「サンセット大通り Sunset Boulevard」 1950年
「深夜の告白 Double Indemnity」 1944年

- ビリー・ワイルダー Billy Wilder、グロリア・スワンソン Gloria Swanson -

<ハリウッドの内幕>
 「アパートの鍵貨します」(1960年)、「お熱いのがお好き」(1959年)、「あなただけ今晩は」(1963年)など、都会派の洒落たコメディ映画の監督として有名なビリー・ワイルダーは、1940年代から1950年代にかけては、シリアスなフィルム・ノワール作品を得意とする監督として知られていました。さらに彼は、古き良きサイレント映画時代のハリウッドとスタジオ・システムを導入し近代化したハリウッドの両方に関わった数少ない監督の一人ともいわれています。この作品は、その両方を知る彼だからこそ撮れた映画であり、時代の変遷とそこからはじき出された人々の不幸を愛情をこめて描き出した映画への愛に満ちた作品でもあります。
 そこには、主人公のグロリア・スワンソン以外にも、かつてサイレント時代に輝きを放ちながら、トーキーの登場によって、消えていった悲劇の俳優たちが何人も登場します。(あのバスター・キートンも本人役で登場しています!)ところが、よく調べてみると、この映画に出演している俳優たちそれぞれが実はハリウッドの荒波によって苦しんだ経験があり、まるでこの映画の役柄と同じような立場にありました。
 実は、この映画はハリウッドの内幕を知る俳優とスタッフがそれぞれの苦い思い出を生かした限りなくリアルな実体験映画でもあるのです。この作品が放つ輝きがいまだに衰えていないのは、もしかするとこのリアルさに支えられているからかもしれません。
 監督のビリー・ワイルダーはこの作品によってハリウッドの内幕を見事に描き出したことで監督として高い評価を得ましたが、業界の内部では彼の行為を非難する者も多く、そのためにこの作品はアカデミー賞を取れなかったとも言われました。(12部門にノミネートされながら、脚本賞、音楽賞、美術賞と3部門に終り、肝心の作品、監督、主演男優、主演女優、助演男優、助演女優すべてを逃してしまいました)ちなみにこの時に作品賞、監督賞など主要部門を獲得した「イブの総べて」がすでに過去の作品となった感があるのに比べると、この作品の息の長さは明らかに別格だといえるでしょう。(騙されたと思って是非一度ご覧下さい!)

<ビリー・ワイルダー>
 この映画の監督、ビリー・ワイルダー Billy Wilderは、本名をサミュエル・ヴィルダー Samuel Wilderといい1906年26月22日ポーランドで生まれています。ウィーン大学を卒業後、新聞記者として働き、1920年代にドイツで映画の脚本家として活動し始めました。当時は、作品がなかなか売れず生活に困った彼は、ダンス・ホールで女性相手にダンスを踊るジゴロとしてかろうじて食べていたといいます。この当時の屈辱感こそが、この映画の主人公である売れない脚本家ジョーの原点となっています。
 1934年、ヒトラーの登場によりユダヤ人だった彼はドイツを脱出しなければならなくなり、先ずはフランスに移住。その後、メキシコ経由でアメリカに入国しました。この時、いっしょに脱出しなかった両親は後にドイツ軍のホロコーストによって命を落とすことになり、それが彼の心の傷として長く彼を苦しめます。どんなに楽しい喜劇映画を撮っても、彼の作品にはどこか冷めた始点が存在し続けるのは、こうした悲劇を乗り越えてきたところから来ているのでしょう。
 彼はアメリカに入国する際、自らの名前をあえて、「ビリー・ワイルダー」に変えました。これは多くのユダヤ人がアメリカで差別されずに仕事を得るためにとった生きる知恵の一つです。ちなみに、なぜ「ビリー」だったのかというと、アメリカ人にとっての西部の英雄の一人「バッファロー・ビル」からとったとのことです。これなら、すぐにアメリカ人として認めてもらえると思ったのでしょう。(たぶん彼は西部劇を一本も撮っていないように思いますが・・・)

