- オリンピック、サッカー、野球、ボクシング・・・-

18世紀 19世紀  1900年代  1910年代  1920年代  1930年代  1940年代  1950年代  1960年代  1970年代  1980年代  1990年代  2000年代 


1744年 
<ゴルフ>スコットランド にゴルフ・クラブの起源となるHonourable Company of Edinbourgh Golfers 設立
1766年 
<ゴルフ>英国初のゴルフ・クラブがロンドンのブラック・ヒースに設立される
1780年
<競馬>最古の競馬レース「ダービー」始まる
19世紀
1839年
<競馬>最古の障害レース「グランド・ナショナル」(英)始まる
1857年
<ヨット>第一回アメリカズカップ開催
1860年
<ゴルフ>全英オープン始まる(ゴルフ4大大会グランドスラム)
1867年
<競馬>ベルモント・ステークス(米)始まる
1868年
<日本初の運動公園>「外国人居留遊園」(現在の東遊園地)
 神戸レガッタ&アスレティック・クラブ(KR&AC)が神戸外国人居留地内に建設・管理し、クリケット、フットボール、野球などが行われた
1871年
<ラグビー>イングランドVSウェールズ(初の国際試合)開催
<クリケット>ロンドン・クリケット・クラブ設立
イングランドでFAカップ始まる(当時はまだアマチュアの大会)
1872年
<テニス>英国のレキシントンにハリー・ジェムがテニス・クラブ設立
1875年
<競馬>ケンタッキー・ダービー(米)始まる
<水泳>マシュー・ウェッブ船長が初めてドーバー海峡横断に成功
1876年
<野球>アメリカでナショナル・リーグ誕生
<関東初の運動公園>「横浜彼我公園」(現在の横浜公演)
横浜の外国人居留地に横浜クリケット&アスレティック・クラブ(YC&AC)が建設し、日本人も利用するスポーツ施設となった
1877年
<テニス>英国ウィンブルドンで全英選手権開催
1878年
<野球>平岡熙が日本初の野球チーム「新橋アスレティック倶楽部」を創設
徳川家の血筋にあたる平岡はアメリカへの自費留学の際、本場の野球を学んで帰国し、野球チームを作った。日本初の民間鉄道車両製造工場の設立者として企業家としても活躍した。
なお、彼は日本人で初めてカーブを投げたピッチャーとしても有名(アメリカで習得してきた)
1879年
<アイスホッケー>カナダのマッギル大学の学生たちがルールを作り、競技としてのアイスホッケー誕生
1883年
<陸上>アメリカ人ストレンジの指導により、東京帝大・予備門合同運動会開催(陸上競技大会の元祖であると同時に、運動会の元祖でもあった)
1886年
<ラグビー>国際ラグビー・フットボール・ボード(IRFB)設立(スコットランド、ウェールズ、アイルランド)
1888年
<ゴルフ>アメリカ初のゴルフ・クラブとして、ニューヨークにセント・アンドルーズ・ゴルフ・クラブ設立される
<野球>慶応義塾大学野球部創部(日本初の大学野球部)
イングランドにプロ・サッカー・リーグ誕生
1889年
<スケート>スピード・スケート初の世界選手権オランダのアムステルダムで開催
1890年
<ボクシング>「クイーンズ・ベリー・ルール」(グローブの使用、3分1ラウンド制、ラウンド数の制限無しなど)による初の世界タイトルマッチ開催。ベアナックル時代の最強チャンピオン、J・L・サリバンが破れる。
1891年
<ルール>「PK(ペナルティー・キック)の導入」
 最初のPKは、6月2日ロイヤル・アルバートvsエアドリー・ユナイテッドFCで実施
1892年
<スケート>国際スケート連盟(ISU)設立
1893年
<スケート>ISU主催の第一回スピード・スケート世界選手権(男子のみ)オランダのアムステルダムにて開催
1894年
国際オリンピック連盟(IOC)設立
1895年
<ゴルフ>全米オープン始まる(ゴルフ4大大会グランドスラム)
<バレーボール>マサチューセッツ州ホリーヨーク市のYMCAでウィリアム・モーガンが考案(バスケットほど激しくなく中年男性や女性が参加しやすいスポーツとして考案された)
1896年
<スケート>第一回フィギュア・スケート世界選手権(男子のみ)ロシアのサンクトぺテルブルグにて開催
<野球>日本で初の国際試合が開催される。一高(第一高等学校)対横浜外人倶楽部(YC&AC)29−4で一高が勝利し、野球人気が高まるきっかけとなった
東京高等師範学校(現・筑波大)サッカー部創部
オリンピック 第1回 アテネ大会
開催国(ギリシャ)参加国(14)参加選手数(241/男子のみ)競技数(8)種目数(43)
この大会の詳細についてはここから
<近代オリンピックの復活>
 1892年、パリ出身の貴族ピエール・ド・クーベルタン男爵がソルボンヌ大学で開かれた「フランス運動競技連合創設5周年記念会議」において、ギリシャでかつて行われていた古代オリンピックの理念を再現する国際的なスポーツ競技会の開催を提案。
 1894年、ソルボンヌ大学で行われた会議において、フランス、イギリス、アメリカ、ギリシャ、ロシア、イタリア、スペインなどの参加国が満場一致でその案を承認。
 この時、ピエール・ド・クーベルタンは、オリンピックの開催に向けて、4つの条件を示しました。
(1)参加資格はアマチュアに限る
(2)参加者は成人男子に限る
(3)開催国を固定しない
(4)4年に一度の開催とする
<開催の理由は戦争のため?>
 1870年に普仏戦争(フランス対プロシア)においてプロシア(ドイツ)に敗北したフランスは、その大きな敗因として兵士の体力差を痛感したといいます。そこでクーベルタンは、兵士の体力向上はそのまま軍隊の戦力向上につながる。そう考えたところから、オリンピック開催を積極的に推し進めたとも言われています。その思惑はヨーロッパの他の列強も同じだったともいわれます。おまけに彼はヒトラーを支持していたとも言われています。だからこそ、乗馬や射撃は当初から種目の重要な位置にあったのです。さらにクーベルタンは、古代ギリシャ文明の発展と繁栄は古代オリンピックによるスポーツ振興があったからではないか、とも考えていたようです。
 しかし、当初はオリンピックに積極的な国は少なく大会参加者のうち200名は、地元開催国ギリシャの選手ばかりでした。
その他の参加国は、フランス、イギリス、ドイツ、アメリカ、ハンガリー、オーストリア、オーストラリア、デンマーク、スウェーデンなど
1899年
<ラグビー>慶応義塾大学蹴球部結成。この後は、サッカーは「アソシエーション式蹴球」、ラグビーは「ラグビー式蹴球」と呼ばれるようになります
1900年
<テニス>国別対抗戦(デヴィス・カップ)始まる(当初は英米2か国の対抗戦としてスタート)
<自転車>国際自転車競技連合設立(本部はパリ)
オリンピック 第2回 パリ大会
開催国(フランス)参加国(24)参加選手数(997 男975/女22)競技数(16)種目数(95)
 パリ万国博の目玉のひとつとして、第一回開催の時点で決まっていた大会。アテネ大会はある意味その試験的な大会だった。
ただし、この大会はパリ万国博に期間を合わせたため、5ヵ月半という長い大会になってしまいだらだらした大会にならざるをえなかった。
そのため、出場選手も、その時その会場にたまたまいた人が出ているといういい加減な部分も多かった。
 この大会には、その後、競技種目から消えることになるテニスとゴルフが入っていた。
しかし、ともにそれぞれの協会に力があること、単独開催でも集客できる人気スポーツだったこと、プロ化が進んでいったこともあり、オリンピック競技からはずれた。
 特筆すべきは、この大会からすでに女子選手が参加していることです。すでに、女性の力はヨーロッパで強まりつつあったといえます。
ただし、まだ参加種目は限られ、テニスの出場選手はロングスカートをはいていた。
1901年
<野球>アメリカでアメリカン・リーグ誕生(現在につながる2リーグ制の完成)
      東京専門学校(現・早稲田大学)野球部創部
<ラグビー>日本初のラグビー・クラブ、慶応義塾蹴球部がYC&AC(横浜外人倶楽部)と対戦。5−35で大敗
<テニス>東京ローンテニス倶楽部設立(日本初のテニス倶楽部)日本におけるテニス・ブーム始まる
1902年
<陸上>藤井実が東京帝大運動会で100m走の世界記録を樹立
<卓球>東京高等師範学校(現筑波大)の坪井玄道がロンドンから「ピンポンセット」3組とルールブックを持ち帰る。当初はスポーツではなく娯楽の一つと見なされていた。
1903年
<野球>日本では初の早慶戦開催。日本では早稲田と慶応というアマチュアの2チームのライバル関係が野球の発展を牽引してゆくことになります(11対9で慶応の勝利)
ただし、この後応援合戦が過熱し試合の前後にトラブルが多発し、1906年に早慶戦は中止となる(再開は1925年)
<自転車>ツールド・フランスの第一回大会開催される
<体操>井口阿ぐりがアメリカでスウェーデン体操を学び日本での普及に貢献。女性のお転婆が増えると批判されるが日本中に普及
<ハンプデン・パーク完成>
スコットランド・グラスゴーにクイーンズパークがハンプデンパークを建設。(収容人員は6万5千人)
その後、14万人規模に拡張され世界最大のスタジアムとなります。(ただし立見も含めた人数)
1904年
<自動車>国際自動車連盟(FIA)設立(本部はパリ)
<野球>メジャー・リーグでサイ・ヤングが初の完全試合達成
<FIFA>国際サッカー連盟(FIFA)発足(欧州7か国)
東京高等師範学校(現・筑波大)フットボール部がYC&AC(横浜外人倶楽部)に敗れる
オリンピック 第3回 セントルイス大会
 開催国(アメリカ)参加国(12)参加選手数(651)競技数(16)種目数(91)十種競技が正式競技に採用
 この大会も、パリ大会同様、セントルイスで開催されることになっていた万国博覧会に合わせて行われたオマケ的な大会だった。
そのうえ、アメリカ中部の田舎町での開催ということもあり、ヨーロッパからの参加が激減、ほとんどの参加がアメリカ人という大会になった。
1905年
<野球>早稲田大学野球部がアメリカ遠征に出発(7勝19敗で帰国)
<登山>日本山岳会設立
アルゼンチンでサッカー・チームの名門、ボカ・ジュニアーズ結成
1906年
<柔道>女子柔道家が急増。女子柔道のブーム(日本)
<スケート>第一回女子フィギュアスケート世界選手権スイスのダボスにて開催
<自動車>ル・マンにて初のグランプリレース開催
1907年
<ヨット>国際セーリング連盟設立(本部はパリ)
1908年
<アイスホッケー>国際アイスホッケー連盟設立(本部はパリ)
<スケート>フィギュアスケート世界選手権ロシアのサンクトペテルブルグ大会にペア種目正式採用
オリンピック 第4回 ロンドン大会
開催国(イギリス)参加国(22)参加選手数(2008 男1971/女37)競技数(23)種目(110)(フィギュアスケートが種目に追加)
オリンピックのためにホワイティ―・スタジアム建設(収容人員は6万8千人)
英仏万国博覧会の一部として開催され、4月27日から10月30日まで半年に渡って行われた。
 当初はローマで開催される予定だったが、ヴェスビオス火山の噴火により開催困難となったため、急遽ロンドンに開催地が変更された。
事前に国別でエントリーを行い、国旗を先頭とする入場行進を開会式で行うようになったのは、この大会からでした。
 大会中、最大の盛り上がりをみせたのはマラソン。トップでスタジアムに入ってきたイタリアのドランド・ピエトリは、トラックで意識朦朧となり、5回も転倒。
見かねた大会役員が彼を助けてゴールインし、優勝するが2位のアメリカ・チームからの抗議で審判の助けが違反と認められ、彼は失格となった。
 綱引き競技で英国の出場チームが勝利のために靴にスパイクをつけて出場。アメリカチームからの抗議を受けることになります。その他にも、勝敗について米国と英国が度々もめることになります。
そうした醜い争いに対し、セントポール寺院で行われた選手が参加した礼拝の説教でエセルバード・タルボット主教がこう語りました。
「オリンピック大会で重要なことは、勝つことではなく参加することである。同様に人生において重要なことは、勝利ではなくて健闘することである」
 この言葉をクーベルタン男爵が気に入り、「参加することに意義がある」という名文句が生まれることになります。
1909年
<ハーバード大スタジアム>アメリカのハーバード大学が5万人収容のスタジアムを建設
<自転車>自転車の伝統的ロード・レース「ジロ・デ・イタリア」初開催
<陸上>日本初のマラソン大会開催(神戸・大阪間の31.7キロ)金子長之助が2時間10分で優勝
<ボクシング>日本で講道館の紺野という柔道家が外人ボクサーと初のボクシング試合を行った
<相撲>両国国技館完成(設計は辰野金吾で1万3千人収容)
<オリンピック>柔道家、嘉納治五郎がIOC委員に就任
1910年
<自転車>ツール・ド・フランスに山岳ステージが導入される
1911年
<野球>早稲田大学野球部が2回目のアメリカ遠征(17勝35敗)
      雑誌「野球界」創刊
<自動車>インディアナポリス500初開催
<オリンピック>オリンピックに日本が参加するための組織として「大日本体育協会」が設立されます
1912年
<陸上>国際アマチュア陸上競技連盟(IAAF)設立
<野球>第一回全国中等学校野球選手権(全国高等学校野球選手権)開催
オリンピック 第5回 ストックホルム大会
開催国(スウェーデン)参加国(28)参加選手数(2407 男2359/女48)日本の参加選手(2)競技数(15)種目数(102)十種競技が五種競技に変更、女子水泳が正式競技採用
日本のオリンピック初参加について
 当時の東京高等師範学校(現在の東京教育大学)の校長、嘉納治五郎へ駐フランス大使を通して、クーベルタンからの参加要請があり、日本は初めて参加。
マラソンに1人、短距離に1人が出場しました。マラソンに出場した金栗四三は期待されながらも途中棄権。
ただし、この時のマラソンでは日射病で死者が出たほどの過酷な環境下でのレースでした。
 この大会の5種競技と10種競技で優勝したアメリカのジム・ソープは、後にマイナー・リーグでプレー経験があったことが明らかになり、メダルを剥奪されます。
(彼はインディアンの血を引く選手でした。黒人選手がまだ登場する前から彼らは選手として認められていたわけです)
 なお、この大会からしばらくの間オリンピックにも関わらず、新たに芸術部門が追加されています。種目は文学、音楽、美術。でもどうやって判定したのでしょうか?
