革命の終わりとサブカルの誕生


「革命とサブカル」
「あの時代」と「いま」をつなぐ議論の旅
(前編)


- 安彦良和 Yasuhiko Yoshikazu -
<サブカルと世界の歴史>
 「革命とサブカル」というタイトルに先ず惹かれました!「あの時代といまをつなぐ議論の旅」という副題も面白そう!
 著者の安彦良和さんは、1947年北海道生まれの漫画家ですが、そもそも「機動戦士ガンダム」のアニメーターとして一時代を築いた方です。
 残念ながら僕は「ガンダム世代」ではなく、その前の「宇宙戦艦ヤマト世代」ですが、長男は「ガンプラ世代」ど真ん中です。そう考えると、この本は我が家の二つの世代をつなぐ内容ということ?そんなことを考えながら読んでみました。
 さらに、読みながらこのサイトのテーマは何かについても改めて考えてみました。
 あえて言うと、それは「様々なジャンルにおけるサブ・カルチャーの歴史」のような気がしますが、その中で取り上げる作品には、僕自身が読んだり、見たり、体験したりしたものをできるだけ選んでいます。それは「当事者としての視点」は、リアリズムにこだわるために間違いなく重要だと思うからです。

 もともとこの本のテーマは、「世代間の関係性から時代を総括すること」にあったようです。そのきっかけの一つには、シールズの登場があったようです。
「シールズ」=SEALD's Students Emergency Action for Liberal Democracy 自由と民主主義のための学生緊急行動(2015年から2016年にかけて大きなムーブメントを巻き起こした組織です)

(安彦)
 「シールズの世代」は、大きな空白の後から出てきた、「昔懐かし」の若者たちなんです。・・・
 「間」がぽっかり抜けてるんですよ。それが時代の特徴です。・・・

(中澤紀雄)(元中核派)
 20代からはじまって若者たちの最年長が40代以下、その上が完璧に抜けている。なるほど初めてわかった。
(安彦)
 だから、われわれ世代とボコッと抜けたところをひとつのとらえ方で括ると、「革命とサブカル」になる。なんでここがボコッと抜けたんだ。ここにあった「革命」というのは、どういうもので、どうなったんだ。で、今、若者たちが出てきた。・・・

 この作品の前半部は、著者が「あの時代」(70年安保)に共に闘った学生運動の仲間たちとの対談になっています。「仲間」とは言っても、中にはあの有名な「総括」というなの連続リンチ殺人事件に関わり、長く懲役していた人物もいて、単なる外から見た歴史の回顧とは違う重さがあります。ただし、重く悲惨な当時の歴史を振り返る彼らの言葉は、意外に軽くだからこそ真実味があります。

 人は皆一回きりの人生を生きるしかない。しかも、その生きる時期や場所を、誰も、長い歴史や広い世界の中から好きに選び取ることはできない。ならばその一回きりの人生の後処理をおそろかにしてはなるまい。ふり返り、位置づけ、時代とともに検証してみてはどうか。

<なぜ「革命」は終わったのか?>
 過ぎた20世紀で最大の事件は何だったのかと問われれば、僕は「ロシア革命」だったと答える。それでは二番目の事件は?と問われれば「ソ連邦の崩壊」と答える。

 世界を変えた20世紀最大の発明は、「共産主義」だったという人がいます。テレビもコンピューターも確かに世界を大きく変えましたが、戦争までは起こしていません。確かに「共産主義」という発明は世界にとって重要な発明でした。問題はその画期的な発明が100年もたなかったことです。
 ではなぜ「革命」は行き詰まってしまったのか?

 皮肉だなあと思うんだけど、今、世界の資本主義の命運は、ある意味中国が握っているんだよね。「社会主義国」の中国が。だから、彼らが資本主義を倒そうと考えたら、今、彼らにはそれができる。しかし、そうはしない。むしろ必死に利害を守って、資本主義を維持させようとしている。そういうことを見るとね、思うわけだよ。「革命の時代は終わった」と。

 革命を成し遂げた国が、革命を広げるどころか自らストップをかけてしまうのが21世紀の今です。革命が終わってしまうのも当然です。しかし、そもそも中国の革命政権誕生の時点ですでに崩壊への道は始まっていたとも考えられるようです。そのことについても、安彦さんは語っています。

 文革当時の人民公社制度、これは共産主義のひとつの萌芽みたいな形で評価されることもあるけど、これがどこから始まったのかというと、抗日戦争時代の農山村根拠地だよね。その根拠地に流入してくる都会の文、化人や知識人に対して、ブルジョワ性批判が何度も行われていた。それが全国規模で展開していったのが文化大革命だと僕は思うんですよ。そういうふうに考えたとき、当時の左翼のいだいていた共産主義思想の世界のイメージは、、農村根拠地的、農村共同体的な発想に基づいた共産主義なんじゃないかなと思っていますね。日本的に言えば「清く、貧しく、美しく」というようなイメージが強くなってしまった。そういうのが「共産主義化」の中でも、もろに出たんじゃないかと思うんだよね。
 それをもっと徹底的に突き推し進めたのが、都市を廃止したポルポト政権だった。
 その文革とポルポトの失敗を凝縮したのが連赤。だからものすごく重いんだよ。


 共産主義の道の踏み誤りは、共産主義者たちの考え方の基本にそもそも間違いがあったための必然だったのかもしれません。例えば、彼らが使う「我々は!・・・」という言い方もしくは発想について、植垣康博はこう語っています。
植垣康博(1972年に連合赤軍によるリンチ殺人事件で逮捕され、1998年に出獄した人物)
(植垣)
 いまでも、「我々は」っていう人がいると、「お、この人はまだ自分というものが現れていないな」って思う。
 考えてみると、これはまだ無自覚ではあったけど、大学でいろいろやってたときだって「わたし」なんですよね。


