「素粒子 Les particules elementaires」
「地図と領土 La cante et le territoire」
「服従 Soumission」
「ランサローテ島 Lanzarote:Au milieu du monde」

- ミシェル・ウェルベック Michel Houellebecq -

「素粒子 Les particules elementaires」 
1998年 (訳)野崎歓 筑摩書房
<まさかのSF小説?>
 まさかSF小説だったとは!
 エピローグになって初めて真相が明らかにされるのは、スケールの大きな人類進化型SFの遺伝子工学版です。
 すみません。本当は、そこまで明かしてはいけません!ネタバレもはなはだしいです。本当は、予備知識なしに読んでもらいたいところです。しかし、僕自身、この小説のことはまったく知らなかったし、「素粒子」という物理学の用語が使われていなければ読んでみることもなかったでしょう。たぶん多くの人がこの小説のことを知らないだろうと思ったので、あえて、ネタをばらしてでもご紹介しようと思います。読んでみて思ったのですが、この小説は女性読者にはちょっとウンザリものかもしれません。でも、最後まで読んで欲しい。ということで、あえてネタバレとなってもここで紹介したいと思います。もちろん、ネタバラシは必要最小限にするので、間違いなく楽しめるはずです。
 この小説が発表されたのは1998年。当時フランスでは大きな話題となり、フランス最高の文学賞であるゴンクール賞をこの作品が受賞できなかったことで大きな論争が起こったといいます。しかし、それも今は昔。こうした境界を越えた小説を紹介できることは、このサイトの喜びです。

「オルダス・ハックスレーがきわめてへたくそな作家であることは間違いない。文章は重苦しく優美さに欠け、登場人物たちは無味乾燥で機械みたいだ。だが彼には、人間社会の進化は数世紀来もっぱら科学・技術上の進化によって先導されており、今後もその傾向はいっそう強まるだろうと見抜くだけの - 抜本的な - 直観があった。反面・繊細さや心理学、文体に欠ける点はあっただろう。だがそんなことは、出発点における直観の確かさに比べれば取るに足りない。そしてSFの作家も含めあらゆる作家のうちで、彼が初めて、物理学の後のこれからは生物学が世の中を動かす力を握るだろうと見抜いたんだ。」

 今や村上春樹カズオ・イシグロのような作家がSFのフィールドを用いて作品を書くことは珍しくもなんともありません。しかし、そうした作家の小説において、その物語の舞台にSF的な状況があることは、解説されることもなく、少しずつ読者に明らかにされるのが普通です。(ウィリアム・ゴールディングの「蠅の王」のようにほとんど背景にしか存在しないこともあります)ところが、この小説の場合は、そうしたSF的な展開は後半ラストに近くなって初めて登場。それまでは、1960年代末のサイケデリックな時代から1970年代、1980年代へとフランスを中心とする西欧世界における風俗を「セックス」や「ヒッピー文化」の変遷を中心に描いたアウトサイダーの文化史ともいえる内容になっています。さらにいうと、ヒッピームーブメントから始まった自由主義社会が生み出した現代社会の歪みと崩壊を描いた書というべきかもしれません。
 その点では、とかく美化されて描かれがちな当時の文化を裏側から描いていて、興味がつきません。

<破綻した世界>
「・・・西洋はこれまで、哲学や政治に度はずれた関心を抱き、哲学的・政治的問題をめぐってまったく非合理な戦いを繰り広げてきたとは言えるかもしれない。また、西洋は文学や芸術に情熱を燃やしてきたとも言えるだとう。しかし、現実には、その歴史において合理的確実性に対する欲求ほどの重みを持っていたものは何もなかった。結局のところ西洋は、その欲求のためにすべてを犠牲にしたということになるだろうな。宗教も、幸福も、希望も、そしてついには生命さえも。・・・」

