世界を作る数字の謎を追い続けた数学者たち


「素数の音楽 The Music of the Primes」

- マーカス・デュ・ソートイ Marcus du Sautoy -
<素数の謎に迫る>
 「素数の音楽」という本があります。
 数学に興味がある方には、絶対にお薦めの本で、「素数」という謎の数字の正体に迫ろうとした数学者たちの物語を追ったノンフィクションです。
 時には、「推理小説」のように数学の謎に迫り、時には「歴史小説」のように過去の事件を追い、時には「青春小説」のように若き数学者の苦悩を描き、様々な切り口で「素数」の謎に迫ります。そこには、「数学」だけでなく「戦争」、「同性愛」、「人種問題」、「天才の苦悩」、「世界経済の秘密」・・・興味深いテーマが登場し、読者を飽きさせません。
 ゲッティンゲンやプリンストンなど天才たちが集った伝説的な研究所内部の描写も魅力的です。
 ここでは、その中から「数学の魅力」、「リーマン予想」、「素数の謎解明の歴史」などのテーマにまとめてみました。もちろんできるだけわかりやすく書こうと思います。面白そうだと思った方は、是非文庫本になっている「素数の音楽」をお読みください!

<数学の魅力>
 僕が数学に興味を持つようになったのかなり遅くなってからのことでした。理系の学生だったのですが、大学卒業の頃、「科学史」を勉強し始めてから、やっと興味を持つようになりました。元々、数学は苦手でではなかったものの、数学科の友人たちが持つ独特の脳の構造は自分と違いうことはわかっていました。それでも「数学」に魅力を感じるようになったのは、世界、宇宙、物質の基礎でありながら、そこには未だに解けない謎があり、そこには構造の美も存在していることが、わかってきたからです。

 他の分野では、ある世界像が何十年か後に崩れ去っているという可能性がある。しかし数学では、証明のおかげで、たとえば素数に関する事実は、将来なにが見つかろうと決して変わらないことが100%保証されている。数学はいわばピラミッドのような存在で、それぞれの世代が前の世代の業績の上に立って、足下が崩れる心配をせずに業績を積み上げていくことができる。
・・・だからこそ、不確かな世界に暮らす人々が数学に引かれるのだ。数学は、現実の世界にうまく対処できずにいる若い頭脳に再三再四、逃避の場を提供してきた。


「科学者が自然を研究をするのは、自然が有益だからではない。喜びをもたらしてくれるから研究するのであり、なぜ喜びをもたらすかというと、自然が美しいからだ。自然が美しくなければ、そんなものは知るに値せず、自然が知るに値しないものだとすれば、人生も生きるに値しないものなのだ」
アンリ・ポアンカレ(フランスの数学者)

 数学者という職業は、そんな「数による世界像」を構築するために世界を観察し、解読する人々のことといえます。

「わたしはつねづね、数学者はまず観察者であると考えている。はるかなる山域を眺めては、観察したものを書き記す人物だ」
G・H・ハーディー(英国の数学者)
(数学の世界を観察する人々には)Aはくっきりと見えているが、Bは一瞬ちらりとしか見えない。観察者はついにAからはじまる稜を見つけ、その稜を最後までたどると最高点Bに達することに気づく。この観察者がほかの人にもBを見せたいと思ったなら、直接Bを指し示すか、自分自身がたどったように、Bへと続く稜をたどっていってBを指し示すことになる。その頂が相手にも見えたとき、その研究の議論と証明は完了する。

 もちろんそうした数学者の研究は単なる謎解きだけでなく時には具体的に社会の役に立つ場合もあります。例えば、数の計算における対数表の使用があります。
 対数表のおかげで、17世紀に花開いた商業や航海術の世界は急速に広がった。対数表ひとつで、莫大な数のややこしいかけ算を、それらの数の対数同士の比較的簡単な足し算に変えられるようになったからだ。
ジョン・ネイピア(スコットランドの男爵)

 しかし、数学者の多くは数学を自らの生活のため、収入を得るために研究しているわけではありません。それは、ある意味、脳にとっての快感を得るためであり、生きる目的だからです。そのせいでしょうか?数学者の多くは、数学と同じように「音楽」の魅力にひかれ、自ら音楽を演奏しています。彼らは「音楽」には、「数」の美しさが隠されていると考えているようです。

