- スパイク・リー Spike Lee -

<ブラック・ムーヴィー>
 1970年代の初め頃、ブラック・ムーヴィーと呼ばれるジャンルが生まれました。黒人による黒人のためのエンターテインメント映画として誕生した黒人監督による初のメジャー作品「黒いジャガー Shaft」(1971年)がその第一作目です。(もちろん、これ以前にも黒人監督による映画はありました。「黒いジャガー」のゴードン・パークス監督も、1970年にニューヨークの子供たちを描いた「知恵の木」という作品を撮っています)
 そして、この作品の大ヒットの後、「スーパー・フライ」のようなヒット作も生まれ、映画界にブラック・ムーヴィー・ブームが起きたのです。残念なことに、その後もブラック・ムーヴィーは作り続けられましたが、世界的なヒットは生まれず、ましてやハリウッドで映画を撮る大物黒人監督も現れませんでした。
 スパイク・リーの登場は「黒いジャガー」から、およそ15年後、1986年のことです。彼の活躍によって、久しぶりに「黒人による黒人のための映画」が可能になっただけでなく、その枠を越えて世界中にアフロ・アメリカン社会の現状と彼らの文化を発信する強力なメディアが誕生することにもなりました。(それはラップ文化のメジャー化とも時を同じくしていました)彼は眠りかけていたアフロ・アフリカン大衆の目を覚まさせるべく、作品を発表すたびにその中でこう叫び続けています。
「Wake Up ! 目をさませ!」

<ブルックリン育ち>
 スパイク・リーは1957年3月20日、ジョージア州のアトランタで生まれました。しかし、育ったのはニューヨークのブルックリンです。どんな子供時代を過ごしたのかは、彼の作品「クルックリン Crooklyn」(1994年)を見るとよくわかります。
 一人の女の子の目で描かれた1960年代ブルックリンの街並みと家族の姿は、彼の少年時代の思い出がもとになっています。(この映画の脚本は、彼と弟のサンキ・リー、妹のジョイ・リーによるものです)映画の中で、主人公の女の子は中流で比較的恵まれた家庭。父親はジャズ・ミュージシャン(ベーシスト)で作曲家。母親は不安定な父の収入を支えるため、家事をしながら教師として働き続けていました。このあたりは、まさに彼の生い立ちそのままです。
 当時のテレビの人気番組「パートリッジ・ファミリー」を見たり、家の前でコマを回したり、「ダルマさんが転んだ」をやったり、なんだか僕の少年時代と同じ様な遊びをやっていたことに驚かされました。(僕とスパイク・リーは2歳違いなので当然なのかもしれませんが、・・・)映画「クルックリン」には、そんな古き良きブルックリンの街の様子がたっぷりと描かれています。

<アトランタでの学生生活>
 その後、彼はアトランタのモア・ハウス・カレッジに入学。そこで大学生生活を送りました。この大学は、南部の典型的ミッション・スクールで学生の多くは黒人で、人種差別も少なく勉強に打ち込むには最適の環境でした。そこで彼は勉学に打ち込んでいたのか?それについては、彼の作品「スクール・デイズ School Days」(1988年)を見ていただければと思います。
 この映画は、彼の大学生時代の記憶をもとに作られたもののようです。少なくとも「アニマルハウス」のジョン・ベルーシよりは、勉強していたのかもしれませんが、彼が本気で勉強するようになったのは、この大学を出たあと、ニューヨーク大学の映画学校に入ってからだったのかもしれません。

<ニューヨーク大学にて>
 彼はニューヨーク大学の映画科に入り、フランスのヌーヴェルバーグなど映画の新しいスタイルを学びながら、具体的に映画を作るために必要な知識を身につけて行きます。
 この頃の恩師の中には、あの巨匠マーティン・スコセッシもいます。彼はスパイク・リー作品「クロッカーズ」では共同プロデューサーもつとめています。イタリア系ニューヨーカーを描き続けるスコセッシとアフリカ系ニューヨーカーを描き続けるリーは、以外に近い存在かもしれません。
 彼は大学在学中に卒業制作作品として「ジョーズ・バーバー・ショップ」(1983年)を完成させます。この作品は60分ほどの中編だったため一般の映画館では公開はされていませんでしたが、ロカルノ映画祭など、各地の映画祭で絶賛され一躍彼の名を広めることになりました。

<デビュー作「シーズ・ガッタ・ハヴ・イット」>
 卒業作品の好評のおかげで、彼は自作のための出資金を自らの手で集めることに成功。本格的デビュー作となる長編第一作「シーズ・ガッタ・ハヴ・イット」(1986年)を無事完成することができました。この作品がインディーズながらも、さらに高い評価を受けることになり、彼は2作目にして早くもハリウッド・デビューを飾ることになります。

