「ストレンジャー・ザ・パラダイス Stranger Than Paradise」 1984年

- ジム・ジャームッシュ Jim Jarmusch -

<インデペンデント時代の先駆け>
 1980年代半ば、この映画とジム・ジャームッシュの登場によってインデペンデント映画の歴史が大きく変わり、その後の世界の映画の流れをも変えることになった重要な作品です。ところが、それだけ重要な作品が、別の映画の余ったフィルムを用いて撮られた超低予算作品だったというのですから・・・公開当時、誰がそんな重要な作品になることを予想したでしょうか。
 それまでの映画には見られなかったこの映画の特徴をあげると、ざっとこんなところでしょうか。
(1)この時代としては珍しいモノクロの作品であるだけでなく異常に粗い画面粒子であること。

(2)90分の映画にも関わらず「新世界」「一年後」「パラダアアイス」の3部作からなる3部構成の作品であること。

(3)出演者が無名の俳優であり、なおかつ主役のジョン・ルーリーとリチャード・エドソンはどちらもミュージシャンだということ。(監督自身も、かつてザ・デル・ビザンティーンズというバンドに在籍していました)

(4)短い台詞と長い間、音楽と同じように必要なところにだけ挿入されているため、「間」がとにかく多い作品です。そのうえ、ミシガン湖の真っ白な風景の映像に象徴されるように画面にもまた空白が多く、その場面を転換する紙芝居のようなワイプの手法もまた独特の間を作っています。そして、ワンシーン・ワンカットにこだわった異常にシンプルな構成。

(5)ハリウッド映画ではありえない何の事件も起きないストーリーの展開。この映画では、殺人事件も、強盗事件も、レイプ事件も、運命の出会いも、宇宙からの侵略も、クーデターも、不幸な別れも、戦争も、何も起きません。これもまた日本映画、特に小津安二郎の作品から強い影響を受けたといわれています。観客を飽きさせないために次々に事件を起こしドラマを展開させ続けるハリウッド式ヒットの法則。この映画はその対極に位置する映画といえます。もちろん、こうしたドラマチックさを排除した作りは、今までもインデペンデント映画の世界では数多く撮られてきました。しかし、この映画ほど世界中でヒットした作品はなかったはずです。そのことこそが最大の特徴だといえるでしょう。

 この映画のヒットによって、インデペンデント映画の作家たちは映画会社からの出資を受けることが可能になり、同時にインデペンデント系の映画会社が発展することにもなりました。もちろん、こうした流れはこの映画だけのせいで生まれたわけではなく、ロバート・レッドフォードが主催するインデペンデント映画の祭典「サンダンス映画祭」の貢献も大きかったでしょう。しかし、ジム・ジャームッシュの世界的な活躍とその影響はそうした流れの中から登場したどの監督よりも大きなものだったことは確かです。同じようにインデペンデント映画の世界から出発した中には、「セックスと嘘とビデオ・テープ」(1989年)でカンヌ・グランプリ、サンダンス映画祭で観客賞をとったスティーブン・ソダバーグや「エル・マリアッチ」(1992年)でサンダンス映画祭観客賞受賞のロバート・ロドリゲス、「ジョーズ・バーバー・ショップ」(1983年)でロカルノ映画祭銅賞をとったスパイク・リー、「ブラッド・シンプル」(1985年)でサンダンス映画祭グランプリをとったコーエン兄弟、サンダンス映画祭ドラマ部門グランプリの「ポイズン」(1991年)で一躍有名になったトッド・ヘインズ、同じくサンダンス映画祭で高い評価をえた「レザボア・ドッグス」(1992年)でデビューしたクエンティン・タランティーノなど、その後メジャー映画の監督へと昇格し、よりハリウッド的な大作を撮るようになっていった監督は何人もいます。しかし、そんな中、ジム・ジャームッシュはインデペンデントの作家としての活動にこだわり続け、その作風も基本的に変えずにいるという点で異色の存在といえるでしょう。
 映画の歴史を変えたこの新しいスタイルは、いかにして生まれたのか?先ずはキーワードとして「ニコラス・レイ」、「小津安二郎」、「ロード・ムービー」、「フェイク・ジャズ」をあげてみたいと思います。