「音楽は、人間の頭脳が知らず知らずに数えることによって経験する喜び」である。
ライプニッツ(ドイツの数学者)

 人は、旅や冒険をすることで新鮮な体験を得ることができます。しかし、それが世界の見方を変えるほどの体験となると、月世界旅行ぐらいのスケールでないと駄目かもしれません。しかし、人は脳内でそんな世界観を変えるような体験をすることも可能です。

「真の発見の旅は、新たな風景を捜すことではなく、新たな視点を獲得することにある」
マルセル・プルースト「失われた時を求めて」より

<素数の謎と美>
 「数学」は、そんな世界の見方を変える可能性を秘めた学問です。そして、その中でもユークリッドの時代から数学者たちを最も悩ませてきたのが「素数」に関する問題なのです。

1、2、3、5、7、11、13・・・
 誰もが知っているこの「素数」についての謎が解けたら、もしかすると世界は大きく変わるかもしれません。それは単に数学の世界を変えるだけではなく、世界の経済を崩壊させる可能性すら秘めています。(そのことは、また後程)

<素数とは何か?>
 数学の世界にあって、最も神秘的で悩ましい存在なのが素数であるらしい。1と自分自身以外に約数を持たない素数は、数の原子のような役割を果たしている。つまり素数を掛け合わせれば、他のどんな数も作り出せるのである。
 ところがそれほどまでに重要な役割を果たす素数が、どのようなパターンで出現するのかが分かっていない。
 素数が無数にあることは証明されているが、どこまでいっても一定の法則がないのか、法則が巨大すぎて見えてこないだけなのかは、証明されていない。・・・
 素数の音楽を聴ける時が来るのはいつだろうか。そのメロディーは美しくないはずはない。劣等生の私にも、もちろんそれは分かるのである。

小川洋子(作家)

 「素数」の存在は数学の誕生した古代ギリシャの黄金期には明らかになっていました。そして、それはあらゆる数字の基礎になっているだけでなく、無限に存在することもユークリッドによって証明されていました。しかし、素数がどんな法則に基づいて、並んでいるのか?そのことについては謎のままだったため、多くの数学者がその法則性を見つけようと挑戦を続けました。

 オイラーは「音楽理論を数学の一部として位置づけ、正しい原則から秩序だった方法で、じっくりと調和して混じり合う心地よい楽音を作り上げるすべての要素を導き出そう」とした。さらに、ある種の楽音の組み合わせが美しく響くのは、その背景に素数が潜んでいるからだと信じていた。
レオンハルト・オイラー(ドイツの数学者:1707年~1783年)

<ガウスの挑戦>
 そんな中、18世紀の終わりになって、やっとその手がかりのようなものが見出されます。それは数学研究の中心地ドイツのゲッティンゲン大学が舞台となっていました。ドイツが生んだ偉大な数学者カール・フリードリッヒ・ガウス(1777年~1855年)による発見から素数の研究は再び動き出します。

 ガウスは、ここで重要な一歩を踏み出した。質問を変えたのだ。次の素数が正確にどこにあるのかを予測するのは無理だとしても、たとえば1から100までに、あるいは1から1000までに含まれている素数のおおよその個数くらいは予測できるのではなかろうか。適当な数Nについて、1からNまでのあいだに素数がいくつくらいあるのか、それを見積もる手だてはないものか。

 ガウスは、eと呼ばれる特別な数を底にした対数を使うと、素数の個数を数えられることに気づいた。(e=2.71828182・・・・)
π(100)=25とは、1~100に素数が25個あるという意味です。(ここでπは、3.1412・・・のことではない関数の記号)

 ガウスは、素数を眺める人々の心理に大きな変化をもたらした。それまでの数学者たちは、いわば素数の奏でる音のひとつひとつに耳を傾けているだけで、音楽全体の構成を聞き取ることはできなかった。・・・
 ガウスは主旋律を聞き取る新たな方法を見つけたのだ。