<ウィリアム・ホールデン>
 この映画の主役を演じているウィリアム・ホールデン William Holdenは、実は映画の中の登場人物ノーマ・デズモンドと同じような立場に追い込まれていました。彼は1939年のボクシング映画「ゴールデン・ボーイ」によって一躍人気スターの仲間入りをしたものの、その後まったくヒット作に恵まれずにいました。すでに年齢的にもそう若くなく(この映画公開時には32歳)この映画がもしかするとラスト・チャンスだったのかもしれないのです。実のところ、この映画に出演できたのも、もとはといえばこの作品に主演するはずだったモンゴメリー・クリフトが直前に出演を降りたからでした。そのおかげで、彼はこの作品で再び浮上のきっかけをつかみ、その後再びビリー・ワイルダーと組んだ「第17捕虜収容所」ではついにアカデミー主演男優賞を獲得。その後も大スターとして活躍するlことになっただけに、この作品は彼にとって最も重要な作品になったのです。

<エリッヒ・フォン・シュトロハイム>
 寡黙な執事マックスを演じたエリッヒ・フォン・シュトロハイムの場合は、さらにリアルな裏話があります。
 彼は、実はサイレント映画の時代には、ジャン・ルノワールやエイゼンシュタインと並び称される映画監督でした。しかし、トーキーの導入とハリウッドにおけるスタジオ・システムの導入、この大きな変化に彼はついてゆくことができませんでした。特に彼は作品を2時間という映画の新しい枠に収める「編集」という作業が大の苦手でした。そのため、1924年に彼が撮った7時におよぶ超大作「グリード」は映画会社によって4分の1に切り刻まれることになりました。この後、彼の作品はどれもカットされることになり、ついには監督を完全に降ろされてしまうことになりました。こうして、彼はその後は監督ではなく俳優として活動するしかなくなり、1940年代にはB級映画の俳優として細々と活動していました。(それ以前には、「アンナ・カレーニナ」や「大いなる幻影」などの名作でいい味を出していました)
 驚くべきことに、この作品の中でノーマ・デズモンドが家の映写室で見るサイレント映画は、主演のグロリア・スワンソンが実際に若かりし頃に主演した作品だったのですが、その監督がなんとエリッヒ・フォン・シュトロハイムだったのです。よくぞ、そんな残酷とも思える演出をしたものです。さらに、そのサイレント映画にはもうひとつ裏話があります。その作品の製作費を出資していたのは、なんと当時グロリア・スワンソンの恋人だったというあのジョン・F・ケネディの父親だったのだそうです。恐るべし、ケネディー家の女癖の悪さ!子供達があのマリリン・モンローをボロボロにした話は有名ですが、その父親もまた当時の人気ナンバー1女優を恋人にしていたのです!

<グロリア・スワンソン>
 主演のグロリア・スワンソン Gloria Swansonこそ、サイレント映画黄金時代のナンバー1女優であり、その後トーキーとともに人気を失った伝説の女優ということになるのですが、実は映画の中の女優ノーマ・デズモンドとはかなり違う性格の女性だったようです。
 彼女はこの映画の撮影が行われた時点で、すでに20年間映画に出ていなかったのですが、だからといってノーマのように映画界への復帰を望んでいたわけではありませんでした。なんと彼女は実業家としてすでに成功しており、ニューヨークでは自らの出演するラジオ番組までもつ忙しい身だったのです。独身でバリバリの働く女性だったのです。この映画への彼女の出演についても、もともと彼女が候補だったわけではなく、何人もの女優に断られた後で彼女に駄目もとで依頼がなされたのでした。考えてみると、本当にノーマのような立場にいる女優なら、出演は初めから断っていたかもしれません。グロリアの場合、そうしたこだわりがなかったからこそ、出演依頼を受け、さらにあれだけの強烈なキャラクターを思う存分演じられたのかもしれません。
 サイレント時代に活躍した女優だけに、彼女の演技は他の俳優たちに比べ明らかにオーバー・アクト気味に見えます。しかし、それもまたノーマの時代遅れで怪しい雰囲気を生み出すのにぴったりでした。まるでお化け屋敷のようなノーマの豪邸のグロテスクな内装と彼女の衣装、どぎつい化粧、そして演技が見事に一体となって、そこにはひとつの巨大な妖怪が生み出されたのです。
 彼女の下記の名セリフは「アメリカ映画の名セリフベスト100」(2005年にAFIで第7位に選ばれています)
「いいわよ、デミル監督、クローズ・アップをお願いするわ All right Mr.DeMille, I'm ready for my close up」

