モータウン、もう一人の創業者&ライター


- スモーキー・ロビンソン & ザ・ミラクルズ Smokey Robinson & The Miracles -
<20世紀最高の詩人>
 ボブ・ディランが「現代最高の詩人」と評したスモーキー・ロビンソンは、モータウン・レコード創設メンバーの一人でもあります。
 1959年、まだ19歳だった彼の進言により、ベリー・ゴーディーは、モータウン・レコードの設立を決意したことは有名です。その後も長く、二人の師弟関係は続き、作詞・作曲だけでなく企業経営者としても、モータウンの顔と言える存在となりました。アメリカン・ポップスだけでなく世界の音楽史を変えたモータウン・レコードの中心的存在スモーキー・ロビンソンについて改めてまとめてみました。

<天才少年詩人スモーキー>
 ウィリアム”スモーキー”ロビンソンJr. Smokey Robinson は、1940年2月19日ミシガン州デトロイトに生まれています。5歳の時、自分に韻を踏む才能があることに気づいたという彼は、小学校に入学してすぐに自分が主演の劇で歌う曲を作詞・作曲した天才少年でした。作詞に熱中する彼は、「ヒット・パレーダー」という音楽雑誌をなけなしの小遣いで買って勉強する日々を過ごします。こうして、彼はその後モータウン財産となるオリジナルの歌詞を大量に書き留め始めたのでした。
 11歳の頃、彼は友達とコーラス・グループを結成。それが高校時代にマタドールズというセミプログループに発展。メンバーは、メイン・ボーカルがスモーキーで、女性ボーカルとして後に彼の妻になるクローデット・ロジャーズ、そして3人の男性コーラスとして、ロニー・ホワイト、ボビー・ロジャーズ、ピート・ムーアでした。
 彼らは地元のレコード会社でのオーディションを受けようとして、そこでプロデューサーとして働いていたベリー・ゴーディーと出会います。スモーキーの才能に惚れ込んだベリー・ゴーディーは、彼を自宅に招き、彼がノートに書きためたオリジナル曲をチェックし、様々なアドバイスを与えました。その的確なアドバイスに感激したスモーキーは、それから生涯ベリー・ゴーディーの弟子となりました。10歳の時に、母親を失い、トラック運転手として働きながら彼を育てた父親が不在がちだったことから、ベリー・ゴーディーは彼にとって父親のような存在でもあったようです。

<ミラクルズ・デビュー>
 その後、マタドールズは、グループ名をミラクルズに改名し、ベリー・ゴーディーのプロデユースにより初の録音を行います。こうして、ミラクルズ最初のシングル「Get A Job」が1958年、ニューヨークのエンド・レコードから世に出ることになりました。この時、彼はベリー・ゴーディーの元でレコードを発売するために必要な録音、製造、販売、宣伝についても学び、そこからレコード制作だけでは利益は僅かにしかならないと気づきます。自分たちで販売まですべて行うことを続けて行くためには、そのための会社を設立するしかない。そう考えたスモーキーは、師匠のベリー・ゴーディーに自分たちのレコード会社設立を進言します。
 1959年、ベリー・ゴーディーは地元デトロイトでモータウン・レコードを設立。世界の音楽史を変えることになる企業が誕生することになりました。
モータウン・レコードの誕生の歴史

<モータウン最初のゴールド・レコード>
 モータウン最初のゴールド・レコードとなったのは、ミラクルズの「Shop Around」(1961年)でした。この曲は、R&Bチャートでナンバー1となっただけでなくポップチャートでも2位まで上昇。早くもモータウン・レコードの白人層への浸透が始まったと言えます。
 実はこのレコードは当初、まったく別のバージョンそれもスモーキーではなくクローデットがメイン・ボーカルで発売されていました。発売してはみたものの、何かが間違っていると感じたベリー・ゴーディーが、メンバーを集めて再録音を行い、スモーキーをメインにし、ファンク・ブラザースによる演奏も当初よりテンポを上げました。これが、モータウンの特徴となるダンサブルなポップサウンドの原型になり、再発売されたレコードは見事大ヒットすることになりました。
 この後1960年代の初めまで、モータウン・レコードは、ベリー・ゴーディーとスモーキーの2トップによって曲作りが行われることになり、ミラクルズ以外のアーティストたちもヒットを生み出して行くことになります。

<家庭の問題>
 モータウンはプロモーション活動のために、アメリカ全土を巡るツアーを敢行。各地で大きな人気を呼び、レコードの売り上げも急増します。こうしてスモーキーは、急成長し始めた会社をベリー・ゴーディーと二人で動かし、なおかつライブ・ツアーにも出なければならない忙しい日々が続きます。その間に彼は学生時代からつき合ってきた同僚のクローデットと結婚します。
 新婚の二人は一緒に行動することで、精神的には協力関係を築けましたが、肉体的にはそう上手くは行きませんでした。クローデットは仕事の忙しさのせいもあり、妊娠と流産を繰り返すことになったのです。そこでスモーキーは妻をグループから外しますが、1968年に長男を授かるまで長く二人にとっての苦悩の日々が続くことになりました。
 ただし、この苦悩が彼の歌に優れた音楽性をもたらすことになった可能性もありそうです。モータウンにおける成功と夫婦の間の不幸により、彼の曲には愛の持つ矛盾がリアルに描かれることになったのです。彼の代表曲でもある「マイ・ガール」はそんな愛の矛盾が見事に描かれた作品です。もちろんこうした彼の曲の複雑さ、高度さは彼の性格によるところにもありました。

