「スター・ウォーズ」の裏方&裏話、その影響

「スター・ウォーズ」、「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」、「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」

- リック・ベイカー、ジョン・ダイクストラ、ベン・バート、ローレンス・カスダン、アーヴィン・カーシュナー・・・-
<スター・ウォーズのすべて>
 「『スター・ウォーズ』のすべて STAR WARS FAQ」という本を読みました。「スター・ウォーズ」初期三部作「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」、「スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲」、「スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還」(ジェダイの逆襲)について、その後も影響や後に明らかになった裏話などを集めた分厚い一冊です。
 「スター・ウォーズ」とはいっても、今やそれは映画のシリーズの名前というよりも、映画「スター・ウォーズ」から始まった巨大なプロジェクト全体につけられた名前と考えるべきでしょう。(その全貌については、もうひとつのページ「映像ビジネスの歴史を変えたメガ・ヒット作」をご覧ください!)
 ここでは、前述の本に書かれている膨大な情報の中から、特に僕が気になった部分をご紹介します。ファンの方なら、この本は手元に置くべきかもしれません。他にも、面白いエピソードがたっぷり掲載されていますから!

 この3作品についての現在の一般的な評価は、
 「エピソード4」は、やはりそのオリジナリティーと完成度からやはり一番の評価を得ています。さらにこの作品は、その後、CG技術の登場により、より完成度の高いものにヴァージョン・アップもされています。
 「エピソード5」は、ファンの多くにとって、特にメカ好きファンにとって、評価の高い作品で3作品の中で一番とも言われる作品です。その評価は、ジワジワと上昇し続けているようです。監督を任されたアーヴィン・カーシュナーの貢献度は高いようです。
 「エピソード6」は、完結篇として3部作を上手くまとめたことで多くのファンに愛されています。ただし、イウォークというかわいらしすぎるキャラクターを登場させたことで、この作品は子供向きの作品となり、大人のファンからの評価は低くなってしまいました。
 あなたにとって、「スター・ウォーズ」シリーズの評価は?

「スター・ウォーズ」(1977年)

<「地獄の黙示録」と「スター・ウォーズ」>
 「スター・ウォーズ」の脚本執筆中、ジョージ・ルーカスは同時に「地獄の黙示録」の脚本をジョン・ミリアスと共同で執筆していました。当時、彼はフランシス・フォード・コッポラと共同で立ち上げたアメリカン・ゾーエトロープに所属していたので、そのトップだったF・F・コッポラから「地獄の黙示録」を監督するよう依頼されます。ただし、ギャラの問題などで納得できなかったこともあり、彼はその依頼を断りました。結局、コッポラ自身が監督することになり、脚本も大幅に書き直されることになり、彼の名前は消えました。
 当初、彼が書いた「スター・ウォーズ」のオリジナル版には、後の「ジェダイの復讐」にあるイウォークたちの森でのゲリラ戦も書かれていたそうですが、「地獄の黙示録」におけるヴェトコンとのゲリラ戦のシーンとかぶるという判断でカットされたのだそうです。
 まさか「地獄の黙示録」と「スター・ウォーズ」とかぶっていたなんて!意外です。

<「キャリー」と「スター・ウォーズ」>
 時間と予算削減を目的に、ジョージ・ルーカスは「アメリカン・ゾーエトロープ」の仲間ブライアン・デ・パルマと合同でオーディションを行いました。デ・パルマは当時準備中だった「キャリー」の主役クラスを選ぼうとしていて、二人は一緒に1日250人もの俳優の面接を行いました。
 その後、スクリーン・テストを行う段階に入ると、レイア姫、ハン・ソロ、ルーク・スカイウォーカーの3人をセットにして、オーディションを行いました。ちなみに、この時、ルーカスはベン・ケノビ役に三船敏郎を考えていたようです。
 ハン・ソロの有力候補の中には、クリストファー・ウォーケン、トミー・リー・ジョーンズ、ニック・ノルティらがいたようです。レイア姫役には、ジョディ・フォスターが最重要候補の一人にあがっていたようですが、彼女は当時まだ13歳だったため、撮影に割ける時間に制限があり却下されたようです。
 ルーク・スカイウォーカー役の候補には、ジョン・トラボルタもいたようですが、彼と同じセットにいたエイミー・アーヴィングと共に「キャリー」の方に採用され、「スター・ウォーズ」からは離れることになったのでした。