<イディス・ヘッド>
 この映画の中で強い印象を残すノーマの衣装をデザインしたのは、この後映画界最高の衣装デザイナーとして活躍することになる女王イディス・ヘッド Edith Headです。彼女がデザインしたノーマの衣装や帽子などの小物はこの映画の雰囲気を決定づける重要な役割を果たしています。悪趣味のようでいてスタイリッシュなそのセンスは、現代のファッションにもそのままいかせそうな魅力をもっています。なんと彼女は、この後8回もアカデミー衣装デザイン賞を受賞(ノミネートは35回)し、アカデミー賞の常連となっただけでなくアカデミー賞授賞式におけるお目付け役としても有名になりました。彼女は女優たちのドレスについてすその丈、胸の空き具合などを式場でチェックし、派手すぎる衣装についてはその場で入場前に自分の手で手直ししていたといいます。(1952年から1968年頃まで)彼女のことを人々は「ドレス・ドクター」と呼んでいたそうです。
<フランツ・ワックスマン>
 この映画の音楽を担当したフランツ・ワックスマン Franz Waxman は、1906年12月24日ドイツのケーニヒスヒュッテ生まれ。ベルリンとドレスデンで音楽を学んだ後、ドイツやフランスで映画音楽を作曲。1935年にアメリカに渡り、ユニバーサル、MGMで作曲の仕事をした後、1942年にワーナーの音楽部長に就任。1947年以降はフリーとして映画音楽以外にもアメリカ各地の交響楽団に客演指揮者として招かれるなど、クラシックの分野でも活躍。どの作品についても脚本をじっくり読み、ドイツ人ならではのこだわりをもった曲作りを行い高い評価を獲得。この映画と「陽のあたる場所」(1957年)でアカデミー作曲賞を連続受賞するという快挙を成し遂げています。(1967年2月24日ロサンゼルスにて死去)
 その他の作品としては、「レベッカ」(1940年)、「ミスタア・ロバーツ」(1955年)、「サヨナラ」(1957年)、「翼よ!あれがパリの灯だ」(1957年)、「尼僧物語」(1959年)、「名誉と栄光のたまでなく」(1966年)など。

<映画の中の実在の場所>
 この映画のタイトルとなっている「サンセット大通り」は、LAに実在する通りで夕方には美しい夕日を眺めることができます。当然、この夕日=落日こそ、この映画の主人公ノーマとの人生の終りを象徴しているわけです。
 パラマウント映画は、この映画に実名で登場し、撮影所内の数々の施設を見せ、この映画の実録ものとしての雰囲気づくりに大きな貢献をしています。さらに凄いのは、ノーマが自らの映画をもう一度撮ってほしいと撮影所を久々に訪れるシーンにあのセシル・B・デミルが実名で出演していることです。このシーンで、彼女の存在に気づいたスタッフたちが彼女の周りに集まってくるシーンはこの映画のもうひとつの見せ場です。
 アカデミー賞は逃したとはいえ、映画界の内幕を暴露する作品をハリウッドの映画会社が作ったということだけでも、当時のハリウッドが健全だったことの証なのかもしれません。しかし、こうしたハリウッドのスタジオ・システムもしだいにその活力を失ってゆくことになります。ヒット作を生むためのシステムは、その機能が優秀になればなるほど、それまでの経験やデータに基づいたパターンの作品しか製作できなくなっていったのです。
 例えば、映画をヒットさせるためにアカデミー賞をとろうとするなら、アカデミーの会員に愛される作品を作らなければなりません。ということは当然、会員の顔ぶれが変わらない限り、いつまでもハリウッドは同じパターンの作品を作り続けることになります。50年代の後半になり、ロックン・ロールの時代が訪れても、まだブロードウェイ・ミュージカルの映画化にこだわり続けていたハリウッドの時代錯誤は、この後1960年代の後半にニューシネマが登場するまで延々と続くことになるのです。