1913年
<フェンシング>国際フェンシング連盟設立(本部はパリ)
<テニス>国際テニス連盟設立(本部はパリ)
<陸上>第1回陸上競技大会(大日本体育協会主催)戸山学校にて開催
雑誌「運動界」創刊(大阪にて)
<第1回極東選手権>フィリピン・マニラ大会
総合成績は、1位フィリピン2位中国3位日本(この大会日本はまだ非公式参加)
 フィリピンYMCA(キリスト教青年会)の体育主事エルウッド・ブラウンがアジアのオリンピックとして開催を提唱した大会。当初、日本はキリスト教の宣伝であり、参加するにはお金がかかり過ぎると参加に消極的でした。
当初はアメリカ人が運営の中心だったが、しだいに開催地の国民が担当。そのため第7回大会では地元のフィリピン人審判がホームタウンデシジョンを繰り返し、日本の陸上チームが大会ボイコットを宣言する事件も起きました。
陸上の成績は、個人が1位5点、2位3点、3位2点、4位1点。団体は1位10点、2位6点、3位4点、4位2点となっていて各国から4人が参加することになっていました。
1914年
第1回水上競技大会(大日本体育協会主催)大森海岸にて開催(日本初の公式水泳大会
1915年
<第2回極東選手権>中国・上海大会
総合成績は、1位中国2位フィリピン3位日本(この大会も日本は非公式参加)
<野球>大阪豊中グラウンドで全国中等学校優勝野球大会開催。(現在の夏の甲子園)元々は、大阪朝日新聞による販促活動の一環として行われたイベントでした
1916年
<オリンピック第6回ベルリン大会>第一次世界大戦のため中止
<ボクシング>「ヘビー級」「ライト級」の後、「ミドル級」ができ、さらに「ライトヘビー級」、「ウェルター級」、「フェザー級」、「バンタム級」、そしてこの年に「フライ級」が誕生し、8階級制が完成
<ゴルフ>PGAチャンピオン・シップ始まる(ゴルフ4大大会グランドスラム)
       日本ゴルフ協会設立
1917年
明治神宮外苑競技場の設計開始(関東大震災などもあり、完成は1924年)
読売新聞社主催「京都・東京間駅伝」開催(世界初の駅伝大会
近畿圏8校による日本フートボール大会開設(後の全国高校サッカー選手権)
<第3回極東選手権>日本・東京大会
総合成績は、1位日本2位フィリピン3位中国 
1918年
第1回日本フートボール大会開催(大阪・豊中)日本初のサッカー、ラグビーの日本大会。ラグビーのチームだけでは少なすぎたためサッカーとの同時開催となったようです
この後、サッカーとラグビーは別々に大会を開催することになります
1919年
<ボクシング>ジャック・デンプシーがジェス・ウィラードを倒し、ヘビー級チャンピオンとなる。「殺人マシーン」の時代始まる
<野球>「ブラックソックス・スキャンダル」ワールドシリーズでシカゴ・ホワイトソックスの選手、シューレス・ジョー・ジャクソンら8名が八百長を行った事件。8名は野球界から永久追放となりました
<自転車>個人総合1位の選手がイエロー・ジャケット(マイヨ・ジョーヌ)を着用することになる
<第4回極東選手権>フィリピン・マニラ大会
総合成績は、1位フィリピン2位中国3位日本(この大会、日本は非公式参加)
1920年
<野球>ボストン・レッドソックスからベーブ・ルースがヤンキースに引き抜かれ、そこからレッドソックスの呪いの時代始まる
<ハンドボール>ドイツでルールが制定(考案者はコンラッド・コッホかオウグスト・ヘルマンと言われる)
<ボート>日本漕艇協会設立
オリンピック 第7回 アントワープ大会
開催国(ベルギー)参加国(29)参加選手数(2626 男2561/女65)日本の参加選手(15)競技数(23)種目数(154)
4月のアイスホッケーから始まり、8月14日に開会式。閉会式は9月12日と半年もかかっていました。
 クーベルタン自身のデザインによる五輪マークの旗が初登場。
 日本は二度目の参加で早くも銀メダル二個を獲得します。熊谷一弥がテニスのシングルスと柏尾誠一郎と組んだペアでともに銀メダル。
なぜ?いきなり世界の2位になれたのか?実は二人はともに商社マンとして海外で働いていて、海外でテニスと出会い各地の大会に参加しながら実力をつけた。
イチローや中田の原点ともいえる海外組みの選手でした。
1921年
<テニス>デヴィス・カップ・ダブルス決勝に初出場の日本が勝ち上がり準優勝(清水義造、熊谷一弥コンビが活躍)
<レスリング>国際レスリング連盟設立
<卓球>「ピンポン」に正式に「卓球」という名前がつけられ、スポーツとして認められるようになり始める。
日本サッカー協会の前身、大日本蹴球協会設立
第一回全日本選手権(アソシエーション式蹴球全国優勝競技会決勝大会)日比谷公園運動場で開催
東京高等師範学校などのOBからなる東京蹴球団が神戸の御影蹴球団に1−0で勝利して優勝
<第5回極東選手権>中国・上海大会
総合成績は、1位フィリピン2位中国3位日本 
1922年
<テニス>日本庭球協会設立
<女子オリンピック(国際女子競技大会)>
フランス人女性アリス・ミリアの提案により、第一回女子オリンピック開催される
オリンピックにおける女子の参加種目が少なく、陸上競技に出場できないことへの反発から生まれた大会でした
<自動車レース>自動車GPレース、フランスで開催(7月12日)
 
1923年
<野球>メジャー・リーグのシンボル的存在となる「ヤンキー・スタジアム」が完成(5万7千人収容)
<ボブスレー>国際ボブスレー・トボガニング連盟設立(本部はパリ)
<自動車レース>第一回ル・マン24時間耐久レース開催
<大阪市立運動場>第6回極東選手権のために建設された野球場以外では初のスタンド付きスタジアム。当時、大阪は民間主導により急速に経済発展し、合併により200万人都市となっています。
<ウェンブリー・スタジアム>
ロンドン郊外ウェンブリーにエンパイア・スタジアム完成。(12万7千人収容)
「ウェンブリー・スタジアム」と呼ばれると同時に「サッカーの聖地」のひとつとなります
<第6回極東選手権>日本・大阪大会
総合成績は、1位日本2位フィリピン3位中国 
1924年
<ホッケー>国際ホッケー連盟設立(FIH)、日本ホッケー協会設立
<スキー>国際スキー連盟設立(フランス・シャモニー)
<水泳>大日本水上競技連盟設立
<明治神宮外苑競技場完成>
 予算不足のため、全国の青年団組織(全国208団体10万3千人)による「勤労奉仕」により完成。「日本青年館」はこのために建てられた。総工費は833万円。収容人員は3万5千人。
<野球>西宮に5万8千人収容で東洋一のスタジアム「甲子園球場」オープン。日本初の本格的な野球場。周辺には、海水浴場、テニスコート、プール、グラウンドなども作られ、東京に対抗する民間のスポーツ・センターとなります。
<第1回明治神宮競技大会>(内務省主催)
現在の国体につながるスポーツ大会を主催した内務省は、当初学生を大会に参加させないよう規定を定めました。しかし、労働者にはスポーツをする習慣がなかった時代、学生のレベルがそれぞれの競技のトップにありました。
にもかかわらず学生を排除しようとしたのは、学生スポーツが文部省の管轄下にあったからです!(結局、学生も参加できることになりました)
<野球>
(中等部)優勝は早稲田実業、準優勝は松山商業で、その他の出場チームは、神戸市立第一神港商業、大連商業、和歌山中、愛知一中、広島商業、松本商業
(クラブの部)優勝は稲門(早稲田大)、準優勝は帝大(東京帝大)で、その他の出場チームは、セントポール(立教大)、駿台(明治大)、三田(慶応大)、法友(法政大)
<男子バスケット>優勝は立教大学<女子バスケット>新津高等女学校
<男子バレーボール>神戸高商Aチーム<女子バレーボール>大阪市岡高女
<サッカー>広島鯉城クラブ(広島市中OBを含むチーム)
オリンピック 第8回 パリ大会
開催国(フランス)参加国(44)参加選手数(3089 男2954/女135)日本の参加選手(19)競技数(19)種目数(126)
オリンピックのために「スタッド・オランピーク」を建設(6万人収容)
マラソンの距離が現在の42.195キロになったのはこの年から
レスリングが正式種目に採用される
十種競技が正式採用(100m、走り幅跳び、砲丸投げ、走り高跳び、400m、110mハードル、円盤投げ、棒高跳び、やり投げ、1500m)
近代五種が正式採用(射撃、フェンシング、水泳200m自由形、馬術(障害)、3000m)
ラグビー15人制でアメリカが金メダル(この後ラグビーは13人制に変更)
 この大会、日本の唯一のメダルはレスリング・フリー・スタイルのフェザー級に出場した内藤克俊の銅メダルでした。
彼は明治大学卒業後、アメリカのペンシルバニア州立大学に留学。元々柔道家だった彼はアメリカでレスリングと出会うと全米大学チャンピオンになりました。
そのため、彼は別行動でオリンピックに出場し見事にメダルを獲得したのでした。ほとんどの日本人が知らないスポーツでメダルをとってしまったわけです。
 この大会で有名なのは、男子100mの金メダリスト、イギリス人のハロルド・エイブラハムと400mの金メダリスト同じイギリス人のエリック・リデルでしょう。
あの有名な映画「炎のランナー」の主人公たちです。なお、この年初の冬季オリンピックがフランスのシャモニーで開催されました。
<オリンピック参加資格問題>
 この大会に大日本体育協会は、プロ疑惑があった田代菊之助(労働者)を選出。それに対して学生側が反発。別団体(全日本陸上競技連盟)を作って参加しようとします。
翌年の明治神宮大会では、それまでも大日本体育協会のやり方に不満をもっていた13の大学が大会ボイコットという強硬手段に出ました。(早大、慶大、明大、法大など)
元々オリンピックに日本を出場させる窓口として作られた大日本体育協会には、拡大する競技団体を統率する力も資金も人材も不足していたようです。
この問題にはそうした組織の問題だけでなく、官庁の派閥問題、労働者アスリートへのインテリ階層からの差別などの問題も含まれていました。
(当初オリンピック代表には、人力車の車夫や郵便配達夫など、走ることを仕事をする労働者は選ばれませんでした。1920年開催の陸上競技会のマラソンでは、車夫たちが1位から5位までを独占しています)
 結局、1926年に政府は「運動競技の主管庁は文部省にする」という方針を発表し、その後は文部省がスポーツ行政を担当することになります。
冬季オリンピック 第1回 シャモニー大会(フランス)
バイアスロンが公開競技として初登場
クロスカントリー複合男子、個人種目として正式採用
 1925年
全日本スキー連盟、全日本陸上競技連盟、日本軟式庭球連盟がそれぞれ設立
<野球>
早慶戦復活(東京戸塚球場にて開催、早稲田が2戦連勝)
<第2回明治神宮競技大会>(内務省主催)
<陸上>1928年に800mで銀メダルを獲得する人見絹江が活躍。対抗馬として双子の姉妹、寺尾正・文がアイドル的人気を獲得。地域別対抗では南部忠平の活躍で北海道が優勝
<野球>中等部優勝は神港商業。クラブ部門優勝は稲門(早稲田大)
<サッカー>優勝は広島鯉城クラブ。準決勝の御影との試合は2試合連続の引き分けとなり3試合に及んだ。(PK戦はまだなかった)
<第7回極東選手権>フィリピン・マニラ大会
総合成績は、1位フィリピン2位日本3位中国
 1926年
<水泳>ガートルード・エーダリが女性で初めてドーバー海峡を横断
<卓球>国際卓球連盟(ITTF)設立
<野球>六大学野球リーグ始まる(この年の優勝は早稲田大学)
<神宮球場完成(野球場)>収容人員は2万9000人だったが、六大学野球の人気は高く、観客が溢れる場合が多かった
<神宮外苑相撲場完成>相撲だけでなくバスケットボールやバレーボールにも使用されました
<第3回明治神宮競技大会>(明治神宮体育会主催)
<卓球>卓球は正式に国体の種目に採用される(スポーツとして認知される)
<ボクシング>全日本アマチュア拳闘連盟設立
<ボクシング>世界ヘビー級チャンピオンのジャック・デンプシーが7年ぶりに敗れる
<ラグビー>日本ラグビー蹴球協会設立
<第2回女子オリンピック(国際女子競技会)>
女子の国際競技会がスウェーデンのヨーテボリにて開催され、人見絹江がただ一人参加。走り幅跳び、立幅跳びで優勝し、他の競技との総合で優勝。実質上の陸上界世界一となる
1927年
<野球>ベーブ・ルースが年間60本塁打達成(9月27日)
<バレーボール>大日本排球協会設立
<第4回明治神宮競技大会>(明治神宮体育会主催)
<第8回極東選手権>中国・上海大会
総合成績は、1位日本2位中国3位フィリピン
野球では慶応大学が優勝。サッカー代表はフィリピンに勝って2位。(これが日本代表チームの国際試合初勝利となりました)
1928年
<ハンドボール>国際アマチュア・ハンドボール連盟設立
<相撲>両国国技館から春場所大相撲のラジオでの実況放送が開始
<体操>11月御大礼の記念事業として「ラジオ体操」の放送始まる
オリンピック 第9回 アムステルダム大会
開催国(オランダ)参加国(46)参加選手数(2883 男2606/女277)日本の参加選手(男42/女1)競技数(16)種目数(109)
陸上<男子三段跳>織田幹雄(金)、南部忠平(4)<女子800m>人見絹枝(銀)<マラソン>山田兼松(4)
水泳<200m平泳ぎ>鶴田義行(金)<100m自由形>高石勝男(銅)<4x200m自由形リレー>新井信男、佐田徳平、高石、米山弘(銀)
<100m背泳ぎ>入江稔夫(4)
 二つの世界大戦の間に行われたつかの間の平和な大会。
 水泳王国日本の時代が始まった大会。
 この大会から女子の陸上競技が種目に追加されました。
 女子初のメダリスト人見は日本女子体育大学を卒業後、大阪毎日新聞に入社。記者として活躍しながら選手活動を続け、その後も作家、評論家としても活躍。
 織田の金メダルは予想外の結果で、会場に日章旗がなく急遽観客の日本人から借りた旗を上げたといいます。
 キャリア・ウーマン型のアスリートとして遥かに時代の先を行く存在でした。
 コカコーラが初めてスポンサーとして協賛
冬季オリンピック 第2回 サンモリッツ大会(スイス) 
1929年
<自動車レース>第一回モナコ・グランプリ開催(4月14日)
<スケート>大日本スケート競技連盟設立
ドイツ陸上競技選手団が来日。(シベリア鉄道に乗って)
明治神宮外苑競技場で「日独対抗競技会」開催
<第5回明治神宮競技大会>(明治神宮体育会主催)
日本蹴球協会がFIFAに加盟
<昭和四年の政変>
大日本蹴球協会は当初高等師範学校関係者が理事会の中心となっていました。
しかし、大学チームの力が強まり、この年、理事会に大学側の理事4人を送り込み、主導権を獲得します。
こうした流れは他のスポーツでも共通していて、大学がスポーツの中心となって行きます。
1930年
<バスケットボール>大日本バスケットボール協会設立
<体操>全日本体操連盟設立
<ラグビー>日本代表初の国際試合<日本対カナダ>9−8で日本が勝利。カナダは5勝2敗で帰国
<男子日本代表>第9回極東選手権大会に日本が選抜メンバーによる代表チームを初めて送り、初優勝 
<第9回極東選手権>日本・東京大会
総合成績は、1位日本2位フィリピン3位中国(インドが初参加)
「暁の超特急」吉岡隆徳が100m、200mで1位。陸上はほとんど日本が1位。野球、水泳、テニスも日本が1位。バスケットは2位。バレーボールは全敗。
サッカー日本代表は中国と引き分け優勝。これが国際大会初優勝となった。
第1回ワールドカップ・サッカー・ウルグアイ大会
参加国は13
ヨーロッパからはフランス、ユーゴ、ルーマニア、ベルギーのみの参加となり、ウルグアイは関心の低さに抗議して次回大会への参加を拒否する
<準決勝>
アルゼンチン 6−1 アメリカ
ウルグアイ 6−1 ユーゴスラビア
<決勝>
ウルグアイ 4−2 アルゼンチン
<活躍した選手>
ホセ・レアンドロ・アンドラーデ(世界初のの黒人スター選手となったウイング・ハーフ)
<ワールドカップ開催までの経緯>1924年パリ・オリンピック、1928年アムステルダム・オリンピックではウルグアイが連続優勝
1932年ロス・オリンピックではアマチュア規定の問題からサッカーが除外され、そのために世界選手権を開催する企画が登場した
第一次世界大戦によってヨーロッパは疲弊し、逆に食料品を輸出していた南米には勢いがあった
「アルゼンチンは想像力あふれる華麗なフットボールを展開した。しかし技術で上回っても、戦術の欠如は補えない。ウルグアイはアリで、アルゼンチンはセミだった」
イタリアのジャーナリストによる決勝の記事より
(イソップ物語の「アリとキリギリス」は多くの国で「アリとセミ」として知られている)
1931年
<明治神宮外苑プール>明治神宮外苑にプール完成(屋外のプールだった)
<水泳>日米対抗水泳競技会開催
<野球>メジャー選抜チームが初来日
<第6回明治神宮競技大会>(明治神宮体育会主催)
<陸上>日本初の銀メダリスト、人見絹江が24歳の若さで肺炎により死去(8月2日)
1932年
<競馬> 目黒競技場で第一回日本ダービー優駿大競走開催(出走は19頭、一番人気ワカタケが勝利、単勝のみで39円の払い戻し) FIFA本部がスイスのチューリッヒに移転
オリンピック 第10回 ロサンゼルス大会
開催国(アメリカ)参加国(37)参加選手数(1332 男1206/女126)日本の参加選手(男115/女16)競技数(16)種目数(117)
陸上<棒高跳>西田修平(銀)<走り幅跳>南部忠平(銅)<三段跳>南部(金)大島鎌吉(銅)<マラソン>浅田晴一郎(5)<女子やり投げ>真保正子(4)
水泳<100m自由形>宮崎康二(金)河石達吾(銀)<400m自由形>大横田勉(金)<1500m自由形>北村久寿雄(金)牧野正蔵(銀)
<100m背泳ぎ>清川正二(金)入江稔夫(銀)河津貫太郎(銅)<200m平泳ぎ>鶴田(金)小池礼三(銀)<男子4x200m自由形リレー>(金)
<200m平泳ぎ>前畑秀子(銀)
その他<馬術障害飛び越し(個人)>西竹一(金)<水球>(4)<ホッケー>(銀)(ホッケーの出場チーム数はわずか3!アメリカに勝利しての銀メダルでした・・・)
ラジオの生中継を行うはずがNBCとの契約交渉が決裂。そのため現地のアナウンサーが試合観戦後にスタジオに行き、手書きのメモを見ながら放送を行い、「実況放送」ならぬ「実感放送」と呼ばれることになりました。
日本は関係悪化が懸念されていたアメリカとの関係修復を目指し多くの選手を送り込み、それぞれがフェアプレー精神で望むことでアメリカの人々の心に訴えることになりました。「バロン西」はその象徴でした。
日本は陸上の跳躍での活躍、水泳でメダルを量産。さらに後に「バロン西」と呼ばれる軍人の西竹一の活躍もあり、日本はオリンピックにおける黄金時代を迎えていました。
ただし、アメリカでの大会だったため、ヨーロッパからの出場選手が少なかった分、有利だった。
冬季オリンピック 第3回 レークプラシッド大会(アメリカ)
1933年
<野球>シカゴでメジャーリーグ初のオールスター戦開催
<第7回明治神宮競技大会>(明治神宮体育会主催)
1934年
<野球>ベーブ・ルースがオール・アメリカンを率いて来日。沢村栄治との対戦が実現(アメリカチームの18戦全勝だったが沢村が登板した第10戦は1−0と惜敗)
政府による「野球統制並びに施行に関する件」(野球統制令)により、アマチュア・チームはプロとの試合ができなくなります。そこでメジャーとの対戦を可能にするため急きょプロチームが作られることになりました。
12月26日全日本チームを母体として職業野球団「大日本東京野球倶楽部」が創設された。これが日本初のプロ野球チームの誕生となった
<ゴルフ>マスターズ始まる(ゴルフ4大大会グランドスラム)
<ラグビー>オーストラリア学生選抜が来日(1勝1敗で帰国)
<第10回極東選手権>フィリピン・マニラ大会
総合成績は、1位日本2位フィリピン3位中国
1932年に満州国が誕生。日本は実質的な植民地だった満州に「満州国体育協会」を設立させ、ロス・オリンピックへの出場を目指します。それに対し、中国が初めて五輪への参加を表明。満州は参加を拒否されます。
満州はこの後の極東選手権への参加を表明しますが、中国が反発。そのため、極東選手権はこの第10回で中止になります。
<西アジア競技大会>インド・ニューデリー大会
インドの提唱により西アジア地域の国が参加して開催。参加国は、インド、アフガニスタン、セイロン、パレスチナ。戦争などの影響で一回のみの開催で終わりました。
第2回ワールドカップ・サッカー・イタリア大会
(詳細はここから)
 1935年
<競馬>アメリカで名馬シービスケットがデビュー(騎手はレッド・ポラード)
<日本初のプロ野球試合>大日本東京野球倶楽部と名鉄の試合開催
この後、大日本東京野球倶楽部は東京読売巨人軍と呼ばれるようになります。
さらに金鯱軍(名古屋)、阪神電鉄系のチーム、阪急電鉄系のチームが設立へ
<暁の超特急>吉岡隆徳が100m走で10秒3の世界タイ記録を出す。この後3回同じ記録を出した吉岡は「暁の超特急」と呼ばれることになります。(この記録は1964年まで破られませんでした)
<第8回明治神宮競技大会>(明治神宮体育会主催)
1936年
<野球>日本職業野球連盟結成(読売ジャイアンツ優勝し沢村栄治が最多勝)
<スケート>初の女子スピードスケート世界選手権スウェーデンのストックホルムにて開催
