「世界サブカルチャー史 欲望の系譜 シーズン2」
「逆説の60-90s」
第1回「欧州編 60年代」
<第1章「背徳 Immoralita」>
1960年代、ヨーロッパは、第二次世界大戦の荒廃から復興を遂げつつありました。
敗戦国として国家財政が破綻していたイタリアは、10年でGDPを2倍にし奇跡的な復興を遂げつつありました。しかし、その変化は精神的な堕落の始りでもあり、それが高度経済成長期となった1960年代を象徴する映画の重要なテーマとなりました。
フェデリコ・フェリーニの代表作「甘い生活」(1960年)は、そうした人々、特に若者の精神的な変化と未来への危機を描く作品です。
「彼は本当のイタリアを探してあちこち出かけますが、見つけたのは堕落した宗教と薄っぺらい消費文化でした。1960年のイタリア社会の正確な描写。完璧に正確な描写でした」
モリス・バーマン(1944年生まれのアメリカの歴史学者)
「何より平穏が恐ろしい。見せかけだけで奥に地獄が潜んでいそうだ」
「甘い生活」主人公の友人の言葉
この映画は不気味で恐ろしい未来を予見させて終わります。
モラルなき若者たちの文化、大人に反抗する若者たちの文化は、イタリアだけでなく同時多発的にヨーロッパ各地で生まれつつありました。
フランスではそれが映画界で「ヌーヴェルヴァーグ」として花開きます。この後、20世紀の映画界を代表することになる二人の監督が次々と傑作を発表します。
「勝手にしやがれ」(1960年)(監)ジャン=リュック・ゴダール(出)ジャン=ポール・ベルモンド
「大人はわかってくれない」(1959年)(監)フランソワ・トリュフォー(出)ジャン=ピエール・レオ
イギリスでは「怒れる若者たち」と呼ばれる労働者階級出身のアーティストたちが様々なジャンルで活躍。
「土曜の夜と日曜の朝」(1960年)(監)カレル・ライス(出)アルバート・フィニー
この映画の原作は「長距離走者の孤独」でも知られる作家アラン・シリト―です。主人公はそれまでの映画では登場したことのないモラルなき女たらしの若い労働者。欲望のままに生きる主人公の生き様がヒーローとして描かれるこの映画はまさに時代の象徴でした。
「007 ドクター・ノウ」(1962年)(監)テレンス・ヤング(出)ショーン・コネリー
大ヒットシリーズとなり21世紀まで続くことになるシリーズ第一作の主演俳優ショーン・コネリーもまた労働者階級出身の俳優でした。(女たらしというのも同じ)
時代と社会の新しい動きは、女王陛下の国、英国の旧泰然とした構造にも変化をもたらし始めます。
<第2章「幻影 Simulacra」>
1960年アメリカの大統領選挙で若きジョン・F・ケネディが共和党のニクソンに勝利を収めました。この選挙戦の勝敗を分けたのは、初めて行われたテレビを通しての公開討論会の評価だったと言われます。テレビという新しいメディアが国家の指導者を決める新たな時代が訪れたのです。
1961年発表のダニエル・ブーアスティン著「イメージ」で作者はこう書いていました。
「私たちは”幻影”の中で生きる時代に突入した」
彼の予測は当たり、現在では世界中のほとんどの人々がリアルではなくイメージ(バーチャル)な世界に生きるようになっています。
そんな中、大衆は自分たちのアイドルを映画の画面の中に求めるようになります。その象徴とも言える世界的なアイドル・スターがフランスの俳優アラン・ドロンでした。
「太陽がいっぱい」(1960年)(監)ルネ・クレマン(出)アラン・ドロン、モーリス・ロネ
究極のイケメンであり、かつ陰のある男アラン・ドロンに対し、粋な明るい俳優として人気者になったのがルパン3世のモデルでもあったジャン=ポール・ベルモンドでした。
時代はそうしたイケメンたちとは真逆のグロテスクな見世物も求めるようになっていました。
「世界残酷物語」(1962年)(監)グァルティエロ・ヤコペッティ
世界各地の事件・風習・奇祭などをドキュメンタリー映像として撮影した作品。暴力・セックス・変態行為など人々の覗き願望を満たすような刺激的な映像は世界的大ヒットを記録しました。しかし、その中には明らかにやらせと思えるフェイク映像もあり、今に至るフェイク・ニュースの原点だったとも思えます。
<第3章「緊張 Tension」>
1961年「ベルリンの壁」の建設により、東西の緊張が高まり、翌年にはソ連がキューバ国内に核ミサイル基地を建設していることが明らかになります。キューバから核ミサイル攻撃を受ける可能性が高まり、世界を巻き込んだ「キューバ危機」が始まります。
そんな東西冷戦をテーマにした映画が作られ話題となりました。
「博士の異常な愛情」(1964年)(監)スタンリー・キューブリック(出)ピーター・セラーズ
