書評集の書評も何ですが・・・好きです


「そんなに読んでどうするの? 縦横無尽のブックガイド」
「ニッポンの書評」

- 豊崎由美 Yumi Toyozaki -
<そんなに読んでどうするの?>
 本のタイトルが、僕に問いかけてきているようだったので読まざるを得ませんでした。240冊を超える本(190人弱の作家)をジャンルもバラバラに紹介したパワフルな書評集です。著者の豊崎由美さんは、1961年生まれなので僕とぴったりと同期です。
 このサイトでも数多くの本を紹介していますが、書いている本人でも「書評って意味はあるのかな?」と時々思ったりもします。正直、僕は面白い本について誰かに教えたくてしかたないから書いているだけなのですが・・・。とはいえ、僕には胸を張って「書評」を書くだけの能力などないので、このサイトはお薦めを選んで、そこにささやかな「感想文」をつけただけのものです。
 おまけに、無数に発表されている本の中から僕が選んでいるのはほんのわずかな作品にすぎません。それらの本は、本当に紹介するに値するのか?ほかにもっともっと素晴らしい本があるのではないか?そんな疑問も常に感じています。だからこそ、そんなに読まないと気が済まないのです。
 そんな意味でこの本は大いに参考になりました。僕が今まで取り上げている本や作家の名前も、けっこう取り上げられているのがうれしかった。著者の「読み方」「分析の仕方」にも納得させられ、「この人が褒めてるなら間違いないな」と思わせてくれました。今後は、この本で取り上げられている作家さんに注目してみます。

<そんな本読んでどうするの?>
 最後につけられた袋とじの中の禁断の批評集が最高でした。タイトルはというと「読者諸君!アホ面こいてベストセラーなんか読んでる場合?」です。いくつものベストセラー作品を滅多切りにしているだけでなく、「ベストセラー」そのものの価値そのものに疑問を呈する強烈な批評精神に脱帽です。このサイトでは、ほとんどベストセラー作品を取り上げていない気がしているので、この文章をを読んで少々安心しました。
「そうか別にベストセラーは読まなくてもいいんだ・・・」と一安心です。
だって、人生は限られた時間しかないのに出版される本の数はきりがないので、どこかで線を引かないと・・・

 ちなみに、そこで取り上げられ、ボロクソに書かれている本をあげるとこんな感じです。
石原慎太郎「弟」(元々著者の人間性が嫌いなので、誰がどんなに素晴らしい作品だと言っても読むつもりはなかったのですが・・・)
渡辺淳一「失楽園」(なんでゲスの極みの不倫小説がそんなにありがたいの?そこまでの優れた文学に本当になっているの?と疑問に思っていました)
五木寛之「大河の一滴」(昔の作品にも大して感動していなかったので・・・なんでとは思っていました)
郷ひろみ「ダディ」(まあ語るまでもないか・・・)
浅田次郎「鉄道員ぽっぽや」(なんだかどの作品も売れてるし、よく映画化もされてますが、「ちょっといい話」のノベライズにすぎないですよね)
桐生操「本当は恐ろしいグリム童話」(この手のタイトルの本も多いですよね。ざっくりと解説し、その魅力の底を浅くしちゃう解説本って、本家に迷惑なだけですね)
J・K・ローリング「ハリー・ポッター・シリーズ」(底が浅いからこそ、ゲーム世代に受け入れられたのでしょうな。「指輪物語」と比較するのは失礼千万です)
柳美里「石に泳ぐ魚」(話題先行のお手本のような作品でしたが、最近はとんと聞きませんね)
 残念ながら、多くの人が本を読まなくなった21世紀の今、ベストセラー作品とは「バカでも読める本」と同義になっているのかもしれません。だって、そうでなければ100万人も本を買うわけないんですから・・・。
 未だに「火花」読んでないんですけど・・・
 「本屋大賞」の値打も、どこまで信じていいのか、最近はわかりません。