<映画監督への道>
 ジム・ジャームッシュJim Jarmuschの映画がもつスタイルは、彼が映画監督になるまでの道のりに大きな関わりがあります。彼は最初から映画監督になろうと思っていたわけではありません。最初に目指していたのは詩人でした。1953年1月22日オハイオ州アクロンに生まれた彼は当時のアーティスト志望の若者たちの多くがそうだったように青春時代にヨーロッパを長く旅しています。詩人になることを夢見ていた彼ですが、フランスに長く滞在し、その当時パリの映画館で上映されていた名画の数々を見まくるうちに映画の製作に心引かれるようになりました。
 アメリカにもどり、コロンビア大学の大学院に在籍中、彼はそこで教鞭をとっていたニコラス・レイの助手を勤めることになりました。
 ニコラス・レイといえば、ジェームス・ディーン主演の不朽の名作「理由なき反抗」(1955年)の監督です。しかし、彼は「理由なき反抗」の監督として有名であると同時にハリウッド映画の歴史における「悲劇の監督」のひとりとしても知られる存在です。「理由なき反抗」だけでなくヌーヴェル・ヴァーグの作家たちに大人気の作品「大砂塵」(1954年)によって世界的な評価を得ていながら、アルコール依存症と映画会社上層部との対立からハリウッドにいられなくなった彼はヨーロッパに移住。そこで1960年代にヨーロッパの資本により「キング・オブ・キングス」(1961年)、「北京の55日」(1963年)などの作品を撮るものの、それは彼が撮りたかった作品とは程遠い不本意なものばかりでした。
 結局彼は心臓発作のため、映画監督を続けられなくなり、1972年ニューヨーク大学の講師に就任。そこでジム・ジャームッシュと出会うことになったわけです。さらに、彼は同じくニコラス・レイのもとで学んだ後、共同監督としてレイと「ニックス・ムービー 水上の稲妻」(1980年)を撮ることになるドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースとも知り合うことになります。(ジャームッシュもその映画の撮影に参加しています)さらにこの時期、彼は前述のバンド、ザ・デル・ビザンティーンズとしてアンダーグラウンド系の前衛ロックを演奏していて、同じような音楽活動をしていたザ・ラウンジ・リザースのジョン・ルーリーとも親しくなっています。パンク・ロックとジャズとファンク・ミュージックを合体させた彼らの音楽は当時「フェイク・ジャズ」と名づけられ、パンク・ロックから派生したニューウェーブ・サウンドの流れとは別の新しい流れとして世界的な注目を集めるところでした。(かつて僕も彼らの生演奏を新宿のツバキハウスで聴きました。いなせなあんちゃんって感じで格好良かったです!)ファンキーかつ前衛的な彼らのサウンドは、そのままジム・ジャームッシュの映画へと拡張されたように思えます。音と音の「間」は、絵と絵の「間」へと移し換えられ、そこからまったく新しい音楽的な映画が生まれることになったのです。こうして、いよいよジャームッシュは友人のジョン・ルーリーと共同で音楽を作りながら、長編第一作となる映画「パーマネント・バケーション」(1980年)を完成させます。この作品はいくつかの映画祭で注目を集めますが、何といっても世界中を驚かすことになったのは、第二作の「ストレンジャー・ザン・パラダイス」でした。実はこの作品が完成するのには、いくつかの幸運が必要でした。

