「雪 Snow」

- オルハン・パムク Orhan Pamuk -

<トルコの複雑な事情>
 僕は二度トルコに行ったことがあります。その時、僕が勤めていた会社の先輩が知り合いだったトルコ人の家族の方々に大変お世話になりました。その家は、お祖母さんがロシアの貴族階級出身でロシア革命の時に亡命し、トルコ人の大使と結婚。トルコのイスタンブール、ボスボラス海に面する素晴らしい場所に立つ豪邸に住んでいます。彼女の息子はトルコの観光業界の大物として有名な人物でした。
 二人の息子のうち、長男はイスタンブールの大学に行っていましたが、頭の良い方の次男はイギリスに留学していました。しかし、どうやらイギリスでの生活で精神的にノイローゼ気味になったらしいという話をききました。その後、彼はイスラム教の一派メブラナ教団に入信し、コンヤで行われる有名な「旋舞」を踊る修行を積んでいるとのことでした。
 トルコの中でトップクラスの階層に位置する彼らにとって、イスラム教とは何なのか?残念ながら僕の下手くそな英語ではそんな難しい話をすることは不可能でした。しかし、ビジネスの面では資本主義であっても、宗教的にはあくまでイスラムであることが求められる社会で生きることは日本人には理解できないほど複雑な生き方かもしれません。特にトルコという国は、イスラム圏の中でも最もヨーロッパ化した国であり、いち早くアルファベットを導入したことでも知られている「ヨーロッパの一員」です。(彼らはECのメンバーを目指しており、サッカーのワールドカップ予選でも彼らはアジア予選ではなくヨーロッパ予選に出ることを選択しています)
 そのうえ、トルコは国を持たない遊牧民クルド人問題を抱え、国内の民族問題でいつもゴタゴタしています。経済はヨーロッパ、文化はイスラムという引き裂かれた国にとって、国内の宗教対立は致命傷にもなりかねない重要な問題です。

「特にこの国は宗教による恐怖政策の支配によってのみ治めることができると奴らは知っている。いつもこの恐怖は理由のないことではなかった。民衆が反動的モスレムを恐れ、国や軍に庇護を求めなければ、中東やアジアのいくつかの部族国家で起こったように時代遅れの、無秩序に陥ることになる。」
テロ事件の指導者、スナイ・ザーイムの言葉(本書より)

 この小説の主人公は、学生運動をしていた時代に亡命せざるを得なくなり、ドイツに移住して、そこで詩人となった経歴をもっていました。さらにイスラムの教えとはかけ離れたドイツの地で無宗教の人間として生きてきたので、トルコ人ではあっても、精神的にはもうヨーロッパ人と考えるべきかもしれません。

「・・・スパイであることをあんたが知らないとしても、あるいは、あんたがそうするつもりがないとしても、事情は変わらない。三人の中でここに属さないのはあんただ。信心深いこの娘に、気がつかないうちに引き起こした疑問、奇妙な感じもその証拠だ。自惚れた西洋人の目で俺たちを判断し、もしかしたら心の中で俺たちのことを笑っていたのかも・・・俺は気にしない。カディフェでもそうだ。しかし、我々に、自分のナイーブな考えと共にヨーロッパ人の幸せの約束、正義の妄想を引き入れて頭を混乱させた。あんたをに怒ってはいない。全ての善意の人間のように、心の中の悪に気がつかずにやっているのだ。しかし今、俺からこのことを聞いたからには、今後は無垢とは言えない。・・・」
Kaが自分たちを裏切りつつあると感じた紺青の言葉(本書より)

 そんな異邦人である彼がイスタンブールとは異なる田舎の古い街で愛する人と再会。ただ彼女との未来だけを考えながら街をさ迷い、過去の記憶をさ迷いながら、詩を次々に生み出してゆきます。宗教も、政治もいらない。ただ彼女との生活があればそれでいい。しかし、そんな彼のささやかな願いを紺青は簡単に否定します。

「幸せであれば十分だと思う者は、幸せになれない。このことを知っておけ。」
紺青(本書より)