 西欧文明はキリスト教をその基礎としてきましたが、その倫理感は自由主義の登場によって大きく変化。合理主義がシステムの基本となり、すべてが合理的に判断される世界になりました。今や日本もそうした世界観、文化観の一部であり、グローバリゼーションの進む21世紀の地球では中国もロシアもインドですらも、その流れに呑み込まれつつあります。
 この物語は、そうしたキリスト教から発展しながらも、すべての分野において勝ち組、負け組みを生み出す合理性に基づいた社会システムを作り出す原点となったヨーロッパの西の果てアイルランドで終わりを迎えることになります。

「私はずっと無心論者で通しているのですが、それでもここの住人がカトリックの信者になるのはわかります。この土地には非常に特別な何かがある。すべてがたえず見えているんです。牧場の草にしろ水面にしろ、すべてが何かの存在を示している。太陽の光は変わりやすく、優しくて、まるでさまざまに変化する物体のようだ。そのうちわかりますよ。空にだって生命があるんです。」

 なるほどと思いつつ、21世紀の今、この小説の描く人類文明崩壊の流れは、世界中に広がってしまったことを実感せざるをえません。現実の世界は、この小説が描く世界よりも早くその崩壊が進んでいるのです。

「野生の自然とは全体として胸のむかつくほどのおぞましさであった。それは全体として、全面的破壊、普遍的ホロコーストを正当化するものだった - そして地球上の人間の使命とは、おそらくそのホロコーストを成就することなのだった。」
(戦争、核、地球温暖化、動植物の絶滅・・・人類は様々な方法で地球上の生命を絶滅へと追いやりつつあります)

<世界を救う方法>
「ジェルジンスキの生きた時代、人々は哲学をいかなる実際上の重要性もなければ、対象も持たない代物だと考えるのが常だった。だが現実には、ある時期に社会の成員たちによってもっとも広く受け入れられている世界観こそが、その社会の政治、経済、慣習を決定するのである。
 形而上学的変異 - すなわち大多数の人間に受け入れられている世界観の根本的、全般的な変化 - は、人類史上まれにしか生じない。その例としてキリスト教の登場をあげることができる。
 形而上学的変異はひとたび生じるや、さしたる抵抗にも会わず行き着くところまで行き着く。既存の政治・経済システムや審美的見解、社会的ヒエラルキーを容赦なく一掃してしまう。その流れはいかなる人間の力によっても - 新たなる形而上学的変異の出現以外には、いかなる力によっても - 止めることができない。」


 では、その崩壊を止めるにはどんな方法があるのか?21世紀の思想家、宗教家、小説家、・・・すべての芸術家に求められているのは、そのための新しい世界観、倫理観の創造なのかもしれません。そのために必要な形而上学的変異が21世紀、ミシェル・ジェルジンスキという科学者によって発見されます。

 この小説は人類にとって永遠ともいえるテーマに一つの答えを出しています。それが可能かどうか?正解かどうか?賛同できるかどうか?それは読者しだいです。
 僕個人としては、この「答え」の意味は理解できる気がします。でも、女性の目から見るとどうなのでしょうか?単純に世界から「男」を消し去るだけでいいんじゃないの?そんな意見が女性側から出される気もします。遺伝子工学の進歩は、「男」を必要としない世界をすでに可能にしつつありますから・・・・・。

「・・・だが数世紀来、男はもはや明らかにほとんどが何の役にも立っていないように思える。男たちはその倦怠をテニスの試合で埋めたりしているが、それだけなら害はない。しかし、彼らはまた時として、<歴史を先に進めてやる>必要ありと判断する。要するに革命や戦争を起こしてやろうというわけだ。・・・」

「・・・本当のところ男って奴は自分の子供に興味など少しも覚えないし、愛情も感じない。もっと一般的に言えば、男には愛情と感じることなどできやしない、それは男には絶対にわからない感情なんだ。男が知っているのは欲望、むきだしの性欲、そして雄同士の競争さ。・・・」
(そこまで言わなくても、・・・)