<リック・ベイカー>
 「スター・ウォーズ」の中でも多くの人にとって印象的な場面として、モス・アイズリーの酒場におけるハン・ソロと賞金稼ぎの撃ち合いに至る部分があります。実は、この場面は最初に撮影したものをルーカスが気に入らず、新たに撮り直したことで誕生したものでした。何が気に入らなかったのかというと、店内のエイリアンがまったく魅了的じゃなかったのです。当初、この場面のエイリアンのデザイン、メイクアップを担当するはずだったスチュアート・フリーボーンが病気で離脱してしまったのが原因だったようです。このままでは、この場面はつまらなすぎると考えたルーカスは、予算超過を認識しつつも撮り直しを指示し、代わりの担当にリック・ベイカーを呼び寄せたのでした。
 誰もが忘れられないこの酒場の様々なエイリアンたち生み出したリック・ベイカーは、この後、映画界の異形のエイリアンのほとんどを生み出すことになります。
「狼男アメリカン」(1981年)では、それまでなかったアカデミー・メイクアップ賞初代受賞者となった後、「ハリーとヘンダスン一家」(1987年)、「エド・ウッド」(1994年)、「ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合」(1996年)、「メン・イン・ブラック」(1997年)、「グリンチ」(2000年)、「ウルフマン」(2010年)でいずれもアカデミー・メイクアップ賞を7回も受賞しており、文句なしに世界最高のメイクアップ・アーティストといえそうです。(2015年に引退を表明しました)
 その他の印象深い作品には、「悪魔の赤ちゃん」(1974年)、「キングコング」(1976年)、「溶解人間」(1977年)、「フューリー」(1978年)、「ハウリング」(1980年)、「ヴィデオドローム」(1982年)、「グレーストーク /類人猿の王者」(1984年)、「愛は霧のかなたに」(1988年)、「グレムリン2新種誕生」(1990年)、「バットマン・フォーエバー」(1995年)、「ワイルド・ワイルド・ウェスト」(1999年)、「PLANET OF THE APES/猿の惑星」(2001年)、「ホーンテッド・マンション」(2003年)、「ヘルボーイ」(2004年)、「キング・コング」(2005年)、「X-MEN ファイナル・デシジョン」(2006年)、「魔法にかけられて」(2007年)、「マレフィセント」(2014年)・・・
 メイクアップ・アーティストの第一人者ディック・スミスに弟子入りした後、彼は「エクソシスト」に参加し、師匠からの推薦により、「スター・ウォーズ」でチャンスをつかむことになりました。

<デヴィッド・プラウズ(ダース・ベイダー)>
 ダース・ベイダー役のデヴィッド・プラウズ Dave Prowseは元ボディー・ビルダーで198cmの長身俳優であることからフランケンシュタインなどの特殊な役を演じていました。この映画が撮影されたイギリスで彼のような俳優はほとんどいなかったので、彼には白羽の矢が立ったわけです。(この映画は予算削減のためにスタジオを使う撮影をイギリスのスタジオで行ったため、主演俳優以外は英国人俳優を使わなければなりませんでした)当初、彼にはダース・バイダーかチューバッカどちらかの選択権が与えられ、そこでダース・ベイダー役を選んだようです。
 ただし、彼には独特の英国の田舎の訛りがあり、のんびりとした優しい声からキャリー・フィッシャーに、それじゃ「ダース・ファーマー」でしょと言われたとか。そのため、ルーカスは早くから彼の声を吹き替えるつもりだったようです。しかし、彼はそのことを知らないままダース・ベイダーの演技を続けました。
 吹き替えを担当したのは、アメリカの黒人俳優ジェームズ・アール・ジョーンズ。彼は1970年の映画「ボクサー」で黒人俳優としてシドニー・ポワチエ以来のアカデミー主演男優賞候補に選ばれた名優です。(テレビ・ドラマの大ヒット作「ROOTS/ルーツ」では、主人公のアレックス・ヘイリーを演じています)そのため、俳優としてのこだわりもあったのか、この仕事でのクレジットを断っています。(2作目以降はクレジットされています)

