ハリウッドがサブ・カルチャーの発信地だった時代

「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」

第3回 「アメリカ幻想の70s」


<第1章「自由 Liberty」>
 アメリカのカルチャーにおける70年代を1968年から1984年ごろを範囲として見直してみると、その時代のサブカルチャーの変遷がよりわかりやすくなります。映画の世界においては、それは「ニューシネマの誕生」とほぼ重なります。特に1969年はニューシネマの名作が数多く公開された年で「ジョンとメリー」「アリスのレストラン」「ひとりぼっちの青春」「真夜中のカウボーイ」そして「イージーライダー」が公開されています。
 なかでもヒッピー・ムーブメントを象徴する映画「イージー・ライダー」は、様々な意味で重要な作品と言えます。この映画の監督・主演俳優のデニス・ホッパーはこの作品の製作意図についてこう語っています。

「例えば大都市では黒人と白人の争いで、街のあちこちで焼き討ち騒ぎがあったし、ヒッピーは街に繰り出してドラッグの使用を堂々と主張し、ラブ・インが行われ、国中がベトナム戦争に対して失望するようになっていたりで恐ろしいほど悪い状態だったんだ。
 それでも俺はそれを象徴化したかったんだ。・・・」


 こうして製作された映画「イージー・ライダー」は、予想外の世界的ヒットとなり、ニューシネマの時代を象徴することになりました。
 しかし、この映画の主人公キャプテン・アメリカのような存在は、映画のラストと同じように保守派の過激な反発を招くことにもなりました。
 映画のラスト近くでキャプテン・アメリカが「俺たちは負けたんだ」と語っていたことについて、彼を演じたピーター・フォンダはこう語っています。

「こいつらは自由を求めているんだって観客は考えてる。
 でも負けたってどういう意味だ?
 それでそいつらには、何もわからない状況だけだ残されるのさ」


 1970年5月8日、ニューヨークの街中でベトナム反戦のデモ隊と保守派のベトナム戦争支持グループが衝突する事件が起きました。反戦を訴え、母国アメリカの政策を否定する若者たちを、それまでアメリカ経済を支えてきた労働者たちは許せなかったのです。この騒乱は「ヘルメット暴動」と呼ばれることになりました。
 こうした変革を求める若者たちへの怒りや不満を大統領候補のニクソンは上手く利用して、大統領選挙で勝利を収めます。
 テレビでの演説で彼はこう述べていいます。

「今夜、多数派である声なき声を持つアメリカ同胞諸君に支援をお願いしたい」
 「声なき声(サイレント・マジョリティー)」という言葉もまたこの時代を象徴する存在になりました。

 70年代に入り、それまで反戦運動や政治改革に関わってきた左派の活動家たちは次々に運動を離脱し、それぞれの道を歩み始めます。革命に燃えた若者たちは目が覚めたかのように現実社会へと戻り始めました。
 そんな若者たちの心象風景を歌い、癒しの存在としてブレイクしたのが、キャロル・キングジェームス・テイラージョニ・ミッチェル、ジャクソン・ブラウンらのシンガー・ソングライターたちでした。70年代半ばには「ロックは死んだ」と言われ、その反動で75年以降、「パンクの時代」が始まることになります。
 「シカゴ暴動」の中心人物だったジェリー・ルービンも学生運動を離れ、ウォール・ストリートで大活躍を始め、80年代を象徴する「ヤッピー」の先駆となりました。多くの元活動家の若者たちは、教育関連、ソーシャル・ワーカー、コンピューターなどの技術分野などで活躍することになり、アップル・コンピューターの創設者スティーブ・ジョブズなどを生むことになります。
 ちなみに日本ではこうした1970年代に青春を迎えた若者たちを「シラケ世代」と呼んでいました。(僕もたぶんその世代です)

<第2章「懐古 Nostalgia」>
 70年代初めのニューシネマ・ブームの後、ハリウッドではアメリカの古き良き時代を懐古する映画が次々に製作されヒットしました。多くのアメリカ人がかつてのアメリカを懐かしむ気分になっていたのです。「華麗なるギャツビー」「ペーパー・ムーン」「スティング」「ラスト・ショー」「華麗なるヒコーキ野郎」などがヒットし、ファッション界でもそうした時代を懐古したレトロなファッションが流行しラルフ・ローレンが一大ブームとなりました。
 こうした懐古趣味的映画がヒットする中登場したのが、1962年の南部の田舎町を背景にした映画「アメリカン・グラフィティ」です。
 この映画が選んだ1962年は、50年代最後の年とも言える特殊な年でした。ベトナム戦争はまだ遠くの戦争で、経済的にも軍事的にもアメリカは世界の頂点に位置し、ビートルズもまだ知らない最後の年でした。それはまだ「闘争の60年代」が始まる前だったのです。(少なくともアメリカの地方都市では)
 そんな年を背景にアメリカの片田舎の街に住む若者たちの旅立ちを描いた青春映画。
 アメリカがまだ大人になり現実を知る前の若かった時代を描いたのが「アメリカン・グラフィティ」だったわけです。