<ラグビー>ニュージーランド学生選抜来日。5勝1敗で帰国
<東京オリンピック>
オリンピック総会にて、1940年オリンピック東京開催が決定。イタリア・ローマとの競合が予想されていたが、日本はムッソリーニに1944年のローマを支持すると約束していたらしい。
<ベルリンの奇跡>
ベルリン・オリンピックにて日本代表チームが優勝候補だったスウェーデンに3−2で勝利。これはその後「ベルリンの奇跡」と呼ばれることになります。
オリンピック 第11回 ベルリン大会
開催国(ドイツ)参加国(49)参加選手数(3963 男3632/女331)日本の参加選手(男162/女17)競技数(21)種目数(129)
ジェシー・オーエンス(米)が100mで出した10.2秒の記録は、この後20年間破られなかった
陸上<棒高跳>西田(銀)大江秀雄(銅)ルール上二人の差はなかった。そのため帰国後に二人はメダルを半分に割り、金と銅半々のメダルをお互い持つことにします。二人はプライベートでも仲が良かった。
<走り幅跳>田島直人(銅)<男子三段跳><マラソン>孫基禎(金)南昇竜(銅)
<5000m>村社講平(4)<10000m>村江(4)<女子円盤投げ>中村コウ(4)
水泳<100自由形>遊佐正憲(銀)新井茂雄(銅)田口正二治(4)<400m自由形>鵜藤俊平(2)牧野(3)<1500m>寺田登(金)鵜藤(3)
<100背泳ぎ>清川(3)<200m平泳ぎ>小池礼三(3)<男子4x200リレー>(金)<板飛び込み>柴原恒雄(4)
<女子200平>前畑秀子(金)<女子飛び板>大沢礼子(4)
その他<絵画>藤田隆治(3)<水彩>鈴木朱省(3)
 1934年、ムッソリーニがイタリアで第二回のワールドカップ・サッカーを開催し大成功を収めた。ヒトラーはそのことを知り、ベルリン・オリンピックを重要視するようになった。
 当時、ファシズム国家でありユダヤ人差別を行っていることが知られていたベルリン開催に反対する声も強かった。
しかし、IOC会長アベリー・ブランデージは、政治問題とオリンピックを切り離すことにこだわり、大会開催を推し進めた。
 ファシズム・オリンピックでもあったこの大会だが、大会中そうした人種差別問題はおきず、ドイツ国民はどの国の選手も暖かく迎え入れていたようです。
中でも、100m、200m、走り幅跳び、4x100mリレーをすべて征した黒人ジェシー・オーエンスも、ドイツでは母国と違いまったく差別されなかったと語っています。
 日本はマラソンで金メダルと銅メダルを獲得していますが、どちらの選手も日本に占領され植民地化されていた朝鮮人であり、二人にとっては複雑なメダルとなりました。
しかし、周囲の思惑とは関わりなく、当人は素直に勝てたことを喜んでいたようです。間違いなく勝ったのは、彼らなのです。
冬季オリンピック 第4回 ガルミッシュ=パルテンキルヒェン大会(ドイツ)
1937年
<ボクシング>ジョー・ルイスが世界ヘビー級チャンピオンを獲得(この年から11年8か月王座を守る)
<第9回明治神宮競技大会>(明治神宮体育会主催)
1938年
日本をオリンピックに導いた嘉納治五郎がIOC総会から帰国途中、船上で死亡(5月4日)  イングランドのアマチュアチーム「イズリントン・コリンシャンス」来日。ヨーロッパからの来日は初めてでした。
第3回ワールドカップ・サッカー・フランス大会
予選参加国 : 36(戦争のため、最終的に26しか参加できず)
本大会出場国 : 16
<準決勝>
イタリア 2−1 ブラジル 
ハンガリー 5−1 スウェーデン
<決勝>
イタリア 4−2 ハンガリー
<活躍した選手>
レオニーダス・ダ・シルバ(ブラジル)は「黒いダイヤモンド」と呼ばれ、得点王に輝いた。ブラジルは黒人選手の起用によりサッカー強国の仲間入り
イタリア・チームの中心選手シルヴィオ・ピオラが大活躍
<大会の特徴>
ヨーロッパと南米交互開催ならアルゼンチン開催となるはずだったが、FIFA会長兼フランス・サッカー連盟会長のジュール・リメの力によりフランス開催となる
そのため南米各国が反発し、ブラジルとキューバ以外は参加せずに終わった
1939年
<相撲>五場所連続優勝の横綱・双葉山の連勝が平幕の安芸乃島に敗れ連勝が69で止まる(3年がかりの記録)
<第10回明治神宮国民体育大会>(厚生省主催)
1940年
オリンピック第12回大会(東京代替のヘルシンキ)が第二次世界大戦のため中止となる
冬季オリンピック札幌大会も中止
大会開催2年前にやっとメインスタジアムの計画が決まり、政府、東京市、軍部、内務省(明治神宮)、第日本体育協会…各団体の思惑は一致せず、協議の準備・運営に問題は山積みでした。
IOC会長バイエ=ラトゥールは懸念を示し続け、大会の中止とロンドン開催を取り上げるなどしていました。もし、予定通り開催されることになっていたら・・・果たして大会は無事にできたのか?疑問です。
<第11回明治神宮国民体育大会>(厚生省主催)
1941年
<野球>ジョー・ディマジオが56試合連続ヒットのメジャー記録を達成
<第12回明治神宮国民体育大会>(厚生省主催)
1942年
<第13回明治神宮国民錬成大会>(厚生省主催)(銃剣道、行軍訓練などの競技が追加)
 1943年
<野球用語の大幅変更>
「ストライク」は「よし一本」、「ボール」は「一つ」、「三振」は「それまで」、「セーフ」は「よし」、「アウト」は「ひけ」、「ファウル」は「だめ」など
<第14回明治神宮国民錬成大会>(厚生省主催)(銃剣道、行軍訓練などの競技が追加)
<出陣学徒壮行会>10月21日文部省学校報国団本部主催によって開催。77校の2万5千人が入場行進を行い、5万人の学生が見送りました。スポーツ大会の開会式と同じ方式で行われた。
ラジオで生中継をする予定だったNHKアナウンサーの和田信賢が当日になって悩んだ末に降板。志村正順アナが急遽担当した。
1944年
<野球>沢村栄治が戦場で死亡
      プロ野球の休止声明が発表される
冬季オリンピック コルティナダンペッツォ大会が世界大戦のため中止
1945年
10月大相撲再開され、さらに大学野球早慶戦も開催
GHQによる体育施設の接収が行われる。
明治神宮外苑競技場は「ナイル・キニック・スタジアム」(戦死したアメリカン・フットボールの名プレイヤーの名前)
明治神宮野球場は「ステートサイド・パーク」となりナイター設備が追加されることになります。相撲場は「メイジ・ボウル」となりボクシングが行われるようになった。
1946年
オリンピック第13回大会が第二次世界大戦のため中止となる
<野球>日本で8チームによりプロ野球公式戦開幕、六大学野球も復活
日刊スポーツ新聞社「日刊スポーツ」、恒文社「ベースボール・マガジン」創刊
1947年
<水泳>古橋広之進400m自由形で世界新記録
<野球>4月15日ジャッキー・ロビンソンが、2リーグ制開始以降、黒人初のメジャー・リーガーとしてデビュー(新人王と盗塁王を獲得)
<バレーボール>国際バレーボール連盟(FIVB)設立
1948年
アディダス社誕生>(スポーツ・シューズからスタート)「ダスラー兄弟商会」が分裂し、弟のアドルフ・ダスラーが設立
全米チアリーダー協会設立
<野球>ベーブ・ルース死去
      8月17日プロ野球「巨人対中日」横浜ゲーリッグ球場(現横浜スタジアム)で初のナイター開催
<競輪>日本初の競輪が小倉三萩野競輪場で開催。10レースが行われ、4人の女子選手も出場
プーマ社誕生>アディダスの兄ルドルフが設立したRUDA社が社名をプーマ社に変更
<水泳>ロサンゼルスで開催された全米水泳選手権で古橋広之進が1500m自由形など4つの世界新を記録。「フジヤマの飛び魚」と地元新聞が名づけた 。(2年間で世界新を33回!)
<アジア大会>インドのIOC委員グル・D・ソンディの提案により「アジア諸国の総合競技大会」開催が計画される
オリンピック 第14回 ロンドン大会
開催国(イギリス)参加国(59)参加選手数(4101 男3714/女390)日本の参加選手(0)競技数(19)種目数(136)
 第12回1940年は東京大会の予定でしたが、東京が辞退。多額の軍事予算を必要とする日本には、オリンピックを開催するための国家予算はもう残されていませんでした。
急遽フィンランドのヘルシンキで代替開催が決まるもののドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まってしまい大会そのものが中止になりました。
 1944年にはロンドンでの開催が計画されるものの、結局この大会も中止となり、12年間オリンピックは開催されないことになりました。
 こうして、1948年、再びロンドンでオリンピックが開催されることになりましたが、敗戦国の日本は大会に招待されませんでした。日本は16年間オリンピックから離れることになり
陸上や水泳だけでなくすべての競技において、世界から取り残されることになりました。
<パラリンピック>ロンドン・オリンピックに合わせて、第1回パラリンピックが開催。「パラリンピック」とは「パラプレジア(脊髄損傷患者)」と「オリンピック」を合わせた造語。正式には1964年の東京オリンピックの際に日本人がつけた名前。
イギリスのアリスバーリーにあるストーク・マンデビル病院に入院している車椅子患者の競技会として開催されました。
冬季オリンピック 第5回 サンモリッツ大会(スイス)開催
1949年
<ボクシング>「ブロンクスの雄牛」ジェイク・ラモッタがミドル級チャンピオンになる。後に半生が「レイジング・ブル」として映画化。
<野球>米国の野球チーム、サンフランシスコ・シールズが戦後初の来日を果たす
      プロ野球の2リーグ制決まる(日本)
<バレーボール>男子バレーボール第1回世界選手権開催
<オリンピック>アジア大会開催に向けた組織「アジア競技連盟」設立(インド、アフガニスタン、ビルマ、パキスタン、フィリピン)
1950年
<野球>後楽園球場で初のナイター・ゲーム開催
<野球>日本初のプロ野球日本選手権(日本シリーズ)開催
<マジック・マジャール活躍>
ハンガリー代表チームがポーランド戦に勝利し、伝説の連勝が始まる。「マジック・マジャール」の時代始まる。
10月1日第1回早慶サッカー公式戦(日本初のナイトゲーム)開催。(ナイル・キニック・スタジアムにて)
第4回ワールドカップ・サッカー・ブラジル大会
戦争で中断されていた大会が復活(1988年以来)
ワールドカップを初開催した第3代FIFA会長ジュール・リメを記念し、ジュール・リメ杯世界サッカー選手権が正式名となる。
トーナメント方式だった大会を、一次リーグと決勝リーグによるリーグ戦方式に改めた。
戦後の混乱もあり、アジア、南米では予選が開催されず。
インドは裸足でのプレーが禁止されたため、出場を辞退
本大会参加チームは13チーム
ベスト4は、ブラジル、スウェーデン、スペイン、ウルグアイ
「マラカナンの悲劇」地元ブラジルが決勝でウルグアイに敗れる(2-1)
20万人以上入っていたマラカナンスタジアムでは、4人がショックによる心臓麻痺で死亡
ウルグアイの首都モンテビデオでも3人がショック死
コカコーラが広告看板を設置
1951年
<野球>日本で第一回プロ野球オールスター戦開催
<陸上>ボストン・マラソンで日本人の山田茂樹が優勝
<プロレス>力道山が国際プロレス大会に初登場
<オリンピック>日本がIOCに再加盟
戦後初の海外チーム来日。スウェーデンからヘルシングボリと日本代表が対戦し、0−5で大敗。日本のサッカー・レベルは一気に後退していた。
<アジア大会>第1回アジア大会インド・ニューデリー大会(参加は11か国、参加人数は500人)日本選手団は80名出場し、99個のメダルを獲得 
1952年
<ボクシング>白井義男がダド・マリノを判定で下し、日本人初の世界フライ級チャンピオンになる
<バレーボール>女子バレーボール第1回世界選手権開催
<スケート>初のアイスダンス世界選手権がフランスのパリで開催
<卓球>世界選手権ボンベイ大会に日本が初出場。佐藤博治の男子シングル。藤井則和・林忠明が男子ダブルス。女子団体と西村登美江・楢原静の女子ダブルス。4種目で優勝
<ボウリング>東京・青山で初のボウリング場が開業
<ラグビー>秩父宮ラグビー場完成(1953年に亡くなった秩父宮殿下にちなんだ名前)
オリンピック 第15回 ヘルシンキ大会
開催国(フィンランド)参加国(69)参加選手数(4955 男4436/女519)日本の参加選手(男61/女11)競技数(18)種目数(149)
水泳<100m自由形>鈴木弘(2)<1500m自由>橋爪四郎(2)<200m平泳ぎ>平山綽保(4)<男子4x200リレー>(2)
体操<徒手>上迫忠夫(2)小野喬(4)<跳馬>竹本正男(2)上迫(3)小野(3)
その他<女子円盤投げ>吉野トヨ子(4)
<レスリング・フリースタイル・フライ級>北野祐秀(2)<バンタム級>石井庄八(1)
 戦時中、世界のトップにいた古橋広之進は、すでにピークを過ぎてしまいこの大会で活躍することはできなかった。
この大会には日本とドイツが復帰し、社会主義国ソ連が初めて参加。東西対立の時代を象徴する闘いが始まります。
それまでは常に一人勝ちだったアメリカに対し、ソ連はメダルの獲得数で迫り、オリンピックの競技レベルも急激に高くなります。
 この大会最大のスターは、チェコスロバキアのエミール・ザトペックでしょう。初マラソンで金メダルを取っただけでなく、5000m、1万mでも金メダルを取るという驚きの走り。
人々が彼のことを「人間機関車」と呼んだのもうなずけます。
「何かに勝利したいのであれば100mを走れ、人生で得難い経験をしたいのであればマラソンを走れ」
冬季オリンピック 第6回 オスロ大会(ノルウェー)
女子クロスカントリー正式競技に採用
1953年
<陸上>ボストン・マラソンで日本人の山田敬蔵が優勝
1954年
<プロレス>力道山・木村VSシャープ兄弟の世界タイトルマッチ開催(日本中が熱狂)
<卓球>世界選手権ロンドン大会で荻村伊智朗が個人戦で優勝。団体も男女共に優勝
<スケート>「世界男子スピードスケート選手権」札幌大会開催
<ワールドカップ予選>
スイス大会のアジア予選出場決定戦で日本は韓国に一分け一敗で出場権を逃す
<アジア大会>第2回アジア競技大会(フィリピン・マニラ)18か国が参加し、大会中に次回大会開催地が東京に決定しました。(これは東京オリンピック誘致に向けた布石でもありました)
第5回ワールドカップ・サッカー・スイス大会
FIFA創立50周年大会  44ヶ国が参加
戦後最初の前大会に戦争責任のために参加できなかった西ドイツが大活躍
予選リーグでわざと2位になることで決勝リーグを楽に切り抜け、決勝戦で優勝候補筆頭だったハンガリーを破り見事優勝を飾った。
準々決勝 ハンガリー×ブラジル 西ドイツ×ユーゴスラビア
準決勝  ハンガリー×ウルグアイ 西ドイツ×オーストリア
決勝   西ドイツ 3×2 ハンガリー(0×2からの逆転)(4年間の連勝28勝4分けがついにストップ)
西ドイツは、フリッツ・ワルターが大活躍
ハンガリーでは、プスカシュ・フェレンツが活躍するが、その後彼はスペインに亡命
(東欧では反ソ連の運動が激しくハンガリーも動乱に巻き込まれていた)
1955年
<卓球>世界選手権ユトレヒト大会で 田中利明が個人戦優勝。男子団体も優勝
日本ボディビル協会結成
第1回都市対抗サッカー大会開催(後楽園球場)優勝は東京代表の東京クラブ
1956年
<ボクシング>フロイド・パターソンが21歳10か月最年少のヘビー級世界チャンピオンとなる(オリンピック金メダリスト初の世界チャンピオンでもあった)
<野球>ドン・ラーセンがワールド・シリーズで完全試合達成
<柔道>第1回世界柔道選手権大会開催(蔵前国技館)
<卓球>世界選手権東京大会で荻村伊智朗が個人戦優勝。大川とみが女子個人戦優勝。男子団体も優勝
オリンピック 第16回 メルボルン/ストックホルム大会
開催国(オーストラリア/スウェーデン)参加国(67/29)参加選手数(3314 男2938/女376)日本の参加選手(男103/女16)競技数(18)種目数(151)
水泳<400m自由形>山中毅(2)<1500m自由形>山中毅(2)<200m平泳ぎ>古川勝(1)吉村昌弘(2)<200mバタフライ>石本隆(2)
<男子4X200m自由形リレー>(4)
古川勝は3/4を潜水で泳ぎ、この後潜水泳法は禁止となった
体操<個人総合>小野喬(2)竹本正男(4)<男子団体>(2)<徒手>相原信行(2)<あん馬>小野喬(2)<吊り輪>久保田正躬(3)竹本(3)
<平行棒>久保田(2)小野(2)竹本(3)<鉄棒>小野(1)竹本(3)<女子徒手>田中敬子(4)
レスリング<フリー・フライ級>浅井正(4)<フェザー>笹原正三(1)<ライト>笠原茂(2)<ウェルター>池田正(4)<フェザー>笹原茂(2)<ウェルター>池田三男
その他<ウェイト/ライト級>大沼堅治(4)<ライフル・フリー・ピストル>保坂調司(4)
 生態系を守るため、動物の輸入規制をしているオーストラリアは馬術のみ開催が困難となり、ストックホルムで馬術のみ開催となった。
 ジョン・ヘンドリックスやドーン・フレーザーなど豪華な選手たちをそろえた地元オーストラリアは水泳で多数のメダルを獲得。
 この大会で初めてソ連が金メダルの数、メダルの総数ともにアメリカをぬき、ソ連のアマチュアリズムに対する疑問の声が高まることになった。
 大会期間中、ある中国人の少年から組織委員会に手紙が届きました。
その中で彼は「閉会式では開会式のように国別の入場ではなく、みんながひとつのチームとして入場できないか?」と提案。
このアイデアは、さっそく実行に移され、その後、現在まで続いています。 
冬季オリンピック 第7回 コルティナダンペッツォ大会(イタリア)
男子回転で猪谷千春が銀メダルを獲得
1957年
<卓球>世界選手権ストックホルム大会で田中利明が個人戦優勝。江口冨士枝が個人女子優勝。荻村伊智朗、江口冨士枝が複合ダブルス優勝。男子、女子共に団体優勝
<テニス>アルテア・ギブソンが黒人女性初のウインブルドン優勝
<スキー>オーストリアのスキー五輪選手が来日し、スキー・ブーム到来
1958年
 <野球>鉄腕稲尾の4連勝で西鉄が巨人を破り日本一となる
      読売巨人軍、長嶋茂雄デビュー
<相撲>栃錦と若乃花の人気がピークとなり「栃若時代」突入
国立競技場完成(7万5千人収容)アジア大会のため、わずか1年強で完成し、総工費は11億3000万円
<ミュンヘンの悲劇>
欧州クラブ選手権に出場していたマンチェスター・ユナイテッドが乗る飛行機がミュンヘン空港離陸時に墜落。ほとんどのメンバーが死亡。「ミュンヘンの悲劇」として映画化もされています。
<アジア大会>第3回アジア競技大会(東京)参加は20か国(参加人数は1400人)
 この大会に招かれたIOC会長のブランデージは、この大会の成功を見て日本でのオリンピック開催を可能と確信します。そして翌年のIOC総会で東京開催が決定することになります。
第6回ワールドカップ・サッカー・スウェーデン大会
 第二次世界大戦も終わり、交通の便(飛行機)も良くなり、大会史上初めて世界中の主な強豪がほとんど参加。さらに今大会は大会史上初めてテレビで中継された大会でもありました。
 戦争によって選手強化ができなかったことから戦争に参加していた国のレベルダウンが目立ち始め、逆に戦争による直接被害がなかった国の活躍が目立った。
準決勝 スウェーデン×西ドイツ       ブラジル×フランス
決勝   ブラジル×スウェーデン
優勝   ブラジル(ガリンシャ、マリオ・ザガロそして初登場のペレが活躍)
1959年
<野球>プロ野球初の天覧試合で長島が村山からサヨナラ・ホームラン(後楽園球場)
<卓球>世界選手権ドルトムント大会で荻村伊智朗、村上輝夫が男子ペアで優勝。松崎キミ代が個人女子で優勝。難波多慧子、山泉和子が女子ペア優勝。荻村伊智朗、江口冨士枝が複合ダブルス優勝、男女共に団体優勝
<ラグビー>オックスフォード、ケンブリッジ大学連合チームが慶応大と国立で対戦。観衆は1万3千人に達し、ラグビーとしては戦後初のナイター試合となりました
<オリンピック>1964年のオリンピック開催地が東京に決定
<ユニバーシアード>第1回ユニバーシアード開催(イタリア・トリノ)世界の大学生のために行われるスポーツ大会で、国際大学スポーツ連盟(FISU)が主催(2年に一度開催)
1960年
<アメリカン・フットボール>第1回ライスボウル開催
<ビーチバレー>ビーチバレー初の世界選手権マンハッタンビーチ・オープン開催(南カリフォルニア)
オリンピック 第17回 ローマ大会
開催国(イタリア)参加国(83)参加選手数(5338 男4727/女611)日本の参加選手(男147/女20)競技数(18)種目数(150)
水泳<400m自由形>山中毅(2)<1500m自由形>山中(4)<200m平泳ぎ>大崎剛彦(2)<4x200m自由形リレー>(2)<4x100メドレーリレー>(3)
<女子背泳ぎ>田中聡子(3)
体操<男子総合個人>小野喬(2)鶴見修治(4)<男子団体>(1)<跳馬>小野喬(1)<徒手>相原信行(1)小野、三栗崇(3)<あん馬>鶴見(3)三栗(4)
<平行棒>小野(3)相原(4)<鉄棒>小野(1)竹本(2)遠藤幸雄(4)<吊り輪>小野(3)<女子団体>(4)