「アメリカ上陸作戦」(1966年)(監)ノーマン・ジェイソン(監)ブライアン・キース
ソ連とアメリカの一触即発の危機は、この時期がピークとなり、この事件後に米ソ間にはホットラインがひかれ、雪解けが進むことになります。ソ連はフルシチョフにより、スターリン時代からの脱却を進めつつありました。
「私は20歳」(1965年)(監)マルレン・フツィエフ(出)ニコライ・グベンコ
スターリンによる独裁政治が終わった時期のモスクワを舞台に田舎から出てきた若者が自由を謳歌しつつ、そこに不安を感じ苦悩する姿を描いた青春映画。
しかし、フルシチョフによる雪解けの時代も、その後継者となったレオニード・ブレジネフによって一転することになります。
<第4章「侵略 Invasion」>
1964年2月ビートルズがアメリカ・ツアーを行い成功を収めます。英国のロックバンドがアメリカでツアーを行うのは初めてのことでしたが、この後、ローリングストーンズなどが次々にアメリカに進出します。そうした英国のロックバンドの米国での活躍は「ブリティッシュ・インベイジョン」と呼ばれることになります。ただし、そうした英国勢の活躍は音楽だけにとどまらず他の分野にも及んでいました。
ミニ・スカートの世界的ブームを生み出したマリー・クワントのファッション。彼女のトレードマークとなったボブ・カットを生み出したヘア・アーティストのヴィダル・サスーンなど。イギリスは様々なサブカルチャーの分野で世界をリードすることになりました。そんな時代のイギリスのカルチャーを描いたヒット作も生まれています。
「アルフィー」(1966年)(監)ルイス・ギルバート(出)マイケル・ケイン
次々と女性を口説き落とすアルフィーの自由な生き様を描いたヒット作。ただし、その自由な生き方は、改めて振り返ると女性たちからの搾取による自由であり、女性には悲劇の時代が続いていたと言えます。
「ラスト・ナイト・イン・ソーホー」(2021年)(監)エドガー・ライト(出)トーマシン・マッケンジー、アニャ・テイラー=ジョイ
この時代のファッション界のトレンド発信源、ソーホーを舞台にしたサスペンス映画。それは女性たちが悲しい運命を背負わされていた時代の悲劇でもあります。
<第5章「虚無 Nihility」>
1965年、ベトナムで米軍による爆撃「北爆」が始まります。アメリカはベトナム戦争の泥沼にはまり、多くの若者たちが召集され戦地に送られることになります。そんな大人たちが創り上げた社会からの脱走を企てる映画がこの時代以降作られ始めます。そうした映画は、この後「ニューシネマ」と呼ばれることになります。
「卒業」(1967年)(監)マイク・ニコルズ(出)ダスティン・ホフマン、キャサリン・ロス、アン・バンクロフト
両親が引いたレールの上を歩む人生を拒否し、そこからの脱走を実行した恋人たちの物語。
改めて見てみると、バスに乗って脱走に成功し自由を得たはずの主人公二人から笑顔はすぐに消えてしまいます。二人の心の中にはすでに未来への不安しかなかったのかもしれません。
自分たちはどこに向かえばよいのか?そこには虚無感だけが残っていたのかもしれません。そうした心の不安定さを描いた名作もこの頃生まれています。
「仮面/ペルソナ」(1966年)(監)イングマール・ベルイマン(出)ビビ・アンデション、リブ・ウルマン
スウェーデンの巨匠が描いた女優とその専属看護師のドラマは、当時の人々が抱える精神的不安をあぶり出したサイコ・サスペンスの傑作です。
<第6章「反乱 Reballion」>
1960年代末、世界各地で同時多発的に大学を中心に学園紛争が起きました。
戦後ベビーブーマー世代の子供たちが大学に入学する時代。大学は教室も教員も不足し、それ以上に古い大学の体質や教育内容に対する批判が高まります。
学生たちは、大学の改革を要求し、ストライキなどを実行し始めます。
日本では、そうした学生たちは「全共闘世代」と呼ばれ、彼らの政治活動は反安保闘争と組み合わさった大規模な学生運動へと発展しました。
イタリアでも同じようにローマ大学などを中心に学生運動が活発化しますが、それは政府の介入で分断され始めます。
そしてそこから70年代に過激なテロ事件を起こすことになる「赤い旅団」などの極左組織が生まれることになります。<イタリア近代史>参照
フランスでは1968年に「五月革命」が勃発し、パリを中心に学生運動が起きました。当初は学生たちの大学改革運動だったものが、そこに労働者の賃上げ闘争も加わることで運動は全国規模の反体制運動へと拡大。政権を退陣させるところまで盛り上がりをみせました。ところが、その後行われた選挙ではドゴールをトップとする保守派が勝利。左派の敗北によって、学生たちの運動は一気に終局を迎えることになりました。