「僕はある世代のアメリカ人がティーン・エイジャ―だった時代をどう捉えているかということを形に残しておきたかったんだ。
 僕はそういう時代を生きてきたし、その時代が大好きだったんだ。
 今の子どもは僕らの頃みたいに人生に夢がないんだ」

ジョージ・ルーカス

 ただし、ルーカスの思い出の中の1962年の世界には黒人も失業者もベトナム帰還兵も登場しません。それはあくまでもアメリカの白人中産階級から見た過去の幸福なる世界だったと言えます。
 しかし、ルーカスはその夢物語の最後に、しっかりと現実を刻み込んでいます。エンド・タイトルに登場人物たちのその後がクレジットされ、ベトナム戦争で死亡する者、行方不明になる者が記されています。それはこの後、訪れることになるアメリカ社会の混沌の予告でした。
 あまり知られていませんが、この映画には続編となる「アメリカン・グラフィティ2」(監督・脚本はB・L・ノートン)もあります。そこではわずか3年後の世界が描かれ、世界が一気に変わったことが描かれます。ちなみに行方不明だったチャーリー・マーチン・スミスは脱走兵となって解放軍の捕虜になっていたことが明らかになります。

 この時代、古き良き時代を懐古するようになったのは、白人だけではありませんでした。1970年代に入ると、それぞれの民族がそれぞれのアイデンティティーを追求し始めます。黒人たちはアフリカ文化への回帰を目指し、ラテン系の移民たちはサルサなどの音楽シーンを盛り上げ、「エスニック・リバイバル」と呼ばれる状況が生まれます。
 そんな中、イタリアのシチリア出身の移民たちの歴史にフォーカスした映画ゴッド・ファーザーが製作されます。それは、アメリカを発展させた移民たちの歴史物語でありながら、ある家族の物語でもあり、アメリカの文化そのものをを見事に写し出した作品として歴史的名作となりました。
 映画の中で、ゴッドファーザーに助けを求めてきた人物がこう語るシーンがあります。
「アメリカはいい国です。財産もできたし、娘もアメリカ風に育てました。自由も与えました。家名を汚さない限りは」

 過去の苦難の歴史を知らないアメリカ生まれの若者たちは親たちと違い、ルーツへのこだわりを捨てようとし始めます。しかし、そこまでの間に築かれた社会制度や文化はその急激な変化を許そうとせず、そこから様々な悲劇のドラマが生まれることになります。もちろんそれはシチリア系移民だけの問題ではなく、アメリカ全体の問題であったと言えます。

「あの中で私はマフィアというグループを描きたかったのではなく、アメリカという一つの国を描きたかったんです。マフィアというのはアメリカの一つの象徴だと思うんです。彼らは自分たちのグループの利益を第一と考え、それを熱烈に追い求めている。
 これは資本主義社会の第一義的なことではないでしょうか。マフィアはアメリカそのものなんですよ。その長がマイケル・コルレオーネで彼はいっさいのものを排し利益を追求した。
 でもその結果はどうなったか。
 彼はすべてのものを失ってしまったんです」

フランシス・フォード・コッポラ

 敵を殺すこともビジネスの一部なので仕方ないと考えるこの映画の登場人物たちの発想は、この後アメリカ政府がレーガン大統領のもとで80年代に実行することになる福祉予算の大幅な削減をやむを得ないと正当化する発想と共通しています。

