- ザ・ストーン・ローゼス The Stone Roses -

<ポップ・ヒーローの条件>
 ポップ・ヒーローになるための条件は、それまでにない新しい音楽を生み出すことによって、新しい価値観、新しい世界観を築くことではないか、と僕は思っています。と言っても、それらは何もないところから、生み出されるわけではありません。例えば、フォークとロックを融合させメッセージ性のあるビート・サウンドを生み出したボブ・ディラン。ブルースとロックを融合させたジミ・ヘン、さらにそこに白人独特のビート感を持ち込んでブリティッシュ・ロックのスタイルを築き上げたのは、エリック・クラプトンジミー・ペイジジェフ・ベックのギター御三家でした。ファンクとロックを融合させたスライ、クラシックとロックを融合させたイエスエマーソン・レイク&パーマーはプログレッシブ・ロックを生み出し、さらにそこにポップスの要素を持ち込んだのが、エレクトリック・ライト・オーケストラでした。ジャズとロックなら、キャメルソフト・マシーンのようなバンドもあれば、ブラッド・スウェット&ティアーズのようなホーン主体のバンドもありました。古くは、R&Bとカントリーを融合させることで、ロックン・ロール・ヒーローになったエルヴィスチャック・ベリーも忘れるわけには行きません。ヒップ・ホップとロックを混ぜて白人層にまで広めたビースティー・ボーイズ、その逆のRUN-DMCマイルス・デイビスは、ジャズとファンクを死ぬ間際に合体させて見せました。アフリカン・リズムとロックなら、デヴィッド・バーンブライアン・イーノでしょうか?しかし、それは音楽の融合だけではないかもしれません。
 コンピューターとロックを組み合わせることで、テクノ・サウンドを生み出したクラフト・ワーク、さらにサンプリングという手法を持ち込み音楽のコラヴォレーションを実現したデ・ラ・ソウル、DJというおしゃべりにレゲエを組み合わせたU・ロイ、そして同じおしゃべりにファンクのリズムを組み合わせるとラップが生まれました。・・・あげて行くときりがないのですが、こうして、既存の何かと音楽を組み合わせることで新しい何かを生み出したアーティストたちが、未だに歴史に残る存在として語り継がれているわけです。

<偉大さを理解する困難さ>
 しかし、改めて振り返って見たとき、そんなアーティストたちの偉大さは、それぞれの音楽を聴いただけでは分かりにくいかもしれません。
 例えば、クラフトワークがその後のヒップ・ホップ、ハウス、テクノに与えた影響の大きさは、他のどんなミュージシャンよりも大きいはずですが、彼らの過去のアルバムだけを聴いて、その偉大さを理解できる人は、そう多くはないはずです。
 偉大なヒーローたちのことを本当に理解できるのは、やはり同時代を共に生き、前後の時代の音楽を時代の流れとともに聴いてきた人々なのでしょう。(そうでない人にも理解できるように、このサイトはあるのですが・・・)

<80年代の貴重な存在>
 なぜこんなことを長々と書いてきたのかというと、それはストーン・ローゼスというバンドもまた、いくつかのジャンルを融合し、それをポップスとして大ヒットさせ、さらにはひとつのムーブメントとして成功させた存在だからです。そして、パンクの登場以降、80年代において、彼らのような存在は非常に貴重な存在だったのです。そのため、彼らに対する評価は一部では以上に高いものになり、その反動が彼らを短期間での解散へと追い込んだようにも思えます。

<遊び場仲間からバンド仲間へ>
 なんと4歳の時にマンチェスターの公園の砂場で一緒に遊んで以来の付き合いというイアン・ブラウンジョン・スクワイア。この二人が始めたバンドに、ドラムのレニが加わり、1984年ストーン・ローゼスというバンドの活動がスタートしました。バンド名は、ワイルド&ハードなサウンド「石」とメロディアスでポップな曲「バラ」の融合を意味しているといいます。
 1985年"So Young"というシングルを発表するもまったく売れず、1987年になってやっとセカンド・シングルを発表するチャンスをつかみました。その曲「サリー・シナモン」もまたさっぱり売れなかったのですが、彼らにとってはちょうどタイミングが良かったようです。