「サンセット大通り Sunset Boulevard」 1950年公開
(監)(脚)ビリー・ワイルダー
(製)(脚)チャールズ・ブラケット
(脚)D・M・マーシュマン・Jr
(撮)ジョン・サイツ
(音)フランツ・ワックスマン
(衣装)イディス・ヘッド
(出)グロリア・スワンソン、ウィリアム・ホールデン、エリッヒ・フォン・シュトロハイム

<あらすじ>
 ハリウッドの売れない脚本家ジョー・ギリス(ウィリアム・ホールデン)は、車のローンは払えず、借金取りに追われて車で逃走中、タイヤがパンクしてしまったため、サンセット大通りの荒れ果てた屋敷に逃げ込みました。ところが、その巨大な廃屋と思われた屋敷には、かつてサイレント映画時代に大スターとして一世を風靡した大女優ノーマ・デズモンド(グロリア・スワンソン)が執事のマックス(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)と二人きりで住んでいました。彼が脚本家であることを知ったノーマは自分が書いた「サロメ」の脚本を仕上げてくれるよう依頼します。すぐに出て行きたかったジョーでしたが、金もなく家にも帰れない彼は仕方なく彼女の申し出を受けることにしました。
 彼女との生活を始めているうちに、彼は脚本家として雇われたのではなく、死んでしまったペットの猿の代わりであったことがわかってきます。悪趣味で巨大な屋敷の不気味さと今でもスターの座に返り咲けると考えているノーマの異常さ、そしてかつて彼女の映画の監督をつとめながら、彼女と離れられずに監督を辞めて執事になったというマックスという人物。狂気一歩手前の状況に耐え切れず、ついに彼は屋敷を出る決意を固めました。
 しかし、彼は二度とそこを出ることができませんでした。そして、そのためにノーマ・デズモンドは再びカメラの前に立ち、スポット・ライトを浴びるチャンスをつかみます。それは実に皮肉な結末でした。
「深夜の告白」 Double Indemnity 1944年
(監)ビリー・ワイルダー
(製総)バディ・G・デシルヴァ
(原)ジェームズ・M・ケイン「倍額保険」
(脚)ビリー・ワイルダー、レイモンド・チャンドラー
(撮)ジョン・サイツ
(音)ミクロス・ローザ
(出)フレッド・マクマレー、バーバラ・スタンウィック、エドワード・G・ロビンソン、ポーター・ホール
 
<あらすじ>
自動車の保険を解約延長するために訪れた家で、美人の妻に夫に秘密で傷害保険をかけたいと告げられた主人公。
明らかに夫の死を望んでの保険とわかったため主人公は、やめさせようとしますが、いつしか妻の魅力に引き込まれ協力者に。
保険屋としての経験から殺人とわからずに夫を殺す方法を提案し、妻に協力させて実行に移します。
完璧な殺人だったはずですが、やり手の保険調査官により、自分にも疑いがかかりそうになります。
 
<王道ハードボイルドの完成形>
 主人公が事件の顛末を語り始めるオープニング。悪人ではないはずが、悪女の魅力によって事件に巻き込まれる展開。
 「サンセット大通り」の基本スタイルを完成させた元祖ハードボイルド映画の傑作です。
 ただし、今見るとお決まりのパターンばかりのように思えるかもしれません。でも、この作品から始まったので・・・ 
 