 そして、物語の展開もまたKaをどんどん危機へと追い込むことになります。Kaがトルコに帰って思うことは、そのままヨーロッパ人がトルコに来て思うことといっしょかもしれません。

「・・・一人一人の貧乏人には同情するかもしれない。でも、ある民族が貧しいと、世界中は直ちにその民族が馬鹿で、頭が悪くて、怠け者で、薄汚く、何事もうまく出来ない民族だと考える。彼らは同情する代わりにあざ笑う。彼らの文化、風習、習慣を滑稽だと思う。それから、その考えを恥じて、あざ笑うのをやめて、その国から来ている出稼ぎ労働者は床を拭いたり、最低の仕事をしても反抗しないようにと、彼らの文化に関心があるようなふりをしたり、さらには同等だとふるまったりする。」
クルド人の青年(本書より)

 こうした事業を知ってしまった時、Kaのようにヨーロッパに住むムスリムは、いよいよ深く心を引き裂かれることになります。

「彼らが、西で、詩を書いたり、歌を歌えば、全人類のものとなる。彼らは人間である。ところが我々は単にムスリムだ。我々が書けば、エスニックな詩になるのだ」
クルド人の青年(本書より)この本の著者もまたムスリムだということは皮肉です。

 9・11同時多発テロ事件に関わった著者たちの多くは、海外経験のあるインテリの若者たちでした。彼らはけっしてイスラム圏のことしか知らない田舎者ではなく、ヨーロッパやアメリカの文化をよく知る人物だったといえます。そして、だからこそ彼らは深く心を切り裂かれてしまい、その怒りをテロへと向けることになってしまったのです。こうした、イスラム圏の人々のアイデンティティーの崩壊は、9・11以降、世界を大きく変え、地球全体を二つに引き裂きかねない勢いをもちつつあります。
 小説「雪」はこうした国家規模の崩壊の危機を描きながら、そんな状況下で個人の幸福とは、いかにはかなく脆いものであるかを悲劇的な愛の物語として描いています。

<わかりやすい解説>
 この小説は最初に用語の解説や登場人物の紹介があるので、かなりわかりやすくなっています。トルコの歴史や現実の社会状況を知らないとちょっと難しいのも確かです。かつて、クルド人の監督ユルマズ・ギュネイの「路」をみた時の感動は、未だに忘れられませんが、この小説ではより俯瞰したトルコという複雑な国の現状を理解できた気がします。
 著者のオルハン・パムクは、1952年イスタンブールに生まれ、3年間のニューヨーク滞在を除くとずっとイスタンブールに住んで作家活動を続けてきました。この点はKaとは違うといえそうです。

<トルコで生まれたベスト・セラー>
 2002年に発表されたこの小説は、あの9・11同時多発テロ事件の影響もあって、西欧諸国で大ベストセラーとなりました。それはこの小説がイスラム教の国トルコにおける宗教、民族の対立を物語の背景として描き、その複雑で危険な構造を明確に示していたからかもしれません。文学作品として世に出ることの少ないイスラム圏の国々の現状をこれほどわかりやすく客観的に描いた作品は、今までほとんどなかったのかもしれません。
 イスラム過激派の危険な姿を描いたルポはいくらでもありますが、それが一般大衆とどう関わっているのか、どんな存在として受け入れられているのか?そのことを描くこともまたイスラム圏ではタブーだということでしょう。ただし、この作品はそうしたイスラム過激派の肖像画として描かれているわけではありません。あくまでも、それは物語の背景です。
 この作品は、政治小説であり、サスペンス小説であり、ミステリー小説であり、恋愛小説であり、詩の朗読のない詩集でもある骨太で繊細な一級品の芸術的娯楽小説です。彼はこの作品などの著作を高く評価され、2006年にトルコ人として初めてノーベル文学賞を受賞しています。その受賞理由にはこう書かれています。