<ことの次第>
 先ず第一に、ドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースがアメリカで「ことの次第」(1991年)を撮影。この映画の余った40分のモノクロ・フィルムをジャームッシュが譲り受け週末を使って30分ほどの短編映画を撮りました。これが「ストレンジャー・ザン・パラダイス」完成後の「新世界」にあたる部分となりました。(ちなみに、「ことの次第」という映画は、予算不足によりフィルムが足りなくなり撮影が中断してしまった撮影隊のお話しです)このフィルムを彼はいくつかの映画祭に出品したところ、ロッテルダム映画祭で批評家賞を受賞。そのおかげでドイツ人のプロデューサーから資金提供の申し入れがあり、残りの部分の製作も可能になりました。こうして残りの部分「一年後」と「パラダイス」を追加撮影してこの映画が完成に至ったわけです。完成後、この作品は再び映画祭に出品され、今度はカンヌ映画祭で見事カメラ・ドール賞を受賞。一躍世界中の注目を集めることになったのでした。

<小津安二郎>
 こうして、ジャームッシュは、ヴェンダースとニコラス・レイから直接大きな影響を受けることになったわけですが、それに匹敵する影響を彼が受けたと考えられるのが、ヴィム・ヴェンダースの心の師匠でもある小津安二郎です。ヴェンダース同様ジャームッシュもまた大きな影響を受けています。
 なんといっても、ドラマ性を徹底的に排除した淡々と進むストーリー展開は、まさに小津安二郎からの影響でしょう。無駄をはぶいたシンプルな台詞回しもまた小津作品からの影響です。

<ロード・ムービー>
 ヴェンダース監督は、小津監督の「東京物語」は偉大なロード・ムービーであると言ったそうですが、ヴェンダース、ジャームッシュ、二人の監督の「ロード・ムービー」へのこだわりもまた他の監督の追随を許さないレベルです。
 この作品もまた、ハンガリーからニューヨークへ、ニューヨークからクリーブランドへ、その後フロリダへの旅、再びハンガリーへの帰郷と典型的なロード・ムービーになっています。そして、彼のその後の作品もまたそのほとんどがロード・ムービーです。
「ダウン・バイ・ロー」(1986年)は脱獄もののロード・ムービー。「ミステリー・トレイン」(1989年)は、メンフィスを舞台にしたエルヴィスを巡るロード・ムービーです。「ナイト・オン・ザ・プラネット」(1991年)はタクシーを舞台にしたロード・ムービー。「デッドマン」(1995年)は死へと向かう究極のロード・ムービー。「イヤー・オブ・ザ・ホース」(1995年)は、ニール・ヤングとクレージー・ホースのライブ・ツアーのドキュメントであると同時に過去への時間の旅をもさせてくれる仕掛けでした。
 彼の人生は映画作りのための旅であり、すべてがロケハン、もしくはロケにつながっているのかもしれません。

<フェイク・ジャズ>
 この作品で、もうひとつ忘れられないのは、ジョン・ルーリー率いるザ・パラダイス・カルテットの演奏による映画音楽でしょう。映画のもつとぼけた雰囲気にぴったりのジョン・ルーリーのサックスを中心とする音楽と映像の一体感もまたこの作品のもつ重要な魅力のひとつです。それと、後に「ミステリー・トレイン」に出演することにもなる異色のブルース・アーティスト、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスの歌う「アイ・プット・スペル・オン・ユー 君に魔法をかけよう」も忘れられません。この映画のヒットによって一躍、彼の人気が高まり、ちょっとしたブームが巻き起こることになりました。
 この映画はこうして映画ファンだけでなく音楽ファンの心もつかむことで、ひとつのブームを作ることに成功しました。それはお洒落なファッションのひとつともいえるほどの広がりをみせ、わずか1万2000ドルの製作費で作られた作品が11万ドルを越える収益をあげるという奇跡を起こすことになりました。この後、映画産業の人間たちがインデペンデント映画の作家たちに注目し、次々にスター監督が登場することになるのも、こうして彼が業界人にとっては夢のような奇跡を起こしてみせたおかげともいえるのです。
 かつて、1970年代から80年代にかけて、フランシス・フォード・コッポラやジョージ・ルーカスなど、ロジャー・コーマンに育てられた若手の監督たちが一時代を築きました。それに対して、その後1990年代にかけては、インデペンデント系の映画祭などから次々と新しい才能が登場することになります。その先駆けとなったのがこの映画で登場したジム・ジャームッシュだったわけです。