<アルバム・デビューへ>
 カルト的人気バンド、ザ・スミスが解散し、音楽業界では同じマンチェスターから新たなスターが誕生することを期待していました。したがって、ちょっと期待できるバンドがいれば、すぐにでも契約話しが持ち上がる状況だったのです。こうして、彼らは新興のレーベル、シルバートーンと契約することになりました。彼らにはニューオーダーピーター・フックがプロデューサーとして準備され、1988年再デビュー・シングル「エレファント・ストーン」が発売されました。(この時から、ベーシストとしてマニが加わっています)
 1989年「メイド・オブ・ストーン」が発売された後、ついにファースト・アルバム「ザ・ストーン・ローゼス」が発売されました。と言っても、このアルバムも、いきなり売れ出したわけではありませんでした。全英アルバム・チャート初登場も29位と、ささやかなスタートでした。

<伝説を生み出したパフォーマンス>
 ファースト・アルバムの発売後、彼らは音楽以外の部分で、次々に話題を生み出して行きました。彼らは、先輩アーティストたちどころか、まわりのどのアーティストも「クソ」扱いして、さらに有名になります。
 コンサートでは、スポット・ライトを使用しない薄暗いステージ上で、自分たちのレパートリーをアルバムの曲順で演奏し、アンコールなど一切なしに帰っていったものです。彼らのセカンド・シングル「サリー・シナモン」を無断で再発し、プロモーション・ビデオまで作った会社にペンキをもって乱入し、ジャクソン・ポロックの作品のように事務所をメチャクチャにして逮捕されたこともありました。(ちなみに、彼らのファースト・アルバムのジャケットに使われていたジャクソン・ポロックの作品は、ただ単に絵の具を塗りたくっているわけではありません)
 こうして、彼らはヒーローなき時代の新たなヒーローとなりました。おりしもマンチェスターでは、アシッド・ハウスのブームが盛り上がりをみせ、地中海に浮かぶヒッピーの聖地イビザ島からやって来た新しいドラッグ「エクスタシー」が大流行し始めていました。ある種60年代的状況だったとも言えるのかもしれません。そこに彼らは、「僕は憧れられたい。僕は崇拝されたい」(I Wanna Be Adored)と歌い始めたのでした。彼らが時代の波に乗るのは当然のことだったのかもしれません。

<ローゼスのサウンド>
 デビュー当時の彼らのサウンドは、60年代に活躍したアメリカのフォーク・ロック・バンド、バーズと同じ時期のビートルズ、ローリング・ストーンズのサウンドをミックスし、ハードなロック・ナンバーに作り替え、さらにダンスの要素を盛り込んだものでした。
 マンチェスターという不況まっただ中の工業都市から登場した彼らは、その後登場してくるバンドたちとともに、ひとつのムーブメントをつくって行くことになります。(他には、ハッピー・マンデーズシャーラタンズがいるし、オアシスももともとローゼスを目指して結成されたバンドでした)