レスリング<グレコローマン・フライ級>平田孝(4)<フリースタイル・フライ級>松原正之(2)<F・バンタム級>浅井正(4)<F・フェザー級>佐藤多美治(4)
その他<ボクシング・フライ級>田辺清(3)<ウェイトリフティング・バンタム級>三宅義信(2)木暮茂夫(4)<射撃フリー・ピストル>吉川貴久(3)
 後のモハメド・アリことカシアス・クレイが18歳で金メダルを獲得。プロへのステップを登りました。
 裸足のランナー、アベベ・ビキラが金メダルを獲得。当時まったく無名のランナーだったアベベは一躍世界的な英雄となり、その後、東京オリンピックでも金メダルを獲得します。
 日本の男子体操はこの大会、ついにソ連を破り、団体の金メダルを獲得。体操日本の黄金時代が始まります。
冬季オリンピック 第8回 スコーバレー大会(アメリカ)
スピードスケート女子、バイアスロン男子が正式種目に採用
1961年
<野球>ヤンキースのロジャー・マリスが61本塁打を放ち、ベーブ・ルースの記録を破る
<相撲>柏戸、大鵬が横綱昇進。「柏鵬時代」始まる。この年の流行語に「巨人、大鵬、卵焼き」があります
<卓球>世界選手権北京大会で荻村伊智朗、松崎キミ代が混合ダブルス優勝。女子団体が優勝
ユーゴスラビア代表チーム来日(ヨーロッパのフル代表の来日は初)
1962年
<ボクシング>矢尾板貞雄が世界フライ級タイトルへの挑戦直前に引退。(後にジム会長の理不尽なやり方に対する最後の反抗だったことが明らかになる)
          ファイティング原田が矢尾板の代わりに挑戦しまさかのKO勝ちで日本人二人目の世界フライ級チャンピオンになる
          ソニー・リストンがフロイド・パターソンを倒し、ヘビー級の世界チャンピオン獲得
<野球>金田正一が奪三振の世界記録達成(3514)
<アジア大会>第4回アジア競技大会(インドネシア・ジャカルタ)
開催国のインドネシアが、中国のIOC加盟に伴う問題から台湾チームの入国を拒否。さらにパレスチナ問題によりイスラエル・チームの入国も拒否。この対応に対し、IOCはインドネシアのIOC除名を決定。
第7回ワールドカップ・サッカー・チリ大会
総参加国数 52
本戦参加チーム(15ヶ国)
西欧圏(資本主義国) 西ドイツ、イタリア、スイス、スペイン、イングランド
東欧圏(共産国)    ソ連、ユーゴスラビア、チェコスロバキア、ハンガリー、ブルガリア
南米           ウルグアイ、コロンビア、チリ、アルゼンチン
北中米          メキシコ
ベスト8(予選リーグ突破チーム):チリ×ソ連、ユーゴスラビア×西ドイツ、ブラジル×イングランド、チェコスロバキア×ハンガリー
ベスト4:ブラジル×チリ、チェコスロバキア×ユーゴスラビア
決勝:ブラジル×チェコスロバキア
優勝:ブラジル(1958年スウェーデン大会に続き連続優勝)
<活躍した選手>
ボビー・チャールトン(イングランド)、レフ・ヤシン(ソ連)、レオネル・サンチェス(チリ)、ガリンシャ、ジジ、マリオ・ザガロ(ブラジル)など
<ブラジル黄金時代>
神様ペレを怪我によって使えなかったにも関わらず、ブラジルは、ガリンシャの活躍などにより、見事な優勝を飾り黄金時代を築き上げつつあった。この大会左サイドで活躍したザガロは、後に監督としてもブラジル代表を率いて優勝することになる。
<東欧圏の大活躍>
1953年のスターリン死後、共産圏には、鉄の壁という厚い壁に隔てられた安定のもと、自由化の波が広がり、つかの間のサッカー黄金期を迎えていた。東欧圏の大活躍は、明らかにその結果であった。
<国の威信を賭けた大会>
1960年チリは大地震に襲われ壊滅的な打撃を受けていたが、だからこそという信念の元、この大会はチリで行われた。(もちろんチリ開催はすでに決まっていのだが)この大会は、まさに国家の威信を賭けたプロジェクトだった。歴史上、多くのワールドカップは、こうした国の威信を賭けたプロジェクト的性格をもっている。これもワールドカップの大きな特徴と言えるでしょう。
1963年
<ボクシング>海老原博幸がポーン・キングピッチを倒し、日本人3人目の世界フライ級チャンピオンになる
<プロレス>昭和日本を象徴する英雄、力道山死す
<野球>巨人の黄金時代、王と長島のクリーンアップ「ON砲」が誕生
      プロ野球のオールスター戦が神宮球場で初開催
<ラグビー>ラグビーの日本選手権が初開催される
<卓球>世界選手権プラハ大会で木村興治、伊藤和子が混合ダブルス優勝。関正子、松崎キミ代が女子ダブルス優勝。女子団体優勝
<相撲>大鵬が相撲界初の6場所連続優勝を達成
レフ・ヤシンが欧州年間最優秀選手(バロンドール)に選出される(ゴールキーパーとして過去唯一)
1964年
<ボクシング>カシアス・クレイ(モハメド・アリ)がソニー・リストンを倒し、ヘビー級世界チャンピオンを獲得
<野球>王貞治がホームランの日本記録55本達成
<野球>大阪球場の南海VS近鉄戦で判定をめぐり両軍選手が大乱闘。警官隊が突入する騒ぎとなる
<野球>南海の村上雅則投手がサンフランシスコ・ジャイアンツに入団(初のメジャーリーガー誕生)
<野球>初のB級十年選手特権で金田正一が巨人へ入団
<ラグビー>第1回ラグビー全日本選手権開催(花園ラグビー場)
<ゴルフ>アーノルド・パーマーがマスターズ・トーナメント4度目の優勝
<相撲>ハワイ出身の力士、高見山デビュー
サッカーのオリンピック予選「ペルーVSアルゼンチン」で判定をめぐる混乱発生し、318人が圧死
オリンピックで日本代表がアルゼンチンに勝利
 当時の日本ではサッカーはマイナー競技だったため、小学生から中学生・高校生の団体せスタンドが埋められた。しかし、この大会で多くの観客が初めてサッカーというスポーツを観戦し、しかも、日本代表がアルゼンチンを破って準々決勝に進出する健闘を見せたこともあって、その後の日本におけるサッカーの普及発展につながっていくことになった。
後藤健生
オリンピック 第18回 東京大会
開催国(日本)参加国(93)参加選手数(5151 男4473/女678)日本の参加選手(男294/女61)競技数(20)種目数(163)バレーボール男女、柔道が正式種目に採用される
水泳<男4x100m自由形リレー>(4)<男4x200>(3)<女子4x100mメドレー・リレー>(4)
体操<男子総合個人>遠藤幸雄(1)鶴見修治(2)<男子総合団体>(1)<男子床>遠藤(2)<男子あん馬>鶴見(2)<男子吊り輪>早田卓次(1)<男子跳馬>山下(1)
<男子平行棒>遠藤(1)鶴見(2)<女子総合団体>(3)
レスリング<グレコローマン・フライ>花原勉(1)<グレコ・バンタム>市口政光(1)<グレコ・フェザー>桜間幸次(4)<グレコ・ライト>藤田徳明(4)
<フリースタイル・フライ>吉田義勝(1)<フリー・バンタム>上武洋次郎(1)<フリー・フェザー>渡辺長武(1)<フライ・ライト>堀内岩雄(3)
ウェイトリフティング<バンタム>一ノ関史郎(3)<フェザー>三宅義信(1)<ミドル>大内仁(3)
柔道<軽量級>中谷雄英(1)<中量級>岡野功(1)<重量級>猪熊功(1)<無差別級>神永昭夫(2)
その他<マラソン>円谷幸吉(3)<フェンシング・フルーレ団体>(4)<男フリー・ピストル>吉川貴久(3)<ボクシング・バンタム級>桜井孝雄(1)
<男子バレー>(3)<女子バレー>(1)
 高度経済成長期に入った日本がその勢いを注ぎ込んだ大会。(北京オリンピックと中国に似ている)
(1)東京国際空港(羽田)の拡張(2)首都高速道路の建設(3)東海道新幹線の建設(4)地下鉄の整備(5)カラー・テレビの普及
 舞台も整い、選手強化のための資金も投入されたことで日本は金16銀5銅8という結果となった。
 中でも、女子バレーボールの人気は絶大で、決勝戦の視聴率は平均で66.8%、瞬間最高は90%を越えました!「俺についてこい」(女子バレー・大松監督)
 柔道の無差別級で神永を破ったアントン・ヘーシンクもその勝利で一躍有名になり、柔道の国際化に大きな役目を果たすことになります。
 その他、このオリンピックでは、様々な技術革新、デザイン革新が実行されています。詳しくは、「日本を変えた東京オリンピック」をご覧ください!
パラリンピック>東京オリンピック開催に合わせて第13回ストーク・マンデヴィル競技大会開催。これ以後、「パラリンピック」という名前が使用されるようになります。
 この大会から車椅子を使用する障害者以外にも出場者を広げるため、障害者全般のための競技会へと進化し始めます。(この大会には日本人のみ参加」)この大会を第2回「パラリンピック」と呼ぶ場合もあります。しかし、この後、しばらくパラリンピックはオリンピック会場で開催されず、その復活は1988年の韓国大会以降となります。
<閉会式>
 アルファベット順に入場を行う開会式の国別入場行進に対し、閉会式におけるすべての国が自由に混ざり合って入場するやり方はこの大会で初めて行われました。
「蘇る東京オリンピックの記憶」(文学者が見た東京オリンピック:三島由紀夫、大江健三郎、石原慎太郎、有吉佐和子・・・)
冬季オリンピック 第9回 インスブルック大会(オーストリア)
1965年
<ボクシング>史上世界最強といわれていたエディ・ジョフレを判定で下し、ファイティング原田が世界バンタム級タイトルを獲得。二階級制覇達成
<野球>第一回プロ野球ドラフト会議開催(巨人が堀内、近鉄が鈴木啓示を指名・獲得)。巨人V9への道が始まる
<野球>南海ホークスの野村克也捕手が3冠王に輝く
<野球>ロサンゼルス・ドジャースが来日し、日本各地で18試合を行う
<競馬>シンザン史上初の五冠達成(「さつき賞」「ダービー」「菊花賞」「天皇賞」「有馬記念)
<ラグビー>第1回ラグビー全国大学選手権開催(秩父宮ラグビー場)
        第1回ラグビー日本選手権開催(国立競技場)大学、社会人チャンピオンによる日本一決定戦
記録映画「東京オリンピック」が大ヒット
<サッカー日本リーグ(JSL)発足>(実業団8チームより構成)(6月6日)
オリンピック日本代表監督を務めたデットマール・クラマーが日本サッカーの強化のためにリーグ戦開催を提言。
東京オリンピックでの活躍もあり、開幕戦となった東京駒場運動公園陸上競技場には4500人が観戦。
メキシコ大会には東京オリンピック出場のメンバーが中心で出場し、見事に銅メダルを獲得します。
クラマーの貢献は日本にとって大きい!
1966年
<ボクシング>モハメド・アリが徴兵を拒否、世界ヘビー級タイトルを剥奪される
<マラソン>ボビー・ギブ(女性)がパーカーを着てボストン・マラソンに出場。(当時女子のマラソンは危険とされ出場を禁じられていた)
<アイスホッケー>サッカーのJSL成功を受けて、実業団チームによる日本リーグ始まる
<陸上>君原健二、第70回ボストン・マラソンで優勝
<バレーボール>ニチボー貝塚がヤシカに負けて、連勝が258でストップ
<プロ対アマ>
スコットランドのプロチーム「スターリング・アルビオン」が日本選抜と対戦。当初日本体育協会はこのプロとアマの試合を許可しませんでした。しかし、マスコミの批判により承認。FIFAはプロとアマ両方の団体を統括しているのでこの試合は国際的にはまったく問題なかった。試合には、4万5千人が来場。
第8回ワールドカップ・サッカー・イングランド大会
総参加国数 51
本戦参加チーム(16ヶ国)
西欧圏(資本主義国) イングランド、フランス、西ドイツ、スペイン、スイス、ポルトガル、イタリア
東欧圏(共産主義国) ハンガリー、ブルガリア、ソ連
南米           ウルグアイ、アルゼンチン、ブラジル、チリ
中北米          メキシコ
アジア          北朝鮮
ベスト8(予選リーグ突破チーム):イングランド×アルゼンチン、西ドイツ×ウルグアイ、ポルトガル×北朝鮮、ソ連×ハンガリー
ベスト4:西ドイツ×ソ連、イングランド×ポルトガル
決勝:西ドイツ×イングランド
優勝:イングランド(初優勝)
<活躍した選手>
エウゼビオ(ポルトガル、但しモザンビーク出身の黒人)
ベッケンバウアー、ロター・エメリッヒ(西ドイツ)
ジェフ・ハースト、ノビー・スタイルズ、ボビー・チャールトン(イングランド)
<イングランドの記念すべき優勝>
イングランド・サッカー協会設立100周年を記念して行われた大会で、見事に地元イングランドが優勝を飾った。
<アジア・アフリカのボイコット事件>
アジア・アフリカ諸国が各大陸から1チームづつ代表を出場させて欲しいとFIFAに要求したが認められず、結局予選をボイコットするという戦略をとった。しかし、この動きに同調しなかった北朝鮮は、アジア・アフリカからの出場枠1を棚ぼたで得ることになった。しかし、この北朝鮮は意外な活躍をみせて、ベスト8に進出。そのおかげで、次回大会よりアジア、アフリカは各大陸から1チームづつ代表が参加できるようになりました。(2002年と同様、この時もイタリアがその犠牲となった)
<ブラジル、まさかの予選敗退>
ブラジルは、ペレが徹底したマークによって潰され、予選で敗退してしまった。しかし、それは連続優勝によってチームの若返りをしきれなかったためとも言われている。(2002年のフランスを思わせます)
1967年
<ボクシング>モハメド・アリ(カシアス・クレイ)が陸軍の兵役を拒否したために世界チャンピオンを剥奪される
<ボクシング>ハワイ生まれの藤猛が世界ジュニア・ウェルター級チャンピオンを奪取
<ボクシング>沼田義明が世界ジュニア・ライト級チャンピオンを奪取
<相撲>高見山が外国人として初めて関取に昇進
<相撲>横綱大鵬が2度目の6場所連続優勝を達成
<自転車>ベルギーのエディ・メルクスがツール・ド・フランスに優勝。ここから5連続優勝が始まる(1974年まで)
<自転車>トム・シンプソン(英国)が興奮剤の使用によりレース中に死亡
<卓球>世界選手権ストックホルム大会で長谷川信彦が個人戦優勝。森沢幸子が女子個人優勝。森沢幸子、広田佐枝子が女子ダブルス優勝。長谷川信彦、山中教子が混合ダブルス優勝。男女共に団体優勝
<バレーボール>サッカーのJSL成功を受けて、実業団チームによる日本リーグ始まる
<バスケットボール>サッカーのJSL成功を受けて、実業団チームによる日本リーグ始まる
<ユニバーシアード>第5回ユニバーシアードが東京で開催
<日韓対決>
東京オリンピックのサッカー代表戦の最終戦で日本は韓国と対戦。3−3で引き分けとなるが、得失点差で日本が韓国を上回り、代表権を獲得。もし、フィリピン戦で15ゴール決めて決めていなければ、日本はオリンピックに出場できず、銅メダルもなかったことになります。
<パルメイラス来日>
ブラジル、サンパウロの名門チーム「パルメイラス」が来日。
日本代表チームは、2試合中1試合で2−1勝利を収めています。
1968年
<陸上>東京オリンピック銅メダリスト、マラソン選手の円谷幸吉が自殺
<ボクシング>西城正三が世界フェザー級チャンピオン獲得
<男子日本代表ブレイク!>
メキシコ・オリンピックで釜本らの活躍で銅メダル獲得(ただし、この勝利により自信を持ち過ぎた日本サッカー界はその後長いトンネルに入り込むことになり、「ナイロビの奇跡」、「ジョホールバルの歓喜」は遥か先のことになります)
11月17日国立競技場で三菱重工とヤンマーディーゼルの試合が行われ、4万人の観衆が集まった。(試合には、杉山隆一と釜本邦成が出場)JSL全体でも平均して7000人の観衆を集めるようになります。
<アーセナル来日>
イングランド・プレミアリーグの名門アーセナルが来日。第3戦は、サッカーとしては初の5万人越え達成。
<天皇杯サッカー>
天皇杯全日本サッカーが1月14日が初めて国立競技場で開催
オリンピック 第19回 メキシコシティ大会
開催国(メキシコ)参加国(112)参加選手数(5516 男4735/女781)日本の参加選手(男153/女30)競技数(19)種目数(172)
ジム・ハインズ(米)が100m走で9・95秒。10秒の壁を破る記録を出しました。
ケニアのキプチョゲ・ケイノが3000m障害で金メダルを獲得(陸上王国ケニアの時代が始まる)
体操<男子個人総合>加藤澤男(1)中山彰規(3)<男子団体総合>(1)<男子床>加藤(1)中山(2)加藤武司(3)(男子吊り輪>中山(1)加藤(3)
<男子跳馬>遠藤幸雄(2)<男子平行棒>中山(1)<男子鉄棒>中山(1)監物永三(3) <女子団体総合>(4)
レスリング<フリースタイル・フライ級>中田茂男(1)<F・バンタム級>上武洋次郎(1)<F・フェザー級>金子正明(1)<F・ウェルター級>佐々木竜雄(4)
<グレコローマン・フェザー級>藤本英男(2)<G・ライト級>家村宗二(1)
ウェイトリフティング<フェザー級>三宅義信(1)三宅義行(3)<ライト級>八田信之(4)<ミドル級>大内仁(2)
その他<ハンマー投げ>菅原武男(4)<男子マラソン>君原健二(2)<男子サッカー>(3)釜本邦茂、杉山隆一、森孝慈、横山謙三ほか
<ボクシング・バンタム級>森岡栄治(3)
<男子バレー>(2)<女子バレー>(2)
 オリンピックが巨大化し世界中の注目を集める存在になることで様々な問題が浮上し始めた大会。
 メキシコでは民主化を求める運動が活発化。世界の注目が集めるオリンピックにその狙いを定めていたことから、政府は事前に武力による鎮圧を行い250名もの死者を出しました。
 南アフリカ共和国の参加を許すなら、オリンピックをボイコットするとアフリカ諸国32カ国が委員会に迫り、オリンピックを政治的に利用。
他にもソ連など社会主義諸国も同調したため、南アの不参加が決まり、1992年まで南アはオリンピックに参加しないことになります。
 ドイツはこの大会から東西ドイツが参加。東西対立がより明確化することになった。
 この年、チェコにソ連の戦車隊が侵入。「プラハの春」は終わりをむかえます。チェコの民主化運動への賛同の意思を示していたベラ・チャスラフスカは、母国の危機の中、
見事に女子体操総合の金メダルを獲得し、この大会の花となった。しかし、帰国後、彼女は完全にソ連よりの政府によって活動の場を奪われることになります。
 男子200mで金メダルを獲得したトミー・スミスと3位のジョン・カルロスは首に黒いスカーフ、黒いソックスと黒い手袋を高く掲げて表彰式にのぞんだ。
アメリカ政府への批判を行ったことに対し、オリンピック委員会は激怒し、すぐに二人を帰国させました。
冬季オリンピック 第10回 グルノーブル大会(フランス)
1969年
<ボクシング>ファイティング原田が世界フェザー級チャンピオンに挑戦、三階級制覇目指すが、明らかなホームタウン・デシジョンにより敗北
海老原博幸がボクシング・世界フライ級チャンピオン獲得
ロッキー・マルシアノ死去
<キックボクシング>沢村忠が東洋ミドル級チャンピオンとなり一大ブーム到来
<野球>1962年に誕生して以来、万年最下位だったNYメッツがワールドシリーズを制し、「奇跡のメッツ」となる
「黒い霧事件」(11月)
八百長で西鉄の永易将之投手、池永正明投手、小川健太郎(中日)、森安敏明(東映)ら追放
<卓球>世界選手権ミュンヘン大会で伊藤繁雄が個人戦優勝。長谷川信彦、今野安子が混合ダブルス優勝。男子団体が優勝
<サッカー戦争勃発>
エルサルバドルと隣国ホンジュラスがサッカーの試合をきっかけに戦争が始まる(「サッカー戦争」と呼ばれる)
<天皇杯元日決戦>
天皇杯決勝戦が初めて元日に開催。(2014年まで続く)
1970年
<相撲>北の富士と玉乃島が横綱に昇進
<ボクシング>大場政夫がボクシング世界フライ級チャンピオン、柴田国明がボクシング世界フェザー級チャンピオン獲得
<ボクシング>モハメド・アリがボクシング界に復帰し勝利をおさめる
<スキー>三浦雄一郎がエベレスト・サウスコル(7985m)から3キロのスキー滑降に成功
第9回ワールドカップ・サッカー・メキシコ大会
総参加国数 71 本戦参加チーム(16ヶ国)
西欧圏(資本主義国) ベルギー、イタリア、スウェーデン、イングランド、西ドイツ
東欧圏(共産主義国) ソ連、ルーマニア、チェコスロバキア、ブルガリア
南米           ウルグアイ、ブラジル、ペルー
北中米          メキシコ、エルサルバドル
アフリカ         モロッコ
アジア          イスラエル
ベスト8(予選リーグ突破チーム):西ドイツ×イングランド、ウルグアイ×ソ連、イタリア×メキシコ、ブラジル×ペルー
ベスト4:イタリア×西ドイツ、ブラジル×ウルグアイ
決勝:ブラジル×イタリア
優勝:ブラジル(3回目)
<活躍した選手>
ロベルト・リベリーノ、ジャイルジーニョ、トスタン、ペレ(ブラジル)
フランツ・ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラー(西ドイツ)、ロベルト・ボニンセーニャ(イタリア)
ゴードン・バンクス、ジェフ・ハースト(イングランド)
<ブラジルの完全優勝>
 ブラジルは南米予選から本大会の決勝戦まで、すべて90分での勝利というまさに完全優勝だった。監督のマリオ・ザガロは、選手としても監督としても優勝するという初の快挙を成し遂げた。
<テレビのためのワールドカップ>
 メキシコの組織委はヨーロッパでのテレビ放映時間をゴールデン・タイムにするため、あえて35度以上ある日中に試合を行った。(この時のメキシコ・サッカー連盟会長ギジェルモ・カニェドは、この大会の放映権を獲得していた「テレビサ」の経営者でもあった!)