「ストレンジャー・ザン・パラダイス Stranger Than Paradise」 1984年公開
(監)(脚)ジム・ジャームッシュ
(製)サラ・ドライヴァー
(製総)オトー・グローケンバーガー
(撮)トム・ディチロ
(音)ジョン・ルーリー
(出)ジョン・ルーリー、エスター・バリント、リチャード・エドソン、セシリア・スターク

<あらすじ>
 ニューヨークに住んでいるハンガリー移民のウィリー(ジョン・ルーリー)は、アメリカに憧れてやってきたものの、競馬やギャンブルなどでその日暮らしをする空しい毎日でした。そんなある日、彼のいとこエヴァ(エスター・バリント)がハンガリーからやって来て、叔母さんの家に行くまでの間、同居させることになります。こうして、二人の不思議な共同生活が始まります。
 一年後、彼は友人のエディ(リチャード・エドソン)と二人でエヴァと叔母さんの住むオハイオ州のクリーブランドへと車で出かけます。何もない街、だだっ広い湖、暇つぶしのカード・ゲームでも叔母さんにぼろ負けしてしまったウィリーは、うんざりしてしまい、南の楽園フロリダへの旅を提案。エディとエヴァ、三人で南へと旅立ちます。
 フロリダに着いた3人ですが、ウィリーとエディはエヴァをモーテルに置き去りにしたまま、有り金を持って賭け事に出かけてしまいます。いい加減うんざりしてしまったエヴァですが、なぜか麻薬の売人と間違えられ大金を渡されてしまいます。エヴァはその金で故郷のハンガリーへ帰ろうと考え、空港へと向かいます。
 競馬で大金を当て大喜びでモーテルに戻ったウィリーは、そのことを知るとあわてて空港に向かい、彼女を連れ戻そうとハンガリー行きの飛行機に乗り込みます。ところが、その便にエヴァは乗っていませんでした。しかし、ウィリーはそのままハンガリーへと飛びたって行きました。

