不安の21世紀が見えてきた希望の時代 |
「世界サブカルチャー史 欲望の系譜 シーズン2」
「逆説の60-90s」
第4回「欧州編 90年代」
<第1章「浸食 Eroision」>
1990年、テレビのシリーズ・ドラマとして放送されたデヴィッド・リンチ監督の「ツイン・ピークス」が大ヒット。
「ブルーベルベット」などの傑作を生み映画界ですでに活躍していた監督がテレビ・ドラマの演出をして大ヒットさせるのは異例のことでした。
アメリカ中で放送日の翌日に多くの人が番組について語り合い、当日もコーヒーとドーナツを準備して待つような番組はもう生まれないかもしれません。
我が家でも、実際にコーヒーとドーナツの用意して見ていたことを思い出します。
そこまで熱中してテレビ・ドラマを観たのは、その後に放送された「ER緊急救命室」ぐらいです。
「ツインピークス」は、それ自体が「現象」と言えるような画期的な作品でした。
このカルト作品はテレビ・シリーズだけでなく映画の進化にも革命を起こしました。
ディディ・ニョッ
随所に伏線がはられているのですが、それがどこにつながるのかよくわからず、最後には何が本当で何がウソなのかよくわからなくなるのです。
オリバー・スペック
今ではそう珍しくありませんが、「ツインピークス」ほど伏線が複雑に引かれながら、それらがほとんど回収されないドラマはそれまでありませんでした。
例えば、「丸太おばさん」のように本筋とは関りのない不思議なキャラクターが次々に登場し、ストーリーを混乱させ続けます。
それは「物語」よりも「キャラクター」を重視するまったく新しいドラマのスタイルだったと言えます。
その物語の中の出来事の整合性はほぼないのですが、それは作品のとってさほど重要な意味をもちません。。
もしかすると、それは長らく続いてきた「物語」重視の時代が終わったことを示していたのかもしれません。
1990年に「ゴッドファーザーⅢ」(フランシス・フォード・コッポラ)、「バック・トゥ・ザ・フューチャーPart3」(ロバート・ゼメキス)が公開されました。
それはいずれもシリーズの完結編であり、長い物語の最終章でした。
完成された素晴らしい物語の映画がそうやって完結したのも「物語」の終わりを象徴していたのかもしれません。
ポスト・モダンの名著「ポストモダンの条件」(1979年)でジャン=フランソワ・リオタールが予言した「ポストモダンとは大きな物語の終焉である」が実現しつつありました。
そう考えると、世界史におけるソ連の崩壊と東欧の民主化もまた巨大な歴史物語の終わりと言えました。
1990年、モスクワにマクドナルドの1号店がオープン。それは資本主義が社会主義に勝利した瞬間でした。
フランシス・フクヤマの名著「歴史の終わり」(1992年)は、まさにそんな歴史の終わりについて書かれた作品です。
1992年、ユーロ・ディズニー・ランドがフランスにオープンしました。
当初はアメリカ文化による欧州文化の植民地化として批判されましたが、開業後は多くの人々が訪れ、成功を収めることになりました。
(ディズニーランドは)幻想的なものを現実化するという非常にアメリカらしいものです。同時に他の様々な文化の人々も魅力的だと感じるものなのです。
それらの文化が何十年もの間アメリカの文化を浴び続けたからでしょう。誰もがアメリカ人の要素をもつようになったのです。
カート・アンダーソン
<第2章「消失 Verschwinden」>
東西ドイツの統一により、その首都ベルリンは様々な文化が混ざり合うメルティング・スポットとなりました。
東ベルリンにあった空きビル「スクワット」を若者たちが不法占拠し、そこでアーティスト活動を始めます。
彼らは、そこで大音響でテクノ音楽をかけながらの野外パーティーを開催。
それが拡大して、ついには現在も続く「ラブ・パレード」というドイツを代表するテクノ・ダンス・イベントへと発展することになります。
第二次大戦中のファシストたちは文化を全て破壊して自分たちの文化に作り変えました。
そのためある種の文化的な空白が生まれ、音楽などのアメリカ文化を受け入れたのです。
