1969年

- 宇宙開発がもたらした人類の新しい視点 -

<宇宙開発が人類にもたらしたもの>
 宇宙開発から生まれたハイテク技術の多くが地上で役立っていることは良く知られています。宇宙船の航行を制御するために開発された小型かつ高性能のコンピューターは、米ソの開発競争の中で急速な発展をとげました。宇宙開発のために最も必要だったもの、それはコンピューターだったのです。
 しかし、こうした新技術開発のために宇宙開発を行っていたとすれば、それはあまりに無駄の多い計画だと言わざるを得ないでしょう。例えば、1989年NASAの年間予算は109億ドル(約1兆9千億円)。アメリカの年間総予算の1%強にあたります。これだけの資金が毎年あれば、地球温暖化を防ぐ新技術が20世紀中に発見できていたかもしれません。
 ただし、宇宙開発が人類にもたらしたものは、コンピューターや宇宙向けの新素材だけではありません。それは人類に19世紀にはなかったまったく新しい視野を与えるという役割を果たしています。
「われわれが明日の旅行でもとめているものは、実はこの地球上におけるわれわれの未来を開く鍵であります。われわれは人間の心をますます拡大しているのであります。・・・」
ヴェルナー・フォン・ブラウン(アポロ11号打ち上げ前日の記者会見より)

 もちろん、新しい視野をもつようになったのは宇宙飛行士たちだけではありません。宇宙から送られてきた地球の映像を見ることで人類全体が自分たちの地球がいかに宇宙の中で孤立しているのか、奇跡のように貴重な存在であるのかを知ることになりました。
「月を前景にした地球のあの写真を全世界のあらゆる教室と家庭に飾るべきだ。たくさんの雲と水面が見えるが、陸地は少ししか見えない。国境はまったく見えない。そのメッセージは実に明らかではないか。・・・・・」
ハリー・ハリスン(SF作家)

 こうした感覚は人類が月にまで行かなくても想像力の翼で認識可能かもしれませんが、目で見るその直接的な映像の衝撃は決定的です。そのおかげで、多くの子供たちの心は月だけでなく、火星へ、そこから先の惑星やはるか彼方の銀河系へと向かうことができたのです。

<空へ>
 考えてみると、20世紀の初め、人類は宇宙へ飛び立つどころか空を飛ぶことすらできずにいました。1903年アメリカでライト兄弟は初めて空を飛んだのが宇宙への第一歩ということになります。1914年、ヨーロッパで第一次世界大戦が始まりました。そして、この戦争で飛行機は画期的な新兵器として戦場で大活躍。一気にその開発が進みます。しかし、飛行機の発達は宇宙開発の主役となるロケットとは直接結びつきません。その直接の先祖となるロケットは、第二次世界大戦中、ドイツで開発されたV2ロケットということになるでしょう。後にアメリカの宇宙計画を支えることになるヴェルナー・フォン・ブラウンがナチス・ドイツのもとで開発したV2ロケットは1942年に完成。1944年には、敵国イギリスの首都ロンドンを攻撃し大きな被害を与えました。もし、ドイツがアインシュタインやハイゼンベルクなどの優秀な物理学者たちの協力を得て、原子爆弾の開発に成功していたら・・・。フィリップ・K・ディックが「高い城の男」で描いていたもうひとつの20世紀が展開していたかもしれません。幸いドイツは原子爆弾を開発する前に敗れたため、V2ロケットの技術はアメリカに渡ることになりました。この時、米ソの間で秘かに科学者の争奪戦が繰り広げられることになりました。(スティーブン・ソダーバーグ監督の映画「さらばベルリン」は、その混乱の中で起きた事件を扱っています)
 こうして、第二次世界大戦が終ったと同時に米ソ対立の新しい時代が始まりました。そして、こうして始まった東西冷戦があったからこそ、宇宙開発は驚くべきスピードで進展することになったのです。
「ローマ帝国は世界を支配した。なぜか。進路を建設する力があったからである。その後、海の時代になって、大英帝国が世界を支配した。なぜか。船を持っていたからである。空の時代となり、われわれが力を得た。飛行機があったからである。ところが今、共産主義者が大気圏外にその足場を築いたのである」
リンドン・ジョンソン(ソ連によるスプートニク1号打ち上げ成功のニュースに対する演説より)

