すべてを見失ったアメリカの世紀末

「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」

第5回 「アメリカ喪失の90s」

<第1章 幻 Phantom>
 1990年代はソ連の崩壊による冷戦の終結から始まり、アメリカは長年の敵に勝利したことで平和な時代に突入するはずでした。しかし、レーガン政権による公共予算の大幅な減額により、貧富の差が拡大し、警察への予算も削減されたことから、都市部の治安悪化は最悪の状況になりつつありました。その象徴とも言えるニューヨークでは、1990年の1年間に殺人事件で2245人が死亡しています。映画「心の旅」(1991年)、「ゴースト/ニューヨークの幻」(1990年)の主人公のように街中でいつ狙撃されるかわからない日常が続いていました。
 1990年、独裁者サダム・フセイン率いるイラクがクエートに侵攻。翌1991年には、クエートの同盟国アメリカが中心となりイラクへの攻撃を開始し、湾岸戦争が始まりました。
 映画「パトリオット・ゲーム」(1992年フィリップ・ノイス監督)は、「テレビ・ウォー」とも呼ばれたゲームのようなハイテク戦争を映像化した作品でした。この戦争以後、現代の戦争を描く映画はそれまでの戦争映画とは全く異なるものになります。
 「湾岸戦争」での圧倒的な勝利によりブッシュ大統領の人気は急上昇。しかし、アメリカへのイスラム原理主義者の憎しみは、より深かくなって行きました。
 そして中東におけるアメリカの勝利が喜ばれる中、国内ではまったく逆の動きが起きようとしていました。それは1991年ロサンゼルスでの小さな事件から国全体を巻き込む大混乱へと発展した「ロサンゼルス暴動」です。

<第2章 正義 Justice>
 飲酒運転で逮捕された黒人男性ロドニー・キングが、白人警官たちによって暴行を受けて大怪我を言った事件は、偶然ビデオカメラによって撮影されていたことで全米に衝撃を与える事件に発展しました。
 1992年、その事件で起訴された警察官たちの裁判が行われましたが、結果はまさかの全員無罪。その結果に、アメリカ中の黒人たちが怒りを抑えきれず、ロサンゼルスでは過去最大規模の「ロサンゼルス暴動」へと発展することになりました。
 ちょうどその頃、ロサンゼルスでは、スパイク・リー監督の新作映画「マルコムX」の試写会が行われていました。

 外では混乱と修羅場のスイッチが押され、銃声・爆音・略奪・殺人などありとあらゆる無法行為が進行していた。
 LAの街が完全な無政府状態に陥ったことでアメリカ人全員がアメリカ社会の現実を共和党のレーガンやブッシュや民主党のリベラルたちが長いこと否定し続けてきた現実を見せつけられていた時だ。
 アメリカでは正義ではなく不正義がまかり通っているという現実だ。

スパイク・リー

 かつては暴力の使用を容認したことで過激すぎると批判されていた黒人解放運動の指導者マルコムXが、この事件によって一気に再評価されることになりました。
 同じ1992年公開のクリント・イーストウッド監督の「許されざる者」もまたアメリカという国にとっての「正義」を再評価する作品でした。

 このことは言っておかないと
 近頃は暴力行為を見せるためにアクション映画を作る人が大勢いる。
 私にはこの話をすることが重要だと思えました。
 暴力は必ずしも美しく勇敢で魅力的なものではないという話を

クリント・イーストウッド

 誰がこの映画を撮ったのかも重要だ。
 彼は政治的には保守派の人物で人気があり、昔かたぎの白人の正義の味方のようでいて、アメリカ人には耳の痛い事実までも語る。
 ただ良い映画というだけでなく、イーストウッドの社会的地位によって特別な力と重要性があった映画だ。

カート・アンダーソン

 冷戦の終結により、敵を見失ったアメリカは自らの内部に潜む暗部を敵として再評価することで新たな方向性を模索していたのかもしれません。
 アメリカはこの時期、政治的な面だけでなく経済的な面でも新たな方向性を模索していました。幸いなことに冷戦の終結により防衛費が削減できたことで、アメリカはその予算を未来のテクノロジーに振り向けることができました。IT産業、宇宙開発、ヒトゲノム研究などの遺伝子工学など分野は、その後アメリカの経済を発展させる原動力となります。
 遺伝子工学の技術とCG技術の進化によって生まれたのが、スティーブン・スピルバーグ監督の映画「ジュラシック・パーク」(1993年)でした。

