
<あらすじ>
 離婚してしまい収入を絶たれた母親と共に暮らす青年スティーブが仕方なく就職。それでも、アーティストに憧れる彼は働きながら音楽活動を始めます。しかし、プライドだけが高く、積極的な活動をしない彼にチャンスは巡ってこず、一度掴みかけたチャンスを失って以降、精神を病んでしまいます。それでも、彼にはアーテイスト仲間の女性やジョニー・マーという仲間がいたおかげで、かろうじて音楽の道に復帰できました。
 この映画では、モリッシーがまだスティーブだった時代の彼の様々な体験を描くことで、その後の彼の曲への影響を見せてくれています。そこがこの作品最大の見どころだと言えそうです。 

<使用されている曲>
 ニューヨーク・ドールズ、スパークス、ロキシー・ミュージック、マリアンヌ・フェイスフル、セックス・ピストルズ、スパークス、モット・ザ・フープルなどは、同時代に活躍していたモリッシーが大好きだったバンド、ミュージシャンです。
 その他では、マーサ&ヴァンデラス、シャングリラス、ダイアナ・ドース、ザ・クーキーズ、ミリー・スモールなど、女性アイドル・シンガー、コーラス・グループの曲は彼が親しんでいたポップ・ナンバーです。
曲名  演奏  作曲  コメント 
「Outside Looking In」  The Ten Ton Trucks  Gillan Edgar オリジナル曲 
「Oh Tell Me John Barleycorn」  The Ten Ton Trucks  Gillan Edgar  オリジナル曲
「Gently Planet Boy」 ニューヨーク・ドールズ
New York Dolls
David Johansen  1973年のデビューアルバム
「New York Dolls」より
「Swan Lake(白鳥の湖)」  The Cats  チャイコフスキー  テクノ・アレンジ 
「In My Lonely Room」  マーサ・リーヴス&
ザ・ヴァンデラス
Holland-Dozier-Holland モータウン最初のスター
1964年全米44位のヒット
「Virginia Plain」  ロキシー・ミュージック
Roxy Music 
Bryan Ferry  1972年全英10位のヒット
「I Don't Like」 George Forway Fred E. Cliffe
G.Forway 
 
「Recoil」 Magazine Howard Devoto他  アルバム「リアル・ライフ」(1978年) 
「(I'm Not Your)Stepping Stone」 セックス・ピストルズ
Sex Pistols Experience
Tommy Royce
Robby Mart 
オリジナルはザ・モンキーズ(1966年)
1976年のカバー
「Only To Other People」  ザ・クーキーズ
The Cooxies 
Gerry Goffin
Artie Kornfeld 
NYの3人組女性コーラス・グループ
1963年全米33位 
「So Little Time」  ダイアナ・ドース
Diana Dors 
Les Reed
Barry Mason 
英国モンローのと呼ばれた歌手
1964年のシングル
「Send Me The Pillow You Dream On」 ジョニー・ティロットソン
Johnny Tillotson 
Hank Locklin  カントリー系ポップ歌手
1962年全米17位のヒット曲 
「Give Him A Great Big Kiss」  ザ・シャングリラス
The Shangri-las 
George S.Morton  4人組白人女性コーラスグループ
「This Town Ain't Big Enough For Both Of Us」 スパークス
Sparks 
Ronald David Mael 1974年全英2位のヒット 
「Sea Diver」  モット・ザ・フープル
Mott The Hoople 
Ian Hunter  「すべての若き野郎ども」(1972年)より
「Give Him A Great Big Kiss」  The Nosebleeds George S.Morton   シャングリラスのカバー
「Last Night Was Made For Love」 ビリー・ヒューリー
Billy Fury 
Alan Fielding 英国のロックシンガー
1962年の全英4位のヒット曲
「My Boy Lollipop」  ミリー・スモール
Millie Small 
Morris Levy
Johnny Roberts 
レゲエの世界的ヒット第一号
ワールドミュージックの世界進出始まる
「Come And Stay With Me」  マリアンヌ・フェイスフル
Marianne Faithful 
Jackie Deshannon  1965年全米26位のヒット曲
英国を代表する女性ロックシンガー 
「Not Totally Opposed」  R.O.O.  マーク・ギル
Mark Gill
この映画の監督によるオリジナル 
「Out In The Streets」  ザ・シャングリラス
The Shangri-las
Ellie Greenwich
Jeff Barry 
1965年全米53位のヒット
「M 32」  The Jumped Up Party Boy Mark Gill この映画の監督によるオリジナル 
「The World's Loneliest Man」  ビンス・イ―ガー
Vince Eager 
Jerry Lorgan  2011年の曲

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