<近代サッカー・ルールの完成>
 この大会から、試合中の選手交代が初めて可能になった。(2名まで)
 さらに、イエロー・カード、レッド・カードが使用されるようになり、近代サッカーの基本ルールがやっと完成しました。
<サッカー戦争>
 エルサルバドルとホンジュラスが、ワールドカップ予選試合をきっかけに戦争状態に突入しました。但し、これは政治的に対立していた2国の軍部が戦争を起こしたいがために、わざと危険といわれていた試合を強行させたことが、後に明らかになりました。
 サッカーのために戦争が起きたのではなく、戦争を始めるためにサッカーを利用したというのが事実だったのです。
 1971年
<野球>ピッツバーグ・パイレーツが9月1日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で先発全員黒人のチームを編成
7月17日オールスター戦で江夏豊が9者連続三振達成
<ボーリング・ブーム>民放によるボーリング放送増加と中山律子、須田開代子らアイドルの登場によりボーリング・ブームとなる。この年、全国のボーリング場は1886となりボーリング人口は2000万人、5人に1人となった。
<プロレス>12月13日アントニオ猪木が日本プロレスを除名される。上層部の不正を追及したことが原因
<ボクシング>モハメド・アリがボクシング界に復帰し、世界チャンピオンのジョー・フレイジャーに挑戦するが敗北
<卓球>世界選手権名古屋大会で女子団体が優勝
<ラグビー>イングランド・ラグビー協会創立100周年を記念した海外ツアーで、イングランド代表チームが初来日
<相撲>横綱大鵬が引退
1972年
ブルーリボン・スポーツ社が「ナイキ」と社名変更
<相撲>9月10日テレビ朝日にて「大相撲ダイジェスト」放送開始(録画により相撲を見ることができる時代が始まり、生放送の価値が下がる時代となる)
この年、高見山が外国人として初の優勝
<野球>第1回日米大学野球選手権開催
<競馬>大井競馬場でハイセイコーがデビュー
<ブラジルからの助っ人>ジョージ与那城、セルジオ越後がブラジルから来日(二人は日本サッカーを技術の面で大きく進化させることになります)
<サントス来日>ブラジルの名門サントス来日。あのペレも現役で出場。国立競技場の観衆は5万人を越えました。
オリンピック 第20回 ミュンヘン大会
開催国(西ドイツ)参加国(121)参加選手数(7134 男6075/女1059)日本の参加選手(男144/女38)競技数(21)種目数(195)男子ハンドボールが正式競技に採用
体操<男子個人総合>加藤澤男(1)監物永三(2)中山彰規(3)<男子団体総合>(1)<男子床>中山(1)笠松茂(3)<男子あん馬>加藤(2)監物(3)
<男子吊り輪>中山(1)塚原光男(3)<男子平行棒>加藤(1)笠松(2)監物(3)<男子鉄棒>塚原(1)加藤(2)笠松(3)
レスリング<グレコローマン・52キロ級>平山紘一郎(2)<G・62キロ級>藤本英男(4)
<フリー・52キロ級>加藤喜代美(1)<57キロ級>柳田英男<68キロ級>和田喜久夫(2)
柔道<軽量級>川口孝夫(1)<軽中量級>野村豊和(1)<中量級>関根恵(1)<重量級>西村昌樹(2)
その他<男子100m平泳ぎ>田口信教(1)<男子200m平泳ぎ>田口(3)<女子100mバタフライ>青木まゆみ(1)
<男子バレー>(1)<女子バレー>(2)
 イギリス領ローデシアの出場に対し、アフリカの21ヶ国が抗議しボイコットを表明。ブランデージ会長は「政治からの独立」を主張するが、結局は出場停止処分とした。
(代表選考が差別により不平等になっているため、というのが正式の理由だが、実際はアフリカ諸国からの圧力が原因だった)
 パレスチナ・ゲリラ8名が、9月5日、イスラエル選手団宿舎に潜入。イスラエルの選手、コーチら9人を人質に立てこもりパレスチナ・ゲリラ234人とドイツ人テロリスト2人の釈放を求めた。
その後、ヘリコプターでの移動の際に狙撃部隊による攻撃が行われ、人質全員が死亡するという最悪の結末を迎えることになります。
 日本は金13、銀8、銅8の活躍。特に男子バレーの金メダルは、アニメ「決断の時」もあり、日本中にバレー・ブームが巻き起こった。
 米国のマーク・スピッツが競泳で7個の金メダルを獲得
冬季オリンピック 第11回 札幌大会(日本)
1973年
<ボクシング>ジョージ・フォアマンがジョー・フレイジャーを破りヘビー級世界チャンピオン獲得
<マラソン>ローマ、東京とマラソン二連覇を達成した偉大なランナー、アベベ・ビキラが死去
<競馬>セクレタリアトがケンタッキー・ダービーなどを制し、三冠馬となる
<クリケット>第1回クリケット女子ワールドカップ(優勝はイングランド)
<ラグビー>ラグビー日本代表が初の英仏遠征
<野球>阪神タイガースのピッチャー、江夏豊がノーヒットノーラン達成
オランダのアヤックスが欧州選手権三連覇達成(アヤックスとオランダの黄金時)
1974年
<野球>読売巨人軍、長島茂雄が引退「巨人軍は永久に不滅です」
後楽園球場で引退セレモニー開催(通算打率305、ホームラン444本、MVP5回)
「私は引退しますが、わが巨人軍は永久に不滅です」
11月には巨人の監督に就任
<ボクシング>ザイールのキンシャサでモハメド・アリがジョージ・フォアマンを倒し、世界ヘビー級王座に返り咲く
<ノンフィクション>「ザ・ファイト」ノーマン・メイラー(著)生島次郎(訳)(集英社)
<相撲>北の湖が史上最年少21歳2か月で第55代横綱に昇進
<FIFA>ジョアン・アベランジェ(ブラジル)がFIFA会長に就任(FIFAの拡大路線始まる)
第10回ワールドカップ・サッカー・西ドイツ大会
総参加国数 89 本戦参加チーム(16ヶ国)
西欧圏(資本主義国) 西ドイツ、スコットランド、オランダ、スウェーデン、イタリア
東欧圏(共産主義国) 東ドイツ、ユーゴスラビア、ブルガリア、ポーランド
南米           チリ、ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチン
北中米          ハイチ
アフリカ          ザイール
アジア、オセアニア   オーストラリア
ベスト8(2次リーグ進出チーム)成績順:(A組)オランダ、ブラジル、東ドイツ、アルゼンチン (B組)西ドイツ、ポーランド、スウェーデン、ユーゴスラビア
決勝:西ドイツ×オランダ
優勝:西ドイツ
<活躍した選手>
ヨハン・クライフ、ヨハン・ニースケンス(オランダ)
ウォルフガング・オフェラート、フランツ・ベッケンバウアー(「リベロ」誕生)
ライナー・ボンホフ、ゲルト・ミュラー、パウル・ブライトナー(西ドイツ)
ロベルト・リベリーノ(ブラジル)、ヴージェ・ゴーシュ・ラトー(ポーランド)
<未来のサッカー、オレンジ軍団初登場>
 初出場オランダとその中心選手ヨハン・クライフの与えた衝撃は凄かった。
「トータル・フットボール」「ローテーション・フットボール」と呼ばれた斬新なプレー・スタイルは、まさに「未来のサッカー」であり、20世紀末のサッカーを20年早く実現していました。
<商業主義的大会運営の本格化>
 ブラジル人のジョアン・アヴェランジェが、初めてヨーロッパ以外の土地からFIFA会長に就任。
彼の主導の元、巨大企業とスポンサー契約を結ぶことで、より商業的な大会運営が行われるようになります。
<アジェンデ政権崩壊による対立>
 1973年チリで民主的に選ばれた初の左翼政権(アジェンデ政権)を軍部がクーデターによって転覆させるという事件が起こりました。(当然そのバックにはアメリカがいました)この時、かつて1962年チリ大会の際。メイン競技場に使用された国立競技場は、左翼系市民に対する拷問と処刑の場になるという悲劇が起きました。
 ところが、その競技場がこの大会の最終プレーオフ会場に選ばれるという事態が起きました。それは、チリがその対戦国として残っていたからなのですが、あろうことかその相手が左翼の総本山ソ連だったのです。当然、ソ連は会場の変更を要求。それが無視されたために、棄権してしまいました。おかげで、チリは本大会の出場権を得るのですが、本大会でも、会場として使用することについて反対の多かった東西分断中のベルリンで、東ドイツと対戦するという偶然が重なりました。 
1975年
<野球>クリーブランド・インディアンズの監督にメジャーでは初めて黒人のフランク・ロビンソンが就任。
<ボクシング>モハメド・アリがジョー・フレイジャーを倒し、初防衛に成功(「フィリピンの悲劇」)
<ゴルフ>ジャック・二クラウスがマスターズ・トーナメントで5度目の優勝
<クリケット>第1回クリケット男子ワールドカップ(優勝は西インド諸島連合チーム)
<ラグビー>国立で初のラグビー国際試合開催。日本対ウェールズ(入場券発売枚数は3万3千枚)
<登山<田部井淳子が女性初のエベレスト登頂に成功
<テニス>沢松和子が全英オープン女子ダブルスで優勝
<テニス>ウィンブルドンで黒人選手アーサー・アッシュがジミー・コナーズに勝利
<アメリカン・フットボール>第1回ジャパンボウル開催
<バイエルンミュンヘン来日>
ドイツの名門バイエルンミュンヘンが来日し、日本代表に連勝して帰国
<世界一のGK>
ピーター・シルトンがGKとしては過去最高額となる年俸2億4千万円でストークシティと契約
1976年
<野球>巨人の王貞治がホームラン715本越え(ベーブ・ルースの記録を上回る)
<野球>東京・後楽園球場に日本初の人工芝登場 
<ボクシング>具志堅用高が世界Jフライ級チャンピオン獲得
モントリオール・オリンピック出場決定戦、日本代表は韓国に敗れて敗退
オリンピック 第21回 モントリオール大会
開催国(カナダ)参加国(92)参加選手数(6084 男4824/女1260)日本の参加選手(男152/女61)競技数(21)種目数(198)女子ハンドボールが正式競技に採用
体操<男子個人総合>加藤澤男(2)塚原光男(3)<男子団体総合>(1)<男子あん馬>監物永三(2)<男子跳馬>塚原(2)梶山(3)<男子鉄棒>塚原(1)監物(2)
レスリング<グレコローマン・52kg>平山紘一郎(3)
<フリー・48kg>工藤章(3)<F・52kg>高田裕司(1)<F・57kg>荒井政雄(3)<F・68kg>菅原弥三郎(3)<F・74kg>伊達治一郎(1)
ウェイトリフティング<バンタム級>安藤謙吉(3)<フェザー級>平井一正(3)
柔道<軽量級>二宮和弘(1)<軽中量級>蔵本孝二(2)<中量級>園田勇(1)<重量級>遠藤純男(3)<無差別>上村春樹(1)
その他<男子バレー>(4)<女子バレー>(1)<アーチェリー男子個人総合>道永宏(2)
 南アフリカとラグビーの交流試合を行ったニュージーランドの出場に抗議して、アフリカの28ヶ国が出場を辞退。
 中国の参加が認められたことで、中国と台湾の対立。その処理にもめました。
 この大会最大の問題は、運営費の赤字問題でした。ミュンヘン大会でのテロ事件から大会のためにかかる警備費は大幅にアップ。
さらに当時は世界的なインフレが進んでいたことも重なり、モントリオール市の赤字は膨大な額になり、その借金返済に20世紀いっぱいかかったといいます。
 この大会最大のスターは、ルーマニアからやって来た「白い妖精」ナディア・コマネチでしょう。彼女が出した史上初の10点満点には世界中が驚かされました。
そのうえ、彼女は満点をこの大会でなんと7回も出したのです!金メダルは3個獲得
 国別でいうと、メキシコ大会で初めて単独参加した東ドイツがこの大会で金メダル40個を獲得。アメリカを上回りました。
ただし、この当時からもしかするとドーピングなどの方法が用いられていた可能性があります。さらに国お抱えで限りなくプロに近い東ヨーロッパの選手たちをアマチュアと呼べるのか?
そうした疑問の声もあがるようになり、それがオリンピックへのプロ選手出場容認と結びついてゆくことになります。
冬季オリンピック 第12回 インスブルック大会(オーストリア)
アイスダンスが正式種目に採用される
1977年
<野球>王貞治、ホームランの世界記録樹立(756本)
<柔道>山下泰裕が史上最年少で全日本柔道選手権優勝
<ノンフィクション>「菊とバット」ロバート・ホワイティング(著)松井みどり(訳)(文春文庫)
<卓球>世界選手権バーミンガム大会で河野満が個人戦優勝
<スケート>世界フィギュア選手権が日本で初開催
<日本初の海外プロ選手>
奥寺康彦がドイツ1FCケルンに(初のプロ選手であると同時に海外移籍選手誕生)、入れ替わるようにブラジルからラモス瑠偉が来日(日本サッカーに技術だけでなく精神力をもたらすことになります)
<NYコスモス来日>
ペレが所属するアメリカのプロサッカー・チーム、NYコスモスが来日。日本代表と対戦
1978年
<登山>ラインホルト・メスナーが無酸素でのエベレスト登頂に成功
<ラグビー>日本選手権で新日鉄釜石が優勝。松尾裕治率いる新日鉄釜石はここから7連覇への道を歩み出します。
<クリケット>第2回クリケット女子ワールドカップ(優勝はオーストラリア)
<野球>株式会社国土計画が「クラウンライター・ライオンズ」を買収。「西武ライオンズ」が誕生
第11回ワールドカップ・サッカー・アルゼンチン大会
総参加国数 106 本戦参加チーム(16ヶ国)
西欧圏(資本主義国) イタリア、フランス、西ドイツ、オーストリア、スペイン、スウェーデン
              オランダ、スコットランド
東欧圏(共産主義国) ハンガリー、ポーランド
南米           アルゼンチン、ブラジル、ペルー
北中米          メキシコ
アフリカ         チュニジア
アジア          イラン
ベスト8(2次リーグ進出チーム)成績順:(A組) オランダ、イタリア、西ドイツ、オーストリア (B組) アルゼンチン、ブラジル、ポーランド、ペルー
決勝:アルゼンチン、オランダ
優勝:アルゼンチン
<活躍した選手>
マリオ・ケンペス、ノルベルト・アロンソ、ダニエル・ベルトーニ、レオポルド・ルーケ
オズワルド・アルディレス(アルゼンチン)
ロブ・レンセンブリンク、アーリー・ハーン、レネ・ファンデケルクホル、ディック・ナニンハ(オランダ)
ゼップ・マイヤー、ライナー・ボンホフ、ディーター・ミュラー(西ドイツ)
パオロ・ロッシ、ロベルト・ベッテラ(フランス)
<最も政治色の強かった大会>
 クーデターによって軍部が政権を奪ったばかりの不安定な状態で行われた大会だったが、大会中ゲリラ組織によるテロ事件が起きることはなく、無事に大会は行われた。サッカーという国民的スポーツは、右派、左派どちらにとっても、無視することのできない存在だったのです。
<イランの民主化と黄金時代>
 今大会唯一のアジア代表国イランは、当時近代化、民主化が進んだことで急激な経済発展を遂げていました。その結果が、アジア大会での優勝、ワールドカップ出場という黄金時代につながったと言われています。
 しかし、この大会の翌年、ホメイニ師を中心とするイスラム革命が起こり、イランは再び厳格なイスラム国家に戻ります。と同時に、イラン・サッカー界の黄金時代も終わりをつげることになります。
<攻撃サッカーに変身したアルゼンチンの優勝>
 地元アルゼンチンの代表監督には、アルゼンチン独特の守備的サッカーを否定したセザール・メノッティーが就任。軍事政権の圧力により選手の海外流出を抑えることにより、強力な攻撃的チームを作り上げ、見事優勝を飾った。(海外組はマリオ・ケンペスただひとりだった!)