 最高の恐竜映画にしたいなんて全然考えてないよ。でもこれまでで最も現実味のある恐竜映画にはどうしてもしたいね。
 観客にこう言わせたいな。「これは実際に起こり得る話だぞ」ってね。
 自分の描く恐竜は動物にしたいんだ。
 怪物とかクリーチャーとかの言葉でだって呼んでほしくない。

スティーブン・スピルバーグ

<第3章 美徳 Virtue>
 70年代に進んだ様々な政治・社会改革は人工妊娠中絶や同性婚を認める動きを加速させました。しかし、レーガン政権のもとで進んだ保守化の流れは、そうした流れをストップさせただけでなく、巻き戻しさせ始めます。そんな古き良き時代への懐古が美徳とされたアメリカで、それまでになかった純粋なヒーローが誕生しました。
 ロバート・ゼメキス監督の「フォレスト・ガンプ/一期一会」(1994年)は、現代アメリカの叙事詩的な作品で、その主人公フォレスト・ガンプはアメリカの純粋な良心を象徴する存在でした。神話的な存在となった彼は、実在の英雄たちと出会いながら、それぞれの時代を追体験させてくれます。ただし、主人公が体験するアメリカの近代史は、彼の恋人として登場したジェニーにとってはまったく別の見え方でした。

 ジェニーという役が体現するのは満たされぬ思いを抱えたアメリカの世代。
 当時、彼らが救いを求めたのがセックスとドラッグとロック。
 一方、フォレストはいわゆる理想像だね。
 ジェニーは彼とは正反対のキャラクター。二人は当時のカルチャーの光と影を表す存在でロマンチックな魅力を放っている。

ロバート・ゼメキス

 この映画のフォレスト・ガンプはまさに「アメリカ」そのものです。(ちょっと頭が足りない?ところも含めて)
「世界は悪いもので溢れていますが、我々はその中の善良な庶民です」
 この役を演じたトム・ハンクスは、この後も、様々な映画で「アメリカの良心」を演じ続けることになります。
 ただし、実際のアメリカでは「アメリカの良心」はすでに過去のものになっていて、それとは真逆の事件が続きます。
 アメリカを代表するアメフトの英雄O・J・シンプソンによる妻の殺害事件とその後の裁判の顛末は、正義は金によって買えるものという悪しき評価を受けました。
 1995年4月の「オクラホマ連邦政府ビル爆破テロ事件」では、元兵士による犯罪で168人もの死者を出しました。
 様々な犯罪がテレビなどで報道される中、アメリカ製の異色の暴力映画がカンヌ国際映画祭でグランプリを獲得す。

<第4章 皮肉 Irony>
 それまでの犯罪映画の常識を覆した異色の映画「パルプ・フィクション」(1994年)では、殺人犯が時に哲学的な会話をし、時にはフェミレスでのんびり食事をし、犯罪とはほど遠い日常を生きています。さらに物語は、時間軸を無視して展開し、起承転結までもが無視されます。当時は、それまでの映画の構造や常識を否定するかのような作品を認められず、批判する映画ファンも多かったようです。

 彼らは四六時中こわもてで仕事の話をしているわけじゃない。
 ミネラル・ウォーターは炭酸抜きのでなきゃとか、そんな話だってするだろう。
 僕らと同様、彼らもアメリカのポップカルチャーにどっぷり浸かっているんだし。
 いま僕らが他人とつながれるとしたら、消費社会の様々な商品を通してかもしれない。
 という状況に彼らも同じように生きているわけだから、彼らの言葉の中にそれが頻発することにリアリティがあるんだと思う。

クエンティン・タランティーノ

・・・いつの間にか生活を通して入り込むアメリカニズムというものの厄介さを指摘するわけだが、同時に、コカ・コーラもまた思想なのだと言い切る。つまり単にアメリカのありようを「思想の欠如」としてしまうのではなく、実はそれこそが、アメリカの思想の本質であり、厄介さだというのである。
丸山俊一「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」より