<ベン・バート>
 「スター・ウォーズ」の影の功労者としてベン・バートを外すことはできないでしょう。ウーキー、イウォーク、ジャバ・ザ・ハット、R2-D2の独特の言語。ライト・セーバーの音。タイファイターなど宇宙船の音。(宇宙空間で音は聞こえないのですが・・・)そして、ダース・ベイダーのあの呼吸音。彼が生み出した音の数々抜きに、「スター・ウォーズ」は語れないはずです。
 「サウンド・デザイン」という新たな役割を担ったベン・バート Ben Burttは、1948年7月12日、ニューヨーク州ジェームズビルに生まれています。高校時代に8ミリ映画を撮り始め。卒業後はペンシルヴァニア州ミードヴィルのアレゲーニー・カレッジに入学。物理学を専攻して科学者になるはずが、その知識を応用した映画の道に進むことになります。
 1970年戦争映画「Yankee Squadron」で全米学生映画祭で賞を獲得し、南カリフォルニア大学の映画芸術科に奨学金を得て入学します。そこで映画製作の修士号を取得した後、彼は音響技術者のケン・ミウラの下で働き始めます。ある日、「スター・ウォーズ」のプロデューサーからミウラに、優秀な音響技術者を紹介してほしいという依頼があり、バートが推薦されて、スタッフの一人になったのでした。
 彼は映画に大きな貢献を果たしましたが、その業績を評価するアカデミー賞の部門は当時まだ存在していませんでした。そのため、彼はアカデミー賞で特別業績賞という賞を受けることになりました。その後、アカデミー賞には「音響賞」という新分野が創設され、彼はその後「レイダース/失われたアーク」、「E・T」、「インディー・ジョーンズ/最後の聖戦」で次々にアカデミー音響賞を獲得しています。(2014年時点でも12回もノミネートされています)
 彼の仕事ぶりに満足してからこそ、ジョージ・ルーカスは映画の公開に先駆けて、まだほとんどの映画館には普及していなかったにも関わらず、わざわざドルビー・ステレオ・サウンドでの公開を実施したのでしょう。

<ジョン・ウィリアムス>
 ジョージ・ルーカスは、「スター・ウォーズ」を完成させるまでに唯一期待以上の出来栄えだったのが、音楽だったと語っています。映画のイメージを決定づけたジョン・ウィリアムスの音楽の貢献もまた「スター・ウォーズ」大ヒットの重要な要因でした。
 当初、ルーカスはこの映画にSF映画にありがちな電子音楽とは異なる本格的なオーケストラによる音楽を考えていました。そこで「ジョーズ」で素晴らしい音楽を生み出していたジョン・ウィリアムスを採用したのでした。実は、ジョン・ウィリアムス自身は、フル・オーケストラによる音楽の制作は初めての経験でした。だからこそ、彼はこの映画の音楽にすべてを注ぎ込んだのでしょう。正直なところ、「スター・ウォーズ」以降の彼の仕事は、僕にとってどれも「スター・ウォーズ」の二番煎じに聞こえてしまいます。それほど、「スター・ウォーズ」のインパクトは凄かったということです。
 121分の映画本編のうち、彼の音楽は88分に渡って使用されています。それだけでも、彼がこの映画にどれだけ多く、どれだけ素晴らしい音楽を作ったかがわかります。どの場面にも彼は作った曲が使用され、映像のイメージとぴったりと結びついているのですから。