<第3章「未知 Third Kind」>
 1970年代始めはユリ・ゲラーのスプーン曲げに代表される超能力ブームの時代でもありました。当時は学校内に一人や二人はスプーン曲げができる能力者がいたものです。(僕の知り合いの女の子もそうでした)
 1975年にはネス湖でネッシーの本格調査が始まったり、イエティの目撃情報が頻発するなど、世界中で未確認生命体の存在が話題になっていました。
 日本では、世紀末の人類滅亡を予見した「ノストラダムスの大予言」が大ベストセラーとなり、SF小説「日本沈没」が大ベストセラーにもなりました。その頃アメリカで大ブームとなっていたのが、映画「エクソシスト」の大ヒットから始まったオカルト映画です。それは単なるホラー映画ではなくキリスト教を否定する反宗教の映画としてアメリカではショッキングに扱われていました。
 60年代の夢が破れた70年代、人々は将来が見えない不安の中、様々な恐怖を描いた映画に引き寄せられることになったのかもしれません。そしてその頂点とも言える作品が、スティーブン・スピルバーグの出世作「ジョーズ」(1975年)でした。
 それまでもヒッチコックの最高傑作「サイコ」のようなショッキングなホラー映画は数多く製作されていましたが、この時代のホラーはよりスケールの大きな「パニック映画」へとスケール・アップすることになります。「タワーリング・インフェルノ」「大地震」「ポセイドン・アドベンチャー」など、多くの作品がヒットしました。
 1972年の「ウォーターゲート事件」は大統領による野党本部の盗聴というあり得ない犯罪によって国民全体を政治不信に陥らせました。その他にも、ベトナム戦争の敗北、経済戦争の敗北と様々な分野でのアメリカの敗北が続き、誰もが新たな救世主を求めている中、第三の救世主として宇宙人を登場させたのが映画「未知との遭遇」(1977年)でした。
 それまでのSF映画が、宇宙人を人類を侵略する敵対生命として描いていたのとは異なり、「救世主」として描いたのが「未知との遭遇」でした。それはある種の宗教映画と呼んでもおかしくないでしょう。こうした宗教と科学の融合は、アメリカが最も得意とするところで、それがアメリカを月に一番乗りさせ、原子爆弾をいち早く開発した原動力になったと言えます。神の存在を信じるにも関わらず、科学によって世界を支配することは可能だと考える愚かな人類の象徴、それがアメリカ人なのです。
 映画のラストに巨大宇宙船が反転するとそれがディズニー映画オープニングのお城のように見えるのは決して偶然ではないはずです。

<第4章「敗者 Loser」>
 1970年代中盤、アメリカの経済不況は深刻化し、かつて工業地帯として活況を呈してきたアメリカ東北部のペンシルバニア州は「ラストベルトRust Belt(錆びた地帯)」と呼ばれるようになっていました。映画「ディア・ハンター」(1978年)は、そんな灰色の工業都市ピッツバーグに住む労働者階級の若者たちがベトナムの戦場へと送り込まれ、そこで精神を病んで帰ってくる悲しい青春映画でした。当時、映画の中に描かれたベトナムの兵士たちの残虐さは、アジア人への差別的表現であるという意見も多く、批判の声が大きかったのも事実でした。確かに僕も同じアジア人としては不快な気持ちになったのは事実です。
 しかし、いま改めてこの作品を見ると、そこで描きたかったことは、そうした戦場での残虐さの告発ではなかったのは明らかです。
「僕の映画は戦争がこうあるべきじゃなかったっていうこととは全然関係ないものだ。この映画は自分の家から闇の奥に出かけ、そして戻ってきたこの国の普通の人たちの疑問に答えているんだ」
マイケル・チミノ

 実際に行われてはいなかったと批判された「ロシアン・ルーレット」ですが、戦場に送られた兵士にとっての毎日は、「ロシアン・ルーレット」をするのと同じ運任せの日々の象徴と考えることも可能です。
 この映画の主人公たちのようにベトナムからの帰還兵は、決して英雄扱いはされず、ベトナム戦争の敗北により敗者の代表として扱われることになります。戦場でのトラウマに苦しみ、麻薬やアルコールに逃れ、家族を壊すなどした彼らに明るい未来はありませんでした。
 このままでは救いがなさすぎる。今こそ「アメリカン・ドリーム」が求められているはずだ。そう考えたのが、シルベスター・スタローンでした。

「ある時、今の映画界やテレビ界の間違いは何もかも anti- であるということに思い当たったわけさ。反政府、反宗教、反幸福 - そんなものから人間の希望は生まれて来るだろうかと思った時、今の時代に必要なのは、もっと肯定的な態度だって気が付いたわけ」
シルベスター・スタローン