 「パルプ・フィクション」における脱ストーリーの新しい手法は、映画の中だけでなく90年代のアメリカ全体に通じる考え方でもありました。アメリカを含め世界は、「ポスト・過去の価値観」の時代だったとも言えるからです。
 ポスト冷戦、ポスト工業社会、ポスト保守、ポスト・フェミニズムなどすべての既存概念が否定される時代、人々は何に価値を見出すべきか、悩み続けていました。そんな悩み多き時代の青春を描いた映画がベン・スティラー監督の「リアリティ・バイツ」(1994年)でした。
 大学を出て、それなりの仕事についても、そこに人生の価値を見出せない若者たち。共通のオタク的趣味に喜びを見出すその世代は、「X世代」と呼ばれました。ダグラス・クープランドの小説「ジェネレーションX 加速された文化のための物語たち」(1991年)に描かれた彼らX世代は、1960年代半ばから80年代初めに生まれています。この世代の青春を描いた映画には、ガス・ヴァン・サント監督の「マイ・プライベート・アイダホ」(1991年)やリチャード・リンクレイター監督の「スラッカー」(1991年)などもあります。この二人の監督は、その後もX世代を中心に様々な若者たちを主人公にした映画を撮り続けることになります。
 彼らの世代の特徴は、1970年代の社会変革に失敗した両親たちの人生を目撃し、多くの親たちが離婚することで家族にも失望させられ、子供時代にすでに未来への希望を失っていたことです。
 彼らは、デジタル時代に対応した最初の世代として時代をリードし、ポップカルチャーに没入する「オタク世代」でもありました。テスラを創業することになるイーロン・マスク、Googleの共同創業者ラリー・ペイジ、Yahoo!の共同創業者ジュリー・ヤンらは、この世代が生んだヒーローです。未来に希望を見いだせず、だからと言って、社会や政治を変えようとも考えない彼らは、たとえ社会的に成功しても、心に闇を抱え続けることになります。そんな彼らのアンセムだったのが、後に自ら命を絶つことになるカート・コバーンが歌うニルバーナの「スメルズ・ライク・ア・ティーンズ・スピリット」(1991年)でした。
「すべては崩壊し、地獄に向かっているけれど、私たちは楽しんでいる」
カート・アンダーセン

 ポップ・カルチャーを人生の生きがいとする世代を代表するアーティストとして、マイケル・ジャクソンも忘れられません。自らが作った「ファンタジー」の世界に生き、整形によって見た目も幼いままに保ちがなら、子供たちと暮らす「ネバーランドの王子」は、世代こそ違っても、X世代のちょっと不気味な先駆だったのかもしれません。

<第5章 安息 Sabbath>
 1990年代前半は、アメリカにとって久しぶりに戦争のない平和の時期でした。ブッシュ大統領はこの時期を「ひとときの安息」と呼びましたが、戦争相手の不在はヒーローを不要にする可能性がありました。
 トム・クルーズ主演の大ヒット「ミッション・インポッシブル」は、そうした時代が生んだスパイ・アクション映画でした。それまでのスパイ映画では、ソ連やナチス・ドイツが敵国として描かれましたが、この時代はまったく新たな敵を生み出す必要がありました。そうしなければ、リアリティーのあるヒーロー映画を作ることは不可能だからです。そのために「ミッション・インポッシブル」では味方の中に敵を見出すことになり、「羊たちの沈黙」のレクター博士や「ターミネーター2」のターミネーターなど、ヒーロー以上のキャラクターを生み出す必要がありました。
 さらには「バットマン」のように自分自身の心の中に闇を抱えたヒーローも登場することになります。

