虚飾の自由が生んだシネマ・ドュ・ルック |
「世界サブカルチャー史 欲望の系譜 シーズン2」
「逆説の60-90s」
第3回「欧州編 80年代」
<第1章「対抗 Antagonism>
1980年代初め、イギリスではサッチャー政権のもとで、戦後長く続いてきた「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれた福祉政策の切り捨てが行われていました。
「鉄の女」の冷たい政策によって、古き良き英国の民意が失われようとしていました。
そんな中、1980年12月8日、ビートルズ解散後、アメリカに住んでいたジョン・レノンがニューヨークで射殺されます。
60年代、70年代、80年代と、私たちが見てきた時代にもいろいろなことが起こりましたが、あれが60年代的世界「愛と平和」の本当の終わりでしたね。
カート・アンダーセン
「炎のランナー」(1981年)(監)ヒュー・ハドソン(出)ベン・クロス、イアン・チャールソン、イアン・ホルム
当時の映画界ではアメリカとイギリスの間に常に緊張関係がありました。イギリスは自国の歌手、自国の映画を持つことに常に苦労してきました。
なぜなら才能のある人は皆ハリウッドに行ってしまったから。そんな中、「炎のランナー」はハリウッドに衝撃を与えた映画のひとつです。
ハリー・リッチー
この英国らしい英国映画の世界的成功により、イギリスから映画を輸出する新たな波が生まれる可能性が高まりました。
この時代は、ちょうどダイアナ王妃が世界的人気者になった時期とも重なり、英国では愛国心が高まってもいました。
しかし、そんな状況を打ち壊す事件が起きてしまいます。
「ブリクストン暴動(血の土曜日)」
1981年移民たちが多く住むロンドンのブリクストンで黒人たちを中心とする暴動が起きます。
貧しい人々の不満がたまっていたことから、この暴動はその後イギリス各地へと広がります。それは英国が内戦状態になったかのような混乱でした。
サッチャー政権による厳しい緊縮財政は、労働者、移民労働者などの弱者を苦しめただけではありません。
「ケス」などの作品によって労働者たちの生活を描いてきた映画監督ケン・ローチは、この時期から10年間沈黙することになります。
反政府的な映画監督である彼は政府からの圧力によって、映画製作のための出資を得られなくなってしまったのです。
<第2章「融解 Melting」>
「ラ・ブーム」(1980年)(監)クロード・ピノトー(出)ソフィー・マルソー
80年代に世界的なアイドルとして活躍することになるソフィー・マルソーのデビュー作。
当時のフランスは、イギリスとは別の道を歩み、社会党のミッテラン政権が企業の国有化、死刑制度の廃止などを実施。
しかし、アメリカからの経済的、文化的な影響からは免れられず、映画界もまた苦境の時期を迎えていました。
60年代に登場したヌーヴェルヴァーグの巨匠たちの作品は過去のものとなり、逆にアメリカ文化の影響のもとで生まれた新しい世代による作品が登場。
彼らの作品はニュー・ヌーヴェルヴァーグと呼ばれ、フランス映画の新時代を生み出してゆきます。
「ディーバ」(1981年)(監)ジャン=ジャック・ベネックス
「サブウェイ」(1985年)(監)リュック・ベッソン
「汚れた血」(1986年)(監)レオス・カラックス
「ベティ・ブルー」(1986年)(監)ジャン=ジャック・ベネックス
1980年代にピークを迎える文化のグローバリゼーションの一例ですね。新しいジャンルを開拓しました。
単なるアメリカ映画のマネではなく複雑なハイブリッドが作り上げられたのです。
カート・アンダーセン
<第3章「買収 Buy-out」>
1981年アメリカでMTVが放送を開始し、一日24時間音楽映像が見られる時代になり、音楽業界は大きな転機を迎えました。
「Morning Train(Nine to Five)」(1981年)シーナ・イーストン(イギリス)
「Take On Me」(1984年)a-ha(ノルウェー)
「The Final Countdown」(1986年)ヨーロッパ(スウェーデン)
1980年代のMTV最大のアイドルはマドンナでした。彼女は音楽だけでなく、そのライフスタイルや政治的発言、ファッションでも世界中に影響を与えました。
この時代はそんな彼女のような個性的ファッション・アイコンが活躍する時代でもありました。
当時のファッションには女性への敬意が表されていたのです。例えばアルマーニはパンツ・スーツで、働く女性のイメージを作り上げました。
いずれにしても女性のイメージが尊重され洋服の着こなしも近代化され、一人の女性として仕事の世界に加わることが当然という価値観です。
ヴェルサーチは逆に奇抜な女性像を表現しました。そして、そこにはアメリカからイタリアに輸入された音楽が添えられました。
ディディ・ニョッキ
イタリアでの人気が特に高かったマドンナがヴェルサーチのブランド・モデルに選ばれたのは当然でした。
イギリスではレーガン政権が展開するグローバリズムに抵抗するかのような映画が生まれ、口コミで世界的なヒットとなりました。