 実話に基づいたボクシング版のアメリカン・ドリーム物語「ロッキー」(1976年)は、アメリカ人だけでなく世界中の人々を勇気づけることになりました。ただし、「ロッキー」の撮影が行われた当時のフィラデルフィアの街は不況のどん底にあり、予算の都合上、そこで撮影を行ったことで、街の現実がしっかりと画面に刻まれることにもなりました。アメリカン・ドリームの影には、救われないままの人々が残される現実もまたアメリカの現実だったのです。そして、そんな救われない若者たちが一時の快楽を求めて通った場所が、週末のディスコだったのです。そこは、貧しい若者たちだけでなく、ジェンダー・マイノリティーと呼ばれるLGBTの人々にとっても救いの場であり、非白人の若者にもまた救いの場所となっていました。だからこそ、ディスコを舞台にした大ヒット映画「サタデイナイト・フィーバー」(1977年)は、単なるダンス・ムービーとはならなかったのです。
 映画「サタデイナイト・フィーバー」は、サントラ・アルバムから次々とヒット曲が生まれたことで、ディスコ音楽とジョン・トラボルタのキレキレのダンスを見せるショーケース的存在に見られがちです。(結果的に大ヒット曲が次々生まれたのは事実ですが・・・)しかし、そのテーマは、都市部の貧困地域に住む若者たちの出口のない人生をディスコという背景を通して描くことにありました。彼が見せるダンスと音楽の魅力がどんなに素晴らしくても、かえってその虚しさが心に残る作品になっていたからこそ、映画は強く観客の心に刻まれることになったのです。
 主人公の家で虚勢をはる失業中の父親の存在は、過去の栄光を失いつつあったアメリカそのものだったと言えます。

<第5章「理想 Ideal」>
 当時のフェミニズム運動を象徴するヘレン・レディーの「I'm A Wman」がヒットしたのが1972年。
 映画「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」で描かれたビリー・ジーン・キングと元男子チャンピオンとの男女対決が1973年。この時期、フェミニズムの運動が活発化し、アメリカにおける権利の向上が急速に進むことになります。
 それまで男性のみの世界だったヒーロードラマの世界にも女性の進出が始まりつつありました。アンジ―・ディッキンソン主演の「女刑事ペパー」(1974年)はその先駆的作品で、「チャーリーズ・エンジェルズ」(1976年)、「バイオニック・ジェミー」(1976年)などはアクションものにおいても女性ヒーローの誕生を示すことになりました。
 当然、家庭内も1966年の「奥様は魔女」のそれとは大きく変わってしまい、離婚の急増と女性の自立が映画のテーマとして急増することになりました。「グッバイ・ガール」(1977年)、「結婚しない女」(1978年)、「結婚ゲーム」(1979年)そして、「クレイマー、クレイマー」(1978年)まさにその決定版とも言える作品でした。

<第6章「幻想 Fantasy」>
 自己主張したいのはもちろん女性だけではありませんでした。青春時代をベトナム戦争によって奪われ、そのトラウマによって人生そのものを失ってしまった若者は暴力によって自己表現をするしかなくなっていました。
「チクショウ、毎日過ぎて行くが終わりはない。俺の人生に必要なのはきっかけだ。自分の殻にだけ閉じこもり、一生過ごすのはバカげている」
トラビス「タクシー・ドライバー」より

 映画「タクシー・ドライバー」(1976年)の主人公トラビスの言葉は、そのまま21世紀に何度も繰り返された銃乱射事件の犯人が語った言葉のように思えてきます。銃の所有を放任し続ける21世紀のアメリカに今もつながる物語がそこにはありました。

「トラビスの怒りだ。
 自分にもその種の感情があるのが分かるんだ。
 彼は自分のファンタジーを実行に移そうとする。
 街に暮らしていると、誰かを殺ろしたくなる時もあるだろう。
 でも実行はしない。
 トラビスはやる。境界線を踏み越える。
 僕らはその匂いを嗅ぎ取った」

マーティン・スコセッシ

 「タクシー・ドライバー」には、当時の社会、特に都市部の悪意と現実のすべてが描かれていて、それは1980年の「ジョン・レノン暗殺事件」や1981年の「ロナルド・レーガン暗殺未遂事件」などとして現実化することになります。

<第7章「力 Force」>
 1975年アメリカはついにサイゴンから撤退し、ベトナム戦争は終わりを迎えます。それはアメリカにとって、悪夢と言える歴史的な敗戦でした。ここからアメリカではベトナム戦争を描いた様々な映画が公開されることになりました。その代表作の一つが、当初ジョージ・ルーカスが監督するはずだった大作「地獄の黙示録」でした。しかし、この映画は完成までに台風によるセットの崩壊や製作会社の倒産などのトラブルに巻き込まれた呪われたカルト映画でもありました。