<ジョン・ダイクストラ>
 「スター・ウォーズ」の柱ともいえる特撮部門のトップ、ジョン・ダイクストラ John Dykstraは、1947年6月3日カリフォルニア州ロングビーチに生まれています。父親が機械技師だったこともあり、彼は9歳で8ミリカメラでの映画作りを始めています。彼はカリフォルニア州立大学で工業デザインを学びながら、16ミリ・カメラで実験的映画を製作。卒業後、彼は「2001年宇宙の旅」の特撮を担当したダグラス・トランブルの下で働き、トランブルの監督作品「サイレント・ランニング」の特撮に参加しました。しかし、完成作品を観て、宇宙船のにぶい動きにがっかりした彼は、固定された模型をカメラを動かしながら撮影し、その動きをコンピューターで制御する方法を開発しようと考えます。このシステムは、後に「ダイクストラ・フレックス」として完成することになります。このシステムも含め、新たな特撮の可能性を追求するために、ジョージ・ルーカスは自らも出資して1975年5月に「インダストリアル・ライト&マジック(ILM)」を設立。ダイクストラは、この会社が担当する特撮に関する最高責任者となりました。
 ところが、「スター・ウォーズ」の撮影が始まると、その作業の遅れや性格的な違いから、ジョージ・ルーカスとの関係が急激に悪化。彼は、「スター・ウォーズ」の完成まじかにILMを退社してしまいます。しかし、彼の貢献のおかげで「スター・ウォーズ」にはそれまでなかったスムーズでスピード感のある宇宙船の戦闘シーンが実現。映画の中のクライマックスとして語り継がれることになりました。彼は、この仕事によりアカデミー視覚効果賞を受賞しました。
 その後、彼は自身のスタジオ「アポジー」を設立し、「スター・トレック」(1979年)、「ファイヤー・フォックス」(1982年)などの視覚効果を担当し、「スパイダーマン2」(2004年)で再びアカデミー視覚効果賞を受賞しています。

<オビ=ワン・ケノビの憂鬱>
 多くのスタッフが映画の大ヒットによって名誉と仕事を得て行く中、オビ=ワン・ケノビを演じたイギリスの名優アレック・ギネスは、困惑することになりました。イギリスでは名優として「サー」の称号も得ている彼は、デヴィッド・リーン監督の「戦場にかける橋」、「アラビアのロレンス」、「ドクトル・ジバゴ」に出演するイギリスを代表する存在でした。
 それだけに「スター・ウォーズ」での成功は、アレック・ギネス=オビ=ワン・ケノビというイメージを作り上げてしまい、彼の過去の栄光をも打ち消すほどのものになってしまいました。
 ある日、彼はファンの少年から「あなたの大ファンです。たぶん100回は見ていると思います」と言われ、少年に「じゃあ、もう2度と見ないと誓えるかい?」と迫り、彼の泣かせてしまったとか・・・。

<試写会での不安>
 1976念12月31日、F・F・コッポラ主催のパーティーで「スター・ウォーズ」編集中のフィルムの一部が初公開されました。後に「帝国の逆襲」を監督することになるルーカスの大学時代の恩師でもあるアーヴィン・カーシュナーは、当時、音楽もまだないフィルムを見てがっかりしルーカスが心配になったといいます。
 唯一この時点でこの映画を面白いと評価したのは、スティーブン・スピルバーグだけだったようです。(自分が作り始めていた「未知との遭遇」が負けるかもしれない、と思ったようです)経営陣もまたこの作品を理解できず、製作費を回収するためにシドニー・シェルダン原作の映画「真夜中の向こう側」とのセットでの公開を映画館に強要する作戦をとります。(これは後に違法とされてフォックスは罰金を支払うことになります)
 結局、「スター・ウォーズ」全米初公開時の映画館数はわずか32館にとどまりました。映画館主の間でもこの映画のヒットは期待されていなかったわけです。そんな中、1977年5月25日いよいよこの映画は公開され始めます。

