- ソニー・ロリンズ Sonny Rollins -

<求道者ソニー・ロリンズ>
 ソニー・ロリンズといえば、日本でも特に愛されているジャズ・ミュージシャンとして多くの人に知られているジャズ・サックス・プレイヤーの一人です。彼はセロニアス・モンクやチャーリー・パーカーなどジャズ黄金期の天才たちから直接ジャズを学んだ最後の世代でもあり、その生き方がジョン・コルトレーンのようにジャズの真髄を追い求め続ける求道者的なものだったことから「最後の生きるジャズ伝説」ともいえる存在です。特に彼の人生における何度かの引退期は今ではジャズ伝説のひとつとして語り継がれる物語となっています。21世紀を生きた最後のジャズ・レジェンド、ソニー・ロリンズの人生を振り返ります。

<ジャズ伝説の男たちの間で>
 ソニー・ロリンズ(本名セオドア・ウォルター・ロリンズ)は、1930年9月7日、大不況真っ只中のニューヨークに生まれています。小さな頃から音楽が回りに聞こえる環境で育ち、ルイ・ジョーダンに憧れてピアノを始めた彼は、11歳の頃アルト・サックスを学び始め、16歳の時テナー・サックスに転向、生涯テナー・サックスにこだわり続けます。当時、近所にコールマン・ホーキンスが住んでいて、彼は恐れ多くもその伝説のサックス・プレイヤーの自宅まで押しかけていったといいます。当時のニューヨークは、ジャズ伝説の男たちがごく普通に住む今思うと夢のような街だったのでしょう。彼はそのコールマン・ホーキンスとライバル、レスター・ヤングを最初の目標とし、その後登場したチャーリー・パーカーに憧れて以後は、アドリブを重視するバップのスタイルに目覚めてゆきます。その間彼は、コールマン・ホーキンスやチャーリー・パーカー、セロニアス・モンク、マイルス・デイヴィス、バド・パウエルら伝説のミュージシャンと共演。ただし、ジャズ界の英雄たちから学んだことが多かった分、彼は自らの力不足を常に感じながら音楽活動を続けることになります。彼の中にある英雄たちに対するコンプレックスが、その後彼が何度も音楽界から姿を消す最大の原因になったのかもしれません。

<ミュージシャン・デビュー>
 1949年、19歳でレコーディングに初参加すると、マイルス・デイヴィスやバド・パウエルらの大物たちに可愛がられながら力をつけてゆきました。1951年には初リーダー作を録音。この時の録音は初期のセッションを収録したアルバム「Sonny Rollins With The Modern Jazz Quartet」で聴くことができます。しかし、ニューヨークでの自らの音楽に関する勉強が不十分であると感じていた彼は、そんな状態で演奏することに納得できなくなります。そして突然、音楽活動を離れ、働きながらシカゴで音楽の勉強を始めます。一時期仕事がなくて授業料が払えなくなりましたが、彼のことを知る教授のおかげで個別のレッスンを受けることができたというエピソードも残っています。彼にとっては、これが最初の音楽界からの引退?でした。
 1955年、クリフォード・ブラウン(トランペット)とマックス・ローチ(ドラムス)のクインテットに参加し、再び音楽活動を開始します。そして、そのマックス・ローチのドラムス参加によりアルバム「Worktime」を発表し、見事な復活をとげました。

「Worktime」(1955年)
 歴史的傑作「サキソフォン・コロッサス」を録音する半年前のエネルギーにあふれた隠れた名作。最初の引退から彼を復活させたマックス・ローチのドラムスをバックに若々しいロリンズの演奏を聴くことができます。同じくデビューしたばかりのレイ・ブライアントのピアノも聴きどころです。

「サキソフォン・コロッサス Saxophone Colossus」(1956年)
 1956年、彼にとっての代表作であると同時にジャズ史に残る名盤の一つ「サキソフォン・コロッサス」をプレスティッジ Prestigeから発表、彼は一躍ジャズ界を代表するサックス・プレイヤーの仲間入りを果たします。このアルバムは、スウィング・ジャーナル誌が発表した20世紀ジャズ永遠の愛聴盤100枚ランキングにおいて、第2位に選ばれています。文句なしにジャズ史に残る名盤といえるでしょう。(特に日本人には愛されているといえそうです)さらに、このアルバムの中からは同時に発表された永遠の名曲名演30曲の中に「セント・トーマス」、「モリタート」、「ユー・ドント・ノー・ホワット・ラブ・イズ」、「ストロート・ロード」がそれぞれ4位、6位、9位、21位にランクインしています。
 「セント・トーマス」はカリプソのリズムを取り入れた曲ですが、元々カリブ海のセント・トーマス島出身だった彼の母親が子守唄として歌っていたメロディーを彼が曲にしたため、そのオリジナルはセント・トーマスの民謡だったといわれている曲です。彼はそのためこの曲のクレジットに「アレンジド・バイ・ソニー・ロリンズ」と記しています。これもまた彼の生真面目な性格をあらわす逸話です。
 この後の彼の活躍は、休養中に蓄えていたエネルギーを放出するかのように凄まじいものでした。上記のアルバム以外にも彼は同じ年、次々にアルバムを発表しています。「プラス・フォー」、「テナー・マッドネス」、「プレイズ・フォー・バード」、「ツアー・デ・フォース」。これらを発表し、彼はプレスティッジとの契約を終了し、他社での録音も可能になります。
そして、翌年もまた彼の才能は爆発し、次々にアルバムを発表します。「ウェイ・アウト・ウエスト Way Out West」(コンテンポラリー)、「ソニー・ロリンズ Vol.1&Vol.2」(ブルーノート)、「ニュークス・タイム Newk's Time」(ブルーノート)、そして傑作ライブ・アルバム「ヴィレッジ・ヴァンガードの夜 A Night at the Village Vanguard」(ブルーノート)、それにセロニアス・モンクのこれまた歴史的な名盤「ブリリアント・コーナーズ」への参加。この時期は、まさに彼にとって黄金時代だったといえるでしょう。