<異色の作家、ウェルベック>
 著者が人類共通の究極の課題にひとつの「答え」を提示してみせたことは、その好き嫌いや実現性は別にして「すごい!」と思います。そのうえ、この小説に描かれている二人の主人公の片割れで救いようのないダメ男ブリュノは、著者自身がモデルになっているとのこと。セックス、オナニー依存症で犯罪者ギリギリのところで、かろうじて社会生活を送っていた自らの姿を描いたとカミングアウトまでしたとか。これまた「凄い!」と思います。
 しかし、この小説に登場する異父兄弟のうちダメ男の方のブリュノは、著者の過去の実像ですが、もうひとり近未来に人類を救う大発明をする研究者ミシェルもまたこの小説の著者の分身と考えればいいのでしょう。
 この小説の著者ミシェル・ウェルベックの小説第一作「闘争領域の拡大」もまたこの小説のブリュノを主人公にしたような内容だったようです。さらにこの後の作品には買春ツアーを題材にした小説も書いていることから、どうやらセックスに関する分野は著者にとってのライフワークなのかもしれません。
 現代社会、現代文明から脱出するためにSEXを題材にすることは、数多くの作家が行ってきたことですが、彼もまたその最先端での挑戦を行う作家といえそうです。

「歴史は存在する。それは厳として動かしがたく、その支配を免れることはできない。しかし厳密に歴史学的なレベルを超えて、本書の究極の野心は、われわれを造り出した幸薄い、しかし勇気ある種族に敬意を表すことである。・・・」

<あらすじ>
 ミシェル・ジェルジンスキは、遺伝子工学の先進的研究者として、その第一線にいましたが、ある日突然、研究所を離れます。彼の父親ちがいの兄弟ブリュノは教師をしていますが、かつていじめの対象として苦しんでいた頃からゆがんだセックスを求める生き方にのめりこんでいました。
 二人は時々会っては現代西欧文明が向かいつつある社会システムの崩壊について語り合ったり、お互いの近況を語り合います。ミシェルは頭が良く、見た目もいい「勝ち組」的存在でしたが、彼を愛する美しい幼馴染のアナベルと結婚することなく研究だけを生きがいに生活していました。それに比べ、見た目も悪いブリュノは、セックス依存症ともいえる人物で、様々なセックスを体験してきましたが、やはり幸福を得られずにいました。やっと出会ったクリスチーヌとの生活も彼女の不治の病によって不幸な結末を迎えます。そして、ついに彼は精神病院へ・・・。
 ミシェルもまたアナベルと再会し、愛し合おうとした矢先に彼女を癌で失ってしまいます。失意の中、彼は一人研究を続けるため、アイルランドにある研究所へと向かいます。そして、そこでまったく新しい遺伝子工学の理論を生み出すことになります。そして、その理論がその後の人類の未来を一気に変えることになります。

「地図と領土 La cante et le territoire」 
2010年 (訳)野崎歓 筑摩書房 
<新たな代表作誕生>
 本国フランスでゴンクール賞を受賞したウェルべックの新たな代表作。一人のアーティストの人生をその少年時代から死までを追い続けたドキュメンタリー・タッチの疑似伝記小説。
 フランスTV界、経済界、芸能界の実在の人物や現代アートの大物作家らが実名で登場するので、フランス人にはたまらない作品でしょう。しかし、そうしたフランスの情報がなくても十分に楽しめる小説です。特に面白いのは、著者であるウェルべック自らが重要な役割で登場していることです。そして、まさかの展開に彼が巻き込まれることになります。
 架空のアーティストの苦難の伝記物語。現代アートへの批判と挑戦の書。ベテラン刑事が異常犯罪に挑む警察小説。フランスを中心とする現代社会の変遷を描いた社会批評と様々な側面を持つ作品ですが、その中で著者は主人公に画期的な現代アート作品を制作させています。その作品のクオリティが高い!
 ミシュランの地図を写真撮影し、それに加工をほどこした作品。様々なジャンルの世界的有名人を題材に描いた具象でありながら、何かを物語るオリジナルの肖像画。ビデオ映像をいくつも重ね合わせることで、独自の映像世界を生み出した未来の動画作品。(このあたりは、彼が「素粒子」でも描いていた近未来SF的作品でもあります)どの作品も、読者にはイメージとして見えてくるはずで、それが傑作に思えてくるのはウェルベックの表現力に脱帽です。文章の中ではあっても、そこでのウエルベックは確かに現代アートの最先端に立っています。