 ガウスは、自然に素数を選ぶときに投げつけるコインの尻尾をつかんだ。コインは、数Nが素数である可能性が1/log(N)であるように重み付けされている。しかし、ガウスにはまだコインの投げ上げを正確に予測する術がなかったのだ。
 ガウスは視点をずらすことで、素数のパターンを突き止めた。ガウスの予想はやがて素数定理と呼ばれるようになった。ガウスの素数定理を証明するには、ガウスの対数積分と実際の素数の個数の誤差がどんどん小さくなることを示さなければならない。
・・・

 ところが、残念なことにガウスはその後、天文学に興味を持つようになり、数学界を離れてしまいます。そのため、上記の証明は謎のまま残されることになりました。ガウスが始めた挑戦は、様々な数学者たちによって継承され、少しづつ新たな発見がありましたが、中でも大きな貢献を果たしたといえるのが、「リーマン予想」の生みの親ベルンハルト・リーマンでしょう。

<「リーマン予想」>
 フランス出身の数学者ベルンハルト・リーマン(1826年~1866年)は、数学の聖地ドイツのゲッティンゲン大学で研究を行い、そこで100年前にオイラーが見つけたゼータ関数の存在を知ります。

<ゼータ関数>
 ゼータ関数とは、レオンハルト・オイラー(1707年~1783年)が発見した以下のような関数です。
 
 その中で、オイラーは、S=2の場合が以下のようになることに気づきます。なぜか、π=3.1415を使って表せてしまったのです。
 
 さらにオイラーは、sが1以下の場合、この値がすべて無限大になることを証明しました。そして彼はこのゼータ関数を素数のみを使って書き表せることに気づきます。しかし、この関数が具体的に何かの役に立つのかは、明らかにならないまま100年の時が過ぎることになりました。

 ゲッティンゲンの数学者ペーター・グスタフ・ルジューヌ・ディリクレは、このゼータ関数に注目し、彼の教え子だったリーマンは、ゼータ関数を使って、ガウスの素数定理を解けるのではないかた考え始めます。そして、そこに虚数の概念を持ち込みます。(虚数とは2乗すると-1になる不思議な数のことです)
 彼は急速に増大する指数関数に虚数を入れると、それが正弦波(sin)に変ることを発見していて、ならば1より小さい値で無限大になってしまうゼータ関数に虚数を入れることでも何かが起きると予測。実際にそれが波型のグラフになることに気づきました。さらにその波の形は、それに対応するゼロ点の位置によって決まることも明らかにします。したがって、そのゼロ点を見つければ、波の形が決まり、それによって素数の個数を決定することも可能になるのではないか?そう考えるようになりました。
 こうして、リーマンはゼータ関数の海抜ゼロの点を計算し始めます。(どうやったのかは、リーマンの秘密だったようです)すると、このゼロ点の座標sが1/2の軸に並んでいることが明らかになります。ただし、ゼロ点の座標方向の位置を求めるのは非常に難しく、その位置を数式で表すこともできませんでした。

 リーマンが目にしたのは、数の世界とリーマンのゼータ関数が作る世界とを隔てる鏡に映った素数の像だった。リーマンはじっと観察するうちに、鏡の片側での素数がでたらめに散らばっているという状況が、形を変えて、もう片方の側のゼロ点が厳しい統制のもとにおかれているという状況を生み出していることに気づいた。数学者たちが何百年もにわたった素数をためつすがめつ観察し、探り出そうとしてきた不思議なパターンが、ついに見つかったのだ。

 法則性を見つけることができなかった素数ですが、虚数(2乗すると-1となる数字)を用いた表現により、そこになにかの規則性が見えてきたわけです。本当に規則性があるとすれば、その裏返しの表現である素数にもなんらかの規則性が存在するはずです。