「生まれ故郷の街に漂う憂いを帯びた魂を追い求めた末、文化の衝突と交錯を表現するための新たな境地を見出した」

 イスラムの人々の優しさは、個人的によくわかっています。しかし、その優しさや正直さが今や裏切られることで、そのま逆の方向へと向けられつつあります。その原因が宗教であることはわかっても、それ否定することは簡単でも、それでは何も解決しません。21世紀の世界が平和を実現できるかどうか。厳しい現実が続きます。

「・・・しかし、ここのように、人間を重要だと思わない残酷な国で、信仰のために自分を無駄にするのは賢くない。高まいな理想や信仰、そんなものは、金持ちの国の人々の話だ。・・・」
Ka
「まさにその逆です。貧しい国では、人間は信仰しか頼れるものがありません。」
カディフェ(本書より)


「雪 Snow」 2002年
(著)オルハン・パムク Orhan Pamuk
(訳)和久井路子
藤森書店

<あらすじ>
 この物語の主人公Kaは、ドイツに亡命して詩人として活動していたトルコ人。彼はある雑誌社からトルコの奥地カルスの街で起きている若い女性たちの連続自殺事件とその地域で行われる予定の市長選挙の関連性について調べてみないかと誘われます。偶然、その街にかつて彼が学生運動をしていた時代に愛した女性イベッキが住んでいることを知ったKaは、その仕事を受け、トルコ東部アルメニアとの国境近くにある古都カルスへと向かいます。
 カルスについた彼は、取材のため、自殺した女性たちの家族や関係者に会いますが、その途中、彼女たちの精神的な指導者「紺青」からの接触を受けます。イスラム過激派のその人物は、その地域に多く住むクルド人の人々を中心に大きな影響力をもっていました。
 調査により、少女たちの自殺の理由はわかってきました。自殺した少女たちは、イスラムの教えに従って学校で髪の毛を隠そうとしますが、宗教と教育の分離を徹底する学校側はそれを認めませんでした。しかし、自分たちの主張が認められないからいって、自ら命を絶つものだろうか?まして、イスラム教においては、自殺は罪とされる行為なのです。本当に少女たちの死は自殺によるものだったのだろうか?疑問を感じながら、彼はかつて彼が愛したイベッキと再会します。彼女が離婚したことを聞いていた彼は、今度こそ彼女に自分の思いを告げ、彼女をドイツに連れ帰ろうと決心していました。
 ところが、彼女との再会の場で殺人事件が起きてしまいます。自殺した少女たちが通っていた学校の校長が何者かによって射殺されてしまったのです。犯人はイスラム過激派で少女たちを自殺に追い込んだ学校の対応に対する復讐だったのか?それとも、そう見せかけた別の何者かによる犯行なのか?
 同じ頃、街にはトルコ政府の政教分離の体制を支持する演劇集団が訪れており、彼らの公演がテレビで全国に中継されることになっていました。Kaはそこでゲストとして詩を朗読するよう依頼されます。政治に関わるつもりのない彼は、それを断るつもりでしたが、なぜかカルスの地に着いてから次々と彼の頭の中には新しい詩が生まれ出され続けます。その一つ「雪」を彼は会場で朗読しますが、その直後、彼が会場を出ると舞台の上に登場した兵士が会場の観客たちに向かって銃を乱射します。もちろん、それは芝居の一部だったのですが、その銃の弾そうにはいつの間にか本物が入れられていました。すぐに血だらけの観客席は、大混乱となりますが、その映像は生中継でトルコ全土に放送されていました。さらに、市内でが突然軍隊の一部が動き出し、市内各所で銃撃の音が響きわたります。いったい何のために軍隊が動き出したのか? ちょうどその夜、カルスの街は周辺には大雪が降り、すべての交通手段は遮断状態となり、街は孤立状態になっていました。
 Kaは無事にイベッキとともに街を出ることができるのか?
 殺人犯はやはりイスラム過激派なのか?
 動き出した軍隊は、トルコ軍内部の右派過激派なのか?
 軍隊の目的はクーデターなのか?クルド人ゲリラとの戦闘なのか?トルコ国内左派への見せしめなのか?

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