「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」(1980年)

<ローレンス・カスダン>
 「スター・ウォーズ」シリーズの中で多くのファンが最高傑作に選ぶ「帝国の逆襲」が、1作目を越えるレベルの作品になった理由のひとつとして素晴らしい脚本の存在があります。その脚本を実質的に一人で書いたローレンス・カスダンは、まさにその最大の功労者といえます。彼は、この映画と「レイダース/失われたアーク」の脚本で一躍その名を知られ、その後はサスペンス映画の名作「白いドレスの女」のメガホンをとり、監督としてのその実力を発揮し、「スター・ウォーズ」以外の作品で活躍を続けることになります。ます。
 ローレンス・カスダン Lawrence Kasdanは、1949年1月14日アメリカ南部のマイアミで生まれています。父親は電気屋のチェーン店を経営し、母親も雇用カウンセラーとして働く働き者で真面目な一家でした。英語の教師を目指していた彼は、ウエストバージニア州モーガンタウンで育ち、高校卒業後はミシガン大学に進学しました。大学卒業後は、シカゴで広告代理店でコピーライターとして働き出し、クリオ賞を受賞。映画の仕事に向かうことを決意した彼は、LAに移住し、広告代理店でテレビCMなどを制作しながら脚本を執筆しチャンスを待ちます。
 なんと68作目にして売れた脚本が、スティーブ・マックィーンとダイアナ・ロスによって映画化されることになりましたが、残念ながらお蔵入りとなります。なんとこの脚本は、1992年になってやっと映画化、それがケヴィン・コスナーとホイットニー・ヒューストンで大ヒットした「ボディー・ガード」でした!
 次に売れたのは、1981年に映画化された「Oh!ベルーシ絶体絶命」(マイケル・アプテッド監督作品)で、彼の名はハリウッドで知られるようになり、同じ年の「レイダース/失われたアーク」の脚本家に採用されたことで一躍ブレイク。
 当初は、SF小説家のリー・ブラケットに依頼されていた「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」の脚本ですが、なかなかルーカスの気に入ったものにならず、その間に彼女が入院してしまいます。(結局彼女は癌により1978年3月18日にこの世を去りました)その後をカスダンが引き継ぐことになったのですが、ほとんどは彼が書いたといわれています。
 1981年には、彼が脚本を書いた上述の2作品に加えて、彼が監督した「白いドレスの女」も公開され高い評価を受けました。僕も彼の映画は大好きです。
「再会の時」(1983年)は音楽が最高に生かしていました!
「シルバラード」(1985年)はニューシネマ以降の西部劇とも違う新しい娯楽アクションでした。
「偶然の旅行者」(1988年)はジーナ・デイヴィスの魅力全開の傑作です。
「殺したいほどアイ・ラブ・ユー」(1990年)はブラックだけど実にお洒落なラブ・ストーリーでした。
「わが街」(1991年)、「ワイアット・アープ」(1994年)、「フレンチ・キス」(1995年)も大人のラブ・ストーリーで素敵でした。
 彼の作品は、どれも見て損のないものばかりです。
 彼は、「帝国の逆襲」で高い評価を得て、第三作の「ジェダイの復讐」にも脚本で参加。その後の新しい3部作には参加しませんでしたが、J・J・エイブラムスの「フォースの覚醒」で再び脚本に参加しています。