<冷戦下での競争>
 宇宙開発競争が始まった当初、アメリカは常にソ連の後を追い続けることになります。
 1955年、アメリカは1958年までに世界初の人工衛星を打ち上げると発表します。ところが、1957年にソ連はアメリカに先んじて世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げてしまいます。あわてたアメリカはNASA(アメリカ航空宇宙局)を発足させ、アメリカの威信を取り戻すべく、有人宇宙船を打ち上げるためのマーキュリー計画を発表します。アメリカ最初の宇宙飛行士として、ジョン・グレン、バージル・グリソム、アラン・シェパードの3名が選ばれ、1961年には3人のうち1人が宇宙へと飛び立つことが発表されました。(米軍の優秀なパイロットの中から選抜された最初の宇宙飛行士たちの物語は、映画「ライト・スタッフ」で詳しく描かれています)ところが、最初の有人宇宙ロケットが飛び立つその3週間前に、再びアメリカは屈辱を味わうことになります。
 1961年4月12日、ユーリ・ガガーリン少佐を乗せたボストーク1号が打ち上げられ、「地球は青かった」のあの名文句を地上に届けたのです。5月5日、アメリカはアラン・シェパードを宇宙に旅立たせることに成功しますが、わずか15分たらずの飛行では世界の注目を低いものでした。(ガガーリンは最初の飛行で地球を一周していたのです)
 アメリカは再びその遅れを挽回しようとジョン・グレンに地球3周の飛行をさせる計画を立てます。今度こそ、アメリカはソ連を追い越せる、そう考えたのも、つかの間でした。またもやNASAはソ連に大恥をかかされます。ソ連はゲルマン・チトフを乗せたボストーク2号を打ち上げ、いっきに地球を17周させてしまったのです。いよいよアメリカには後がなくなりました。
 1961年1月、アメリカの大統領に就任したJ・F・ケネディはその状況を打開するべく歴史的な演説を行い、その中でこう宣言しました。
「・・・60年代のうちに月に人間を着陸させ、無事に地球に帰還させるという目標達成のために、アメリカは邁進すべきであると私は信じる。・・・」

しかし、それはけっして根拠のある発言ではありませんでした。
「アポロ計画は、米ソ冷戦時代の落とし子である。ケネディは偉大なるアメリカの威信を回復するほとんど最後の手段として、半ば苦しまぎれに月を指差したのだった」
松井孝典「宇宙誌」より

<月への旅の始まり>
 この後、マーキュリー計画を終えたNASAはジェミニ計画へ移行。月へ人間を到達させるための準備を開始します。しかし、この間もソ連はアメリカの先を行く結果を残し続けます。1963年、ソ連はボストーク5号と6号を時間差で打ち上げ、三日間宇宙に滞在させることに成功します。その上、6号に乗船していたのは世界初の女性宇宙飛行士バレンチナ・テレシコワでした。彼女が発した「わたしはカモメ(ヤーチャイカ)」という言葉もまた世界的な流行語となりました。
 さらに久々にアメリカが有人の宇宙船ジェミニ3号を打ち上げようとしていた5日前、ソ連はウォスホート2号を打ち上げます。そして、世界が注目する中、宇宙飛行士のアレクセイ・レオーノフに世界初の宇宙遊泳を行わせました。この時の映像は世界中に発信され、再びソ連はアメリカの鼻を明かすことに成功したのでした。それに対しジェミニ3号は地球を飛び立った後、わずか3周地球を回って帰ってきただけでした。米ソの差は歴然でした。
 しかし、この飛行によりアメリカは月への着実な第一歩を踏み出し、ソ連に対する大きなアドバンテージを獲得し始めることになります。実は、この時ジェミニ3号は初めてコンピューターを乗せて打ち上げられ、軌道計算をそのコンピューターによって行いながら飛行することに成功していたのです。それは地球を回って帰るだけの飛行には必要のないことでしたが、NASAが目指すことになる月への飛行、そして月面への着陸と帰還のためにはコンピューターによる軌道計算は絶対に必要な技術でした。コンピューターの分野で当時世界をリードしていたアメリカはここにきてその技術をロケットの技術に応用、ソ連に対して目に見えないところで差をつけ始めたのでした。
 こうして、それからわずか4年の後、1969年、アメリカはアポロ11号を打ち上げ、月面にあの小さくても偉大な一歩を印すことになったのでした。月面から届けられた映像を見ることで人類はついに他の星から地球を見るというまったく新しい経験をすることになりました。