「素数=ゼロ点=波」
 虚数の世界を決定しているゼロ点の位置の法則を見つけ出せば、そこから素数の並びを特定できるはず。そう考えたわけです。


 エウクレイデスは、素数はどこまでいってもつきることがないという事実を証明した。ガウスは、素数が、ちょうどコインの投げ上げで決まるようにでたらめに現れるだろうと予測した。リーマンがワームホールをくぐって入った虚の風景では、素数は音楽になった。そこでは、ひとつひとつのゼロ点が音を奏でていた。こうして素数探求の旅は、リーマンの宝の地図を解釈し、ゼロ点の位置を確定する作業へと変った。リーマンは秘密の公式を駆使して、素数がでたらめに点在するどころか、一直線上に並んでいた。あまり遠くまで見通すことができず、常に直線上に並んでいるとは断言できなかったが、リーマンは、並んでいると信じていた。こうしてリーマン予想が生まれた。
 リーマン予想が正しければ、素数の音楽に突出して強い音はあらわれず、その音色を奏でるオーケストラは完璧にバランスが取れたものとなる。だからこそ、素数にははっきりとしたパターンがないのだ。なぜなら、パターンがあるということは、ある特定の楽器の音が他より大きいということを意味するから。ひとつひとつの楽器は独自のパターンを奏でるが、それらが完璧に組み合わせることでパターン同士がうち消しあい、結局は混沌とした素数の満ち干となるのである。・・・
(注)エウクレイデスとは、古代ギリシャの数学者ユークリッドのこと(紀元前350年~300年ごろ)

 リーマンの残した「予想」は、当初それほど難しい問題ではないと考えられていました。しかし、彼が残した資料の多くが、彼の突然の死後、働き者の家政婦さんによって片づけられ燃やされてしまいました。さらに彼自身が自らの仕事を後継者に残そうという気がしなかったことなどから、その詳細が謎のまま残り続けしばしば眠りにつくことになります。

 リーマンはこの予想を公にしたときに、ゼロ点が予想どおりの場所にあることを示す証拠をいっさい示さなかった。10ページの論文のどこにも、ゼロ点に関する予想は、いくつかの試みから得られた推測に過ぎないのではないかと考えた。
G・H・ハーディー

 論文のどこにもリーマンがゼロ点の位置を計算したという証拠がみあたらなかったこともあり、リーマンは思索する数学者とされてきた。あくまでもアイデアの人であって、計算などという汚い手を染める気のない人物。思索こそが、リーマンに始まる革命の精神なのだ。

 再び「リーマン予想」が注目されるきっかけとなったのは、1900年ヒルベルトの歴史的な講演でした。

<ヒルベルトからの挑戦状>
「数論の問題は、真の芸術作品同様、時を超越している」
ダーフィト・ヒルベルト(1862年~1943年)

 ゆがんだ空間の存在が論理的に考えることから、それまでのユークリッド幾何学をより広い範囲に拡張した非ユークリッド幾何学が存在することを最初に指摘したのはガウスでした。しかし、当時の科学では、「空間のゆがみ」は思考上のことにすぎず、考慮する必要性はないと考えられていました。
 ヒルベルトは、その非ユークリッド幾何学に注目し、それはユークリッド幾何学を基礎として成立するが、本当にユークリッド幾何学に矛盾はないのだろうか?そこに不安を感じるようになりました。そして、数学をその原理から見直す作業を行い始めます。
 1900年8月、パリのソルボンヌ大学でヒルベルトは多くの数学者たちを前にして、未来の数学について講演を行ない、これから証明すべき問題をあげました。それらの問題は、その後の数学界を動かす指標となってゆきます。そして、その中で21世紀の今唯一証明されていないのが、8番目に登場した「リーマン予想」の証明でした。
 20世紀に入り、数学界には次々に天才研究者が現れ新たな理論を構築し始めます。ヒルベルトから30年後、ゲーデルは再び数学界に大きな衝撃を与える研究を発表します。

<ゲーデルの挑戦>
 (クルト)ゲーデル(1906年~1978年)は、数学の宇宙が亀でできた塔の上に立っていることを証明してみせた。矛盾のない理論はあり得るが、その理論に矛盾がないことはその理論のなかでは証明はできない。せいぜい、まだ無矛盾性を持つことを証明するのが関の山なのだ。証明そのもの能力に限界があることを数学を使って証明できるとは、なんとも皮肉な話だ。フランスの数学者アンドレ・ヴェイユは、ゲーデル以降の状況を次のようにみごとな言葉で要約している。
「数学者が無矛盾なのだから、神は存在する。それを証明できないのだから、悪魔も存在する」
 ヒルベルトは、1900年に数学に「不可知」はないと宣言しました。それに対して30年後、ゲーデルは不可知が数学に不可欠な要素であることを証明しました。
(1930年と言えば、物理学の世界で「不確定性原理」が発表され、世界を数値的に把握することは不可能であると明らかにされたのと同じ時期になります!)
・・・
 しかもこれだけではなかった。ゲーデルは、博士論文にもうひとつ爆弾をしかけていた。かりに数学のある公理群が無矛盾だとすると、数に関する言明のなかに、常に成り立つにもかかわらずそれらの公理からは形式的に証明することができないものが存在するはずだというのである。・・・
 これが、ゲーデルの不完全性定理と呼ばれるものである。無矛盾な公理体系はすべて、それらの公理から演繹できない正しい言明が存在するという意味で、必然的に不完全なのだ。数学に対するこのテロ行為に、ゲーデルはほかでもない素数を援用した。