<ハリウッド第一作「スクール・デイズ」>
 自らの大学時代の生活を元に書いたキャンバス青春ドラマ「スクール・デイズ」。この作品には、ミュージカルの要素ももちこまれており、音楽好きの彼らしいスタイルをとっています。しかし、そこには人種問題や政治に関する若者たちの無関心さなども、しっかりと描かれており、他の中身のない学園ものとは一線を画する作品に仕上がっているようです。(この作品、残念ながら見ていません)

<大ヒット作「ドゥー・ザ・ライト・シング」>
 彼の第三作こそ、彼にとって最大のヒット作であり、最大の問題作となった傑作「ドゥー・ザ・ライト・シング Do The Right Thing」(1989年)です。今にして思えば、この作品は彼にとってまだ3作目だったということに驚かされます。それにもっと新しい作品のような気もします。
 考えてみると、この映画以後、スパイク・リーの作品も含め、これほどのパワーをもち、これほど社会的に物議をかもした映画は作られていないのではないでしょうか?(唯一例外があるとすれば、2004年の「華氏9・11」ぐらいでしょう)そこには、ある程度監督自身が意識的に仕掛けた部分もあったのでしょうが、実際は数々のタイムリーな条件がそろったことで可能になったと言えるでしょう。

<パブリック・エネミー>
 「ドゥー・ザ・ライト・シング Do The Right Thing」のヒットにとって、音楽の素晴らしさを忘れるわけには行きません。特にオープニング・ナンバーとして、パブリック・エネミー(PE)の「ファイト・ザ・パワー Fight The Power」を用いたことは、この作品の時代性を象徴しています。
 パブリック・エネミーは、アルバム・デビューが1987年の「Yo! Bum Rush The Show」で、スパイク・リーとほぼ同時期にデビューし、まったく別々のジャンルで人気の頂点を究めつつありました。実は、父親がジャズ・ミュージシャンだったこともありスパイク・リーはラップが嫌いだったようです。それでも、彼があえてパブリック・エネミーを起用したのは、時代の波がすでにラップ一色だったからでしょう。
 1986年に「Licensed To Ill」でデビューしたビースティー・ボーイズによって、ラップは白人層にまで拡がりをみせており、この映画が公開された1989年にはラップの人気をさらに広げることになったデ・ラ・ソウルのデビュー・アルバム「3 Feet High And Rising」が発売されています。ラップのファン層は硬派、軟派だけでなくストリート・キッズからインテリ層にまで広がりをみせていたのです。
 そして、そんなラップに過激な政治的メッセージを織り込み、多方面からの非難を浴びつつも、絶大な人気を集めていたパブリック・エネミーはまさにこの時期最も旬なアーティストだったと言えるでしょう。
「パブリック・エネミーは、いかに様々な主題を扱っていたにせよ、金のネックレスが格好いいと3年前は思っていた若者を相手にして、左翼的アフリカ中心主義の思想をもった人々の社会を作ろうと実際に扇動したのだ」
ロバート・クリストガウ著 雑誌「ヴィレッジ・ヴォイス」より

 もちろん、音楽好きの監督ですから、PE以外にもアカペラ・グループのTAKE 6、ソウル系のテディー・ライリー・フィーチャリング・ガイ、ジャズ・ヴォーカルのアル・ジャロウ、それにNYサルサ界の人気者ルベン・ブラデスなど、いろいろなジャンルのアーティストを登場させることで、人種のるつぼニューヨークのブルックリンらしい混沌とした雰囲気を作り出しています。

<人種のるつぼにて>
 この映画のテーマであると同時に、スパイク・リー作品全てに通じるエッセンスはこの作品のオープニングでDJラブ・ダディ(演じているのは、サミュエル・L・ジャクソン)が「Wake Up ! 目覚めよ!」と叫ぶ声に凝縮されています。
 ふとした出来事がきっかけで、街角でけんか騒ぎが起き、死者までが出る人種暴動へと発展してしまう過程を、初めはコメディー・タッチで、その後しだいにシリアスな悲劇へと少しずつトーンを変えながら、力強く描ききったパワーは当時絶好調だったパブリック・エネミーに匹敵するものでした。
 自らが黒人ではあっても、けっして黒人たちの暴動を肯定するのではなく、なぜ人種の違いがそこまで人と人とを対立させてしまうのか?あくまでクールに描ききることで、かえって作品にパワーと情熱を吹き込むことに成功しました。(そのぶんn重い気分にもなりますが・・・)

<その後のスパイク・リー>
 残念なことに、スパイク・リーとパブリック・エネミーは、ともにこの作品をピークにその勢いを弱めてしまったような気がします。しかし、グループとして完全に消滅してしまったパブリック・エネミーに比べるとスパイク・リーにはまだまだ描きたいものがあるのは確かです。
 その後も彼は黒人ならではの視点と彼独特のセンスを生かした新しい映画を作り続けています。
 「モ・ベター・ブルース Mo' Better Blues」(1990年)は、デンゼル・ワシントン演じるジャズ・ミュージシャンの人生ドラマですが、白人監督による「ジャズ・ヒーロー礼賛映画」とはひと味違う作品に仕上がっているようです。
 「ジャングル・フィーバー Jungle Fever」(1991年)は、かつてシドニー・ポワチエ主演で作られた異人種間ラブ・ストーリー映画「招かれざる客」を黒人の側から作り直したとも言える作品で、アメリカ国内では大きな話題となりました。