「たった今、脚本の結末を書けない理由がわかったという。
 なぜ、われわれがベトナムに行ったのか、という問いに単純な答えがないのと同様に、その戦争が矛盾そのものだったから、人間そのものが矛盾から成り立っている。
 それを認めて初めて、私たちの内部にあり愛と憎しみ、平和と暴力といった矛盾の中立地点を発見できる」

エレノア・コッポラ(フランシス・フォード・コッポラの妻)

 戦争における「フォース」の虚しさとは逆に「フォース」を平和のもたらす理想の力として描くことに挑んだのが映画「スター・ウォーズ」(1977年)でした。この映画の重要な概念でもある「フォース」について、番組のコメンテーター、カート・アンダーセンはこう語っています。

 無信仰の私やキリスト教徒やその他、誰でも支持できる概念でした。超自然的で宗教的で美徳でもあるパワーに対する新しい考えでした。さらに反逆者VS帝国という構図も納得しやすかったのでしょう。アメリカ人は誰でも自分のことを反逆者だと思っているのですから。
 自分がロナルド・レーガン大統領だとしても私はただの反逆者だという発想はいかにもアメリカ的な考え方です。どんなに金持ちでも権力を握っていても自分は帝国と戦っていると信じているのです。

 考えてみると、それはまるで、トランプ元大統領が好きな陰謀論にも共通します。アメリカ人は科学を重視しながらも、あり得ない「陰謀論」が大好きな国民なのです。
 映画の世界から登場し、1981年に大統領にまで上り詰めるロナルド・レーガンは、その後、「悪の帝国」と呼んだソ連に対し「スター・ウォーズ計画」を立ち上げることになります。

 アメリカをはじめ、世界中の歴史学者が70年代を「空白の十年」と見ていたのです。
 ところが真面目に見てみると、きわめて重要な時代であると気づくでしょう。
 多くの意味でアメリカそして今日の世界の種まきの時期だったのです。

ブルース・シュルマン(番組コメンテーター)

 21世紀に入った今でも「スター・ウォーズ」の新シリーズが製作されているように、70年代の延長が今でも映画の世界では続いています。ある意味、「スター・ウォーズ」の精神は世界共通の概念として「伝説」を越え、宗教的レベルにまで達しつつあるのかもしれません。
 そもそもジョージ・ルーカスは「スター・ウォーズ」の物語を生み出す際、世界中の神話を研究し、それをもとに未来の神話を創造しているので、その狙いが見事に当たったと言えます。
 May The Force Be With You フォースと共にあらんことを

 改めて振り返ると、1970年代は21世紀までつながる映画ビジネスの原型が生み出された時代でした。
「サタデイナイト・フィーバー」は、音楽と映画のコラボのビジネスが巨大な利益を生み出すことを示し、「スター・ウォーズ」は、映画以外のキャラクター・ビジネスが本体以上の収益を上げうる可能性を示しました。「ロッキー」「ジョーズ」「ゴッドファーザー」「タクシー・ドライバー」「地獄の黙示録」などの作品は、未だに映画界に影響を与え続け、続編やオマージュ作品を生み出し続けています。
 しかしこうした作品のほとんどは、撮影された当初はあくまでもサブカルチャーとしての映画扱いでした。(俳優も、予算も)ところが、その後1980年代に入ると、ハリウッドはそうした作品をメイン・カルチャーとして製作し、巨大ビジネスへと変えて行くことになります。
 そう考えると1970年代は、ハリウッド映画が全体がサブ・カルチャーだった貴重な時代だったからこそ、自由で創造的で未来的な作品が生み出されたのかもしれません。時代そのものがそうした極端な進化を許容する時代だったとも言えます。ところが、1980年代レーガン政権のアメリカはそれを許さなくなります。

「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」
(制作)NHK
(制作協力)テレビマン・ユニオン
(制作統括)藤田英世、丸山俊一
(プロデユーサー)高橋才也
(ディレクター)牧田潤也
(リサーチャー)黒川優珠
(語り)玉木宏
(撮)森岡知之
(出)ブルース・シュルマン(1959年生まれ)「The Seventies」の著者
カート・アンダーセン(1954年生まれ)「ニューヨーク・マガジン」元編集長で「ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史」の著者

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