「ローカル・ヒーロー 夢に生きた男」(1983年)(監)ビル・フォーサイス(出)ピーター・リーガート、バート・ランカスター
アメリカの石油会社がスコットランドの海辺の村に石油精製所を建設するため、土地の買収を始めます。
巨額の買収金額に、多くの村人は買収に応じることにしますが、ある男の抵抗から流れが変わり始めます。
現実には、スコットランドの石油産業は多国籍企業に完全に乗っ取られてしまいましたが、この映画の中のイギリス人たちはアメリカ資本に「ノー」を告げました。
世界中でこの映画が静かなヒットになったのは、多くの人がこのファンタジー映画の主張に共感をおぼえたからなのでしょう。
80年代の作品の多くは本質よりもスタイルを重視します。
この時代の多くの作品はビジュアルが美しい。色が立っていて、カメラがすべてを綺麗なポスターのように切り取っている。人物以上に美しい風景が重要なのです。
必ずしも俳優が何を感じているかよりもカッコイイ仕草こそが重要なのです。
オリバー・スペック
この時代の映画は、まさに「シネマ・ドュ・ルック」(見た目重視の映画)の時代だったのです。
<第4章「緊迫 Fraught」>
1983年大韓航空機がソ連の戦闘機によって撃墜され、269人が亡くなる大惨事が起きました。乗客の中にはアメリカ人もいたことから、米ソの関係は一気に悪化。
レーガン大統領はソ連を「悪の帝国」と呼び、「スター・ウォーズ」計画を発表します。こうして「新冷戦」時代が始まりました。
「ロックバルーンは99」(1983年)NENA(ドイツ)
99個の風船が地平線に浮かんでいた
それを見た人はUFOだと思った
それで将軍が命令して戦闘機が風船を追ったUFOに警告するために
でも地平線にあったのは99個の風船だった
東西の緊張が最も高まっていたのは、ベルリンの壁があるドイツでした。
そしてその周辺のヨーロッパ諸国は核戦争の恐怖に怯えることになりました。
「ノスタルジア」(1983年)(監)アンドレイ・タルコフスキー(出)オレーグ・ヤンコフスキー
1980年代のロシアが2つに分断されていくという考えにぴったりと当てはまってしまいました。
タルコフスキーがロシアを離れ亡命者になることを選んだ時の想いを描いています。
ディディ・ニョッキ
「人類はすべて崖っぷちにいる。転落する運命にある。それを直視し、ともに食べ眠る勇気がないなら我々にとって自由は何の役にも立たない」
映画「ノスタルジア」より
我々は物質的な発達を優先してきたあまり自らがつくりだしたテクノロジーと対抗するには全く無防備に成り果ててしまった。
私にとっては人間は本質的に精神的な存在である。そうしないならば、社会は衰退するしかない。
アンドレイ・タルコフスキー「ノスタルジア」パンフレットより
<第5章「虚飾 Affectation」>
1984年レコード業界で成功していたヴァージンレコードのリチャード・ブランソンが航空業界に進出。
ヴァージン・アトランティック航空を設立し、ロンドン-ニューヨーク間の99ドルの格安航空券を発売開始します。
アメリカの影響力は、ヨーロッパでさらに強まることになりました。
そんな中、アメリカ映画の影響を強く受けたドイツ人監督がアメリカを舞台に代表作を生み出しました。
「パリ、テキサス」(1984年)(監)ヴィム・ヴェンダース(出)ハリー・ディーン・スタントン、ナスターシャ・キンスキー
アメリカの空虚さをアメリカの広大な土地と夫婦関係の崩壊によって描き出したこの時代を象徴する作品。
この映画にはヴィム・ヴェンダースがアメリカに夢を持って移り住んだ後に体験したこと、彼にとって神話であったジャック・ケルアックの「路上」に書かれているような私たちのヨーロッパにない広大な地の物語が彼の次元で表現されています。
彼自身、すべてに疑義を呈した世代で、人生の困難、建築物、愛や結びつき、家族の概念、性の革命、それらのすべての要素が映画に含まれているのです。
ディディ・ニョッキ
彼は自身を「最後のアメリカ映画作家」と呼んでいました。
「現代のアメリカは自分の富を開発する術を忘れてしまった」
ヴィム・ヴェンダース
<第6章「加速 Accelaration」>
「We are the World」(1985年) USA for Acrica
わたしたちは一つの世界だ わたしたちはその子供
わたしたちは豊かさを分け与え 一日をより良くできる
わたしたちは選択できる わたしたち自身の命が救われる
本当さ もっと良い日にできる 君と僕がいれば
「ライブ・エイド Live Aid」(1985年)
ボブ・ゲルドフを中心にアフリカの飢餓救済のために開催されたチャリティー・イベントが開催されました。
世界各地を衛星中継で結びライブを展開。大物ミュージシャンが多数出演し伝説的なライブとなりました。
ただし、目的は正しくても、ショービズ化を免れることはできず、多くのバンドが人気を獲得するための競争の場として利用したのも確かです。
振り返れば、そもそも世界を変えるとは初めから思えないイベントでした。