<クーンズとハースト>
 この小説の冒頭に登場する現代アート作家のジェフ・クーンズとダミアン・ハーストはどちらも実在の人物です。
 ジェフ・クーンズは、1980年代後半ニューヨークのイーストビレッジから登場したアーティスト集団「ネオ・ジオメトリック(新幾何学)」のメンバーとして注目を集めた作家です。
「・・・クーンズは、キッチュな日常品と芸術作品、消費社会と美術を直接的に連関させることでモダニズムの価値観の虚構を浮き彫りにしようとした。」
「20世紀の美術」美術出版社より
 彼の作品のひとつ「ウサギ」(1986年)は、一見ビニール製で空気で膨らませた玩具のようですが、実はステンレスでできたしっかりとした構造物という不思議な作品です。

 クーンズより遅れて1990年代に入って登場したダミアン・ハーストはイギリスの作家です。90年代は現代アートの世界ではブームらしきブームのない地味な時代だったといわれていますが、そんな中で彼は異彩を放つ独自の世界観を生み出した異色の作家でした。彼はサメや牛をホルマリン漬けにしてオブジェ化するというセンセーショナルな手法により大きな注目を浴びました。彼の代表作のひとつ「生得のものを受け入れることで得られる慰めはすべてのものに認められる」(1996年)は、牛を輪切りにして、それぞれをオブジェ化して並べるという作品です。凄いといえば、確かに凄いです。それにしてもアートとは実に自由なジャンルです。文字で書くことを制限されている「文学」よりはずっと自由だと思うのですが、・・・。

 考えてみると、「私小説」というある意味に日本的な文学ジャンルがあるものの「著者自身」を登場人物として客観的に描くという小説を僕は今まで読んだことがない気がします。日本人なら恥ずかしくて絶対に無理な気がしますが、それができてしまうというのは、やはり「自分が最高」という傾向が強いとされるフランスならだはなのでしょうか?それとも何かとお騒がせが多いウェルベックだからこそなのでしょうか?
 たぶんウェルベックという人物は、やはり気難し屋で恥ずかしがり屋なのかもしれません。そんな彼が自分自身を描いたのですから、自分的にはウンザリだったかもしれません。そう考えると、作品中で著者が自らに与えた重すぎる刑罰は、その反動だったのかもしれない。そんな気もします。

「服従 Soumission」 
2015年 (訳)大塚桃 河出書房新社
<衝撃的近未来小説>
 衝撃的な近未来小説です。この作品の発表後、時代はまるでこの小説を実現しようとするかのように動き続けています。
 舞台は2022年のフランス。ル・ペン率いる右派の国民戦線が勢いを増す中、大統領選挙において、その対抗勢力としてイスラム教徒が立ち上げたイスラーム同胞党が第2党に進出します。上位2党による決選投票が行われることになりますが、国民戦線を嫌う左派は、右派政権の誕生を阻止するためにイスラーム同胞党との共闘を選択します。そのため、社会党を上回っていたイスラーム同胞党からフランスの大統領が誕生することになりました。
 そんな混乱した状況のフランス、パリの大学で文学を教える主人公は、フランスの作家ユイスマンスの研究者でもあります。今後、教育機関でもイスラム教の導入が進み、イスラム教への改宗が求められると予想した彼は、大学を辞めてしまいます。無神論者だった彼にとっては、強制的に反強制的に改宗させられることは受け入れがたいことだったからです。ユダヤ人の彼女は、家族と共にイスラエルへの移住してしまい、両親をも亡くした彼は孤独に苦しみ始めます。
 そんな彼に出版社からユイスマンスの業書刊行のため編集をお願いしたいという依頼が来ますが、生きる目的を失いつつあった彼は、この依頼を受けます。ところが、それは彼を作家として復活させると同時に教育界への復帰を促すための最初の一手でした。
 いち早くイスラム教に改宗し、イスラム教に基づく教育システムを導入しようとするルディジェ教授は、無神論者であるフランス人の主人公をイスラム教に改宗させ、大学の講師として迎えようと説得を始めます。