(ここから言えるのは、「リーマン予想」が証明できない可能性が出てきたということです)

 リーマンが残した数少ない資料は、現在はゲッティンゲンの図書館に所蔵されていますが、意外なことに実際にそれを見て解釈しようとした数学者は少なかったようです。それはリーマンについてのイメージが、あまりにも強烈で、彼は自分の理論を理解できるように残すことをしていないだろうと思われていたからかもしれません。

 ジーゲルはゲッティンゲンの図書館の司書に、現在「遺稿」として知られているリーマンの文書を閲覧したいのだが、と問い合わせの手紙を書いた。司書は、「遺稿」をジーゲルのいるフランクフルトの図書館に送るように手配した。・・・
・・・包みを開くと、複雑な数値計算がびっしり書きつけられた膨大な文書があふれ出した。リーマンは着想を裏付けるしっかりした証拠を提示できない直観と概念の数学者だ、という70年にわたる思いこみが過ちだったことを物語る文書だった。ジーゲルは計算の山を指し示し、皮肉を込めて叫んだ。
「これこそが、リーマンの偉大なる一般概念というわけだ!」
 それまでにも、無名の学者たちがリーマン予想のヒントを得ようとこれらの文書を引っかき回していたが、大量の断片的な方程式の意味を理解できた者はひとりもいなかった。リーマンは、暇を見つけてはこれらの純然たる数値計算を行っていたらしいのだが、それにしてもまったく不可解なほどの量だった。いったいこれらの計算は、なにを意味しているのか。リーマンがしていたことを理解するには、ジーゲルクラスの才能ある数学者が必要だった。


<チューリングの悲劇>
 「リーマン予想」に挑戦した数学者として、映画「イミテーション・ゲーム」で有名なアラン・チューリングも忘れるわけには行きません。

 1935年、マックス・ニューマンは講義の最後を、チューリングの想像力に火をつけることになるひとつの問いでしめくくった。証明を付けられる言明と付けられない言明を峻別する方法ははたして存在するか。ヒルベルトはこの問いを、「決定問題」と呼んでいた。
 ゲーデルの業績に関するニューマンの講義を聴いたチューリングは、そのような判別を可能にする奇蹟のような機械を作ることはできない、と確信した。だが、そのような機械ができないことを証明するのはおそらく難しい。なにしろ、この先人間の発明能力がどこまで伸びるかは、誰にも見当がつかないのだから。具体的な機械が与えられたときに、その機械で答えを出せないことは証明できても、存在しうるなどの機械でも答えが出せないといえたとすると、未来は予測可能ということになってしまう。それでもチューリングは不可能の証明をやり遂げた。
 これは、チューリングの最初の偉大な業績となった。チューリングは、算術計算をするすべての人間、すべての機械と同じように振る舞うことができる特別な装置を考案した。後にチューリングマシンと呼ばれるものである。

 チューリングはまず、チューリングマシンの中に、真の言明が証明できるかどうかを判断できるものがあるとした。カントールはじつにエレガントなやり方で、分数をどのように実数と対応させても、必ずなんらかの十進数がはみ出すことを示していた。そこでチューリングは同じようにして、証明があるかどうかがチューリングマシンでは判別できない言明、いわば真の言明のあまりものを作った。・・・・・
 ここで、三度目の進展があった。万能チューリングマシンというアイデアだ。チューリングは、チューリングマシンを筆頭にヒルベルトの問題を解けるすべての機械の振る舞いを仕込むことができる、たったひとつの機械の青写真を作った。