(日本もまた同じようにして、ジャズや映画などアメリカ文化をいち早く受け入れました)
オリバー・スペック
1993年、EUが発足し、ついにヨーロッパの統合が実現します。
ヨーロッパは未来への希望に満ちた時代をむかえていましたが、早くもその弊害を描く映画が生まれています。
「時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース」(1993年)(監)ヴィム・ヴェンダース(出)オットー・ザンダー、ウィレム・デフォー
1987年東西統一前に撮影された名作「ベルリン 天使の詩」の続編として製作された作品です。
前作では”塔”や”墓地や”壁”があり、それが街を特別な存在にしていたんだ。
それがなくなってしまった。壁は不思議な詩情を与えていた。
ヴィム・ヴェンダース
昔、天と地が調和する黄金時代があった。
高低は判然と別れ、内と外のけじめも明らかだった。
今は万事が金、平衡は失われた。
”時は金なり”と言うが間違いだ。
”時とは金の不在なり”と言うべきだ。
ウィレム・デフォーのセリフ(「時の翼にのって」より)
つまりヴェンダースは反資本主義者になろうとしたのです。彼はそこに深い意味を見出しました。
「資本主義の外側にも可能な人生があるんだ。それが真の芸術ではないか?と」
オリバー・スペック
「民主化はすばらしいが貧富の差が大きくなり社会が混乱した。これでみんなが住みやすい国に生まれ変わったのだろうか?」
エミール・ザトペック(チェコのオリンピック金メダリスト)
東欧ではロシアも含めて失業者が急増し続けていました。
「ベルリンの壁」でさえ商品として競売にかけられるほど、資本主義はヨーロッパ全土に浸透し、社会を変えてしまいます。
<第3章「引用 Extrait」>
1991年、多国籍軍によるイラクへの空爆が始まります。この時、珍しいことに米ソがそろって国連で作戦に賛成し「湾岸戦争」が始まりました。
1991年12月25日、ソ連の民主化を進めていたゴルバチョフが辞任を表明。ソ連の崩壊が始まります。
そして、ソ連の崩壊は東欧全体を混乱させ、それが世界全体へと波及することになりました。
この年、カリスマ的指導者だったチトーのもとでまとまっていたユーゴスラビアが指導者の死から、ついに分裂し始めます。
1992年にはあの悲惨なボスニア・ヘルツェゴビナ内戦が始まります。
1993年、イスラム過激派集団アルカイーダによってアメリカ、資本主義経済の象徴でもあった世界貿易センタービルが爆破されました。
1994年、アフリカでも民族対立が激しくなり、恐るべきジェノサイド「ルワンダの悲劇」が起きました。
世界各地で宗教・民族・イデオロギーの対立が深まる中、それを象徴する映画がフランスで公開されました。
「憎しみ」(1995年)(監)マチュー・カソヴィッツ(出)ヴァンサン・カッセル、サイード・タグマウイ、ユベール・クンデ
アフリカ系移民、ユダヤ系ロシア移民、アルジェリア移民、3人の移民青年たちが差別に抗議する暴動に巻き込まれる悲劇。
移民の失業率が20%近い状況が彼らのように社会からのドロップアウトを増やし続けていました。
そうした若者たちの多くが当時愛していた音楽がアメリカ初の黒人音楽ギャングスタ・ラップでした。
「サンプリング」によってエディット・ピアフのレジスタンスの曲を用いた曲は、見事に反抗のメッセージソングになっていました。
これは崩壊した社会の物語だ。
社会は崩壊しながら少しずつ絶え間なくメッセージを投げかける。
「ここまでは大丈夫だ」
だが問題は落下ではなく、着地なのだ。
映画「憎しみ」より
世界中に人気が広がっていたギャングスタ・ラップの黄金時代は、1996年9月8日2Pacが銃撃される悲劇を生み、そのピークをむかえました。
<第4章「抵抗 Resistance」>
1991年、アメリカ連邦最高裁判事候補だったクラレンス・トーマスが自分の部下アニタ・ヒルからセクシャルハラスメントにより訴えられました。
