民主主義を守る戦いの女神 |
<アメリカ大統領選挙の陰の功労者>
2020年アメリカ大統領選挙は事前の予想以上の大接戦となりました。その選挙戦において、これまで共和党が勝ち続けてきたジョージア州では、大接戦の末逆転で民主党が勝利を収めました。(11月14日時点)勝敗はすでに決していたものの、この州の闘いがバイデン候補勝利の流れを象徴していたとも言われています。なぜ、今回、ジョージアでバイデンが勝利を奪うことができたのか?その陰の功労者こそ、このドキュメンタリー映画の主人公ステイシー・エイブラムスです。2年前、彼女はジョージア州知事選挙に挑み、明らかな選挙妨害によって悔し涙を流しましたが、その経験が今回の選挙に生かされたと言えそうです。
この作品は、2018年に行われたジョージア州知事選挙での彼女の戦いと、そこに到るまでの黒人たちの選挙権獲得のための長きにわたる戦いの歴史を振り返っています。そして、その歴史があったからこそ、バイデンの勝利、いやトランプの敗北という結果が生まれたのではないか?そう思わせてくれるはずです。
<公民権運動の歴史>
アメリカにおける人種差別の歴史を語る時、「公民権運動」という言葉が必ず出てきます。それは民主主義の基本である投票権を獲得するための運動のことです。実は「アメリカ憲法」には選挙権についての記述はなく、それが問題の根本にありました。そのため、投票に参加することができる対象は法律で規定するしかないので、時代によって、州によって、条件が変わり、それが選挙結果にも影響を与え続けることになりました。
建国当初、アメリカで選挙権を持っていたのは、白人の男性で資産所有者のみでした。それは人口のわずか6%にすぎませんでした。もちろん黒人の投票権所有者はゼロでした。この状況を大きく変えたのは南北戦争でした。この戦争で北軍が勝利をおさめたことで、憲法には修正条項が加えられ、黒人にも投票権が与えられることになりました。「人種に関わりなく、誰からも投票権を奪うことは許されない」と書き加えられたのです。この改正により、黒人たちが投票に参加できるようになり、アメリカ各地で多くの黒人議員が誕生することになりました。
<保守派による巻き返し>
黒人議員の増加は保守派、人種差別主義者にとって許されない状況で、当然彼らはその流れを変えようとし始めます。彼らは、人種による差別をせずに黒人たちが投票所に入いれない方法を見つけ出します。
ミシシッピー州では、投票権を得るために人頭税の支払いを条件に加えました。金額的にはそれほど高額ではないのですが、貧しい黒人層の多くが投票権よりもお金を選択しました。生きて行くためには、少しでもお金が必要だったからです。
識字テストも投票権取得の条件に加えられます。しかし、それは単に文字が書けるかどうかを試験するのではなく、大学レベルの難しい問題を出して合格させないためのものでした。
犯罪者に投票権を与えないとする条件も加えられます。それも一度でも逮捕されたものは、永遠に投票権を持てないということにしてしまいました。この条件はその後21世紀まで続き、2014年フロリダ州でその条件を無効にするための法律制定が州民投票によってやっと可決されました。
これらの手法が用いられたことで、南部の州を中心に黒人の投票権保持者は激減。一時は67%にまで広まっていたものが、3%にまで落ち込みました。
<公民権運動>
保守派によって奪われた黒人たちの投票権を取り戻そうという動きは、第二次世界大戦の終結と共に始まります。兵士として海外での生活を体験した黒人たちの多くが、アメリカ以外の国では人種差別がほとんどないことを知ったことが大きなきっかけでした。
そんな兵士の一人ジョージア州に住むメイシオ・スナイプスは、戦場からの帰国後1946年に行われた選挙の際、初めて投票所に向かいました。すると投票所の前にはこんな貼り紙がありました。「この投票所で最初に投票したニグロは、それが最後になる」
しかし、彼はそんな脅迫文を恐れることなく投票所に入り、テイラー郡で黒人としてだた一人投票を行いました。そしてその夜、4人の白人男性によって射殺されてしまいます。もちろんその4人の白人は全員無罪となりました。
彼の死は、アメリカ中の黒人たちに衝撃を与えました。そして、選挙に参加することの重要性について改めて考えるきっかけを与える機会になりました。この頃から60年代にピークを迎える公民権運動が始まることになります。