<マルコムXとロドニー・キング事件>
 そして、それ以上に世界中で話題となったのが、60年代に活躍した黒人解放運動の指導者マルコムXの伝記映画「マルコムX Malkolm X」(1992年)です。(マルコムXについての詳細は、マルコムXのページがありますので、そちらをご覧下さい!)なお、この映画が公開された1992年はロドニー・キング事件が起きた年でもあります。警官たちによって暴行を加えられる同朋の映像とその裁判結果がきっかけとなりロスでは大規模な人種暴動が起きました。スパイク・リーは、そんな危険な時代の流れに影響を与える立場にあったとも言えます。

<ブルックリンの街角から>
 彼はその後も、自分の住むニューヨークのブルックリンの街角を舞台にして作品を発表し続けます。前述の「クルックリン Crooklyn」(1994年)は、彼の少年時代の思い出をもとに描いた1960年代末のブルックリンの街と住人たちの物語です。
 「クロッカーズ Clockers」(1995年)は、麻薬の密売における最終的な役割り(末端もしくは下っ端)を担う街頭での販売係り(=クロッカーズ)となった若者たちの物語で、一人の若者がそこから逃れるまでを追ったリアルかつシビアな現代ドラマです。(この作品の主人公、テレビ・ドラマの「ER」に医者役として出ていました)
 「クルックリン」で描かれた街中の子供たちの姿は、同世代の僕の子供時代とそう変わらないように見えましたが、「クロッカーズ」に描かれた青春像は、まったく別世界の出来事のようです。その間わずか二十数年のことです。いったいなぜ、こうも社会は変わってしまったのでしょう?
<60年代からどう変わってきたのか?>
「Wake Up ! 目を覚ませ!」

 スパイク・リーのテーマは、この問いかけの連続です。「人種差別」「異人種間の恋愛」「家庭内暴力」「麻薬の蔓延」「少年犯罪」「教育差別の問題」「宗教(ブラック・モスレムとキリスト教など)」「エイズ」「セックス」そして「黒人文化としての音楽」などなど。もちろん、彼はそのどれにも明確な解答を見出してはいません。ただ、誰もが問題を抱えているという事実を必死で教えようとしているのです。
 さらに彼は、黒人たちにとって、それぞれが抱える問題はひとつとして同じものはなく、「アフロ・アメリカンが抱える問題=人種差別」という紋切り型の設定を拒否しています。

<「ゲット・オン・ザ・バス」>
 「ゲット・オン・ザ・バス Get on the Bus」(1995年)は、そんな黒人たちの多様性を描き出した作品です。1995年に行われたアフロ・アメリカンによる「100万人大行進」(企画者はイスラム教の指導者ルイス・ファラカーン)に参加するためワシントン行きのバスに乗った13人の男たち。1960年代に行われ公民権運動における最大のイベント「100万人大行進」に当時参加できなかった中年男性やその頃のことを知りたい若者たちなど多様な人々が織りなす人間模様を描きながら、かつての公民権運動の精神を現代に語り継ごうとする前向きな試みでした。この映画を見ると、公民権運動から30年に渡る人種問題の歴史をいっぺんに学べます。ただし、理解するにはある程度予備知識が必要なので要注意。特にブラック・モスリムの歴史についての情報があった方がいいかもしれません。もちろん、歴史の勉強だけではなく映画として、ドラマとして感動できる素晴らしい作品になっています。
 当然、映画で使われている音楽も、そんな作品のテーマを感じさせるアーティストの曲ばかりです。スティービー・ワンダージェームス・ブラウンカーティス・メイフィールドネヴィル・ブラザース、カーク・フランクリン、マイケル・ジャクソンなどなど。(この映画、2007年DVDとして出ました。レンタルでも見られますので、是非ご覧下さい!)
 なおこの作品は、スパイク・リーが有名人たちに資金提供を直訴して企画を実現させた作品でした。こういうことができるのも、彼が築き上げてきた信頼やその知名度のおかげでしょう。彼はもうインディーズの作家ではなくハリウッドの作家だという人も多いようですが、資金を集めるためなら、有名人にも頭を下げるし、日本のコマーシャルにだって出演する、それもまた監督、プロデューサーとしての仕事です。そうすることで、彼は作家としての挑戦を続けているのです。やはり必要なのは、眠ってしまわないことなのです。
「Wake Up ! and Get Up !」
まだまだ彼には期待したいと思います。

<締めのお言葉>
「問題は簡単で、意識はまだ弱すぎるということである。危機と問題は、一つの価値の感じを我々に目覚めさせるし、我々がいかにして一生懸命闘うべきかを我々に気づかせる」

コリン・ウィルソン著「ユング」より

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