その後、この事件の裁判は生中継で全米に放送されるほど大きな話題となりました。
「セクシャル・ハラスメント」と言う言葉が世界中に知られるきっかけとなった事件でした。
1990年~2000年は女性の社会進出が進み、ジェンダー問題の変化への対応が男性社会に突きつけられるようになりました。
その意味で、この時代がフェミニズム運動第3波の始りになったと言われます。
若いフェミニストたちは自分たちの言葉や語り口が先輩フェミニストである母親たちを刺激してやしないか、いつも気にしていることに気づく。
自分は第2波だと認識しているフェミニストと第3波のフェミニストの間には明確な断絶があるのだ。
レベッカ・ウォーカー(作家)
アメリカにおける新しい世代のフェミニストたちの象徴となったのが、パンクロックの流れの中から登場した女性たち「ライオット・ガール」でした。
なぜなら少女たちには安全な場所が必要だから
性差別的な社会や日々のたわごとに脅かされることなく、互いに目を開き手を差し伸べ合えるような場所が。
私は性のおもちゃでもサンドバッグでも冗談のネタでもないからだ。
ビキニ・キル Bikini Kill
「ピアノレッスン」(1993年)(監)ジェーン・カンピオン(出)ホリー・ハンター、ハーヴェイ・カイテル
オーストラリアまで来た嫁を虐待する差別主義者の夫、言葉を発せずピアノを愛する嫁、そんな彼女を愛する現地に溶け込んだ男。
文明から遠く離れた地で展開する愛と憎しみのラブ・ストーリーは、新たな時代のフェミニズム映画の傑作です。
監督のジェーン・カンピオンはこの作品で女性として初めてカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞しました。
この言葉の欠如は、女性の抑圧という極限の暴力を表現しているのです。
男性は女性を所有物として扱うことが当たり前になっているのです。
二人の関係がどうあるべきかを決め、その場を仕切るのはいつも男性です。
この作品に描かれているのは、極めて90年代的な問題なのです。
ディディ・ニョッキ
1996年、イギリスのガールズグループ、スパイス・ガールズの「ワナ・ビー」が世界的大ヒットとなりました。
女性の友情と団結を歌ったその曲は、新たな時代のフェミニズムを歌ったと評価されました。
しかし、「ガールパワー」と呼ばれたスパイス・ガールズのメンバーの活躍は実際には商業主義的に女性の身体を性的に利用する行為にも見えました。
その点では、マドンナのように継続的に変わることなくフェミニズムの象徴として活躍したアーティストはそう多くはありません。
<第5章「発散 Divergence」>
1996年、音楽、映画、ライフスタイル的にこの時代を象徴する大ヒット映画が生まれました。
「トレインスポッティング」(1996年)(監)ダニー・ボイル(原)アーヴィン・ウェルシュ(出)ユアン・マクレガー、ロバート・カーライル
この映画の魅力は文学と映画そして音楽を融合させたことにあります。
1996年に話題となった「ブリット・ポップ」と呼ばれるバンドが多数参加したサウンド・トラックは他の作品にも大きな影響を与えました。
オアシス、ブラー、スウェードなどのバンドが世界のロックシーンを席巻していた時代。ロンドンは「世界で最もクールな都市」と呼ばれていました。
サッチャー政権から若くスマートなトニー・ブレア政権へと変わり、イギリスでは新しい時代が始まっていました。
ブレアの主導による「クリエイティブ産業」の育成はその象徴的な政策でしたが、結局は「クール・ジャパン」と同じ結果になりました。
そんな中、イギリスで生まれたカルチャーとしてヨーロッパ全体に広がったのが「レイブ」でした。
レイブ・カルチャーは、わたしたちイギリス人が生み出したとてもイギリスらしい現象です。
イギリスのステレオタイプといえば「常に紳士的で礼儀正しい」というものですが、もともとイギリス文化はワイルドな面もあるのです。
(レイブの最大の特徴は、非商業的なテクノミュージックのパーティーだったことです)
レイブ・カルチャーで重要なのは「エクスタシーMDMA」です。