 万能チューリングマシンは、コンピューター時代の夜明けを告げるものだった。数学者たちは、やがてこの新しい道具を手に数の宇宙の探検に乗り出すことになる。

 チューリングも気づいていたことだが、もしもリーマン予想が間違っていれば、コンピューターが役に立つ。臨界線をはずれたゼロ点が見つかるまでゼロ点を捜し続けるように、プログラムすればよいのだ。しかしリーマン予想が正しいとなると、無限にあるゼロ点がすべて線上にあることを証明しなければならず、コンピューターは役に立たない。・・・

 ジーゲルがリーマンの未公開のメモのなかから1932年に見つけ出したのは、効率よくしかも正確にリーマンの風景のゼロ点の位置を計算する式だった。チューリングはなんとか計算スピードをあげようと歯車を使って複雑な装置を作り上げたが、この公式が真価を発揮したのは、さらにコンピューターにプログラムしさえすれば、リーマンの風景のそれまで想像もしていなかった領域を探ることができた。1960年代に入って人類が無人宇宙船ではるか宇宙を探査しはじめたのと同じ頃、数学者たちも、リーマンの風景のはるか彼方を計算すべくコンピューターを使い始めます。

<量子力学との関り>
 20世紀初頭に浮かびあがってきた原子のイメージは、それ以上分割できない粒子から構成された小さな太陽系のようなものだった。・・・
 ところが、理論や実験が発展すると、物理学者たちはじきにこのモデルを考え直さなければならなくなった。原子の振る舞いが、惑星系よりドラムに似ていたのだ。ドラムを叩いたときの振動は、いくつかの基本的な波動パターンからなっていて、それらの基本的な波動は、それぞれ固有の振動数を持っている。
 理論上、振動数の種類は無限にあって、ドラムの音はさまざまな振動数の組み合わせになる。・・・

 「ドラム」の喩よりもよく使われるのは、それぞれの粒子の存在が「確率」によって表されるというものでしょう。物質の存在がその構成要素である粒子の「存在確率」によって表現されるとするなら、それが現実世界から消える可能性もあるということです。
 我々が見ている物質とは、その一部「影」のようなものに過ぎないのです。その目に見えない存在を表現するのが「虚数」なのではないか?そう考えられたわけです。

 量子物理学は、観察者が絡む前の粒子になにが起こっているのかを解明しようとする。ところが、巨視的な世界に暮らす我々が量子の世界を観察するまでは、量子の世界は虚数の世界にのみ存在する。
 そして、われわれの観点からは一見不可解に思える観察結果を説明するのが、この虚数なのだ。たとえば、観察されていない電子は、同時に異なる二か所に存在したり、いくつかのバラバラな振動数のエネルギー準位で振動できるように見える。われわれが量子の世界の出来事を観測する場合、その出来事をありのままに観察しているわけではなく、われわれ「実」世界、実数の世界に映ったその出来事の影を見ているにすぎない。観測するという行為によって二次元の虚の世界が崩れて、実数の一次元の線になってしまう、といったところだろうか。観測する前の電子は、ドラムのようにいくつかの異なる振動数を組み合わせて振動している。ところが観測したとたんに、あらゆる振動数を同時に探知することは不可能となって、単一の振動数で振動している電子しか観測できなくなる。

・・・こうして水素の原子では成功したものの、周期表を先に進んだとたんに、数学的なドラムを厳密に叙述することは不可能だとわかった。・・・
 1950年代に入ると、ようやくこのような複雑な状況を分析する方法がひとつ見つかった。ユージン・ウィグナーとレフ・ランダウは、異なるエネルギー準位すべての正確な成分を探るのはやめて、エネルギー準位を統計的に扱ってはどうかと考えた。ガウスが素数で行ったのと同じことを、エネルギー準位で行ったわけだ。・・・