1965年、キング牧師を中心に行われたセルマからモンゴメリーへのデモ行進はその象徴的な事件でした。映画「グローリー/明日への行進」でも描かれているデモ隊は、モンゴメリーの街へと入るエドマンドペタス橋で保安官のジム・クラーク率いる警官隊による攻撃を受け、多くの怪我人を出します。それはまさに悲劇でした。しかし、その映像がテレビによって全米に放送されたことで、歴史の流れが大きく変わることになりました。その衝撃的なニュース映像により、黒人たちによる非暴力の戦いに賛同する声がアメリカ中で強まりました。当時のアメリカ大統領ジョンソンは、事件後キング牧師からの助言もあり、投票権法の改正を実施せざるを得なくなります。こうして、再び多くの黒人たちが投票権を獲得し、1967年時点には黒人たちの54%が投票権を持つにいたります。
<オバマ当選による逆効果>
黒人たちが命がけで奪い返した投票権ですが、再びそれが彼らの手元から失われようとし始めます。皮肉なことに、そのきっかけとなったのは、アメリカ史上初の黒人大統領バラク・オバマの誕生でした。
黒人のオバマ大統領が誕生したことでアメリカにおける人種差別はもうなくなった。だから、黒人を守るための投票権についての修正条項は不要になったという主張がなされるようになり、それを利用して再び白人保守層が動き始めます。
アラバマ州シェルビー郡で選挙の区割りを行政が勝手に変更。それが黒人議員に不利な区割りだったことで、地区の黒人議員が大幅に減ってしまいました。このやり方は明らかに黒人に不利な選挙妨害に当たるとして裁判が起こされます。その裁判において、シェルビー郡の行政側は、人種差別がないのだから、もう改正投票法は不要なのだと主張。裁判は地方裁判所では決着がつかず最高裁判所に持ち込まれることになります。
2013年6月25日、ついに最高裁判所でおいて判決が下されます。結果は5対4の大接戦となりますが、それまでの改正投票権法を無効とする判決が下されます。この裁判には2020年のこの世を去ったギンズバーグ判事も参加していましたが、保守派を抑え込むことはできませんでした。
最高裁での判決はすぐにアメリカ全体の選挙制度に反映されることになります。アラスカ、アリゾナ、テキサス、ルイジアナ、ミシシッピー、アラバマ、ジョージア、サウスカロライナ、ヴァージニアは、さっそく選挙制度の改正を始めました。(赤字は2020大統領選挙でトランプが勝った州)
テキサス州では、有権者ID法を導入し、政府発行のIDを所有していなければ投票権は与えられないという改正を実施。これにより、貧しい人々を中心に有権者の10%程度が投票権を失うことになりました。この方法は人種による差別を行っているわけではないのですが、確実に黒人票を奪うことにつながりました。
ノースダコタ州では、住所を持たない者には投票権が与えられないという改正が実施されました。この州には昔から住む先住民が多く、彼らの多くは住所を持っていませんでした。そのため、先住民の2/3が投票権を失うことになりました。
ウィスコンシン州では、公式の写真付きIDを持たなければ投票権を与えないという改正が行われました。これで2万人以上が投票権を失うことになりましたが、その多くが貧しい人々であり、黒人たちでした。(2016年の大統領選挙でトランプはこの州を約2万票差で勝利しました)
オハイオ州では、引っ越しなどで移動した場合に、その届け出をしなければ投票権を失うことになりました。さらに選挙前に送られる通知に返信しなければ選挙人名簿から外されるというシステムを導入。さらに6年間投票しなかった人は、自動的に選挙人名簿からはずされることにもなりました。
こうした方法を複合的に用いることで、黒人層の票を減らすことに成功し共和党が勝利をおさめた典型的な選挙が、2018年のジョージア州知事選挙でした。
<ステイシー・エイブラムス>
ステイシー・エイブラムス Stacy Abrams は、1973年12月9日にウィスコンシン州マディソンで生まれています。彼女の両親は共に大学を卒業した黒人で、子供たちに3つの約束を守らせていたといいます。(1)教会に行くこと(2)学校に行くこと(3)困っている人を助けることの三つでした。