イギリスでも同じように学生運動が起きていますが、ある映画の中でそれが武力革命として爆発しました。
「if...もしも...」(1968年)(監)リンゼイ・アンダーソン(出)マルコム・マクダウェル
英国伝統の全寮制パブリック・スクールを舞台にそこで行われている旧泰然とした教育現場を描き、最後にそれを武力によって破壊する衝撃的な映画。
この作品は、「五月革命」によって中止となったカンヌ国際映画祭が復活した翌年、見事グランプリを獲得しています。
伝統校で行われていた残酷な行為はイギリス政府にもつながるものです。こうして学校の卒業生たちがイギリス政府の要職につくわけですから。
「if...もしも...」は本当の革命がどんなものかを描いたファンタジー。武器を持つ学生の前に60歳ぐらいの寮母が機関銃を持って立ちはだかるシーンがあります。彼女はイギリス政府を守ろうと「このろくでなし」と叫びながら銃を撃つんですよ。イギリス社会の構造を描くのがリンゼイ・アンダーソンの目的でした。
モリス・バーマン
<第7章「空転 Hollow」>
1968年、チェコスロバキアの第一書記に就任したアレクサンデル・ドゥプチェクは「人間の顔をした社会主義」をスローガンに政治改革を始めます。
こうして「プラハの春」と呼ばれる時代が始り、国民が言論の自由を認められ、西欧の文化が急速に持ち込まれることになります。
しかし、「プラハの春」は長くは続きませんでした。この年の8月、突如ワルシャワ条約機構軍の戦車部隊がチェコに侵攻。あっという間にチェコの体制はひっくり返されました。
「社会主義国全体の利益は一国の利益に優先される」
この「ブレジネフ・ドクトリン」と呼ばれる基本理念は他の国においても民主化を許さず、その暴挙が明らかになると世界各地の共産主義活動家の多くが運動から離れて行くことになりました。
「ざくろの色(サヤト・ノヴァ)」(1969年)(監)セルゲイ・パラジャーノフ
アルメニヤ共和国で撮影された地元を代表する吟遊詩人サヤト・ノヴァの伝記映画。前衛的な描写と象徴的なセリフの裏にはソ連国内では表現できないメッセージが隠されていたのかもしれません。
「世界は一つの窓である」
1969年、アメリカは月面着陸に成功し、宇宙開発競争においてソ連に見事勝利を収めました。しかし、アメリカの若者たちの心は月よりもウッドストックで開催されたコンサートに未来を見ていました。
精神的な空白を埋めるのは「消費」
空しさを感じたらドレスを買う、あの心理です。
問題はそれに終わりがないこと
ジャニス・ジョプリンが「ああ神様、私にベンツを買って下さい」と歌ったのは、そんなアメリカの消費文化をからかうためでした。
モリス・バーマン
「ホール・アース・カタログ Whole Earth Catalog」(1968年から1974年)
この雑誌の発行人は当時まだ29歳だったスチュアート・ブランド。彼はスタンフォード大を卒業後、陸軍、IBMを経て、トラックで全米各地のコミューンを巡り、その過程でDIY(Do
It Yourself)生活に役立つ情報をまとめた手作り新聞を販売しました。それが好評だったことから、その収益を使って「ホール・アース・カタログ」のプロジェクトを立ち上げます。そして発売後、3年でこの雑誌は全米で100万部を売り上げ、ヒッピー文化の発信源となり、世界中で読まれることになりました。
彼のこのプロジェクトは、直接的にパソコンとは関係なかったのですが、彼の広めたカウンタ―・カルチャーの思想がパソコン開発プロジェクトの考え方に大きな影響を与えることになりました。実際、「ホール・アース・カタログ」では、パソコンについて大きく取り上げていて、その影響がビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのような天才を登場させる原因の一つになったと言えます。
「ホール・アース・カタログ」が育てたライフスタイルこそが、パソコン文化発展の中心概念となりました。
その最後の号(1974年6月)におけるメッセージは、30年後、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で引用し、再び注目されることになります。
「Stay Hungry , Stay Foolish ハングリーであれ、愚かであれ」
1960年代は「消費文化」が世界中に広がり、その虚無感までもが世界に広がった時代でした。
「世界サブカルチャー史 欲望の系譜 逆説の60-90s 欧州編60年代」
(製統)小野さくら、丸山俊一
(D)佐藤恵正(P)高橋才也(撮)高岡洋雄(編)高田好子(語り)玉木宏(声)古賀慶太
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