<アーヴィン・カーシュナー>
 ジョージ・ルーカスは、第一作で疲れ切ったこともあり、2作目の監督は当初から別の監督に任せるつもりだったようです。しかし、なかなか彼に代わる監督は見つかりませんでした。有力な候補として、「ダウンタウン物語」(1976年)、「ミッドナイト・エクスプレス」(1978年)のアラン・パーカーと「サタデー・ナイト・フィーヴァー」(1977年)のジョン・バダムの名前があげられていましたが、二人とも監督の依頼を断っています。なぜ、富も名誉も手に入りそうな話を二人は断ったのか?
「もし、失敗すれば監督が責められ、成功しても監督ではなくルーカスの功績がたたえられる」そう考えたようです。そんな中、ルーカスは自分の大学時代の恩師だったアーヴィン・カーシュナーに監督を依頼します。
 アーヴィン・カーシュナー Irvin Kershnerは、1923年4月29日フィラデルフィアに生まれています。子どもの頃から多彩な才能を発揮していた彼は、美術、ヴァイオリン、写真、絵画などを学んだ彼は、南カリフォルニア大学(USC)で映画について学びますが、卒業後は国務省に就職。イラン、ギリシャ、トルコでドキュメンタリー映画を監督しています。
 帰国後テレビ局に再就職し、働きながら1958年「Stake out on Dope Street」を監督します。その後、監督として評価された彼は、B級アクション映画の監督として活躍し始めます。
「サウスダコタの戦い」(1976年)、テレビ映画「特攻サンダーボルト作戦」(1976年)、フェイ・ダナウェイ主演の「アイズ」(1978年)、どれもB級映画ながら高い評価を得ています。彼の細部へのこだわりはルーカス以上のもので、そのために予算は大幅に当初の予算を越え、時間的にも遅れることになります。シリーズ最高傑作と後に呼ばれることになったのは、彼の監督としての手腕が大きくものを言ったのでしょう。

「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」(1983年)

<リチャード・マーカンド>
 2作の成功により、3作目の「帝国の逆襲」はさらにハードルが高くなりました。当初、監督候補にあがったのは、アラン・パーカー、ピーター・ウィアーデヴィッド・リンチだったとそうです。その中から、最終候補にデヴィッド・リンチが選ばれ、本人もそのオファーを一度は受けたようです。「イレイザー・ヘッド」(1976年)、「エレファントマン」(1980年)の2作により、一躍、その名を知られる存在になっていました。ところが、数日後、彼は断りの連絡を入れてきました。理由は、すでに大物監督の仲間入りをした彼にとって、「スター・ウォーズ」の監督による利はないと判断してのことだったのでしょう。そんな状況で白羽の矢が立ったのが、リチャード・マーカンドだったわけです。
 リチャード・マーカンド Richard Marquand は、イギリス、ウェールズのカーディフに生まれています。父親がイギリスの国会議員というお坊ちゃまでケンブリッジ大学卒業のエリートでした。卒業後は、BBCのドキュメンタリー番組を監督。その後、1979年にキャサリン・ロス主演のサスペンス映画「レガシー」を初監督。ビートルズのテレビ向け伝記映画「Birth of the Beatles」(1979年)そして、1981年のスパイ・スリラー映画「針の眼」は高い評価を得て、それで彼に白羽の矢が立ったようです。
 彼はある意味、「帝国の逆襲」の監督を無難にこなしたといえますが、1987年9月4日に59歳の若さで脳卒中のためこの世を去りました。

<ワーウィック・デイヴィス>
 「スター・ウォーズ/ジェダイの復讐」、「スター・ウォーズ/ファントム・メナス」、「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」、「ラビリンス/魔王の迷宮」、「エンドア/魔空の妖精」、「イウォーク・アドベンチャー」、「ハリーポッター」シリーズ全作品、「ナルニア国物語/第二章カスピアン王子の角笛」、「ウィロー」、「銀河ヒッチハイク・ガイド」・・・に出演している俳優がワーウィック・デイヴィス Warwick Davisです。彼は1970年2月3日イングランドのサリー州に生まれています。低身長の俳優として「ジェダイの復讐」のイウォークのウィケット役に選ばれました。その後は、「ハリー・ポッター」シリーズでは、フリットウィック先生や小鬼のグリップフック役など、様々な役どころでSF映画、ファンタジー映画の大作に出演しています。