「それから、わたしは、あなたがまったくの無神論者だとも思いません。実際、真の無神論者が稀ですから」
「そうでしょうか。ぼくは反対に、無神論は西欧には至ることろに広まっていると思いますが」
「わたしに言わせれば、それはうわべだけのことです。わつぃが出会った真の無神論者たちは、反逆の徒です。彼らは冷酷に神の不在を確認するには飽きたらず、その存在をバクーニン流に拒否しているのです。『もし神が存在しているのだとすれば、追い払わなければならない』というように、もちろんそれはキリーロフ流の無神論で、彼らが神を拒否したのは、人間をその代わりに据えようとしたからであり、彼らは人間中心主義、人間の自由や尊厳に高邁な思想を抱いているのです。・・・」


<緩やかな宗教革命>
 急激で暴力的な変革ではなく、緩やかに無党派層、無宗教層を取り込みながら進められる宗教革命は、逆にリアリティーを感じさせます。いざという時、いかにインテリ階級が事態にしり込みし、権力側にすり寄るのかが、丹念に描かれています。
 ナチズムがヒトラーの登場によって広がった1930年代のヨーロッパ。
 ロシア革命によってすべてがひっくり返った1920年代のロシアとその逆に共産主義が崩壊し、ソ連が分裂し始めていた1990年代の東ヨーロッパ。
 ホメイニが帰国し、イスラム原理主義に回帰したイスラム革命下1980年代のイラン。
 太平洋戦争に破れ、アメリカの民主主義を受け入れ、すべてが変わってしまった日本。
 様々な時、様々な国で同じように急激な体制の変化が歴史上、何度も起きていますが、その多くは当初はそこまで変わるとは思いもしないような革命的な変化となりました。(2017年トランプ政権下のアメリカもそうなりそうです)

<幸福とは?宗教とは?>
 この小説を、イスラム教の支配が強まる恐怖社会を描いた小説として見るのが一般的なのかもしれません。でも、単純にイスラム教によって支配される国が不幸で、民主主義社会は幸福だといえるのか?最近の世界的な右傾化、原理主義宗教、民族主義、自国第一主義の台頭は、ヨーロッパに代表される民主義国家の行き詰まりを示してるようにも見えます。
 ヨーロッパはもしかすると混沌とした時代に逆戻りするのではないのか?最近の状況からはそういう見方もできるだけに、なおさら恐ろしい小説です。

・・・キリスト教がなければ、ヨーロッパの諸国家は魂のない抜け殻に過ぎないでしょう。ゾンビです。しかし、問題は、キリスト教は生き返ることができるのか、ということです。わたしはそれを信じました。何年かの間は。それから、疑いが強くなり、次第にトインビーの思想に影響されるようになっていきました。つまり、文明は暗殺されるのではなく、自殺するのだ、という思想です。

 この小説のタイトルでもある「服従」という言葉の意味が重いです。人は「服従」することになって「幸福」を得る場合もある。そう考える時、「自由」はそれに相反する存在です。僕は「服従」=「宗教」と見ることも可能だと思いますが、「服従」を絶対悪と見なすのか?「自由」を絶対的な善と見ることは可能なのか?疑問は尽きません。

「『O嬢の物語』にあるのは、服従です。人間の絶対的な幸福が服従にあるということは、それ以前にこれだけの力を持って表明されたことがなかった。それがすべてを反転させる思想なのです。・・・『O嬢の物語』に描かれているように、女性が男性に完全に服従することと、イスラームが目的としているように、人間が神に服従することの間には関係があるのです。お分かりですか。イスラームは世界を受け入れた。そして、世界を全体において、ニーチェが語るように『あるがままに』受け入れるのです。仏教の見解では、世界は『苦』すなわち不適当であり苦悩の世界です。キリスト教自身もこの点に関しては慎重です。悪魔は自分自身を『この世界の王子』だと表明しなかったでしょうか。イスラームにとっては、反対に神による創世は完全であり、それは完全な傑作なのです。コーランは、神を称える神秘主義的で偉大な詩そのものなのです。・・・」