<この本とこのサイト、両方で紹介しているのは、今のところ>
<日本の作家>
阿部和重池澤夏樹川上弘美高橋源一郎保坂和志星野智幸古川日出男村上春樹村上龍綿矢リサ

<海外の作家>
アレッサンドロ・バリッコアレン・カーズワイルアントニオ・タブッキアン・タイラーイアン・マキューアン
ガルシア・マルケスギュンター・グラスクリスチャン・ガイイクリストファー・プリーストコーマック・マッカーシー
J・M・クッツェージム・クレイスジョアン・アーヴィングジョナサン・サフラン・フォアジョナサン・フランゼンジョン・アップダイクスティーブン・キングスティーブン・ミルハウザー
ティム・オブライエン、ナサニェル・ホーソン、ピーター・アクロイドフィリップ・クローデルマイケル・オンダーチェマリオ・バルガス=リョサ

<書評とは何ぞや?>
 豊崎さんは「書評とは何か」について、こう書いています。

 わたしはよく小説を大八車にたとえます。小説を乗せた大八車の両輪を担うのが作家と批評家で、前で引っ張るのが編集者(出版社)。そして、書評家はそれを後ろから押す役目を担っていると思っているのです。
 たとえ新刊を扱うにしろ、作者の過去の作品にまで敷えんし、一部のエリート読者以外には理解が難しいテクニカル・タームを駆使して、当該作品の構造を分析し、その作品が現在書かれる意味と意義を長文によって明らかにする批評は、作家にとって時に煙ったい、しかし絶対に重要な伴走者的役割にあると、わたしは考えています。
 一方、書評家は果たしうる役目といえば、これは素晴らしいと思える作品を一人でも多くの読者にわかりやすい言葉で紹介することです。ちまり、作品と読者の橋渡し的存在。


 豊崎さんは「書評の書き方」についてこう書いています。

 わたしは書評を書く時、いつも指定枚数の倍以上の分量の原稿を書くようにしています。そこから文章を削っていくわけですが、この時、真っ先に排除するのは自分にまつわる部分です。エッセイ的な自分語りの記述を削り、それでもまだ分量オーバーな場合は「自分はこんな面白い文章が書けます」的な遊びの部分や、それほど当該書籍と深いつながりと深いつながりも有さない知識なのに「自分はこんなことまで知ってるんだ」的に自慢したいがゆえに出した情報を削除。問題はこの後です。これだけ削ってもまだ足りない場合、当該書籍の魅力に寄り添った内容まで点検しなくてはなりません。どの引用を活かし、どの引用を捨てるのか。どのエピソードを落とすのか。この自分以外誰も知らない削る過程も、書評の”評”の大事な部分だと思うんです。
 削りに削った末に残った粗筋と引用。それは立派な批評です。
(1)自分の知識や頭の良さをひけらかすために、対象書籍を利用するような「オレ様」書評は品性下劣。
(2)贈与としての書評は読者の信頼を失うので自殺行為。
(3)書評は読者に向かって書かれなければならない。


 豊崎さんは「書評と感想文の違い」についても書いています。

・・・プロの書評には「背景」があるということです。本を読むたびに蓄積してきた知識や語彙や物語のパターン認識、個々の本が持っているさまざまな星座のようなものを作り上げる力。それがあるかないかが、書評と感想文の差を決定づける。

 豊崎さんは「書評と批評の違い」についても書いています。

 批評との境目が判然としない英米の書評とは異なり、批評と役割を分けるという形で変わってきたニッポンの書評。その変化のまっただなかでブックレビュアーとして育った自覚を持ったわたしの書評論ですから、英米型の書評を良しとする識者の皆さんには物足りないかもしれません。というか、わたし同様、今現在書評を書いている同業者の皆さんから異論があっても当然と思います。面白い書評はあっても、正しい書評はない。
 だから、書評論はレビュアーの数だけあっていい。わたしはそう考えるのです。


「そんなに読んでどうするの? 縦横無尽のブックガイド」 2005年
(著)豊崎由美
アスペクト
「日本の書評」 2011年
(著)豊崎由美
光文社新書

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