ゾンダーコマンドと共に体験する虐殺収容所


「サウルの息子 Son of Saul」

- ネメシュ・ラースロー Nemes Laszlo -
<虐殺事件のドキュメント>
 ドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」は、インドネシアで起きた大虐殺事件を、当時の犯行グループのメンバーに再現ドラマとして演じさせた作品で世界中に衝撃を与えました。当時の犯人たちが楽しそうに殺害や拷問を演じてみせる姿は、観客の背筋を寒くさせました。そこまでやられると、あとは本物の虐殺の記録映像ぐらいしかそれを越えることはできないだろう。そんなことを思いました。たとえ徹底的にリアリズムにこだわったとしても、フィクションである映画の中で、そこまで現実味のある世界は作れないだろうと思いました。いや、もし、それが可能だったとしても、そこまで作り込まれた作品は、「映画」として観客に見せることができないのではないか?そんな気がしました。
 ところが、人間の創造力とは凄いものです。2015年異なる切り口によって、また新たな映画が生み出され、世界を驚かせたのです。

<虐殺は映画になりうるか?>
 虐殺の現場をリアリズムに徹して映像化するだけなら、それは手持ちのビデオ・カメラで撮影された「ブレアウィッチ・プロジェクト」的スプラッタ映画となりかねません。それなら、スプラッタ映画が好きな一部のファンにしか受け入れられなかったはずです。スプラッタ映画が苦手な僕としては、絶対に見たくないタイプの映画です。そんなわけで、僕はこの映画が見たいわけではありませんでした。だって、なぜ好き好んでナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の現場を覗き見しなければならないのでしょう?その事実は、様々な歴史書、小説、映画、写真などで知っているし、それが事実であることは誰もが知っているのですから・・・。(正直、BBC放送が選んだ「21世紀の偉大な100本」にこの作品が選ばれていなければ見ていなかったかも・・・失礼しました)
 では、この映画はやっぱり怖いのか?スプラッタなのか?というと、全然そうではないので、「スプラッタもの」が苦手な方も安心して見て下さい!この作品の監督は、そうならないように工夫を凝らし、なおかつホロコースト体験を忘れられないものにすることに成功しています。

<独自の視点>
 この映画の特徴は、カメラが主人公サウルの背中にはりつくように据えられ映像のほとんどはアップになっていることです。そのため、観客の視野は極端に狭められています。そのおかげで観客は残虐な殺戮シーンの全体像を見ずに済みます。でももし、あなたがその現場にいても、きっとあなたは多くを見ようとしないはず、それは多くの人が見たであろう映像であり、ある意味リアルな映像記録なのかもしれません。さらに画面は、初めのうち暗いせいでぼんやりとしているのですが、それも収容所で眼鏡を奪われたとしたら人によっては、もっとぼやけた映像になるはずです。これは、けっして異常な映像体験ではない気がします。そんな映像を生み出すため、この作品ではあえて焦点距離が狭いフィルム・カメラを使用。それが奥に行くと極端にぼやけた独特の映像を生み出したいるわけです。こうして、生み出されたカメラ目線によって主人公がどんな体験をするかというと・・・・・

<あらすじ>
 1944年10月、第二次世界大戦もいよいよ終わりを迎えようとする頃、ナチス・ドイツのアウシュビッツ・ビルケナウ収容所では、昼夜の別なくユダヤ人の大量虐殺が行われていました。ナチスは敗戦後にユダヤ人虐殺の事実が明らかになることを恐れ、その証拠を残さないためにすべてのユダヤ人を虐殺し、その証拠を消し去ろうとしていたのです。そして、そのためには虐殺の作業を24時間続けるだけの作業員が不足するため、多くのユダヤ人が自分たちを殺すための作業を手伝わされていました。
 こうして集められた「ゾンダー・コマンド(特殊部隊)」と呼ばれたユダヤ人たちのグループは、班ごとに分けられ、様々な汚れ仕事をさせられていました。
 収容所に着いたユダヤ人を誘導したり、ガス室に送り込む仕事
 ガス室に送られたユダヤ人の持ち物、着衣の選別や処理作業
 ガス室で殺された大量の死体の運搬や焼却作業
 焼却が間に合わなくなると、穴を掘り、死体を埋める作業
 解剖室やガス室など収容所内部の清掃作業など
 彼らは、その仕事を担当することで一時的に死を免れていましたが、いつか自分たちも殺されるだろうことを知っていました。それでも彼らは一日一日を生き延びるために、黙々と仕事を続け、いつしか死体を扱うことに慣れてゆき、感情を失ってゆき、中には精神を病む場合もありました。
 主人公のサウルはそんなゾンダーコマンドの一員として黙々と仕事をこなしていました。そんなある日、彼はガス室から死なずに運び出された少年が殺されて解剖室に回されるのを目撃します。するとその顔が自分の子供にそっくりなことに気づき、解剖されないよう死体を運び出してしまいます。そして、少年を正式に埋葬しようとユダヤ教の司祭(ラビ)を探し歩き始めます。
 同じ頃、いよいよ自分たちもガス室に送られる日が近いと感じ始めていた彼の仲間たちは、収容所内で叛乱を起こす準備を進めつつありました。サウルは息子の葬儀を行えるのか?ゾンダーコマンドたちの運命は?