ライブ・エイドは世界を変えられませんでしたが、たった一人で世界を変える男がこの時期に表れます。「ゴルビー」の登場です。
1985年、ミハイル・ゴルバチョフがソ連の指導者となり「ペレストロイカ(再構築)」を開始します。
1986年、チェルノブイリ原発事故が起き、情報公開の遅れが大きな問題となります。
そこでゴルバチョフが選択したのが、次なる改革「グラスノスチ(情報公開)」でした。
しかし、情報の公開は、それまでの社会主義諸国にはタブーとされる革命的な転換であり「諸刃の剣」でした。
それは「報道の自由」につながることで、社会主義体制を根本から覆す可能性を秘めていたからです。
1987年、西ドイツの女性ファッション誌「burba」のロシア語版が発行されます。
政治的にはどうということのない事件でしたが、それはロシアで出版された最初の西側の出版物となりました。
「未来世紀ブラジル」(1985年)(監)テリー・ギリアム(出)ジョナサン・プライス、ロバート・デニーロ
かなり先見性があり、近未来を見据えた内容です。
産業革命はイギリスで起きたため、産業社会の暗黒面を早くから見抜いていたのです。
工場で同じ仕事を繰り返し、ただひたすらモノを作り続ける退屈さも描かれています。
イギリスには反復的な労働から脱出しようとする長い伝統があります。
ハリー・リッチー
同じくイギリス出身のジョージ・オーウェルの「1984」、チャップリンの「モダン・タイムス」も同じ問題を描いていました。
少しでも先見の明があれば、この自由な資本主義がいつまでも続くわけがないとわかりますね。いわば「火山口のダンス」です。
もうすぐ終わると思っていても楽しもう(FUN)という感じです。ヨーロッパというよりアメリカ的な意味でのFUNです。
空っぽで歴史や背景のないFUNです。
オリバー・スペック
1987年10月19日、アメリカで「ブラックマンデー」と呼ばれることになった株価の大暴落が起きました。
そんな暴走が止まらないアメリカの経済体制に対抗するようにヨーロッパは、もう一つの巨大な経済体制を築くために動いていました。
1987年、その結果として単一欧州議定書が発効。いよいよECの誕生が近づきます。
そんなヨーロッパとアメリカの経済的な戦争を象徴するような映画が誕生します。
そして、その作品はアカデミー賞などの映画賞を席巻することになります。
「ラスト・エンペラー」(1982年)(監)ベルナルド・ベルトルッチ(出)ジョン・ローン
中国最後の皇帝の生涯を描いた歴史巨編は、製作費2400万ドルを越える作品でしたが、出資したのはハリウッドはなくイタリア・中国・イギリスでした。
長い歴史を背負った主人公が最後に庭師のようなアイデンティティにたどりつく。
イデオロギー抜きの謙虚な姿勢で千年の歴史をもつ文化にアプローチしたからこそ、この驚くべき物語を作ることができたのだと思います。
ディディ・ニョッキ
従来のハリウッド映画における差別的なアジア人の描き方ではこの映画のようにはならなかったはずです。
<第7章「解放 Liberation」>
1989年11月9日、「ベルリンの壁」が崩壊しました。
ソ連とアメリカの対立は永遠に続くものだと思っていた世界中のほとんどの人は驚かされました。
まさか、たった一晩で世界がこうも劇的に変わるとは、僕も思っていませんでした。
「コックと泥棒、その妻と愛人」(1989年)(監)ピーター・グリーナウェイ(出)リシャ―ル・ボーランジェ、ヘレン・ミレン
泥棒役は明らかにサッチャーの象徴です。下品で教養がなくて「文化?それよりお金を出すよ」とね。
それに対し、彼の妻と不倫相手になる男性は図書館に住む道徳的な人物です。
オリバー・スペック
ブラックすぎるユーモア作品を得意とするグリーナウェイ監督は、この作品で泥棒に恐ろしい罰を与えますが、その後味は苦いものでした。
ベルリンの壁の崩壊で皆がどれほど興奮したかを覚えています。
歴史が作られ世界全体が変わろうとしていたあの時でさえ、皆が思うほどバラ色にはならない人じゃないかと疑っていました。
つまり新たにロシアで権力を握りつつある人たちは、それまでの権力者と大差ないと気づいたからです。
D・J・テイラー
実際、ゴルバチョフの後継となったエリツィンは自らの後継者にプーチンを指名。
彼は、自身にとっての英雄スターリンを復活させ、恐るべき独裁者への道を歩み始めます。
そして2022年ウクライナ侵攻の悪夢が始まることになります。
現代の人類は自由を求めて戦うとき
個人の解放つまり したいと思うことすべてをできるようになることを要求する。
これは解放の幻想である。
この道で人類を待ちうけているのは、新たなる幻滅だけだ。
アンドレイ・タルコフスキー
90年代まで生きられなかったタルコフスキーは、その後訪れる21世紀の新たな危機を見抜いていたのかもしれません。
<参考>
「世界サブカルチャー史 欲望の系譜 逆説60-90s 欧州80年代」
(製統)小野さくら、丸山俊一
(D)佐藤恵正(P)高橋才也(撮)高岡洋雄(編)高田好子(語り)玉木宏(声)古賀慶太