古都ボストンのタブーに挑んだ記者たちの挑戦


「スポットライト 世紀のスクープ Spotlight」

- トム・マッカーシー Tom McCarthy 、ボストン・グローブの記者たち -
<禁断の社会派ドラマ>
 この作品は、日本人にとっては新聞社と権力の闘いを描いた素晴らしい社会派ドラマという括りになるでしょう。しかし、キリスト教、特にカトリック教国の人々にとっては、自分たちの住む社会・文化の根本を揺るがす大変な問題作です。
 1970年代の半ばに問題が発覚していながら、新聞記者たちも含めて、誰もがその問題を軽視し、目をそらしてきた事実があります。それが21世紀に入り、ついに大きな社会問題として公表され、宗教界だけでなく、社会全体をも揺るがす大事件となったわけですが、そこにはボストンというアメリカの中でも特殊な都市ならではの理由がありました。

<ボストンという都市>
 ボストンは、「ボストン茶会事件」でも有名な独立運動の拠点であり、アメリカ史の原点ともいえる古い街です。(日本における京都のような存在)住民の多くは、英国からの第一次移民の後、アイルランドやイタリアなどからやって来た移民たちなので、アメリカの主流派ともいえるプロテスタントではなくカトリックを信仰しています。そこはアメリカの他の街とは大きく違うところです。
 それが以外でも、ボストン・レッドソックスの本拠地ということで、野球の熱狂的なファンが多いことでも知られていますが、街の人々の郷土愛の強さは他の街とは比べ物にならないと言われます。新任の編集部長がユダヤ人ということで、住民たちから怪しまれるのも、よそ者を入れたがらないボストン子の気質らしいと言えます。(そこも京都と同様かもしれません)
 ただし、こうした古い街の文化は悪いことばかりではありません。古き良き自由の国アメリカの文化が色濃く残るがゆえに、ボストンの街には「報道の自由」にこだわり権力からの圧力に負けない新聞社とその根強い読者が存在しているのです。この作品の主人公、ボストン・グローブとそのライバル、ボストン・ヘラルドは、アメリカ国内だけでなく世界的にも有名な新聞社。両社は地方新聞でありながら、海外取材の記事や写真により、優れた報道記者に送られる最大の勲章ピューリツァー賞を複数回受賞しています。(過去にはボストン・トラベラー紙も受賞しています)
 ベトナム戦争以降、アメリカでは政府による報道の規制が進み、ネット報道の影響力が増したことで、いよいよ新聞社の力は弱まったと言われます。それでもなお、21世紀に入ってから、これだけのスクープ報道を成し遂げたボストン・グローブの姿勢に感動です。そんな彼らの活躍は、報道の自由を守るために街を挙げて取り組んできた長い歴史がなければありえなかったはずです。
 
<システムの犯罪を暴くこと>
 性的虐待を行った複数の犯罪者たちの犯行を立証し、彼らを罰することが、主人公たちの目的なら、それは今までもあった多くスクープものの映画と大差ないでしょう。しかし、この映画で記者たちが暴こうとするのは、ボストンの街だけでなくより広い規模で社会や文化の基盤を揺るがしかねない大きな闇でした。(特にカトリックの文化圏では)大規模な性的虐待が長年にわたって繰り返されていながら、それを放置してきたカトリック界の体質、そしてそのことをわかっていながら見逃してきた社会全体の問題点もまた明らかにする必要があったのです。
 だからこそ、記者も弁護士も警察官も政治家も、犯行の事実を知りながら、それを長い間掘り下げようとはしなかったのでしょう。それがどれだけ多くの少年たちを犠牲にし、社会に悪影響を与えているのかを心の奥では気づいていたにもかかわらずです。
 カトリック教徒でもなくボストンの出身でもないユダヤ人からの指示でなければ、この事件の大規模な取材を開始することにはならなかったのかもしれません。(このユダヤ人編集部長がなぜそこまで事件にこだわったのか?出版部数を伸ばすためなのか?被害者に個人的な思い入れがあるのか?そのへんが不明なままなのですが・・・)