この新しいドラッグはアルコールにとってかわりました。そのことによってイギリスの労働者階級の若者文化がスイッチを入れたように変わりました。
突然、労働者階級の若者たちが踊り抱き合い優しくなりすばらしい時間を過ごすようになったのです。
2週間前には街の中心で吐いたり警官とけんかしていた彼らが一変したのです。
ハリー・リッチー
当時はヨーロッパから国境が消えたおかげで、若者たちが自由に各地を旅することができるようになっていました。
そのおかげで彼らは様々な土地で開催されるレイブに参加することができました。
レイブとはドラッグと音楽を通じてフラストレーションを発散することはできるが、そこから何かを吸収するということはありません。
つまり創造的な表現ではなくアドレナリンを発散したいという欲求不満の表れです。
60年代や70年代のカルチャーのように創造的な表現ではないことが問題なのです。
それは若者たちに問題があるのではなく、彼らに将来の展望を与えられない社会が問題なのです。
ディディ・ニョッキ
ドラッグやエイズの問題は今も相変わらずだ。おそらく悪化している。
人々がハードドラッグに走るのは希望を持てないからだ。
皆、日常のつらさを忘れるために手を出してしまう。
アーヴィン・ウェルシュ「トレインスポッティング」原作者
<第6章「逃避 Eacape」>
1995年、Windows95が発売され世界中で大ブームとなりました。
1991年に誕生したインターネットは、このソフトの登場によって世界中に普及し始めます。
ただし、1999年時点で最もインターネットが普及していたのは、アメリカではなくヨーロッパの国々でした。
<インターネット普及率>(1999年)
(1)アイスランド(41.4%)(2)スウェーデン(41.3%)(3)オランダ(39.2%)(4)アメリカ(36.6%)(5)スイス(34%)
(6)フィンランド(32.3%)(7)デンマーク(30.6%)
<デジタル技術の故郷>
デジタル技術のルーツは、1960年代のサンフランシスコとその南の地域にあります。今ではそこはシリコンバレーと呼ばれています。
そこにいたハッカーやデジタル技術の研究者たち、スチュアート・ブランドやその周囲にいた人たちはコンピューターを理解するヒッピーたちでした。
それは間違いなくカウンター・カルチャーでした。(もちろんスティーブ・ジョブズもその中の一人でした)
権威に対するカウンター・カルチャーの軽蔑の姿勢がリーダーのいないインターネット・コミュニティーさらにはパーソナル・コンピューター革命に哲学的な基礎を与えるのだ。
スチャート・ブランド(「ホールアース・カタログ」の編集・発行者)
「ユー・ガット・メール」(1998年)(監)ノーラ・エフロン(出)メグ・ライアン、トム・ハンクス
パソコンの登場で始まったネットを介してのラブ・ストーリーの先駆となった作品。
個人の本屋を営む主人公は、ネットを通して知り合った男性と恋に落ちますが、彼は彼女の店のライバルとなる巨大本屋チェーンのオーナーでした。
この作品には当時のアメリカで起きていた経済的な緊張の瞬間が描かれているのです。
当時ドラッグストアやあらゆるものが巨大チェーン化され家族経営の個人店がつぶれていったんです。私はそれが悪いことだと捉えています。
この作品はふわふわとしたラブコメですが大きな社会的なメッセージが込められていたのです。
カート・アンダーセン
「マルコヴィッチの穴」(1999年)(監)スパイク・ジョーンズ(出)ジョン・マルコヴィッチ
誰もがそこをぬけると、アメリカの名優ジョン・マルコヴィッチになれるという不思議な穴。
それを見つけた青年がそれを利用しビジネスを始めますが・・・
「マルコヴィッチの穴」は、インターネットを通じて人々ができるようになることを予告していたのかもしれません。
インターネットとSNSの出現によって現実を構築し別の人間になるという選択肢が生まれたのです。
(それは別人格へのなりすまし、という危険の始りでもありました)
ハリー・リッチー