<1984年の代表作>

「黄色い大地」により中国第五世代の活躍が注目される

「アナザーカントリー」(監)マレク・カニエフスカ(主)ルパート・エヴェレット(カンヌ映画祭芸術貢献賞受賞)
「アマデウス Amadeus」(監)ミロシュ・フォアマン(脚)(原)ピーター・シェイファー(アカデミー作品、監督、主演男優賞受賞(F・マレー・エイブラハム))
「田舎の日曜日」(監)ベルトラン・タヴェルニエ(主)ルイ・デュクルー(カンヌ映画祭監督賞受賞)
「インドへの道 A Passage To India」(監)デヴィッド・リーン(音)Maurice Jarre アカデミー作曲賞(ペギー・アシュクロフトがアカデミー助演女優賞))
「ウーマン・イン・レッド/ I Just Called To Say I Love You」 Stevie Wonderアカデミー歌曲賞 (監督は俳優のジーン・ワイルダー)
「エレメント・オブ・クライム」(監)ラース・フォン・トリアー(カンヌ映画祭フランス映画高等技術委員会賞受賞)
「黄色い大地」(監)チェン・カイコー(原)カー・ラン(脚)チャン・ツーリャン(出)シュエ・パイ、ワン・シュエチー(中国映画の新しい波が注目を集める)
「キャル」(監)パット・オコナー(脚)(原)バーナード・マック・ラヴァティ(ヘレン・ミレンがカンヌ映画祭主演女優賞受賞)
「キリング・フィールド The Killing Field」(監)ローランド・ジョフィー(ハイン・S・ニョールがアカデミー助演男優賞受賞)
「ゴースト・バスターズGhostbusters」(監)アイヴァン・ライトマン(音)レイ・パーカー・Jr.、Elmer Bernstein
「ゴダールのマリアHAIL MARY」(監)(脚)ジャン=リュック・ゴダール、アンヌ=マリー・ミエヴィル(出)ブルーノ・クレメル、オーロール・クレマン
「コットン・クラブ The Cotton Club」(監)フランシス・F・コッポラ(音)John Barry (伝説のジャズ・クラブの物語)
「シテール島への船出」(監)テオ・アンゲロプロスカンヌ映画祭脚本賞、国際批評家連盟賞受賞)
「ストップ・メイキング・センス Stop Making Sense(監)ジョナサン・デミ(トーキング・ヘッズの傑作ライブ、ジョナサン・デミの出世作)
「ストリート・オブ・ファイヤー Street of Fire」(監)ウォルター・ヒル(青春ロックン・ロール現代西部劇、音楽はライ・クーダー)
ストレンジャー・ザン・パラダイス Stranger Than Paradise」 (監)ジム・ジャームッシュ
(インディペンデント映画ブームのきっかけとなった傑作、ジョン・ルーリー主演、カンヌ映画祭カメラドール受賞)
「ターミネーター」(監)(脚)ジェームス・キャメロン(製)(脚)ゲイル・アンハード(出)アーノルド・シュワルツェネガー、リンダ・ハミルトン、マイケル・ビーン
「太陽の年」(監)クシシュトフ・ザヌーシ(出)マヤ・コモロフスカ、スコット・ウィルソン(ヴェネチア映画祭金獅子賞
「冬冬(トントン)の夏休み」(監)(脚)ホウ・シャオシェン(原)チュー・ティエンウェン(出)ワン・チークアン、リー・シュジェン
「ナチュラル The Natural」(監)バリー・レヴィンソン(音)Randy Newman(ノスタルジックな大リーグ映画、音楽はぴったりのR.ニューマン)
「パープル・レインPurple Rain」Prince アカデミー編曲賞(プリンスの半伝記映画、プリンス、ジミヘンに挑む!)
「パリ・テキサス Paris,Texas」(監)ヴィム・ヴェンダース(脚)サム・シェパード
ライ・クーダーの究極のギター・サウンド、ハリー・D・スタントン主演、カンヌ映画祭パルムドール、国際批評家連盟賞受賞)
「フットルースFootloose」(監)ハーバート・ロス(音)ケニー・ロギンス、ディーン・ピッチフォード
「プレイス・イン・ザ・ハート Places In The Heart」(監)ロバート・ベントン(サリー・フィールドがアカデミー主演女優賞受賞)
「ホテル・ニューハンプシャー」(監)(脚)トニー・リチャードソン(原)ジョン・アーヴィング(出)ジョディ・フォスター、ロブ・ロウ、ボー・ブリッジス
「無垢なる聖者」(監)マリオ・カムス(フランシスコ・ラバルとアルフレード・ランダがカンヌ映画祭主演男優賞を同時受賞
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ Once Upon A Time In America」(監)セルジオ・レオーネ(音)Ennio Morricone
(レオーネ、モリコーネの集大成ともいえる傑作)