<地元優勝へ疑問の判定続出>
 地元が優勝したこと、軍事政権主導の大会だったこともあり、審判の判定への不満や八百長疑惑など、数々の大会批判が行われた大会だった。
 ペレ、ベッケンバウアー、ヨハン・クライフらの時代が終わり、ジーコ、プラティニ、マラドーナの時代には、まだ早いヒーロー不在の大会でもあった。
1979年
<陸上>第1回東京国際女子マラソン開催
<野球>広島が近鉄を日本シリーズで破り優勝。山岡淳司「江夏の21球」が話題になる
<水球>第1回水球ワールドカップ東京大会開催(東京・代々木プール)
<クリケット>第2回クリケット男子ワールドカップ(優勝は西インド諸島)
<卓球>世界選手権平壌大会で小野誠治が個人戦優勝
<オリンピック>IOCに中国が復帰
1980年
<ボクシング>モハメド・アリがラリー・ホームズに破れ、ホームズの黄金時代始まる
<テニス>スウェーデンのビヨルン・ボルグがジョン・マッケンローを破り、ウインブルドン5連覇を達成
<野球>王貞治が引退
<ノンフィクション>4月「Number」創刊
「日本のスポーツ・ノンフィクションの歴史は、山際淳司を分水嶺にして、”以前/以後”に分けられるのではないか。それは同時に、雑誌『Number』を分水嶺にした”以前/以後”でもある。」
山際淳司は「Number」創刊号にて「江夏の21球」を発表し一躍スポーツ・ライターの中心的存在になった。
「私、プロレスの見方です」村松友視(新風舎文庫)
オリンピック 第22回 モスクワ大会
開催国(ソビエト連邦)参加国(80)参加選手数(5179 男4064/女1115)日本の参加選手(0)競技数(21)種目数(203)
 1980年は、20世紀の歴史の中でも特に激動の年でした。それは日本にとっても世界にとってもいえることでした。(この詳細は「1980年」をご覧ください)
 イランの首都テヘランのアメリカ大使館人質占拠事件とソ連によるアフガニスタン侵攻が、1979年から続いていました。
 それに対し、当時のアメリカ大統領ジミー・カーターは、この年開催のモスクワ・オリンピックの中止もしくは延期をIOCに求めます。その年の年末に大統領選挙を控えていたカーターにとって、
モスクワ・オリンピックの成功は選挙の敗北に結びつきかねないと思われたからです。
 結局、アメリカはモスクワ・オリンピックのボイコットを決定。西側諸国にも同調を求め、西ドイツと日本はアメリカに追従するかたちでボイコットすることを決定しました。
 当然、オリンピックはソ連と東ドイツのための大会となり、日本ではほとんど話題にならなくなります。そのうえ、この年日本では、現役の総理大臣大平正芳が心筋梗塞で突然死去。
1979年に総選挙で大敗したいた自由民主党は再び混乱し、オリンピックどころではなくなります。
<オリンピックの方向転換>
IOC新会長にファン・アントニオ・サマランチが就任(オリンピックの商業化路線始まる)
TOPスポンサー制導入(The Olympic Programme)定められた業種枠の中で独占的なマーケティングの権利を獲得
「オリンピック大会は、世界で最も効果の高いマーケティングの舞台であり、世界の200以上の国や地域に住む数10億人に行きわたります」
IOCホームページ内のスポンサーシップ・ページより
冬季オリンピック 第13回 インスブルック大会(オーストリア)
アメリカのエリック・ハイデンが男子スピードスケートで500m、1000m、1500m、5000m、10000mの5種目すべてで金メダルを獲得
1981年
<陸上>第1回東京国際マラソン開催
<オリンピック>名古屋のオリンピック招致失敗
<相撲>千代の富士が第58代横綱に昇進
<クラブ・ワールドカップ選手権>
第1回トヨタ・カップ(サッカーのクラブチーム世界一決定戦)日本で開催
(フーリガン問題や中立性の問題、スポンサーの力などから日本が選ばれた)
<女子サッカー時代始る>
女子サッカー日本代表が初の国際試合が神戸で開催(対イングランド)
1982年
<ボクシング>レイ・マンシーニにKO負けしたダック・クー・キムが死亡。これがきっかけとなり、15ラウンド制が12ラウンド制に変更へ
<陸上>陸上競技における賞金、出場料が認可。陸上競技のプロ化が進み、翌年、第一回世界陸上開催が決まる
<ラグビー>サッカー人気の陰りの中、ラグビー人気が高まる。12月5日の早慶戦の入場券発売枚数は、6万7千枚に達した
<クリケット>第3回クリケット女子ワールドカップ(優勝はオーストラリア)
<マラドーナ来日>
アルゼンチンの名門ボカ・ジュニアーズがマラドーナと共に来日
<オリンピックへプロ参加>
FIFAがロサンゼルス・オリンピックへのプロ選手参加を認める
第12回ワールドカップ・サッカー・スペイン大会
総参加国数 109 本戦参加チーム(24ヶ国)
西欧圏(資本主義国) イタリア、西ドイツ、オーストリア、ベルギー、イングランド、フランス
              北アイルルランド、スペイン、スコットランド
東欧圏(共産主義国) ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、ソ連
南米           ペルー、チリ、アルゼンチン、ブラジル
北中米          エルサルバドル、ホンデュラス
アフリカ         カメルーン、アルジェリア
アジア          クウェート、ニュージーランド
2次リーグ進出チーム:ポーランド、ソ連、ベルギー、西ドイツ、イングランド、スペイン、イタリア、ブラジル、アルゼンチン、フランス、オーストリア、北アイルランド
準決勝進出チーム: イタリア、ポーランド、西ドイツ、フランス
決勝:イタリア、西ドイツ
優勝:イタリア
<活躍した選手>
カール・ハインツ・ルンメニゲ、ピエール・リトバルスキー、パウル・ブライトナー、クラウス・フィッシャー、ホルスト・ルベッシュ(西ドイツ)
ミシェル・プラティニ、ディディエ・シクス、ロシュトー、ジレス(フランス)
クラウディオ・ジェンティーレ、マルコ・タルデリ、パオロ・ロッシ、アレッサンドロ・アルトベリ、アントニオ・カブリーニ(イタリア)
ズビグニウ・ボニエフ(ポーランド)、ブライアン・ロブソン(イングランド)
<民主化のシンボルとなった大会>
 スペインを長年に渡って支配し続けた独裁者フランコ将軍が死去。その後継者となったファン・カルロス国王は民主化を進める進歩的な人物だったため、この大会はスペインの民主化を世界に知らしめるための大会になりました。そのため、バスク地方の独立を目指すグループがテロを実効する可能性もありましたが、幸い大会中に事件は起きませんでした。
<フォークランド紛争>
 この年4月にフォークランド諸島の領有権をめぐり、アルゼンチンとイギリスとの間で戦争が勃発。本大会には、アルゼンチンとイングランド、スコットランド、北アイルランドが出場を決めていたため、大会への影響が心配されましたが、抽選によるグループ分けにより、対戦は避けられました。
<新ルールと出場チーム数の増加>
 参加国数がこの大会から24ヶ国となり、アジア、アフリカの出場枠がそれぞれ2ヶ国になりました。さらに、準決勝以降の試合においては、延長戦で勝負が決まらない場合にPK戦が導入されることになりました。
<民主化ポーランドの活躍>
 レフ・ワレサを指導者とする連帯が進めた民主化は、大会の一年半前にソ連の圧力によって挫折していたものの、2次リーグの同じ組でポーランドがソ連を上回り、見事ベスト4に進出したました。
<黄金のカルテット>
 ブラジルはトニーニョ・セレーゾ、ファルカン、ソクラテス、ジーコの「黄金のカルテット」を擁し、史上最強のチームと呼ばれました。しかし、攻撃的な戦法が災いし、ベスト4にも残ることができませんでした。(個人的には、この頃からワールドカップ・サッカーというものの存在を知り、ジーコたちのプレーに魅せられました)
<44年ぶりの優勝>
 イタリアは、一次リーグでは一勝もできず、3引き分けでかろうじて2次リーグに進みました。前評判でも評価は低かったのですが、その後八百長事件の出場停止が解かれたばかりのストライカー、パオロ・ロッシの復活などにより、しだいに調子をあげ、結局44年ぶりの優勝を飾りました。
1983年
<陸上>「第1回世界陸上競技選手権大会」フィンランド・ヘルシンキ大会
<オリンピック>IOC総会で、選手による賞金、出場料の受け取りを承認(プロ化の認可)
<クリケット>第3回クリケット男子ワールドカップ(優勝はインド)
<ヨット>「アメリカズ・カップ」でオーストラリアが優勝しアメリカの連勝を止める
1984年
<ラグビー>松尾裕治率いる新日鉄釜石が日本選手権7連覇を達成
<競馬>シンボリルドルフが日本競馬史上4頭目の三冠馬となる
ナイキ社が「エア・ジョーダン」発売
<ノンフィクション>「海峡を越えたホームラン」関川夏央(双葉社)
オリンピック 第23回 ロサンゼルス大会
開催国(アメリカ)参加国(140)参加選手数(6829 男5263/女1566)日本の参加選手(男178/女53)競技数(21)種目数(221)新体操、女子マラソン、女子七種競技(100m、走り高跳び、砲丸投げ、走り幅跳び、砲丸投げ、200m、走り幅跳び、やり投げ、800m)が正式競技に追加
体操<男子個人総合>具志堅幸司<男子総合団体>(3)<男子床>外村康二(3)<男子吊り輪>具志堅(1)<男子跳馬>具志堅(2)森末慎二(2)
<男子平行棒>梶谷信之(2)<男子鉄棒>森末(1)具志堅(3)
レスリング<グレコローマン・48kg>斉藤育造(3)<G・52kg>宮原厚次(1)<G・57kg>江藤正基(2)
<フリー・48kg>入江隆(2)<F・52kg>高田裕司(3)<F・82kg>長島偉之(2)<F・90kg>太田章(2)
ウェイトリフティング<52kg>真鍋和人(3)<56kg>小高正宏(3)<82.5kg>砂岡良治(3)
柔道<60kg>細川伸二(1)<65kg>松岡義之(1)<86kg>野瀬清喜(3)<95kg>斉藤仁(1)
その他<男子マラソン>宗猛(4)<シンクロナイズド・スイミング>元好三和子(3)<シンクロ・デュエット>元好、木村さえ子(3)<男子スピッドファイア・ピストル>蓮池猛夫(1)
<女子バレー>中田、三屋、杉山、江上など(3)<自転車男子スプリント>坂本勉(3)<アーチェリー個人総合>山本博(3)
<エンターテイメント産業としてのオリンピック>
 この大会のスターといえば、なんといってもカール・ルイス。この大会で一躍陸上界のスターとなった彼は、この後1996年のアトランタ大会までに9個の金メダルを獲得することになります。
 もうひとり、選手以上に注目を集めた人物として大会の運営責任者ピーター・ユベロスがいます。それまで大きな赤字を生み出し続けていたオリンピックを民間で運営することで、一躍黒字化。
彼は業種ごとにスポンサーを決め、その企業に大会に関するビジネスを独占させることで、巨額のスポンサー料を獲得。このやり方は、この後のオリンピックにも継承されます。
当然、スポンサーの意向は重要視されることになり、そのほとんどの企業の本拠地であるアメリカに合わせて試合の時間や日程は変えられることにもなります。
 この大会は、オリンピックが大きな利益を生み出しうる巨大ビジネスであることを証明すると同時に、オリンピックのアマチュアリズムを一気に過去のものにすることにもなりました。
 この大会、ソ連など東欧16ヶ国が出場をボイコット。しかし、当初ソ連はボイコットする気はありませんでした。逆にレーガン政権が入国ビザの発行などに注文をつけることで、出場を妨害。
それが真相のようですが、もうひとつ理由がありました。「ベルリンの壁」崩壊を前に西側への亡命が急激に増えていたことから、共産圏の国々を多くが有名選手の亡命を恐れていた。
それもボイコットの理由としてあったようです。さらにいうなら、ボイコットしなかった中国やルーマニアはすでにソ連の影響力が弱まりつつあることを象徴していたといえます。(中国は初参加)
1989年、「ベルリンの壁」が崩壊し、その後怒涛のようにソ連、東欧諸国が解体されることになります。プロ選手の出場がサッカー、テニスなどの競技で認可されたのもこの大会から
冬季オリンピック 第14回 サラエボ大会(ユーゴスラビア)
1985年
<野球>ピート・ローズが4192安打を達成し、タイ・カッブの最多安打記録を越える
<野球>阪神タイガースが27年ぶりに優勝(バース、掛布大活躍)
<陸上>国立で「米ソ日三カ国対抗陸上」開催(カール・ルイス、ウィリー・バンクス、セルゲイ・ブブカらが来日)
<テニス>17歳のボリス・ベッカーがウインブルドンで優勝し、史上最年少チャンピオンとなる
<ラグビー>日本選手権で大学生チームの慶応大ラグビー部が優勝
<スノーボード>スノーボード・ワールドカップ第一回オーストリア大会開催
<相撲>両国国技館完成
      第15代横綱北の湖が引退
<ワールドカップ予選屈辱の敗退>
ワールドカップアジア予選の決定戦で日本が韓国と対戦。
10月26日国立での第1戦は1−2で敗戦。11月2日の第2戦は0−1で敗戦で出場権を逃す。
すでにプロリーグが誕生していた韓国との力の差が明らかだった
<フーリガン問題深刻化>
イギリス、ブラッドフォード・サッカー場で火災事故。ベルギーでイングランド、イタリアのファン激突(フーリガン政治問題化)
1986年
第13回ワールドカップ・サッカー・メキシコ大会
参加国総数 110 本戦参加チーム(24ヶ国)
西欧圏   イタリア、ベルギー、フランス、スペイン、北アイルランド、デンマーク、西ドイツ
        ポルトガル、スコットランド、イングランド
東欧圏   ブルガリア、ソ連、ハンガリー、ポーランド
南米     アルゼンチン、パラグアイ、ブラジル、ウルグアイ
北中米   メキシコ、カナダ
アジア    韓国、イラク
アフリカ   アルジェリア、モロッコ
<予選リーグ突破チームと一次リーグ勝敗>
メキシコ ×ブルガリア、ベルギー× ソ連、ブラジル ×ポーランド、アルゼンチン× ウルグアイ
フランス ×イタリア、西ドイツ ×イングランド、スペイン ×デンマーク
準決勝進出チーム   フランス、西ドイツ、アルゼンチン、ベルギー
決勝            西ドイツ、アルゼンチン
優勝            アルゼンチン
<活躍した選手>
ヤン・クーレマンス、ステファン・デモル、フランク・フェアコウテン、ジャン・マリー・パフ(ベルギー)ミシェル・プラティニ、ジャン・ピエール・パパン、ジャン・ティガナ、ロシュトー(フランス)
エワトール・エンリケ、ディエゴ・マラドーナ、ホルヘ・バルダーノ、ホルヘ・ブルチャガ、ペドロ・パスクリ(アルゼンチン)クラウス・アロフス、ローター・マテウス、アンドレアス・ブレーメ、ルンメニゲ(西ドイツ)
イエスパー・オルセン、ブライアン・ラウドルップ、プレベン・エルケア・ラールセン(デンマーク)ピーター・シルトン、ピーター・ベアズリー、ゲーリー・リネカー(イングランド)
アブデルラザク・ハイリ、アブデルカリム・クリマウ(モロッコ)ソクラテス、ファルカン、カレカ(ブラジル)
<FIFA私物化の始まり>
 アヴェランジェFIFA会長の鶴の一声により、メキシコでの2度目の開催が決まったが、大会の放映権を独占していた「テレビサ」の重役がFIFAの副会長を務めていたり、アヴェランジェ会長と「テレビサ」オーナーが友人同士だったりなど、FIFAの明らかな私物化が始まっていた。
<アフリカ初の予選リーグ突破>
 モロッコがポルトガルを破った他、イングランド、ポーランドと引き分け、予選リーグを見事一位で通過。アフリカ初の予選リーグ突破となり、決勝リーグでも、この大会準優勝の西ドイツと0−1,0−0という僅差の敗戦で大健闘をみせた。
<ワールドカップ・マラドーナ大会>
 この大会の準決勝アルゼンチン対イングランド戦は、ワールドカップ史上最も繰り返し見られる伝説の試合となった。
 それはあの「神の手」から生まれたゴールだけでも、充分歴史的な価値があったかもしれないが、それを世界中のサッカー・ファンに「神の手」と言わしめたのは、そのゴールから数分後の「奇蹟の5人抜きゴール」があったからこそなのです。このゴールを生で見たときの戦慄は未だに忘れられません。
 それともうひとつ、「神の手」が生まれた布石には、イングランドによる徹底的なマラドーナ潰しがありました。前半、彼はイングランドの選手からしつようにタックルを受け、倒され続けました。それは誰が見てもかわいそうなぐらいでした。それを見ていた審判だからこそ、「神の手」判定が生まれたのかもしれません。
<アルゼンチンの守備的戦法>
 アルゼンチンは守備的な試合運びを身上とするカルロス・ビラルドが監督に就任。徹底的に守備を固め、攻撃はマラドーナひとりに任せるという戦法を貫き、これが全勝での優勝につながった。しかし、これはマラドーナという天才が絶好調であったこの大会だったからこそ、可能な戦法だったことが、次回の大会で明らかになる。
1987年
<陸上>「第2回世界陸上競技選手権大会」イタリア・ローマ大会
<ボクシング>マイク・タイソンが20歳4か月で最年少ヘビー級世界チャンピオン獲得
<野球>衣笠祥雄(広島東洋カープ)に国民栄誉賞
<ラグビー>
第1回ラグビー・ワールドカップ
・オーストラリア・ニュージーランド大会(優勝はニュージーランド、準優勝はフランス)
10月にオールブラックスが来日し、5戦全勝で帰国(通算で408得点、失点はわずか16)
日本選手権で大学生チームの早稲田大ラグビー部が優勝。この後、大学生チームの優勝はなくなり、1998年には大学対実業団の優勝決定戦は廃止になりますが、大学ラグビーの人気は衰えませんでした
<クリケット>第4回クリケット男子ワールドカップ(優勝はオーストラリア)
<卓球>荻村伊智朗が国際卓球連盟会長に就任(アジア人初)
<ノンフィクション>「不思議の国の野球」玉木正之(文春文庫)
<ワールドカップ予選>
ワールドカップ・アジア予選で日本代表は中国に敗れて、出場権を逃す
1988年
<陸上>ベン・ジョンソン(カナダ)がドーピング検査によりオリンピックの金メダルをはく奪される