(ITバブルは)おぞましい人々を生み出しました。小規模投資家の資産を食い物にし私腹を肥やしトランプタワーに家を買うような人たちです。
そして彼らが世界を語るようになります。見せかけの経済や巨大なバブルの中で倫理観を構築することが難しくなったのです。
ディディ・ニョッキ
「スロー・フード」
イタリアで生まれたスロー・フードの流行は、「ファースト・フード」へのアンチアンチテーゼとして一大ブームとなりました。
地産地消にもつながるこの運動はEUの助成もあり、ヨーロッパだけでなく世界中に広がります。
「スロー・フード」は自然の時間を尊重するだけでなく、反グローバリズムというテーマから生まれたものです。
90年代洗練された頭脳の持主は時間を短縮できない分野があることに気づきます。
地元でとれた作物やインターネットによって短縮されない時間を尊重することが大切なのです。
ディディ・ニョッキ
1999年、あの伝説のコンサート「ウッドストック・コンサート」がリバイバル開催されました。
しかし、誰もが予想した通り、そのイベントはかつての「ウッドストック」を商業ベースで再利用したものになりました。
グローバリズムが生み出した水増しイベントの会場内の食事や飲食代が高額なのは当然でした。
それに対し、最終日になって食品配送のトラックが放火される事件が起きたのは、ささやかな怒りの表現だったのでしょう。
<第7章「逆襲 Paradox」>
1991年1月、EUの通貨統合(ユーロ)が11か国の参加でスタートしました。
しかし、この時点でイギリスはユーロへの参加を拒否。
ヨーロッパでは早くもEU、グローバリズムに対する反対勢力であるナショナリズムの台頭が目立つようになります。
イギリスでは、企業の乗っ取り屋と言われていた実業家ジェームズ・ゴールドスミスが国民投票党党首として出馬。
ヨーロッパ各国でナショナリズムを掲げる右派政党が勢いを付け始めました。
フランスでは、ルペン率いる極右政党、国民戦線が移民排斥をスローガンにして急速に議席数を増やしました。
イタリアやオーストリアでも極右政党が議席を増やし、ついには連立政権に参加するまでの存在となりました。
イギリスはそうした右派寄りの意見が強まったことから、EUよりもアメリカとの強力関係を重視するようになります。
そんな微妙な英米関係を象徴するような映画が公開されヒットしました。
「ノッティングヒルの恋人」(1999年)(監)ノーラ・エフロン(出)ヒュー・グラント、ジュリア・ロバーツ
この映画にはアメリカとイギリスの力関係が凝縮されています。アナ(ジュリア・ロバーツ)はハリウッドスターです。
彼女はアメリカを表す「富」や「権力」を全て持っているのです。
一方、イギリス人のキャラクター(ヒュー・グラント)は控え目で自己卑下的で権力も地位もありません。
アナがイギリスで撮影している映画の原作が、ヘンリー・ジェームズの小説であるということは興味深いことです。
それは、ヨーロッパに移住したアメリカ人について書かれた作品なのです。
その主人公のアメリカ人がヨーロッパの上位中流社会で苦悩し適応していく姿を描いています。
(ヘンリー・ジェームズ自身、アメリカの資本主義に批判的でヨーロッパに移住した作家です)
1998年8月、ロシアは財政危機に陥り、多くの銀行が破綻しルーブルは大幅に下落します。
1999年、高層アパート連続爆破事件がモスクワなどロシア各地で起きます。
その犯人はチェチェン人の独立を目指す武装勢力とされ、その捜査に活躍したのがKGBのウラジミール・プーチンでした。
1999年12月31日、エリツィアン大統領が辞任を表明。そして彼は自らの後任にプーチンを指名しました。
後にエリツィンはこの時の選択を誤りだったと認めることになります。
それは、まさに「悪魔の選択」だったことが、2022年明らかとなります。
<参考>
「世界サブカルチャー史 欲望の系譜 逆説60-90s 欧州90年代」
(製統)小野さくら、丸山俊一
(D)佐藤恵正(P)高橋才也(撮)高岡洋雄(編)高田好子(語り)玉木宏(声)古賀慶太