- ソフト・マシーン、ケヴィン・エアーズ The Soft Machine,Kevin Ayers -

<60年代を生き抜いたミュージシャン>
 1960年代を生き抜き世紀末まで活躍を続けてきたミュージシャンたちは、いくつかのタイプに分けられる気がします。
 60年代の闘いの精神を守り続け、その後も休むことなく闘い続けてきたミュージシャン。この代表格は、やはりニール・ヤングでしょう。ロック界の貴重な宝ともいえる存在です。
 逆に60年代の精神を時代にあわせて変化させながら活動を続けたミュージシャンもいます。ジェファーソン・エアプレーンは、その象徴的なバンドかもしれません。
 60年代の終わりとともに命を散らし、この世から消えていったミュージシャンたち、ジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョップリンジム・モリソンなど。時代とともに、解散などで活動を停止してしまったバンドやミュージシャンたち、ビートルズクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング、それにキャプテン・ビーフハートのようにミュージシャンを止めてしまった人物もいます。
 時代の変化に影響を受けず、そのまま突っ走り続けたある種脳天気で、頑固なミュージシャンもいます。もちろん、ローリング・ストーンズはその代表格です。
 そして、もうひとつのタイプがあるような気がします。それは60年代の精神を守りつつ、ついに音楽業界の表舞台からドロップ・アウトしてしまったアーティストたちです。なかでもフランク・ザッパは、ドロップ・アウトしたにも関わらず、メジャーであり続けた例外的人物です。ほとんどのアーティストたちは、いつしか忘れられた存在になって行きましたが、中には生きた化石が現代に甦るように、時に素晴らしい作品とともに表舞台に登場してくるミュージシャンもいます。レッド・クレイオラスラップ・ハッピーがそうだし、ソフト・マシーンのメンバー、ロバート・ワイアットケヴィン・エアーズもその代表的なミュージシャンです。(そうそうレジデンツという特殊な存在もありました!)

<ソフト・マシーン>
 かつて、ソフト・マシーン(柔らかな機械)というバンドがありました。その名はビートニク作家、SF作家として未だにカリスマ的人気をもつウィリアム・バロウズの作品からとられていて、その名のとおりフリー・フォームかつポップな感覚をもつジャズ・ロック系のバンドだった。メンバーの中心は、イギリスのカンタベリー出身でオックスフォードで哲学、心理学を学んだマイケル・ラトリッジ(キーボード)、ブリストル出身であらゆる楽器をマスターした天才ロバート・ワイアット(ドラムス担当)、そしてラトリッジと同じカンタベリー出身のケヴィン・エアーズ(ベース担当)だった。
 他にも、ソフト・マシーンには、他に後にゴングを結成するデヴィッド・アレンポリスを結成するアンディー・サマーズ(正式メンバーではなかった)も在籍していて、今やまさに伝説のバンドとなったと言えるだろう。

<ソフト・マシーンの結成>
 ケヴィン・エアーズは、1944年8月16日にイギリス南東部カンタベリー地方のケント州の港町ハーンベイで生まれました。(1945年という説もあり)6歳の時に両親とともにマレーシアに渡り、そこで少年時代を過ごし1960年代にイギリスに戻るとケント大学に入学しました。彼はそこで1963年頃ワイルド・フラワーズというバンドを結成します。彼らは、ジョン・コルトレーンジェイムス・ブラウンをミックスさせた音楽を演奏していたという!後に、このバンドを母体として、ソフト・マシーンとキャラバンが誕生することになりますが、このジャズ・ロック系の元祖と言われるグループは、カンタベリー派と呼ばれました。
 ケヴィンは、1965年このバンドを脱退し、地中海に浮かぶ当時のヒッピーのメッカ、スペイン領のマヨルカ島へ旅立ちました。そして、そこで知り合ったオーストラリア人のデヴィッド・アレンと意気投合、彼らはイギリスに戻るとワイルド・フラワーのメンバーだったロバート・ワイアット、それにマイケル・ラトリッジ、ラリー・ノーランの五人で、ソフト・マシーンを結成しました。