<ラグビー>日本選手権で神戸製鋼が優勝。平尾誠二率いる神戸製鋼の7連覇がここから始まります
<クリケット>第4回クリケット女子ワールドカップ(優勝はオーストラリア)
<パラリンピック>24年ぶりにパラリンピックがソウルで開催
<野球>日本初のドーム球場「東京ドーム」完成
<相撲>横綱千代の富士が53連勝
<ノンフィクション>「F1地上の夢」海老沢秦久(朝日文庫)
<ボクシング>マイク・タイソンが3団体統一の世界ヘビー級チャンピオン
オリンピック 第24回 ソウル大会
開催国(韓国)参加国(159)参加選手数(8391 男6197/女2194)日本の参加選手(男188/女71)競技数(23)種目数(237)
レスリング<グレコローマン・52kg>宮原厚次(2)
<フリー・48kg>小林孝至(1)<F・52kg>佐藤満(1)<F・90kg>太田章(2)
柔道<60kg>細川伸二(3)<65kg>山本洋祐(3)<86kg>大迫明伸(3)<95kg>斉藤仁(1)
その他<男子マラソン>中山竹通(4)<男子平泳ぎ>鈴木大地(1)<シンクロナイズド・スイミング>小谷実可子(3)<S・デュエット>小谷、田中京(3)
<女子バレー>大林、中田、杉山、高橋など(4)<男子総合団体>(3)<男子床>池谷幸雄(3)<女子スポーツ・ピストル>長谷川智子(2)
 金4銀3銅7というメダル数は、前回大会の金10銀8銅14の半分以下という数字。この後、日本は選手強化のシステムを根本的に見直すlことになります。
この大会の注目選手は、前回大会に続きカール・ルイス。そして、100mで彼を破ったライバル、カナダのベン・ジョンソンです。
 彼がドーピング検査よってにメダルを剥奪されたことは、彼以外の選手への疑惑をまねき、スポーツ界全体に大きな衝撃を与えることになりました。
特に注目されたのは、この大会の女子100m、200m、4X100mで3つの金メダル、4X200mで銀メダルを獲得したフローレンス・ジョイナーです。その後、彼女は38歳という若さで死去。
ステロイドを使用していたのではないかという疑惑は、謎のまま残りました。
 テニスが正式競技に復帰。シテフィ・グラフは、女子テニスの年間グランド・スラム+1のゴールデン・スラムを達成しました。
 日本人では、バサロ泳法の一大ブームを巻き起こした鈴木大地の活躍が日本チームを救いました。
冬季オリンピック 第15回 カルガリー大会(カナダ)
ノルディック複合団体正式種目採用
1989年
<パラリンピック>国際パラリンピック委員会(IPC)設立し、IOCとの正式協定。以後「オリンピックとパラリンピックの同一都市開催が義務付けられることになります
<ノンフィクション>「和をもって日本となす」ロバート・ホワイティング(著)松井みどり(訳)(角川文庫)
1990年
第14回ワールドカップ・サッカー・イタリア大会
参加国総数 109ヶ国 本戦参加チーム(24ヶ国)
西欧圏   イタリア、オーストリア、スコットランド、スウェーデン、西ドイツ、スペイン
        ベルギー、イングランド、アイルランド、オランダ
東欧圏   チェコスロバキア、ルーマニア、ソ連、ユーゴスラビア
南米     アルゼンチン、ブラジル、コロンビア、ウルグアイ
北中米   アメリカ、コスタリカ
アフリカ   カメルーン、エジプト
アジア    アラブ首長国連邦、韓国
<予選リーグ突破チームと一次リーグ勝敗>
カメルーン×コロンビア、チェコスロバキア×コスタリカ、アルゼンチン×ブラジル、西ドイツ×オランダ、アイルランド×ルーマニア、イタリア×ウルグアイ、ユーゴスラビア×スペイン、イングランド×ベルギー
準決勝進出チーム アルゼンチン、イタリア、西ドイツ、イングランド
決勝          西ドイツ、アルゼンチン
優勝          西ドイツ
<活躍した選手>
オマン・ビイク(カメルーン)
ワルター・ゼンガー、サルバトーレ・スキラッチ、ロベルト・バッジョ、ジャンルカ・ヴィアッリ(イタリア)
ロベルト・センシーニ、ディエゴ・マラドーナ、クラウディオ・カニージャ、セルヒオ・ゴウゴチェア(アルゼンチン)
ローター・マテウス、アンドレアス・ブレーメ、ユルゲン・クリンスマン、ルディー・フェラー、ピエール・リトバルスキー、ギド・ブッフバルト(西ドイツ)
ゲーリー・リネカー、ポール・ガスコイン、デービッド・プラット(イングランド)
<印象に残らない大会>
全体的に守備的な試合が多く、素人目に見ても面白くない試合が多い大会だった。大会に関する話題も、良くないもの、つまらない事件が多く、記憶に残ることが少ない大会となった。
 開催国のイタリアは、当時セリエAの人気が高くなったところで、世界中の大物が在籍する黄金時代だった。
<事件1- ロハス事件 ->
 南米予選の最終戦、チリ対ブラジルの試合中、ブラジルのファンが投げた発煙筒がチリのロハスに当たり、中止試合となった。ところが、ロハスの怪我は自分で仕組んだものであり、負けていた試合を再試合に持ち込むためだったことがわかり、チリは次回大会にも出場できないことになった。
<事件2- メキシコ・チームの年齢詐称事件>
 メキシコはU-20の世界大会でオーバーエイジを出場させたとして、ワールドカップ予選への出場を禁止された。しかし、この処置は、それまでの同例に対する処置に比べると、明らかに厳しすぎた。これは次回開催国のアメリカを本体会に出場させるためにFIFAが仕組んだものであったと言われている。
<事件3- 神の手Part2 ->
 本体会予選リーグのアルゼンチン対ソ連戦において、ソ連のオレ・クズネツォフのヘディング・シュートをマラドーナが腕で防ぎクリアーした。審判はそのことに気づかなかったため、試合後責任を問われて帰国させられた。
<事件4- フーリガン隔離作戦 ->
 80年代にヨーロッパ各地で事件を起こしたフーリガンのメッカ、イングランドとオランダが入ったグループFの試合を無事行うため、大会本部は、試合の会場をサルディーニャ島とシチリア島という本土から離れた地域に決めた。
<事件5- カメルーン・チーム大活躍 ->
 アフリカ代表のカメルーンは、大ベテラン、38歳ロジェ・ミラの史上最年長ゴール(飛び出しすぎたあの伝説のゴール・キーパー、イギータからボールを奪い取ってのゴール)が飛び出すなど、大活躍をみせ、アルゼンチン、コロンビアなどの強豪を倒しての準決勝進出をアフリカ勢として初めて成し遂げた。
<事件6- 勝つべきチームの敗退 ->
 ルート・グリット、マルコ・ファンバステン、フランク・ライカールトを擁するオランダは、かつての黄金時代に匹敵する華麗なプレーを展開したが、決勝トーナメント一回戦で西ドイツに惜敗してしまった。
 ドラガン・ストイコビッチ、ロベルト・プロシネツキ、デヤン・サビチェビッチを擁するユーゴスラビアも史上最強のメンバーがそろったが、アルゼンチンにPK戦に持ち込まれて敗れ去った。
 こうして、創造的で見応えのあるチームが以外に早く大会から姿を消してしまった。
<事件7- 史上最低の決勝戦 ->
 アルゼンチンは徹底的な守りのサッカーを展開。マラドーナにマークが集中する中、そこからクラウディオ・カニージャへのスルー・パス一本で点を奪うか、だめならPK戦に持ち込むという単純で面白みのない戦法を貫き決勝まで勝ち残った。西ドイツ対アルゼンチンの決勝戦は、アルゼンチンがPK戦狙いとしか思えない超守備的戦法をとったこともあり、史上最もつまらない決勝戦と言われることになった。
1991年
<相撲>千代の富士引退、若貴時代に突入
<スケート>ショートトラックスピードスケートの世界チーム選手権が韓国のソウルで開催される
<ラグビー>第2回ラグビー・ワールドカップ・英仏アイルランド大会(優勝はオーストラリア、準優勝はイングランド)
<卓球>世界選手権千葉大会に北朝鮮、韓国が合同チームで出場
<冬季ユニバーシアード>第15回冬季ユニバーシアードが札幌で開催
<野球>高野連が朝鮮高級学校の全国大会参加を認める
第1回女子サッカー・ワールドカップ中国大会開催:優勝はアメリカ
<キリンカップ>
キリンカップで日本代表がイングランドのトッテナムに勝利し優勝
<Jリーグ発足へ>
「社団法人 日本プロサッカーリーグ」設立、初代チェアマンに川淵が就任
<陸上>「第3回世界陸上競技選手権大会」日本・東京大会
男子100m二次予選でカール・ルイス(米)が9秒80の世界新記録(決勝でも9秒86で金メダル獲得。決勝は6位までが9秒台というハイレベルの戦いとなった)
男子走り幅跳びでマイク・パウエル(米)が8m95cmの世界新記録(23年前のメキシコオリンピックでボブ・ビーモンだ出した8m91cmをついに書き換えた!)
男子400mでアメリカ・チームが37秒50の世界新記録
男子400mで高野進が決勝に進出
男子マラソンで谷口浩美が2時間14分57秒で優勝、女子マラソンでは山下佐知子が2位(陸上女子では人見以来のメダル獲得)
1992年
<クリケット>第5回クリケット男子ワールドカップ(優勝はパキスタン)
<野球)甲子園にて松井秀喜が5打席連続敬遠
映画「シコふんじゃった」(大学の相撲部を舞台にした作品)
<ルール>バック・パスをゴールキーパーが手で処理することが禁止になる。
<日本代表>日本代表初の外国人監督としてオランダ人のハンス・オフト就任
<アジアカップ>アジアカップ・サッカー広島大会で日本が初優勝
<Jリーグ>第1回Jリーグカップ(ナビスコカップ)優勝はヴェルディ川崎、準優勝は清水エスパルス
広島広域公園陸上競技場完成(収容人員は5万人、サンフレッチェ広島のホーム)
オリンピック 第25回 バルセロナ大会
開催国(スペイン)参加国(169)参加選手数(9356 男6652/女2704)日本の参加選手(男181/女82)競技数(25)種目数(257)
マラソン<男子>森下広一(2)中山竹通(4)谷口浩美(8)
<女子>有森裕子(2)山下佐知子(4)
水泳<女子200m平泳ぎ>岩崎恭子(1)<シンクロナイズド>奥野史子(3)<シンクロ・デュエット>奥野、高山亜樹(3)
体操<男子団体総合>(3)<男子床>池谷幸雄(3)<男子平行棒>松永政行(3)
柔道(女子)<48kg>田村亮(2)<52kg>溝口紀子(2)<56kg>立野千代里(3)<72kg>田辺陽子(2)<72kg>坂上洋子(3)
柔道(男子)<60kg>越野忠則(3)<71kg>古賀稔彦(1)吉田秀彦(1)<86kg>岡田弘隆(3)<95kg>小川直也(2)
その他<野球>小久保、伊藤、杉浦ほか(3)<男子フリーライフル>木場良平(3)<クレートラップ>渡辺和三(2)<レスリング・フリー>赤石光生(3)
 ソ連崩壊後最初の大会。そのため出場国は大幅に増え史上最多となった。野球が正式競技となったが、それはオリンピックをプロ化する流れに乗ったものだった。
 バスケットボール男子のアメリカ・チームはその象徴。「ドリーム・チーム」と呼ばれたチームには、マジック・ジョンソン、マイケル・ジョーダン、パット・ユーイング、チャールズ・バークレー・・・)
 ただし、野球はシーズンが重なっていたこともあり、アメリカは大リーガーが不参加、日本もアマチュア選手が出場。そのため、キューバが圧倒的に強かった。
 日本チームはこの大会も成績不振に悩みました。
唯一、予想外のメダルを獲得した岩崎恭子の名文句「いままで生きてきた中で一番うれしい!」が印象に残りますが、彼女はこの後メダルの重みに苦しむことになります。
冬季オリンピック 第16回 アルベールビル大会(フランス)
ショートトラック・スピード・スケート、バイアスロン女子、モーグルが正式種目に追加
1993年
<陸上>「第4回世界陸上競技選手権大会」ドイツ・シュッツトガルト大会
<相撲>曙、初の外国人横綱となる
<クリケット>第5回クリケット女子ワールドカップ(優勝はイングランド)
<スキー>萩原健司がノルディック・スキー世界選手権ファールン大会で複合個人で優勝
<野球>福岡ドーム開場
<Jリーグ>Jリーグ発足、サッカー・ブーム到来
鹿島アントラーズ、ジェフユナイテッド市原、浦和レッドダイヤモンズ、ヴェルディ川崎、横浜マリノス、横浜フリューゲルス、清水エスパルス、名古屋グランパスエイト、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島F.Cの10チームでのスタート
(開幕戦はヴェルディ川崎と横浜マリノス戦。2−1でマリノスが勝利。前期優勝はジーコ率いるアントラーズで、後期はヴェルディ川崎。三浦カズ、ラモス、都並、北沢、柱谷らを擁するヴェルディはいきなり黄金時代に突入)
「ドーハの悲劇」
1993年10月28日、カタールのドーハのアルアリ・ スタジアムでにイラクとのワールドカップ最終予選
日本代表はロスタイムに得点を失い引き分けとなり、アメリカ大会への出場権を逃してしまいました。
<年間優勝>ヴェルディ川崎(前期)鹿島アントラーズ(後期)ヴェルディ川崎
<Jリーグカップ>優勝:ヴェルディ川崎、準優勝:清水エスパルス
1994年
<野球>オリックスに在籍していたイチローが年間ヒット数210本、打率385を達成。打率はパリーグ新記録で、一シーズン200安打を超えたのは日本人初
<ラグビー>平尾誠二率いる神戸製鋼が日本選手権7連覇を達成
<自動車>アイルトン・セナがF1のレース中に事故死(サンマリノGP)
<卓球>荻村伊智朗死去
<アジア大会>第12回アジア大会が広島で開催
<Jリーグ>ベルマーレ平塚・ジュビロ磐田が加盟し、12チーム編成となる
<年間優勝>ヴェルディ川崎(前期)サンフレッチェ広島(後期)
<Jリーグカップ>優勝:ヴェルディ川崎、準優勝:ジュビロ磐田
<海外>
メキシコのゴールキーパー、ホルヘ・カンポスが大活躍。ド派手なユニフォームが話題になる
第15回ワールドカップ・サッカー・アメリカ大会
(詳細はここから)
冬季オリンピック 第17回 リレハンメル大会(ノルウェー)
1995年
<野球>野茂英雄がメジャー・リーグのロサンゼルス・ドジャースに移籍(13勝6敗)新人王獲得
<陸上>「第5回世界陸上競技選手権大会」スウェーデン・イエテボリ大会
<ラグビー>第3回ラグビー・ワールドカップ・南アフリカ大会(優勝は南アフリカ、準優勝はニュージーランド)
日本はこの大会でニュージーランドと対戦し145の失点で敗戦
神戸製鋼が日本選手権7連覇達成
<ユニバーシアード>ユニバーシアード福岡大会開催
<Jリーグ>セレッソ大阪・柏レイソルが加盟し、14チーム編成となる
<年間優勝>横浜マリノス(前期)横浜マリノス(後期)ヴェルディ川崎
<女子サッカー・ワールドカップ・スウェーデン大会>優勝はノルウェー
長居スタジアム完成(収容人員47000人、セレッソ大阪のホーム)
1996年
<野球>野茂英雄がコロラド・ロッキーズ相手にノーヒット・ノーラン達成
<テニス>全英オープン・テニスで伊達公子がベスト4に進出
<テニス>シュティフィ・グラフがウインブルドン女子シングルス7度目の優勝
<クリケット>第6回クリケット男子ワールドカップ(優勝はスリランカ)
<ノンフィクション>「28年目のハーフタイム」金子達仁(文春文庫)アトランタ・オリンピックでの男子サッカーの活躍
スポーツ・ブランド「ナイキ」が大ブームとなる。
<オリンピック出場権獲得>サッカーオリンピック代表が28年ぶりにアジア予選を突破
<Jリーグ>アビスパ福岡・京都パープルサンガが加盟し、16チーム編成となる
<年間優勝>鹿島アントラーズ(2位)名古屋グランパス(この年は前後期制ではなかった)
<Jリーグカップ>優勝:清水エスパルス、準優勝:ヴェルディ川崎
オリンピック 第26回 アトランタ大会
開催国(アメリカ)参加国(197)参加選手数(10318 男6806/女3512)日本の参加選手(男160/女150)競技数(26)種目数(271)ビーチバレーが正式種目に採用される
柔道<男子60kg>野村忠宏(1)<65kg>中村行成(2)<71kg>中村兼三(1)<78kg>古賀稔彦(2)
<女子48kg>田村亮子(2)<52kg>菅原教子(3)<61kg>恵本裕子(1)<72kg>田辺陽子(2)
その他<女子マラソン>有森裕子(3)<シンクロ団体>(3)<女子テニス>伊達公子(5)<レスリング・フリー74kg>太田拓弥(3)
<ヨット女子470級>木下アリーシア、重由美子(3)<自転車男子1km>十文字貴信(3)<女子ソフトボール>(4)
<野球>井口、今岡、大久保、杉浦、谷、福留、松中(プロアマ混成)(2)
 コカコーラの本拠地、アメリカ南部ジョージア州の州都アトランタは人口40万人という意外に小さな市。
そのためオリンピック開催のために都市の大改造が行われたが、それが上手くゆかず、おまけに暑い土地での開催で環境的にも厳しいものとなりました。
最終的に、IOCからも大会運営については失敗という評価がなされた大会となりました。
 日本の成績は相変わらず低調。その中で気を吐いたのは、女子陸上界初のプロ選手となった有森の銅メダル。彼女の二大会連続メダルは、マラソンにおける高地トレーニングの有効性を証明。
プロとしての精神的な強さをもつ彼女のような選手の登場は、女子マラソン界全体のレベルアップにつながり、この後、日本女子マラソン界は黄金時代を迎えることになります。
「マイアミの奇跡」サッカー代表チームが予選リーグでブラジルに1−0で勝利
1997年
<陸上>「第6回世界陸上競技選手権大会」ギリシャ・アテネ大会
<ゴルフ>タイガー・ウッズがマスターズで史上最年少優勝(通算スコア270も新記録)
<クリケット>第6回クリケット女子ワールドカップ(優勝はオーストラリア)
<野球>伊良部秀輝がニューヨーク・ヤンキースと契約
<格闘技>格闘技イベント「PRIDE1」開催
<男子日本代表>サッカー・ワールド・カップに初出場決まる(ジョホールバルの歓喜)
<Jリーグ>ヴィッセル神戸が加盟し、17チーム編成となる
<年間優勝>ジュビロ磐田(前期)鹿島アントラーズ(後期)ジュビロ磐田
<Jリーグカップ>優勝:鹿島アントラーズ、準優勝:ジュビロ磐田
1998年
<野球>マグワイアが大リーグホームランの新記録70本を達成、ただし、薬物使用疑惑があり?