<「スター・ウォーズ」が影響を受けた作品>
C-3PO・・・SF映画の名作「メトロポリス」(1927年)の人間型ロボット「マリア」
R2-D2・・・・ダグラス・トランブル監督のSF映画「サイレント・ランニング」の宇宙船内の管理ロボットたち
モス・アイズリ―でラースおじさんの農場がストーム・トルーパーに襲撃される場面・・・ジョン・フォード監督の西部劇「捜索者
宇宙冒険アドベンチャーという物語のスタイル・・・「フラッシュ・ゴードン/謎の惑星モンゴ」(1940年)
レイア姫、ハン・ソロ、ダース・ベイダー、ルーク・スカイウォーカーそしてR2-D2、C-3POの関係や「エピソード4」の基本的物語・・・黒澤明の時代劇「隠し砦の三悪人」
宇宙船内のリアリズム(汚れ具合など)・・・SF映画「ダーク・スター」
砂漠の惑星の風景やサンドワーム・・・SF小説「デューン/砂の惑星」
神話の影響を強く受けた英雄たちの物語・・・ジョーゼフ・キャンベルの神話学の研究書「千の顔をもつ英雄」(1949年)
モス・アイズリ―の酒場で腕を切り落とす場面・・・黒澤明の時代劇「用心棒」
敵宇宙船内の床下に隠れ場面・・・黒澤明の時代劇「椿三十郎」
「エピソード5」の雪の惑星で風吹きから逃れる場面・・・黒澤明の「デルス・ウザーラ」
「エピソード5」の雪の中の戦闘場面・・・第一次世界大戦を描いた傑作映画「西部戦線異状なし」
タイ・ファイターとの空中(宇宙)戦・・・ハワード・ホークス監督の戦争映画「空軍/エア・フォース」

<「スター・ウォーズ」シリーズがもたらした影響>
<「スター・ウォーズ」が変えたSF映画>
 「スター・ウォーズ」によって、SF映画のクオリティーは一気に上がり、それまでのチャチな特撮映画の時代は終わりを迎えました。そのことにいち早く気づいたのは、実際にSF映画を作っていた映画会社でした。中でも、イギリスのB級ホラーの製作会社だった「ハマー・フィルムズ」や「恐竜の島」(1974年)、「地底世界」(1976年)などを製作したアミカス・プロダクションは、「スター・ウォーズ」の大ヒットを受け、今後、B級映画が生き残ることは不可能と判断。自ら会社を閉鎖してます。

<フォックスを救った「スター・ウォーズ」>
 1970年代半ば、フォックスは大作映画の失敗やテレビの普及による観客動員の減少により経営状態が悪化。赤字が続いたために、当座の資金繰りのため現金を必要としていました。そこで、「スター・ウォーズ」の権利を投資グループに売却することを考えていました。ところが、ヒットする保証のない映画の売却はうまくゆきませんでした。しかし、そのおかげで映画が大ヒットした後、その莫大な利益を失うことがなくてすみました。そしてフォックスの株価は1株あたり6ドルだったものが27ドルにまで上昇しました。
 ただひとつ彼らフォックスの経営陣が後悔したのは、「スター・ウォーズ」の続編製作権と映画のマーチャンダイジングによる利益の半分をジョージ・ルーカスに譲渡してしまったことでした。まさかその利益が史上最高の数字をたたき出すとは思えなかったのです。とはいえ、ルーカスに与えられた権利により、「スター・ウォーズ」の続編のクオリティーは前作を上回るものになりました。それまでのハリウッド映画の続編は、どれも1作目のヒットを受けて、俳優も製作費もダウンさせて二番煎じで稼ぐだけのものでしたが、「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」はその常識を打ち破ることになります。この時期に作られた「続編作品」としては、「エクソシスト2」、「ジョーズ2」、「ポセイドン・アドヴェンチャー2」、「アメリカン・グラフィティ2」、「フレンチコネクション2」などがありましたが、「フレンチコネクション2」以外は、完全に二番煎じの域を出ていませんでした。続編は、第一作から予算を落として利益を上げるために作るという常識は、この作品によって変えられたともいえます。
そしてもうひとつ、マーチャンダイジングで得られた莫大な利益は、そのまま彼によって続編の製作費やそのために立ち上げた会社「ILMインダストリアル・ライト・アンド・マジック」の運営費などに生かされることになります。