<フリー・フォームなジャズ・ロック・バンド>
 1966年彼らは活動を開始し、ロンドンでピンク・フロイドなどのバンドと共演し、当時ブームのサイケデリック・ロックの代表的バンドとなり、デビュー・シングル"Love Makes Sweet Music"を発表しました。しかし、この時点でデヴィッド・アレンは麻薬問題でイギリスを出国せざるをえなくなり、メンバーはケヴィン、ロバートとマイクの3人になってしまいました。それでもこのメンバーでデビュー・アルバムを制作、ジミ・ヘンドリックスのアメリカン・ツアーの前座として、二度アメリカにも渡りました。(このツアーに臨時のギタリストとして雇われたのが、後にポリスを結成することになるアンディ・サマーズでした)

<ケヴィン・エアーズの脱退>
 しかし、大学からも社会からもドロップ・アウトし、自由に生きることを望んでいたケヴィンにとって、イギリスにおけるミュージック・ビジネスの厳しい現実は耐え難いものでした。1968年、デビュー・アルバム「ソフト・マシーン」が発表されると、彼はバンドを去り、フランス人の彼女とともに地中海に浮かぶ小さな島、イビザ(スペイン領)に移住してしまいます。
 彼は一時は音楽活動を止めようとしましたが、自由なイビザの生活の中で再びミュージシャンとしての活動を開始。1969年には、ソフト・マシーンのメンバーの協力により、デビュー・ソロ・アルバム"Joy Of A Toy"を発表、現代音楽の作曲家、デヴィッド・ベッドフォードとともにホール・ワールドを結成します。(このバンドには、ベースとギター担当として弱冠15歳の天才少年が参加していました。後にエクソシストのテーマとして世界的な大ヒットとなるインスト・アルバム「チューブラーベルズ」を発表するマイク・オールドフィールドです!)

<その後のソフト・マシーン>
 その後、ソフト・マシーンはロバートとマイクを中心として、よりジャズ指向を強めて行きます。そしてサード・アルバム「3rd」では、ジャズ畑のミュージシャンをバンドに加え、二枚組で4曲入りというジャズ・ロックの大作を完成させました。

<その後のケヴィン・エアーズ>
 この頃のケヴィンのサウンドは、ソフト・マシーンがそうであったようにフリー・ジャズの影響を色濃く受けていましたが、地中海ののどかな島に住むうちに、しだいに美しく親しみやすいメロディーを持つ音楽になっていました。その変化はについて、彼は「島に住んでいるうちに、いつしか初期のビートルズやラヴィン・スプーンフルの曲に近づいていった」と言っています。
 その後も彼はイビザ島かマヨルカ島に住みながら、スペインを中心にゆったりとした音楽活動を続けています。アルバムも2年に一枚は発表していますが、けっして大がかりなプロモーションもせず、ツアーもめったに行っていません。そんなわけで、一時彼の名は完全に過去のものになっていました。しかし、1988年彼が久しぶりに大手のレーベル、ヴァージンと契約したことにより、12年ぶりに彼のアルバムが日本で発売されました。(この後のアルバム"Still Life With Guitar"(1992年)もまた良かった)
 その作品が、彼の名を再び日本中に知らしめることになった傑作アルバム"Falling Up"です。僕も、このアルバムを聴くまでは彼の存在を知らなかったし、おかげでその後しばらくしてロバート・ワイアットの「シュリープ Shleep」(1997年)にも出会うことができました。(これもまた素晴らしい作品です!)
 そして、二人がともに所属していたソフト・マシーンという幻のバンドの存在を知ったというわけです。

<ケヴィンとジャック・マイヨール>
 これはまったく個人的な思いこみかもしれませんが、僕にとってケヴィン・エアーズはフリー・ダイビングの神様、映画「グレート・ブルー」のモデルとなったジャック・マイヨールに似た存在です。かたや人間社会を捨てイルカになることを目指し、フリー・ダイビングという競技でかろうじて世界とつながっている男。かたやロンドンという都会を捨て、イビザ島にこもり、かろうじて音楽活動によって世界とつながっている男。
 時折そこを出て人々にこころの癒しを与える時以外、二人はともに海に浮かぶ小さな島にいるのです。これこそ、僕の憧れの生活です。

<締めのお言葉>
「・・・極楽に往ってじっとしているのではなくして、極楽に往ったならば、正覚を開いて、そこからまた、この世界に生まれ返ってくる、これをもって、私は真宗の終極の目的であると思いたい。この正覚という経験を、われわれは社会経験に帰すべきである。それをさらに進めては、社会経験というものも、ただ人間社会のみに止まらず、自然界、この天地の山川草木国土にも及ぼすべきである」

鈴木大拙著「禅とは何か」より

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