<第6章 抵抗 Resist>
 1996年、アメリカの治安悪化は国民の銃器所有率を上昇させ、国民の44%が銃を所有するに至ります。その影響で学校に銃を持ち込む生徒も急増します。しかし、保守派による銃規制への反発は根強く、苦肉の策としてクリントン大統領が選択したのが公立学校への制服導入でした。この改革は、同時に貧富の差を隠す意味もありました。
 エイミー・ヘッカーリング監督の映画「クルーレス」(1995年)は、制服ファッションをブームにした映画。さらに大人気女性アイドルシンガー、ブリトニー・スピアーズの「ベイビー・ワンモア・タイム」(1998年)のミュージック・ビデオも制服を大胆に衣装に利用して話題になりました。
 社会全体で進む管理強化は学校をも変えつつありましたが、ファッションや音楽での抵抗はごくささやかなものにすぎませんでした。実際は、学校内ではもっと恐ろしい変化が起きつつあったことが、1999年明らかになります。
 1999年4月20日、オハイオ州のコロンバイン高校で起きた生徒による銃乱射事件はアメリカだけでなく世界中に衝撃を与えました。犯人にとって、学校はリアルな生活の場というよりも、ゲームを行うファンタジーの世界になっていたのかもしれません。
 この事件のドキュメンタリー映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」(2002年)は監督のマイケル・ムーアの名を世界に知らしめることにもなりました。ガス・ヴァン・サント監督の「エレファント」もこの事件を題材にした作品です。

<第7章 錯覚 Illusion>
 X世代を代表する監督ウォシャウスキー兄弟(後に性転換手術を受け姉妹となります)の代表作「マトリックス」(1999年)は、社会のデジタル化と未来への希望の消失が生んだ90年代アメリカの総決算とも言える作品になりました。それは、「軍産複合体」ならぬ「幻想産業複合体」による陰謀がつくり上げた現実の中で生きる人間たちの物語です。
 「マトリックス」は、主人公が世界全体と共に、作られた人工的な世界にいるという設定でしたが、主人公が一人だけ人工の世界に閉じ込められていたのがピーター・ウィアー監督の映画「トゥルーマン・ショー」(1998年)でした。

 この映画の凄いところは、二つの対照的なものがとても見事にミックスされている点だよね。
 一つはトゥルーマンの存在をみんなが無自覚に娯楽として楽しんでいるというリアルな怖さ。
 この映画で描かれているようなことが現実に起こりうるかと聞かれれば、”あり得ることだ”と僕は言うだろうね。

ピーター・ウィアー

 1998年、スタンフォード大の大学院生たちによってGoogleが創業され、IT革命だけではなく流通革命も含めて、社会全体を変えて行くことになります。
 ロバート・ゼメキス監督の「キャスト・アウェイ」(2000年)は、「フォレスト・ガンプ」でアメリカの純心を演じたトム・ハンクスが流通大手フェデックスのやり手社員を演じた現代版のロビンソー・クルーソーです。この映画は、改めて見ると「トゥルーマン・ショー」とよく似ていることに気づきます。主人公は、ゲームの中のような現代社会から無人島へと流されたことで「リアルな世界」を初めて知りました。最初と最後に登場する荒野の中の十字路は、そうした二つの世界の分かれ道なのかもしれません。
 1990年代の終わり、人々はリアルを見失い、未来を見失い、それぞれがそれぞれの目の前の人生を生きるしかなくなっていました。グローバリゼーションが進み、インターネットが世界を結ぶようになったにも関わらず、世界はバラバラになってしまいます。
 冷戦構造の解体は、1960年代末の世界が自由に向かって変化した時代と同じような環境を生み出しました。しかし、その状況も人類は生かすことができませんでした。世界に平和が訪れることはなく、その後の世界はかえって危険な状況に向かいつつあるようにも思えます。しかし、長い目で見ると、歴史が繰り返される中で世界はきっと良い方向へと向かっていると思いたいです。そうでなければ、これからの時代を生きる人々に未来への希望がなくなってしまいますから。
 時代は2000年代へと突入しますが、人々は未来を信じられるようになるのでしょうか?

「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」
(制作)NHK
(制作協力)テレビマン・ユニオン
(制作統括)藤田英世、丸山俊一
(プロデユーサー)高橋才也
(ディレクター)牧田潤也
(リサーチャー)黒川優珠
(語り)玉木宏
(撮)森岡知之
(出)ブルース・シュルマン(1959年生まれ)「The Seventies」の著者
カート・アンダーセン(1954年生まれ)「ニューヨーク・マガジン」元編集長で「ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史」の著者

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