「お葬式」(監)(脚)伊丹十三(撮)前田米造(出)山崎努、宮本信子、菅井きん、大滝秀治
「おはん」(監)(製)(脚)市川崑(原)宇野千代(出)吉永小百合、大原麗子、石坂浩二
「風の谷のナウシカ」(監)(原)(脚)宮崎駿(プロ)高畑勲(音)久石譲(作画監)小松原一男
「ゴジラ」(監)橋本幸治(原)(製)田中友幸(出)田中健、沢口靖子(ゴジラ三十周年記念作品)
「さらば箱舟」(監)(台)寺山修司(台)岸田理生(出)小川真由美、山崎努、原田芳雄
「瀬戸内少年野球団」(監)篠田正浩(製)原正人(原)阿久悠(脚)田村孟(出)夏目雅子、郷ひろみ、佐倉しおり
「Wの悲劇」(監)(脚)澤井信一郎(原)夏樹静子(脚)荒井晴彦(音)久石譲(出)薬師丸ひろ子、三田佳子
「チ・ン・ピ・ラ」(監)(脚)川島透(脚)(企)金子正次(出)柴田恭兵、ジョニー大倉、石田えり
「廃市」(監)(プ)(企)(音)大林宣彦(原)福永武彦(脚)内藤誠、桂千穂(出)小林聡美、山下規介、根岸季衣
「麻雀放浪記」(監)(脚)和田誠(原)阿佐田哲也(脚)澤井信一郎(出)真田広之、鹿賀丈史

ジョニー・ワイズミュラー(俳優)死去(79歳)
フランソワ・トリュフォー(監督、俳優)死去(まだ52歳)
大川橋蔵(俳優)死去(55歳)
森谷司郎(監督)死去(53歳)
平田昭彦(俳優)死去(56歳)

<1984年の出来事>
第10回主要先進国首脳会議(ロンドン・サミット)
国連国際人口会議
<アメリカ>
ロサンゼルス・オリンピック開催(ソ連圏不参加、中国初参加)
(カール・ルイスが4冠、山下泰裕が柔道無差別級で金メダル:協賛企業を前面に出した商業オリンピックの始まり)
スペース・シャトル、ディスカバリー打ち上げ成功
レーガン大統領、訪中
カナダ、マルルーニー内閣発足
<ヨーロッパ>
コメコン首脳会議開催(キューバ欠席)
サッチャー訪中し、香港返還への同意文書へ調印
ベルリンで東ドイツからの亡命者激増
欧州原子力研究所が素粒子トップ・クオークを発見
フランスの構造主義哲学者ミシェル・フーコー死去
<アフリカ・中東>
イラン・イラク報復戦争勃発
エジプト・ヨルダン首脳和解会談開催
アフリカの飢餓24カ国に拡大、深刻化
南ア、ヨハネスブルグで黒人暴動発生
<アジア>
中国、オリンピック初参加
シーク教徒によるガンジー首相暗殺事件(インド国内で宗教紛争激化)
ソウルで集中豪雨、朝鮮から救援物資搬入
<日本>
第一回世界湖沼環境会議、滋賀県大津市で開催
江崎グリコ社長誘拐事件
日本世界一の長寿国となる
長野県西部地震
植村直巳、マッキンリーで消息を断つ
チケット・ピア営業開始
コアラが日本にやってくる
エリマキトカゲが一大ブームとなる

<芸術、文化、商品関連>
「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ著(チェコ)
「秋のホテル」アニタ・ブルックナー著(ブッカー賞受賞)
愛人(ラ・マン)」マルグリット・デュラス著(仏ゴンクール賞受賞)
宮崎駿「風の谷のナウシカ」がヒットし、宮崎駿時代が始まる
大友克洋「アキラ」コミック発売日本から海外へブームが広がる
アップル社が「マッキントッシュ」発売
ナイキ社が「エア・ジョーダン」発売
フェラーリ「テスタロッサ」発売
<音楽関連(海外)>
映画「フット・ルース」大ヒット
映画「ストップ・メイキング・センス」公開(ミュージック・ビデオの歴史的傑作誕生)
映画「ビート・ストリート Beat Street」公開(ヒップ・ホップを世界に広めた作品)
<音楽関連(国内)>
「アトミック・カフェ」コンサートで尾崎豊が骨折事故を起こしながら歌いとおす
<この年の音楽について>

1984年のページへ   20世紀映画劇場へ   トップページへ