そんな両親の教えを守った彼女は優秀な成績で大学に入学。大学に通いながら、ボランティアで選挙人登録を人々に薦める活動に参加。早くから政治と関りを持ち、弁護士として働きながら政治活動を開始します。そして、2018年彼女は、民主党からジョージア州の知事に立候補することになったのでした。
この選挙で彼女が挑んだのは、共和党のブライアン・ケンプ。地元ジョージアのビジネスマンであり人種差別主義者としても知られる保守派の政治家でした。ただし、彼にはもう一つ州公認の選挙総責任者という役割もありました。選挙に関するルールを変えられる立場の人間が立候補するなんて、あり得ないことです。
当然、彼には選挙人登録の制限も可能なので、知事選挙を前に様々な制限が行われ、5万3千人の登録が無効にされました。そして、そのうちの70%は黒人票でした。
さらに投票日には、各投票所で様々なトラブルが起きました。機械の故障。スタッフの教育不足。情報の不備。投票用紙の不足・・・投票所には行列が長いでき、投票できない人が続出しました。それも黒人たちが多く住む地域で起きたのです。
結局、彼女はこの選挙でわずか1万7千票の差で敗北を喫しました。もちろんケンプ陣営による選挙妨害は明らかだったので、選挙後に彼女はあえて敗北宣言をせず、民主主義を求める抗議の演説を行いました。そして、彼女は次なる行動に移ります。
彼女は自分の次の選挙のためではなく、すべての黒人たちのためにジョージア州における選挙人登録の拡大を進めて行きます。そして、その活動は、次なる選挙戦において、投票妨害にどう対処するべきか?いかに選挙人登録数を増やすか?を教えてくれる重要な意味をもつことにもなりました。
彼女は、演説で「自分はエドマンドペタス橋で生まれた」と語っていますが、それはすべてのアメリカの黒人たちにも言えることです。南北戦争から始まった戦いは、セルマからモンゴメリーへの道を歩んだ先人たちに引き継がれ、選挙人登録の意味を人々に気づかせることになりました。だからこそ、2020年の大統領選挙において、様々な選挙妨害が行われてもなお民主主義は勝利できたのです。
ただし、21世紀のアメリカではまだまだ選挙は民主的に行われているとは言えません。西欧諸国における選挙の公正さのランキングでアメリカは最下位。次回の選挙では、再び選挙人登録に新たな制限が加えられ、気がつけば民主的とはいえない選挙に戻っている可能性は十分にあるのです。
思えば、日本人である我々は選挙において、自分たちが投票できることの価値をまったく知らずにいます。なんの苦労もなく得た選挙権のありがたみを知るわけがないのです。そして、同じことは、日本人が平和のありがたさを感じていないこととも共通するかもしれません。
<参考>
「すべてをかけて:民主主義を守る戦い」All in : The Fight For Democracy 2020年
ドキュメンタリー映画(アマゾン・プライム)
(監)(製)リズ・ガーバス、リサ・コルテス
(脚)ジャック・ヤンゲルソン
(編)ナンシー・ノバック
(音)ウォルフガング・ヘルド
(出)ステイシー・エイブラムス、キャロル・アンダーソン、シン・J・ヤン、マイケル・ワルドマン
ジョージア州知事選挙で僅かの差で敗れたステイシー・エイブラムスの闘いを記録したドキュメンタリー映画です。
黒人たちによる投票権獲得の歴史を振り返る歴史ドキュメントが並行した描かれます。
様々な手法により黒人票を奪おうとする保守層、共和党系のやり方の悪質さ、狡猾さに怒りを感じます。
しかし、ステイシーのこの体験が2020年の大統領選挙に生かされたと考えれば、意味ある敗北だったと思えてきます。
セルマの橋での悲劇を体験した人々の犠牲があり、ステイシーの敗北があり、今回の大統領選挙の勝利があった。
この映画を見れば、バイデンの勝利は奇跡的だったと思えてきます。
民主主義の国、アメリカはもう完全に幻想ですね。残念ながら。
<使用曲>
曲名 演奏 作曲 コメント 「HOLLA BLACK」 Jane Blaze
Wendell HanesWendell Hanes 「Hail To The Chief」 Chris Tedesco James Sanderson 「Beautiful Day」 U2 U2 「Trouble of the World」 Nathaniel"George2.0."PetesⅡ
Janelle"Django Jane"MonaeJanelle"Django Jane"Monae