 共産主義が農村共同体的な思想が生み出したのだとすれば、「私」よりも「私たち」が重視されるのは当然なのかもしれません。

<スターリンによる大粛清>
 革命の終わりは、ロシア革命の英雄の一人、スターリンによる政治体制のもとですでに始まっていました。そのことを世界に知らしめることになったのが、スターリンによる大粛清です。1938年にピークを迎えた赤軍による組織的な殺人は、その詳細が長く明らかにされていませんでしたが、60年代末には日本でも知られるようになっていて、それが70年安保の学生たちが共産主義を捨てるきっかけの一つとなります。

 革命後に独裁的な地位を確立したスターリンは、自らの統治に反抗する可能性がある政治家や軍人をシベリア送りにして行きます。そこまでは、多くの映画や小説で明らかにされてきました。しかし、多くの軍の上層部のメンバーを処刑していたことは、彼がこの世を去った後もなかなか明らかになりませんでした。
 元帥5名中3名。陸軍司令官16名中14名。海軍提督8名全員。軍団司令官67名中60名。師団司令官199名中136名。旅団司令官397名中221名。国防人民委員代理11名全員。最高軍事ソヴィエトのメンバー80名中75名。その他、将校団から約3万5000名。
 スターリンは、自分に反抗する可能性のある軍人をほとんど殺してしまったわけです。「革命の英雄」がそんなですから、「革命」=共産主義を信じられなくなるのは当然です。

<ソ連軍によるチェコ侵攻>
 1968年に起きたソ連軍のチェコ侵攻もまた、その理由が明らかになることで、世界中の革命運動家たちに大きな衝撃を与えることになりました。民主化を求めるチェコの人々の願いを戦車によって押しつぶしたソ連のやり方もまた日本の学生たちの共産主義批判の原因となります。

 「1968年」に、それは既に終わっていたというのが僕の考えだ。僕は考えるだけでない。社会主義の再生にかけた最後の望みを体現するかのようなチェコスロバキア人民の試みを戦車で圧殺した時点で、つまり、ブレジネフ・ドクトリンという鉄の鎖で縛りあげなければ社会主義陣営とその体制はもたないのだと公に認めてしまった時点で、社会主義は自らの終わりを告白してしまっていたのだ。
 そこから1989年までの20余年は、現実に、物理的な崩壊現象としてその「終わり」が顕れるまでに要した単純な時間経過に他ならない。


<三里塚での失敗>
 70年安保の後も学生たちはその闘いを続けましたが、それはあらかじめ負けることを覚悟した後処理的なものにならざるを得ませんでした。成田国際空港の建設に反対して始まった三里塚での闘いはその代表的な運動でした。
(安彦)
 「差別はいけない、差別されてる側に立ちましょう、寄り添いましょう」というのは、それはたぶん余計なお世話なんだろうな、という気がある部分するんですよね。「気持ち悪いからやめよ」みたいな。・・・
(編集)
 ・・・前にちょっとおっしゃっていた三里塚への違和感も、そういうことですね。
(安彦)
 寄り添えないと思うんですよ。三里塚は敗北の神話になって、こういう農民闘争がありましたって、歴博の展示なんかでもやってるんだけど、もし左翼が天下取って日本が社会主義国になったら、真っ先に弾圧されるのは、三里塚の農民みたいな、ああいう人達です。土地にしがみついて革命に従わない、「もう抹殺してしまえ」となる。「予定された敗北」が見えるから「連帯」できるわけです。勝っちゃったらどうするんですか。誰も考えないよね。さっきのアングラにしてもカウンターカルチャーにしても、そういう勝つことはありえないという安心感があったんですよ。

 そのそも闘いは負けることを前提にしていたわけではないのでしょうが、・・・そう見えても仕方なかったのです。

<これからの日本社会>
 今後、日本はどうなるのか?

・・・しかし、安倍政権がどんなに強引に戦前の体制を復活させようとしても、日本をとりまく状況が戦前とまったく異なっており、戦前の体制の現実的な実行は行き詰まるどころか、不可能です。せいぜいアメリカ政府に利用され、手痛い目にあうだけでしょう。むしろ、そうした事態は、アメリカへの依存によって延命してきた戦前の日本の醜悪な勢力を誰にもわかる形で登場させ、多くの人たちを新たな日本への変革へと駆り立てていくと確信しています。

 いまの社会経済的なあり方のなかで、これからどういう産業が生き延びていくかを考えると、すべてを「サービス」という言葉で置き換えてやるシステムができている。
 たとえば、楽天がなにかやろうと思ったら6000万枚のカードを日本人に渡しているから、料金を回収するシステムは十分ある。イオンだって、NTTドコモだって、大きなところは、そうやってお金を回収するシステムを持っているから、ひとり1円ずつ稼ぐサービスさえ立ち上げられれば、たくさんのお金が入る。ユーチューバーも、そこに何かを貼り付けることによって、それによってお金が入るシステムになっている。
 だから、「経済圏」を自分で作ろうとしている。自分の経済圏を作り、そこにいいサービスがあれば、そこに皆さんがお金を入れていく。・・・個人がちょっと「目立つ」ことで、お金が入ってくる構造を、すべて企業が「サービス」という言葉でそれを支えている。経済圏の創造と奪い合いの時代が21世紀の経済の基本となる。


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「革命とサブカル」
「あの時代」と「いま」をつなぐ議論の旅
 2018年
(著)安彦良和
言視舎

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