 同じ頃、「リーマン予想」への挑戦を行っていたアメリカの数学者ヒュー・モンゴメリーは、プリンストンで同僚だった物理学者フリーマン・ダイソンに自分の研究を説明していて、彼から量子物理学における自分の研究がモンゴメリーの研究とつながっているのではないかと指摘されます。それは偶然の会話が生んだ大発見でした。
 ダイソンは、すぐにモンゴメリーに説明した。量子物理学では、重い原子に低エネルギー中性子をぶつけたときの原子核のエネルギー準位を予測するのに、この耳慣れない数学が使われる。この研究の最前線にいたダイソンは、モンゴメリーに、これらのエネルギー準位を調べるためにどのような実験が行われてきたかを話した。ダイソンがモンゴメリーに見せた周期表の68番目の元素であるエルビウムの原子核のエネルギー準位の間隔は、モンゴメリーのグラフに驚くほど似ていた。リーマンの秘密の小道に並ぶゼロ点の間隔のグラフの断片を持ってきてこれらの実験で記録されたエネルギー準位と並べたところ、ふたつがそっくりなのは一目瞭然だった。ゼロ点もエネルギー準位も、ランダムに選んだとは思えないほど秩序だった並び方をしていたのである。・・・
 探し求めていたメッセージはこれだ。おそらく、重い原子核の量子的エネルギー準位の裏に潜む数学が、リーマンのゼロ点の位置を決めているのだろう。


<ラマヌジャンのノート>
 多くの数学者が「リーマン予想」に挑戦する中、チューリングと同じように天才でありながら苦難の人生を歩んだインド人数学者シュリ=ヴァーサ・ラマヌジャン(1887年~1920年)もその才能を生かして素数の数を算出しました。しかし、リーマン同様、彼がどういう理論で結果を導き出したのかはこちらも謎のままです。彼らはみな「ノート」も「コンピューター」も使わずに結果を脳内で導き出していたのです。

 ブルース・ベルントは、生涯のほとんどを費やして、ラマヌジャンの未公開のノートを詳細に調べてきた。それまでも、ラマヌジャンが残した膨大な数の公式や方程式に魅せられた数学者は大勢いたが、ベルントはラマヌジャンのノートの中から、100,000,000以下の素数の個数を詳しく書き留めた奇妙な表を見つけ出した。書かれている個数は、実際の素数の個数そのものか、そうでなくともかなり近い値で、ラマヌジャンが最初にハーディーに書き送った公式から得られる数より正確だった。だが、それらの数がどのように導かれたのかは、まったくわかっていない。
 はたしてラマヌジャンは、分割数の関数公式のように、素数の個数をうまく求められる秘密の公式を見つけていたのだろうか。ラマヌジャンのノートには、今もそのヒントが眠ったままなのだろうか。1976年の数学界は、ラマヌジャンの「失われたノート」の発見に沸いた。そこには新しい数字がびっしり詰まっていた。・・・

<インターネット・ビジネスの心臓>
 1970年代の終わり頃、「リーマン予想」の証明も否定もできない中、素数のもつ特性を利用した巨大なビジネスが誕生します。それは素数の持つ予想不能の並びとフェルマーが発見した「フェルマーの小定理」とオイラーによるその一般化を上手くミックスさせたものでした。
 世界中のクレジットカード会社が電子ビジネスにおいて、顧客のもつカード番号を秘密裏に扱うためになくてはならない暗号として使われているRSAシステムのことです。インターネット・ビジネスの心臓部ともいえるこのシステムを生み出したのは、MITのロン・リヴェスト(コンピューターの専門家)と同じMITの数学者レオナルド・アドルマンとアディ・シャミアによるプロジェクト・チームです。その仕組みを説明する前に、それに用いられている「フェルマーの小定理」の説明を少々・・・。
「フェルマーの小定理」
 時計計算機というものがあります。5時間時計(P=5)なら12時にあたる文字盤の天辺が5時となり、割り算をした余りが、計算結果になります。
 ここではそのPは素数を使用します。(したがって、こらは「素数時計」とも呼びます)
 例えば、2のべき乗を選んでみてP=5の時計計算機に表すと以下のようになります。
 2、4、8、16、32、64・・・=2、4、3、1、2、4、3、1・・・(5で割った余りを並べています)
 P=7だと
 3、9、27、81、243、729、2187、6561・・・=3、2、6、4、5、1、3、2・・・
 5のべき乗で、P=7だと
 5、25、125、625、3125、15625、78125・・・=5、4、6、2、3、1、5、4・・・

 オイラーはこの法則の一般化に成功。
 N時間時計(N=p×q)の場合、p,qは素数とすると、(p-1)×(q-1)+1番目にパターンの繰り返しが始まることを証明したのです。
 例えば、N=6(2×3)だとすれば、(2-1)×(3-1)=3
 5、25、125、625、3125・・・=5、1、5、1、5、1、・・・
 ちゃんと3回でパターンが繰り返し始めます。