<数値化された犯罪>
 この映画の中で驚かされたのは、加害者たちについて調査・研究を行った心理学の専門家が、事件についての統計学的な分析結果を語り、その結果から事件の発生数を推測してみせることです。カトリック教会における性的虐待がどの程度の割合で起きるのかを正確に予言してみせるのです。そこまで推測が可能だということは、それらの事件は交通事故や風邪の流行のようにけっして無くすことのできない日常的な出来事だということなのです。それは、カトリック教徒ならずとも衝撃的な事実です。
 さらに注意して見てほしいのは、エンディングのクレジットです。そこには、この映画で描かれた事件の発覚後、世界中で調査が行われ、その結果、同様の事件が起きていたことが確認された街の名前が列記されています。その数が凄い。さすがにカトリック教徒が少ない日本の街はなかったようですが、世界中のキリスト教圏の国々の都市の名前が並んでいるのです。

<リアリズムに徹したドラマ>
 この手の映画では、権力側から事件の調査に対してストップがかかり、やめない場合には殺害予告や嫌がらせなどの事件が起きるものです。しかし、この作品ではそうしたありがちな演出はとられていません。(カーチェイスもないし、銃弾が撃ち込まれるなどのシーンもありません)
 にも関わらず、飽きることなく見られるのは何故なのでしょうか?それはたぶん、無駄なくテンポよく進める演出と編集、それに見事に配された役者さんたちの演技力によるのでしょう。過去に被害にあった被害者の心の内を、様々なパターンを選びながら丹念に描いていることにも好感が持てます。中には加害者の神父が、自分も被害者の一人だと告白する場合もあり、加害者を単に異常者と描いていないのも印象的です。
 もっとな早く誰かが声をあげて、悲劇を明らかにしていれば、被害者も、加害者も少なくて済み、教会の信頼もそこまで失墜せずに済んだのです。それでもなお、すべての問題点を明らかにするという作業に遅すぎるということはない。そこが解決へのスタート地点である。そんなポジティブさを観客にもたらしてくれるのも、この作品の魅力といえます。
 思えば、「十二人の怒れる男」、「市民ケーン」、「カサブランカ」、「オール・ザ・キングスメン」、「大統領の陰謀」、「招かれざる客」・・・ハリウッド映画にも、面白くて良質で社会派の作品が数多くありました。
 ハリウッド映画人のそれら名作への熱い思いが、この作品にアカデミー賞で作品賞、監督賞をもたらしたのだと僕は思います。

「スポットライト 世紀のスクープ Spotlight」 2015年
(監)(脚)トム・マッカーシー
(製)マイケル・シュガー、スティーヴ・ゴリン、ニコール・ロックリン、ブライ・パゴン・ファウスト
(製総)ジェフ・スコール、ジョナサン・キングほか
(脚)ジョシュ・シンガー
(撮)マサノブ・タカヤナギ
(編)トム・マカードル
(音)ハワード・ショア
(出)マーク・ラファロ、マイケル・キートン、レイチェル・マクアダムス、リーヴ・シュレイバー、ジョン・スラッテリー、スタンリー・トゥッチ、ブライアン・ダーシー・ジェイムズ
<あらすじ>
 ボストンの新聞社ボストン・グローブでは吸収合併により大規模な人事異動があり、新しい編集部長が着任。彼は部下を集めると新聞の読者減少に歯止めをかけるよう発破をかけます。そして、新たな取材企画としてカトリック教会における性的虐待事件の訴訟についての特集記事の企画を提案します。
 会議の結果、「スポットライト」という集中的に事件を取材・報道する企画で長期に渡る連載を行いうことになりました。チームのメンバーは、さっそくそのための取材活動を開始します。すると、その事件と同様の事件が過去に何度も起きていることがわかり、それぞれが単発で取材が終了していることも明らかになります。そうした過去の事件も含めると、この事件の規模はとんぜもなく大規模なものになる、そうメンバーは確信することになります。
 このまま取材を行うと、新聞社にとって、大量の読者を失うことにもなりかねないし、教会の上層部からの圧力も強まりつつありました。しかし、彼らは取材を行いながら、多くの被害者が事件により心に大きな傷を負い、中には自殺者もいることを知り、追及をやめるわけにはいかないと覚悟を決めます。
 しかし、個々の事件の加害者を明らかにして、罰するだけでは根本的な解決にならないことも彼らは自覚していました。事件を防ぐには、教会内部で加害者を生み出すことのないシステムの再構築が必要であると、彼らは考えていたのです。そのためには、教会指導部の体質の改善が不可欠であり、事件を生み出したシステムの不備を証明する必要がある。そう考えた彼らは、教会内部に残る事件をうやむやにした証拠を見つけ出そうとし始めます。でもそんな都合の良い証拠が存在するのでしょうか?

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