「ニュークス・タイム Newk's Time」(1957年)
 1950年代にブルーノートで行われた
「ヴィレッジ・ヴァンガードの夜 A Night at the Village Vanguard」(1957年)
 ピアノレス・トリオによるライブ・アルバム。1950年代ソニー・ロリンズの集大成ともいえる傑作のひとつ。2時間以上の録音がありながら、当初は6曲分しか発表されず、幻の録音といわれていました。しかし1970年代になり、ブルーノートを復活させたマイケル・カスクーナがブルーノートの発掘作業を行った際、完全な録音が発見され、現在では16曲入りの完全版として発売されています。

<再びの隠遁生活>
 しかし、こうして黄金時代を迎えた彼のアドリブ・スタイルは、さっそく多くのプレイヤーにマネされるようになります。そうした状況にウンザリしたのか、それともそうしたフォロワーに対抗して新しいスタイルを生み出す自信を失ったのか、彼は再びジャズ・シーンから消えてしまいます。
 1950年代末、完全に音楽界から離れた彼は当初、自宅にこもり黙々と練習に励みました。ところが住宅地にある家で、どこにも出かけず昼夜関係なくサックスを吹くのですから、当然近所から苦情が来るようになります。仕方なく彼は練習場所をニューヨークの街を流れるイーストリバー川にかかるウィリアムズバーグ橋のたもとに移し、練習を続けました。修行僧のようなそうした生活の後、1961年再び彼はジャズ界に復帰します。そして、翌1962年、その名もズバリ「橋 The Bridge」(RCA)を発表。オーネット・コールマンやドン・チェリーなどフリー・ジャズ系のミュージシャンからの影響も受けながら新しいジャズ・スタイルを追求し続けてゆきました。
 この時代の録音は、「ソニー・ロリンズ・オン・Impulse!」(1965年)や未発表曲集として発売された「アフター・ザ・ブリッジ After the Bridge」(録音は1964年)などで聴くことができます。されに彼が作曲した映画音楽「アルフィー」のテーマなどを収めたサントラ盤「アルフィー」も、彼のポップなセンスを感じさせる好盤です。

「アフター・ザ・ブリッジ After the Bridge」(録音は1964年)
 1962年に隠遁生活から復帰して発表したアルバム「橋 The Bridge」以後に行われたセッションの中から未発表曲を集めた2枚組みCD。スタンダードな選曲ながら新しくなったロリンズの魅力を知ることができるアルバム。バンドのメンバーもハービー・ハンコックやロン・カーターなどに若返っています。

<再びの隠遁生活>
 ところが1969年、再び彼は突然音楽界から消えてしまいます。
 もともと彼はテクニックやセンスに頼るアーティストではなく、パワー全開で吹きまくることを心情としていました。一見男っぽく力強いイメージをもたれがちな彼の演奏を支えていたのは、ジャズという音楽芸術に誰よりも生真面目に取り組む姿勢でした。それだけに、彼は何度も立ち止まっては自らの向かうべき道を選ぶための時間を必要としたのかもしれません。
 その後再びジャズ・シーンに戻った彼は、1970年代に主流となったフュージョン系のアーティストたちとも積極的に共演します。1976年発売のアルバム「ザ・ウェイ・アイ・フィール The Way I Feel」には、リー・リトナー(ギター)、パトリース・ラッシェン(キーボード)らが参加しています。
 彼は悩み続けながらも、新しい音楽との出会いに積極的に取り組みました。コルトレーン亡き後、ジャズ界最高のサックス奏者といわれるようになった彼は、大御所としてマッコイ・タイナー、ロン・カーターらとジャズ・スターズを結成。傑作ライブ・アルバム「Milestone Jazz Stars In Concert」を発表するなど、70年代後半も活躍を続けました。
 1986年発表のアルバム「G−Men」ではアドリブの限界に挑み、56歳にして再びかつてのパワーを発揮しました。1990年代以降、21世紀に入ってもなお、彼はジャズ界の生きるレジェンドとして活躍を続けます。
 ちなみに1981年にローリングストーンズが発表した傑作アルバム「Tatoo You」に収められていたカントリー・バラード調のヒット曲「Waiting On A Friend」のカッコいいサックスは、なんとソニー・ロリンズなのです!

[参考]
「ジャズ・サックス」(編)森田敏文(監)原田和典(出)シンコー・ミュージック
「ブルーノート・レコード」(著)リチャード・クック(出)朝日文庫
「ジャズ・ベスト・コレクション」(著)油井正一(出)新潮文庫
「ジャズ・レジェンド(ダウンビート・アンソロジー)」(編)フランク・アルカイヤー(著)ナット・ヘントフ
「モダン・ジャズ読本」(編)村田文一(出)スウィング・ジャーナル

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