<ケナー・プロダクツ社>
 1947年設立の玩具メイカー、「ケナー・プロダクツ」は、当時マーベル・コミックのキャラクター使用権を持つメゴ・コーポレーションに圧倒されていました。しかし、「スター・ウォーズ」の権利を獲得したことで「ケナー」は1977年から1983年にかけて3億ドルを売り上げ、一躍業界のトップに躍進しました。逆に、ライバルだったメゴ社は1983年に操業を停止することになりました。

<マーベル社>
「もし『スター・ウォーズ』がなかったら、我々は倒産していただろう。『スター・ウォーズ』は単独でマーベルを救った」
元マーベル編集長ジム・シェーター

 アメリカ最大のコミック雑誌「マーベル」もまた当時はヒット作の減少と構造的な出版不況により、経営は危機を迎えようとしていました。そんな中、「マーベル」は「スター・ウォーズ」のコミック化権を獲得し、V字回復を果たします。ところが、1991年にその権利を失うと、電子ゲームの登場や日本のマンガの登場などもあり、再び経営状況が悪化。1997年にはついに倒産することになりました。
 それでも「マーベル」はしぶとい企業でした。コミックの映画化という新たな戦略により再生を果たすのです。
「ブレイド」(1998年)、「X-MEN」(2000年)、「スパイダーマン」「ブレイド2」(2002年)、「デアデビル」「X-MEN2」「ハルク」(2003年)、「スパイダーマン2」「パニッシャー」「ブレイド3」(2004年)、「ファンタスティック・フォー」「エレクトラ」(2005年)、「X-MEN/ファイナル・デシジョン」(2006年)、「ファンタスティック・フォー/銀河の危機」「スパイダーマン3」「ゴーストライダー」(2007年)、「アイアンマン」「インクレディブル・ハルク」(2008年)
 2009年、勢いを増し一大エンターテイメント産業を築きつつあったディズニーがマーベル社を買収し、子会社としたことで、さらにマーベルの勢いは増すことになります。
「パニッシャー・ウォーゾーン」「ウルヴァリンX-MEN/ZERO」(2009年)、「アイアンマン2」(2010年)、「マイティー・ソー」「X-MEN/ファースト・ジェネレーション」「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャ―」(2011年)、「ゴーストライダー:スピリット・オブ・ヴェンジェンス」「アベンジャーズ」「アメイジング・スパイダーマン」(2012年)、「アイアンマン3」「ウルヴァリン:SAMURAI」「マイティー・ソー/ダーク・ワールド」、「キャプテン・アメリカ/ザ・ウィンター・ソルジャー」「アメイジング・スパイダーマン2」「X-MEN:フューチャー&パスト」「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」「ベイマックス(アニメ)」(2014年)、「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」「アントマン」「ファンタスティック・フォー」(2015年)、「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」「デッドプール」「X-MEN:アポカリプス」(2016年)・・・・・
 他にも、テレビ・シリーズもあるので、全部見るのは大変です。

<参考>
「STAR WARS FAQ 『スター・ウォーズ』のすべて」
 2015年
(著)マーク・クラーク Mark Clark
(訳)石橋朋子、鈴木淨、町田雪
キネマ旬報

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