 では、フェルマーの小定理とその一般化をどうやってインターネット・ビジネスに利用したのでしょうか?
 ある人がカードを作りました。カード会社は、その人にカード番号を与えますが、それが他人にわかるとネット上で悪用されることになります。
 カード会社はカード番号CをE乗し、さらにそれをN時間時計で表した数字を送ってもらいます。その数をXとします。
 カード会社では、N=p×qのpとqを知っています。ということは、(p-1)×(q-1)+1番目にパターンが繰り返されることがわかります。
 Eと(p-1)×(q-1)+1を比べれば、あと何乗すればもとにもどり、カード番号のCになるかがわかるはずです。
 したがって、カード番号のCを知らなくてもX、E、N、p、qがわかればCは明らかになります。
 その中で、pとqは社外秘になっているため、N時間時計で表され公表されているXをハッカーが知ったとしても、そこからCを知ることはできません。
 Nがわかればそれを因数分解してpとqを見つけることの可能に思えますが、Nは12桁の数字で因数分解は困難です。
 どんなに高速のコンピューターを用いてもまだその計算は困難なのです。それはなぜか?というと、「素数がランダムな存在なため」なのです。
 「リーマン予想」がもし正しいことが証明されれば、素数になんらかの規則性があることになり、そこからカード番号を突き止める技術が生み出される可能性があります。
 こうして、RSAシステムはネット上に広がる世界経済にとって最大の秘密となりました。そのために、リーマン予想に関する研究は、注目されるだけでなく監視までされる対象となったのです。
 例えば、アメリカの数論研究者ニール・コブリッツ(ワシントン大)は、自分の研究が常にアメリカの国家安全保障局に監視され、論文も印刷前に許可を得なければならないと怒っていました。

<リーマン予想の現在>
 
 「リーマン予想」は、いつしか数学界だけの謎だけではなくなりつつあり、その重要性は増すばかりです。

・・・今やリーマン予想は、数学の殿堂を作るのに欠かせない構成要素になろうとしていた。このような姿勢が生まれた理由は、おそらく、信じる心だけでなく現実主義にもあったのだろう。数学と取り組むうちに目の前にリーマン予想が立ちはだかったという数学者の数がどんどん増えていった。リーマン予想が正しいと仮定しないことには、前に進めないのだ。しかし、ガウスの二つ目の予想に関するリトルウッドの一件からもわかるように、線から外れたゼロ点が見つかってリーマン予想の上に立てたすべての構造物が崩壊するかもしれないという危険は常につきまとっているのだから、数学者にも覚悟が必要だ。

 リーマン予想が解決されないあまま200年がすぎるだろうと考える人は多い。一方、解決の時が来たと思っている人もいる。どのあたりに解があるのかを示す証拠がこれだけたくさんでているのだから、この謎もそう長くは保つまいというのだ。あるいは、リーマン予想の運命はゲーデルの手中にあるという説もある。リーマン予想は正しいが、証明不可能であることが判明するだろうというのだ。また、リーマン予想は間違っているという人もいる。さらには、すでに解かれているのに数学界の権威筋が秘密にしているだけだという人もいる。そして、この予想を解こうとして気がふれた人もいる。・・・

・・・決して秘密を明かそうとしない素数を前にして、もし救いがあるとすれば、それは素数がわれわれを並外れた知の冒険旅行に誘ってくれることだ。素数は、代数の原子という基本的な役割のほかにも、大きな意味を持つようになった。すでに見てきたように、素数のおかげで数学の従来無関係とされていた分野を隔てていた扉が開かれた。数論、幾何学、解析学、論理学、確率論、量子物理学、リーマン予想を解くために、これらすべてが結集した。そして、数学には新たな光が当てられ、数学者たちは、数学の各分野が驚くほど深く関連し合っているのを知って驚嘆することとなった。数学は、パターンの学問ではなく、関係の学問になったのだ。

<参考>
「素数の音楽 The Music of the Primes」 2003年
(著)マーカス・デュ・ソートイ Marcus du Sautoy
(訳)冨永星
新潮文庫