<自転車>チーム・フェスティナの移動車が薬物使用疑惑により、フランス警察の捜査を受ける
<バスケットボール>マイケル・ジョーダンの現役最後のシーズンにシカゴ・ブルズが5度目の優勝
<ノンフィクション>「決戦前夜」金子達仁(新潮社)、「6月の軌跡 - ’98フランスW杯日本代表39人全証言 -」増島みどり
<Jリーグ>コンサドーレ札幌が加盟し、18チーム編成となる
<年間優勝>鹿島アントラーズ(前期)ジュビロ磐田(後期)鹿島アントラーズ
<Jリーグカップ>優勝:ジュビロ磐田、準優勝:ジェフ市原
札幌ドーム完成(収容人員41484、北海道日本ハムとコンサドーレ札幌のホーム)
横浜国際総合競技場(収容人員72327人、横浜Fマリノスのホーム)
第16回ワールドカップ・サッカー・フランス大会
(詳細はここから)
冬季オリンピック 第18回 長野大会(日本)パラリンピック開催
スノーボードが正式競技に採用
ジャンプ団体が金メダル
<一校一国運動>
 長野オリンピックで生まれたプログラムとして、一校一国運動(One School ,One Country Program)があります。開催都市の学校が、それぞれ参加国のひとつと交流を行うという親善プログラムです。子供たちは、交流する国の歴史、地理、文化などを調べ、選手村への入村歓迎会を開いたり、絵やビデオレターの交換など様々な交流を行いました。このプログラムは、IOCにも高く評価され、その後のオリンピックでも継承されて行くことになりました。
1999年
<陸上>「第7回世界陸上競技選手権大会」スペイン・セビージャ大会
<ラグビー>第4回ラグビー・ワールドカップ・ウェールズ大会(優勝はオーストラリア、準優勝はフランス)
<クリケット>第7回クリケット男子ワールドカップ(優勝はオーストラリア)
<Jリーグ>横浜フリューゲルス消滅し横浜マリノスを合併し、横浜F・マリノスとなる
J1、J2からなる2部リーグ制へ移行(J2にはベガルタ仙台、モンテディオ山形、大宮アルディージャ、FC東京、川崎フロンターレ、ヴァンフォーレ甲府、アルビレックス新潟、サガン鳥栖、大分トリニータが加盟)
<年間優勝>ジュビロ磐田(前期)ジュビロ磐田(後期)清水エスパルス
<Jリーグカップ>優勝:柏レイソル、準優勝:鹿島アントラーズ
<中田英寿ブレイク!>日本の中田、セリエAのペルージャで大活躍
<ブラジル代表来日>ブラジル代表チームが来日。0−2で日本代表敗戦
<女子ワールドカップ>女子サッカー・ワールドカップ・アメリカ大会開催:優勝はアメリカ
2000年
<ボクシング>ヘビー級の世界チャンピオンから黒人選手が姿を消す
<クリケット>第7回クリケット女子ワールドカップ(優勝はニュージーランド)
<ゴルフ>タイガー・ウッズが全英オープンに優勝。史上最年少(24歳)でのグランドスラム達成。
<野球>鶴岡一人死去(3月7日)
<男子日本代表>サッカーアジアカップ(レバノン大会)で、日本代表が2大会ぶり2度目の優勝
トヨタカップ第21回大会でボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)が優勝
<Jリーグ>リーグ戦総合優勝、ナビスコカップ、天皇杯を鹿島アントラーズが制覇
<年間優勝>鹿島アントラーズ(前期)横浜Fマリノス(後期)鹿島アントラーズ
<Jリーグカップ>優勝:鹿島アントラーズ、準優勝:川崎フロンターレ
<UEFA欧州選手権>フランスが優勝
宮城スタジアム完成(収容人員49133人、ベガルタ仙台の準ホーム)
オリンピック 第27回 シドニー大会
開催国(オーストラリア)参加国(200)参加選手数(10651 男6582/女4069)日本の参加選手(男158/女110)競技数(28)種目数(300)トランポリン、テコンドー、近代五種女子が正式競技に追加
柔道<男子60kg>野村忠宏(1)<81kg>滝本誠(1)<100kg>井上康生(1)<100kg超級>篠原信一(2)
<女子48kg>田村亮子(1)<52kg>楢崎教子(2)<57kg>日下部基栄(3)<78kg>山下まゆみ(3)
水泳<女子100背泳ぎ>中村真衣(2)<女子200背泳ぎ>中尾美樹(3)<女子400個人メドレー>田島寧子(2)
<女子メドレーリレー>中村、田中雅美、大西順子、源純夏(3)<シンクロ・デュエット>立花美哉、武田美保(2)<シンクロ・チーム>(2)
その他<女子マラソン>高橋尚子(1)<男子サッカー>楢崎、森岡、宮本、松田、中沢、中田(英)、柳沢、高原、中村(俊)、稲本ほか(6)
<レスリング・グレコ69kg>永田克彦(2)<ソフトボール>宇津木、高山、安藤・・・(2)
<野球>松坂、中村、田口、赤星、黒木、渡辺、杉浦、松中・・・(4)<テコンドー女子47kg>岡本依子(3)
 「最高で金、最低でも金」と宣言し、見事金メダルをとった田村亮子。ぶっちぎりの金メダルをとった高橋尚子。二人の女性が日本の主役。男子は柔道以外メダルはゼロ!
 アメリカのマリオン・ジョーンズは、100m、200m、4X400mリレーで金3個、走り幅跳び、4X100mで銅2個と大活躍。ところが7年後、薬物スキャンダルの捜査により彼女の疑惑も浮上。
自ら薬物使用を認めた彼女はメダルをすべて剥奪されます。もうひとり地元の英雄、キャシー・フリーマンも大きな注目を集めました。
女子400mで金メダルを獲得した彼女は、オーストラリアの国旗とアボリジニーの旗両方を持ってウイニングランを行い、人種融和を体現し大きな感動を呼びました。
2001年
<野球>シアトル・マリナーズに移籍したイチローが打率350で首位打者となり、年間の安打数は242本(そのうち内野安打は59本)得点は127、盗塁56(アメリカンリーグのトップ)
<陸上>高橋尚子がベルリン・マラソンで世界最高記録で優勝
「第8回世界陸上競技選手権大会」カナダ・エドモントン大会
<オリンピック>国立スポーツ科学センター(ナショナル・トレーニング・センター)発足
<オリンピック開催地>2008年オリンピック開催地が北京に決定し、大阪は敗退
<水泳>第9回世界水泳選手権福岡大会開催
<ノンフィクション>「Sydney!」村上春樹
<Jリーグ><年間優勝>鹿島アントラーズ(前期)ジュビロ磐田(後期)鹿島アントラーズ
<Jリーグカップ>優勝:横浜F・マリノス、準優勝:ジュビロ磐田
スポーツ振興くじ「toto」販売開始
カシマ・サッカー・スタジアム完成(収容人員40728人、鹿島アントラーズのホーム)
埼玉スタジアム完成(収容人員63700人、浦和レッズのホーム)
新潟スタジアム完成(収容人員42300人、アルビレックス新潟のホーム)
エコパスタジアム完成(小笠山運動公園)(収容人員50889人、清水エスパルス、ジュビロ磐田の準ホーム)
神戸御崎公園球技場完成(収容人員42000人、ヴィッセル神戸のホーム)
大分スタジアム完成(収容人員、40000人、大分トリニータのホーム)
豊田スタジアム完成(収容人員45000人、名古屋グランパスのホーム)
東京スタジアム完成(調布市)(収容人員49970人、FC東京、東京ベルディのホーム)
2002年
<ノンフィクション>「MUNDIAL2002世界標準を越えて」村上龍(光文社) <Jリーグ>ジュビロ磐田が前期、後期完全優勝
<Jリーグカップ>優勝:鹿島アントラーズ、準優勝:浦和レッズ
<天皇杯>京都パープルサンガ
第17回ワールドカップ・サッカー・日韓大会
(詳細はここから)
冬季オリンピック 第19回 ソルトレイクシティ大会(アメリカ)
2003年
<野球>松井秀喜がニューヨーク・ヤンキースに移籍
トレイ・ヒルマン、日本ハムの監督に就任。ヴァレンタイン監督がロッテに復帰
中日ドラゴンズの監督にOBの落合博満が就任
<ラグビー>第5回ラグビー・ワールドカップ・オーストラリア大会(優勝はイングランド、準優勝はオーストラリア)
<陸上>「第9回世界陸上競技選手権大会」フランス・パリ大会
<クリケット>第8回クリケット男子ワールドカップ(優勝はオーストラリア)
<相撲>朝青龍が第68代横綱に昇進(モンゴル人初の横綱誕生)
<ボクシング>白井義男死去
<水泳>世界水泳選手権100m平泳ぎで北島康介が世界新記録で優勝
独立行政法人「日本スポーツ振興センター」、日本スポーツ仲裁機構設立
<女子日本代表>女子サッカー・ワールドカップ・アメリカ大会開催:優勝はドイツ
<Jリーグ>横浜F・マリノスが前期、後期完全優勝
<Jリーグカップ>優勝:浦和レッズ、準優勝:鹿島アントラーズ
2004年
<FI>アメリカGPにおいて佐藤琢磨が日本人として14年ぶりとなる3位表彰台
<野球>大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併発表
<甲子園>駒澤大学附属苫小牧高等学校が北海道勢として史上初の高校野球大会優勝
<男子日本代表>アジアカップ(北京)準決勝ヨルダン戦で川口能活がPK戦で4人連続シャットアウト
北京アジアカップで日本代表が優勝、中国人による反日暴動多発
<Jリーグ><年間優勝>横浜F・マリノス(前期)横浜F・マリノス(後期)浦和レッズ
<Jリーグカップ>優勝:FC東京、準優勝:浦和レッズ
オリンピック 第28回 アテネ大会
開催国(ギリシャ)参加国(202)参加選手数(10625 男6296/女4329)日本の参加選手(男141/女171)競技数(28)種目数(301)女子レスリングが正式種目に採用
陸上<男子ハンマー投げ>室伏広治(1)<女子マラソン>野口みずき(1)
水泳<男子100背泳ぎ>森田智己(3)<100平泳ぎ>北島康介(1)<200平泳ぎ>北島(1)<200バタフライ>山本貴司(2)
<男子4X100メドレーリレー>森田、北島、山本、奥村幸大(3)
<女子800自由形>柴田亜衣(1)<200背泳ぎ>中村礼子(3)<200バタフライ>中西悠子(3)<シンクロ・デュエット>立花美哉、武田美保(2)
<シンクロ・チーム>(2)
体操<男子総合団体>鹿島丈博、水島寿思、中野大輔、冨田洋之、塚原直也、米田功(1)<あん馬>鹿島(3)<鉄棒>米田(3)<平行棒>冨田(2)
レスリング<男子フリー55kg>田南部力(3)<60kg>井上謙三(3)
<女子48kg>伊調千春(2)<55kg>吉田沙保里(1)<63kg>伊調馨(1)<72kg>浜口京子(3)
柔道<男子60kg>野村忠宏(1)<66kg>内柴正人(1)<90kg>泉浩(2)<100kg>鈴木桂治(1)
<女子48kg>田村亮子(1)<52kg>横沢由貴(2)<63kg>谷本歩実(1)<70kg>上野雅恵(1)<78kg>阿武教子(1)<78kg超級>塚田真希(1)
その他<テニス女子ダブルス>浅越しのぶ、杉山愛(4)<自転車チーム・スプリント>伏見俊昭、井上昌己、長塚智広(2)
<ヨット470級>関一人、轟賢二郎(3)
<ソフトボール>宇津木、上野、坂本、高山、山田・・・(2)<アーチェリー>山本博(2)
<野球>三浦、黒田、上原、松坂、宮本、城島、岩隈、小笠原、金子・・・(3)
 7大会ぶりに団体の金メダルをとった男子体操は冨田を中心に新たな黄金時代に突入。高橋尚子抜きでも野口が金メダルをとった女子マラソンもまた黄金時代に突入。
 女子柔道、女子レスリング、ソフトボール、女子水泳などが大量にメダルを獲得。日本の選手団の男女比がついにこの大会で逆転。女子の活躍は日本の浮上を実現しました。
 この大会でもドーピング問題は大きな問題となり、男子ハンマー投げでは、室伏が繰上げで金メダルを獲得することになりました。
2005年
<陸上>「第10回世界陸上競技選手権大会」フィンランド・ヘルシンキ大会
<自転車>ツール・ド・フランスにて、ランス・ア―ムストロング(米)が7つ目のタイトル獲得(後にドーピングにより剥奪)
<クリケット>第8回クリケット女子ワールドカップ(優勝はオーストラリア)
<野球>シカゴ・ホワイトソックスが1917年以来のワールド・シリーズ制覇
<野球>仰木彬死去(12月15日)
<競馬>ディープ・インパクトがクラシック三冠達成
<男子日本代表>男子サッカー北朝鮮に2−0で勝利しワールドカップ本大会の出場決定
<Jリーグ><年間優勝>ガンバ大阪(2位)浦和レッズ
<Jリーグカップ>優勝:ジェフ市原、準優勝:ガンバ大阪
リヌス・ミケルス(オランダ)死去(3月3日)
ジョージ・ベスト(イギリス)死去(11月25日)
2006年
<野球>「第一回ワールドベースボール・クラシック」で日本が初の世界一に輝く
<ボクシング>フロイド・パターソン死去(5月11日)
<Jリーグ><年間優勝>浦和レッズ(2位)川崎フロンターレ
<Jリーグカップ>優勝:ジェフ市原、準優勝:鹿島アントラーズ
第18回ワールドカップ・サッカー・ドイツ大会 
冬季オリンピック 第20回 トリノ大会(イタリア)
荒川静香がフィギュア・スケートで金メダル獲得
チーム・パシュート・スピードスケートが正式採用
2007年
<ラグビー>第1回ラグビー・ワールドカップ・フランス大会(優勝は南アフリカ、準優勝はイングランド)
<プロレス>カール・ゴッチ死去(7月28日)
<陸上>「第11回世界陸上競技選手権大会」日本・大阪大会
      第一回東京マラソン開催
<野球>イチローが大リーグ・オールスター戦で日本人初のMVP獲得
<野球>バリー・ボンズが米大リーグ通算本塁打記録を塗り替える
<Jリーグ><年間優勝>鹿島アントラーズ(2位)浦和レッズ
<Jリーグカップ>優勝:ガンバ大阪、準優勝:川崎フロンターレ
<女子日本代表>女子サッカー・ワールドカップ・中国大会(優勝はドイツ)
アジアカップがタイ、マレーシア、インドネシア、ベトナムで共同開催
2008年
オリンピック 第29回 北京大会(中国)
<水泳>ポリウレタン製水着レーザー・レーサーが23の世界新記録達成(90%が着用)2010年使用禁止となる
<野球>大リーグのシェイ・スタジアム、ヤンキー・スタジアムが老朽化のため、解体へ
<ゴルフ>中村寅吉死去(2月11日)
ナショナル・トレーニング・センター開設
<Jリーグ><年間優勝>鹿島アントラーズ(2位)川崎フロンターレ
<Jリーグカップ>優勝:大分トリニータ、準優勝:清水エスパルス
<海外>サッカー欧州選手権でスペインが44年ぶりに優勝(スペイン、バルセロナの黄金時代)
2009年
<陸上>「第12回世界陸上競技選手権大会」ドイツ・ベルリン大会
<クリケット>第9回クリケット女子ワールドカップ(優勝はイングランド)
<ゴルフ>プロゴルファー石川遼がゴルフツアー史上最年少(18歳2ヶ月)の賞金王
<オリンピック>2016年のオリンピック開催地がリオデジャネイロに決定、東京招致は失敗
<ボクシング>アレクシス・アルゲリョ死去(7月1日)
<水泳>古橋廣之進死去(8月1日)
<Jリーグ><年間優勝>鹿島アントラーズ(2位)川崎フロンターレ
<Jリーグカップ>優勝:FC東京、準優勝:川崎フロンターレ
2010年
  <Jリーグ><年間優勝>名古屋グランパス(2位)ガンバ大阪
<Jリーグカップ>優勝:ジュビロ磐田、準優勝:サンフレッチェ広島
第19回ワールドカップ・サッカー・南アフリカ大会
(詳細はここから)
冬季オリンピック 第21回 バンクーバー大会(カナダ)
スキークロスが正式競技に採用
2011年
<ラグビー>第7回ラグビー・ワールドカップ・ニュージーランド大会(優勝はニュージーランド、準優勝はフランス)
<陸上>「第13回世界陸上競技選手権大会」韓国・大邱大会
<クリケット>第9回クリケット男子ワールドカップ(優勝はインド)
<Jリーグ><年間優勝>柏レイソル(2位)名古屋グランパス
<Jリーグカップ>優勝:鹿島アントラーズ、準優勝:浦和レッズ
<女子日本代表>女子サッカー・ワールドカップ・ドイツ大会開催(優勝は日本)
2012年
オリンピック 第30回 ロンドン大会(イングランド)
<自転車>ランス・アームストロングがドーピングで有罪となり、タイトルが剥奪される
<Jリーグ><年間優勝>サンフレッチェ広島(2位)ベガルタ仙台
<Jリーグカップ>優勝:鹿島アントラーズ、準優勝:清水エスパルス
2013年
2020年東京オリンピック決定
<陸上>「第14回世界陸上競技選手権大会」ロシア・モスクワ大会(女子マラソンで福士加代子が3位)
<Jリーグ><年間優勝>サンフレッチェ広島(2位)横浜F・マリノス
<Jリーグカップ>優勝:柏レイソル、準優勝:浦和レッズ
2014年
  <Jリーグ><年間優勝>ガンバ大阪(2位)浦和レッズ
<Jリーグカップ>優勝:ガンバ、準優勝:サンフレッチェ広島
第20回ワールドカップ・サッカー・ブラジル大会
 冬季オリンピック 第22回 ソチ大会(ロシア)
<スキー>女子ジャンプが正式競技に採用
2015年
<陸上>「第15回世界陸上競技選手権大会」中国・北京大会
<ラグビー>第8回ラグビー・ワールドカップイングランド大会
<女子日本代表>女子サッカー・ワールドカップ・カナダ大会
FIFA汚職事件により、副理事長ら逮捕され、ブラッター会長が辞任
2016年
オリンピック 第31回 リオデジャネイロ大会(ブラジル)
リオデジャネイロ・オリンピックに7人制ラグビーが正式競技に採用
2017年
<陸上>「第16回世界陸上競技選手権大会」イギリス・ロンドン大会
<自動車>インディ500第101回大会で佐藤琢磨が日本人初の優勝!
2019年
<ラグビー>第9回ラグビー・ワールドカップ・日本大会
新国立競技場完成(予定)
2020年
オリンピック 第32回 東京大会(日本)


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