<参考>「イスラム教について」

「ランサローテ島 Lanzarote:Au milieu du monde」 
2000年 (訳)野崎 歓 河出書房新社
 ランサローテ島というカナリア諸島に実在する島を訪れた主人公(著者とおぼしき人物)の一週間の旅とその後日談を描いた中編小説。小説とは別に著者が撮影した83枚の写真が写真集としてついています。(日本版は一冊になっています)
 まるで火星のような赤い岩だけの風景と不思議なサボテンたちが作る不気味な世界は、まるで人類が文明を崩壊した後の未来の地球のようです。(実際にこの島には古代文明が存在していて、緑を使いつくしてこうなったのかもしれません。「文明崩壊」参照)  
 さすがにそんな風景を見ながら、リゾート気分にはなれない主人公は、島で出会ったベルギー人のリュディ、ドイツ人の女性カップルと行動を共にします。リュディは、中東からの移民だった妻と離婚し子供を奪われ、人生に失望していました。主人公とドイツ人カップルは、彼を元気づけようとしますが、彼は途中で帰国してしまいます。そして、すべてを捨てて新興宗教に入信してしまいます。
 2015年にパリで起きた同時多発テロ事件の犯人グループの基地がベルギーだったように、今やベルギーのイスラム系移民はベルギーの国を分断する存在になっていますが、この小説はそんな事件の発生を予見していたかのようです。この小説は、「服従」への伏線だったようにも読めます。 

ミシェル・ウェルベック Michel Houellebecq
 ミシェル・ウェルベック(本名ミシェル・トマ)は、1958年2月26日、フランスの海外県マダガスカル島の沖にあるレユニオン島に生まれました。父親は山岳ガイドで母親は医師という家庭でしたが、彼が4歳の時に両親は離婚。その後、彼は父方の祖母によって育てられました。(ペンネームの「ウェルベック」は、祖母の結婚前の姓)
 高校卒業後、彼は農業の専門家を育てるためのパリ=グリニョン国立農学校に入学。しかし、在学中は同人誌を創刊して詩を発表したり、映画を自主製作するなど農業以外の活動に熱中。1978年に卒業すると、映画の道を志し、ルイ=リュミエール国立学校に入学しますが、中退。結婚して息子を持ちますが、失業、離婚を次々に挫折。精神的に追い込まれる時期もあったようです。(「ランサローテ島」のリュディのように)
 1980年代に入ると、農業省の情報管理部門の職を得て生活が安定し、仕事の傍ら執筆活動を行うようになります。1991年には、青春時代に愛読していたダークなファンタジー文学の作者、H・P・ラブクラフトの研究書「H・P・ラブクラフト - 世界に逆らい、人生に逆らって」。詩集「幸福の探求」(1992年)を発表後、1994年に小説「闘争領域の拡大」を発表して話題となり、専業作家に転身します。
 1998年発表の「素粒子」により、一躍フランスを代表する作家となりました。この本の主人公もそうですが、たぶんウェルベックは実際嫌な男なんでしょう。そんな主人公(著者)のひねた性格は作品内容にも反映されていて、毎回彼の作品は賛否両論を巻き起こしています。
 2000年発表の「ランサローテ島」が、小説と写真集のセットだっただけでなく、彼はCDを出したり、映画を撮ったりと小説以外でも才能を発揮。文学界では異端児扱いされるのも当然かもしれません。そのうえ、彼が描く「セックス」、「クローン」、「移民問題」、「宗教対立」などのテーマが、どれもスキャンダラスなために文学としては正当に評価されにくいのでしょう。
 でも、そうした今日的なテーマを扱わなければ文学の進化はないはず。その意味でも、21世紀前半のヨーロッパで最もスキャンダラスな作家であることは間違いなさそうです。 

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