<月面にて>
 月面に立った宇宙飛行士たちの何人かが、月面から地球を眺めている時や宇宙空間での作業中に神の存在をはっきりと感じた後に語っています。高い科学教育を受け、兵士として厳しい訓練を受けている近代科学の代表者である彼らがそう感じたのですから、宇宙から地球を見るという体験のインパクトは我々には想像できないほど大きなものだったのかしれません。(立花隆の「宇宙からの帰還」には、彼らのその後の驚くべき人生が詳細に記録されています)
 たぶんあの時、テレビ画面に釘付けになり月着陸の瞬間を眺めていた世界中の人々にも、何かの影響があったのだと思います。そして、それはたぶん自分を、人類を、生命を、地球をどこまでも客観的に見つめ直すという体験だったのだと思います。それは神を身近に感じるほどの究極の視点だったとのでしょう。しかし、それは人類にとって本当に良いことだったのか?。あなたはあの時、あの場面をご覧になりましたか?
 アポロ計画の中心人物のひとりヴェルナー・フォン・ブラウンは、アポロ11号の月面着陸について記者会見でこう言っています。
「重要さにおいては、海の生物が陸に這い上がってきたときの、進化におけるあの瞬間に等しいと、私は思います」

 この後もアメリカはスカイラブ計画により宇宙空間での滞在実験を繰り返し、長期間に渡る宇宙空間での生活が可能であることを実証しました。そして、さらに太陽系の果てにまで観測宇宙船を飛ばし、より遠くの星へと人類が到達できることを実証したともいえます。
 しかし、少なくとも、人類はこの年から30年以上たった今も、月から先へは進めずにいます。その意味では1969年の月面着陸を越える新しい人類共通の体験はなかったといえるでしょう。

<月面から向こうへ>
 21世紀に入り、人類は月を越えた向こう側の星、火星へと歩み出そうとしています。もちろん、そのためには人間が宇宙空間で長時間に渡って生きて行けるかどうかの調査・訓練が必要とされます。そのためにアポロ計画の次に行われたのが「スカイラブ計画」でした。1973年5月14日に行われたこの計画は、最初が28日間だった宇宙での滞在期間を59日、84日とのばしたが1年で終了しました。ベトナム戦争、核競争に軍事費を使い過ぎたアメリカは、目先の利益が得られそうにない宇宙計画に回すお金がなくなりつつあったのです。

 スカイラブ計画に選ばれた乗員たちろ、それまでの宇宙飛行士たちとの大きな相違点があるとすれば、彼らが自分たちを宇宙の探検家というより、宇宙への移住者たちと考えなければならなかったことだろう。NASAのある首脳は、
「マーキュリー、アポロ計画はコロンブスであった。いま必要なのはジェームズタウンの植民者たちだ」


<締めのお言葉>
「二十世紀はアポロ11号の打ち上げをもって終った」
ノーマン・メイラー著「月にともる火」より

「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては一つの巨大な飛躍だ」
ニール・アームストロング(アポロ11号船長)

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