 他人とうまく共同作業をやれるという才能、そしてあらゆるところからヒントを引き出す才能のおかげで、スモーキーの曲はけっして型にはまりこむことがなかった。・・・彼は他のモータウンの作曲家たちのように、すぐに自分の作品とわかる音楽的特徴をおりこんだり、常套句を使ったりすることを避けた。
ネルソン・ジョージ「モータウン・ミュージック」より

<スモーキーの歌声の魅力>
 ミラクルズの場合、曲と歌詞の素晴らしさだけでなく、スモーキーの歌声の魅力もまた大きな役割を果たしていました。
 元モータウンのエンジニア、デヴィッド・モースによると、
「彼の声は話している時と歌っている時との違いというものがない。ため息のような、親しみのこもったささやき声から、澄んだ、明るい、一語一語に緊張感を込めた歌い方まで自由自在だ」
「他のシンガーがきっちりとビートにのって歌うのに対して、スモーキー・ロビンソンはビートとつかず離れずの、自由な間隔ともいえる距離をつねに保っている」

 1964年、彼はモータウンの副社長に就任。企業家としての仕事もかた忙しくなります。そのため、歌手、副社長、ライター三足のワラジは困難になり、ライターとしての仕事は減らすことになります。ただし、それは多くの優れたアーティストを抱えるモータウンにとっては、自然な流れでもありました。

 皮肉なことに、その独特の創造力がかえって災いとなり、1963年以降彼はモータウンのヒット曲制作グループからは次第にはずれていってしまうことになる。というのも、彼がどんな曲を書くかは誰にも予想がつかず、彼が書いたりプロデユースした作品はかならずヒットするという保証がなかったからだ。
(彼よりも「モータウンらしい曲」を書けるライターが他にもいたということです)
ネルソン・ジョージ「モータウン・ミュージック」より

 1968年に念願の長男が生まれた後、彼は子供たちとの時間をもちたいとして、ミラクルズを脱退します。代わりにビリー・フィンが加わった新生ミラクルズは、ディスコブームの中、それに対応したシングル「Love Machine」で全米ナンバー1となりますが、その後はソウル・ミュージック全体の低迷期となり、1970年代後半には解散することになりました。
 その間、1973年にスモーキーはソロ・シンガーとして再スタートを切り、マイペースで活動を行うようになります。1990年にはモータウンからのラスト・アルバム「LOVE SMOKEY」を発表。21世紀に入っても、ソロとして活動を続けています。

<スモーキー・ロビンソン作曲・作詞の代表曲>
曲名  発表年 作曲 チャート順位
ザ・ミラクルズ The Miracles   
「Shop Around」  1961年 Smokey Robinson(S.R.)
Berry Gordy 
POP 2位
R&B 1位 
「You've Really Got a Hold on Me」  1963年 S.R.  POP 2位
R&B 1位 
「Mickey's Monkey」  1963年 Holland- Dozier-Holland POP 8位
R&B 3位
「The Tracks of My Tears」  1965年 S.R. , Marvin Tarplin
Warren Moore 
POP 16位
R&B 2位
「Going to a Go - Go」  1966年 ↑  POP 11位
R&B 2位 
「I Second That Emotion」  1967年 S.R.
Al Cleveland 
POP 4位
R&B 1位 
「If You Can Want」  1968年  S.R.  POP 11位
R&B 3位 
「Baby, Baby Don't Cry」  1969年  A.C., S.R.
Terry Johnson 
POP 8位
R&B 3位 
「The Tears of a Clown」  1970年  Henry Cosby, S.R.
Stevie Wonder 
POP 1位
R&B 1位
ザ・フォートップス The Four Tops    
「Still Water Love」 1970年  S.R.
Frank Wilson 
POP 11位
R&B 4位
マーヴィン・ゲイ Marvin Gaye 
「I'll Be Doggone」  1965年 S.R. , Marvin Tarplin
Warren Moore 
POP 8位
R&B 1位
「Ain't That Peculiar」  1965年 POP 8位
R&B 1位 
ザ・マーヴェレッツ The Marvelettes 
「Don't Mess With Bill」  1966年  S.R.  POP 7位
R&B 3位 
「The Hunter Gets Captured by the Games」 1967年  S.R.  POP 13位
R&B 2位 
ザ・テンプテーションズ The Temptations 
「My Girl」 1965年  S.R.
Ronald White 
POP 1位
R&B 1位 
「It's Growing」  1965年  S.R. Warren Moore  POP 18位
R&B 3位
「Since I Lost My Baby」  1965年  ↑  POP 17位
R&B 4位 
「My Baby」  1965年  S.R., W. M.
Robert Rogers 
POP 13位
R&B 4位 
「Get Ready」  1966年  S.R.  POP 29位
R&B 1位 
メリー・ウェルズ Mary Wells 
「The One Who Really Loves You」  1962年  S.R.  POP 8位
R&B 2位 
「Two Lovers」  1962年  S.R.  POP 7位
R&B 1位
「My Guy」  1964年  S.R.  POP 1位

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