<収容所内を巡る旅>
 こうして息子のためにユダヤ教のラビを探すサウルと共に、観客は収容所の様々な場所を目撃し、1日半の短いけれど強烈なホロコースト体験をすることになります。ガス室に追い込まれる裸の人々、彼らがガスによって苦しみながら叩き続けた壁に染み付いた血、それを黙々と洗い流すゾンダーコマンド、エレベータ―によって運ばれる山積みの死体、目をそむけたくなるような映像が続きますが、しだいにあなたの目はそれに慣れてくるでしょう。
 サウルの視界も、風景が室内から屋外へ、夜から朝へと移り変わるにつれて、しだいに明瞭さを増します。もしかすると。サウルの目は息子との再会によって、再び以前の正常なものに戻りつつあったのかもしれません。(ただし、サウルが少年を息子と思ったのは、彼の罪の意識や恐怖がもたらした錯覚の可能性も否定できません)

<ゾンダーコマンドの証言>
 この映画の脚本は、ドイツで発表されたゾンダーコマンドたちによる証言集をもとに書かれました。映画にもあるように、ほとんどのゾンダーコマンドは、ナチスによって殺害されてしまったため、その証言の多くは彼らが自分の体験を死ぬ前に記録して瓶詰にして埋めたものや映画にもあるようにカメラで隠し撮りした写真などです。それぞれが自らの死を受け入れて、未来への遺言として残したものです。
 映画の中では、リアリズムにこだわり、様々な言語が飛び交っています。(日本人の我々にはよくわからないのですが・・・)主人公サウルは、ユダヤ系ハンガリー人ですが、収容所があるのはポーランドなので、ユダヤ系のポーランド人も多いし、兵士たちはドイツ語を話しています。ハンガリー語による会話が、ドイツ兵には理解できないので、叛乱の計画を立てるのにそれを利用できた部分もあるでしょう。
 過去のホロコーストを扱った映画では、生き延びるために死体処理という汚れ仕事を受け入れた卑怯者的扱いを受けてきたゾンダー・コマンドの人々は、ホロコーストの現場を目撃した最後の証人となったことも事実です。そして、屈辱を味わった末に殺された彼らは、誰よりも無念だったかもしれません。

<ネメシュ・ラースロー>
 この映画の監督ネメシュ・ラースロー Nemes Laszloは、ブタペスト生まれのハンガリー人で、この作品が処女長編作でした。初監督作品であるだけでなく映画の内容がかなり重いだけに、映画化のための資金集めには相当苦労したようです。
 しかし、初監督作品だったからこそ、余計な先入観なしに斬新な手法を持ち込むことができたのかもしれません。たぶんこの手法なしで、この作品が世界中に受け入れられ世界中で様々な賞を獲得することもなかったでしょう。
 優れた脚本は確かに優れた映画を生み出すかもしれませんが、優れた映像だからこそ生み出せる映画もあります。映画とは、「動く小説」であると同時に「動く絵画」であり、「動く報道写真」でもあるのです。
 ただし、そんな「報道写真」に嫌悪感しか抱けないという人もいるかもしれません。なぜお金を払ってまで、嫌な気分になる必要があるのか?そう思う人もいて当然でしょう。でも、この映画は見出したらきっと最後まで一気です。
 
<最後に>
 同じ時期、トレブリンカ第一収容所ではユダヤ人全員が虐殺されましたが、たった一人銃殺されながら死体の下に隠れて助かった人がいました。まさに彼は死体に救われて生き残ったわけです。もしかすると、サウルもまた死体によって救われることになるのか?と僕は思ったのですが・・・
 ある意味、予想外の結末でした。


「サウルの息子 Son of Saul」 2015年
(監)(脚)ネメシュ・ラースロー Nemes Laszlo
(製)ライナ・ガーボル、シポシュ・ガーボル
(脚)クララ・ロワイエ
(撮)エルデーイ・マーチャーシュ
(音)メリシュ・ラーシュロー
(出)モーエリグ・ゲーザ、モルナール・レベンテ、ユルス・レチン、トッド・シャルモン
カンヌ国際映画祭グランプリ、アカデミー外国語映画賞

現代映画史と代表作へ   21世紀名画劇場へ   トップページへ