<ローゼスの衝撃>
 以前から僕は気になっていたことがあります。それはストーン・ローゼスを最初に聞いたときの僕の印象は、けっして衝撃的なものではなかったということです。確かにポップで、サイケでダンサブルな新しいサウンドではあるけれども、そこに衝撃と言えるほどの驚きはありませんでした。振り返ると、このファースト・アルバムに対する評価は、ずいぶん人によって、音楽雑誌によって、評論家によって違ったようです。60年代フラワームーブメントの再来と言われたこの時期のイギリスを体験した人にとって、ストーン・ローゼスの音楽は大きな衝撃であり、時代が変わる何かを感じさせるものだったのかもしれません。しかし、60年代を体験した世代にとって、彼らのサウンドは懐かしさは感じても、それ以上のものには写らなかったのかもしれません。そのせいか、ストーン・ローゼスを評価していなかった人も多かったようです。もちろん、誰にでも評価されるようでは、ロックとは言えないとも言えるのですが・・・
 しかし、そんな状況も、彼らが5年間もの空白を生み出すことなく、活躍を続けていれば、話しは変わっていたかもしれません。レーベルの移籍問題がきっかけになったその空白期間に彼らは、巨額の移籍金で結婚したり、豪邸を建てたりと、すっかり社会人として落ち着いてしまいました。

<時代に追いつかれたローゼス>
 5年の空白の後、1994年彼らはセカンド・アルバム「セカンド・カミング Second Coming」を発表しました。それはまるで、60年代から70年代にかけてブリティッシュ・ロックがハード・ロックへと進化をとげていった進化の歴史をもう一度たどるかのような内容でした。そのレッド・ツェッペリンのハウス・ヴァージョンといった感じのサウンドは、やはりファーストに匹敵する完成度でした。しかし、それでもファーストほどの衝撃を与えるほどにはいたらなかったようです。素晴らしいアルバムではあっても、時代を変えるような作品ではなかったと言えるようです。5年の空白は、すでに彼らを優秀なブリット・ポップのバンドにしてしまっていたのかもしれません。おまけに、彼らの後から現れたブリット・ポップのアイドルたちの活躍は、すでに始まっていました。

<無手勝流のパワー>
 彼らのインタビューなどによると、けっして彼らは自ら計算ずくでカルト・ヒーローになったわけではなさそうです。(もちろん、そうなろうという信念と自信だけは凄かったのですが・・・)はっきり言って、生意気で手の着けられない悪ガキたちでした。(でも、時代はこんな連中を待っていたのですが・・・)しかし、そんな彼らが無手勝流で作ったサウンドだったからこそ、多くの若者たちが熱狂したのでしょう。5年の空白で大人になってしまった彼らにとっては、その大いなるヒーロー像が、逆に重くのしかかることになりました。彼らをヒーローに祭り上げたマスコミやファンは、彼らが普通のバンドになることを許さなかったのです。そうなると、彼らに残された道は、解散だけだったのかもしれません。そして、解散後もそのプレッシャーは、彼らの活躍を阻んでいます。(唯一、マニだけがローゼスの進化形とも言えるプライマル・スクリームのメンバーとして活躍を続けています)彼らは自ら伝説になることを望んだのですが、その実現はあまりに早すぎたのかもしれません。

<ジャクソン・ポロック>
 彼らのデビュー・アルバムのジャケット・デザインの元になった絵画の作者、ジャクソン・ポロックをご存じでしょうか?抽象表現主義の巨匠と呼ばれる彼のあの独特の手法(床に置いたキャンバスに絵の具を筆からタラす手法など)には、やはりその元となったアイデアがあったようです。
 アメリカの先住民、インディアンのある部族が儀式の時に砂をまいて地面に描く独特の砂絵、それがアイデアの元になったということです。(その絵は、抽象的であるだけでなく上下左右どの方向から見ても良いように描かれているという点でもポロック的でした)
 そこにアルコール依存症の治療のために描いた無意識に書かれた不思議な絵がもたらしたインスピレーションが加わることによって、あの斬新な絵画が生まれたのです。

<締めのお言葉>
「私は絵を描いているとき、自分がいったい何をしているのか自覚していない。私がそれまで何をやっていたのかに初めて気づくのは、自分の絵にすっかりなじんでからなのだ。私は、イメージを変えたりぶっ壊したりすることなどには何の恐れも感じない。なぜなら、絵を描くことはそれ自身でひとつの生命を持っているからだ。・・・」

ジャクソン・ポロック(画家)

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