「麗しのサブリナ」 Sabrina 1954年 
(監)(製)(脚)ビリー・ワイルダー
(原)(脚)サミュエル・テイラー(脚)アーネスト・レイマン(撮)チャールズ・ラングJr.(衣)イディス・ヘッド(音)フレデリック・ホランダー 
(出)オードリー・へプバーン、ハンフリー・ボガート、ウィリアム・ホールデン、ジョン・ウィリアムズ、マーサ・ハイヤー、マーサ・ハイヤー
イディス・ヘッドがアカデミー衣装デザイン賞を受賞。
「ラヴィアン・ローズ」がテーマ曲的存在として使用されています。 
資産家の専属運転手の娘が雇い主の兄弟から愛されてしまうという「アメリカン・ドリーム」恋愛ドラマ。
元祖サブリナ・パンツは最後の登場しますが、意外に地味な存在でした。
お洒落なセルフが連発です。イディス・ヘッドがアカデミー衣装デザイン賞を受賞。
「ラヴィアン・ローズ」がテーマ曲的存在として使用されています。 


「アスファルト・ジャングル」(監)ジョン・ヒューストン(主演のサム・ジャッフェがヴェネチア映画祭男優賞
「アニーよ銃をとれ Annie Get Your Gun」 (監)ジョージ・シドニー
「イブの総て All About Eve」 (監)ジョゼフ・L・マンキーウィッツ(アカデミー作品賞、監督賞、助演男優賞(ジョージ・サンダース))
「田舎司祭の日記」(監)(脚)ロベール・ブレッソンヴェネチア国際映画祭で撮影賞、国際賞、イタリア批評家賞、国際カトリック映画事務局賞
越境者(監)ピエトロ・ジェルミ(脚)フェデリコ・フェリーニ(ベルリン国際映画祭銀熊賞ヴェネチア国際映画祭セルズニック賞
「ガラスの動物園 The Glass Menagerie」(監)アーヴィング・ラバー
「裁きは終わりぬ」(監)アンドレ・カイヤット(出)ヴァランティーヌ・テシエ(ヴェネチア映画祭金獅子賞
「サムソンとデリラ Samson and Delilah」(監)セシル・B・デミル(出)ヘディ・ラマール、ヴィクター・マチュア
「サンセット大通り Sunset Boulevard」 (監)ビリー・ワイルダー(出)ウィリアム・ホールデン、グロリア・スワンソン、エリッヒ・フォン・シュトロハイム
情熱の狂想曲 Young Man With a Horn」(監)マイケル・カーティス(出)カーク・ダグラス、ホーギー・カーマイケル
「シラノ・ド・ベルジュラック Cyrano De Bergerac」(監)マイケル・ゴードン(ホセ・ファーラーがアカデミー主演男優賞
「ハーヴィ」(監)ヘンリー・コスター(出)ジェームス・スチュアート、ジョゼフィン・ハル(アカデミー助演女優賞
「舞台恐怖症」(監)(製)アルフレッド・ヒッチコック(出)ジェーン・ワイマン、マレーネ・ディートリッヒ
「ボーン・イエスタデイ」〈監)ジョージ・キューカー〈出)ウイリアム・ホールデン、ジュディ・ホリデイ(アカデミー主演女優賞
忘れられた人々(監)(脚)ルイス・ブニュエル(出)ロベルトコボ(カンヌ国際映画祭監督賞

日本でも赤狩りが始まる

「暁の脱走」(監)(脚)谷口千吉(脚)黒澤明(出)池辺良、山口淑子、若山セツ子
「帰郷」(監)大庭秀雄(脚)池田忠雄(原)大佛次郎(出)佐分利信、木暮実千代、津田恵子
「細雪」(監)阿部豊(原)谷崎潤一郎(出)花井蘭子、山根寿子
「執行猶予」(監)(出)佐分利信(脚)猪俣勝人(原)小山いと子(出)木暮実千代
「醜聞」(監)(脚)黒澤明(脚)菊島隆三(製)小出孝(出)山口淑子、三船敏郎、志村喬
「また逢う日まで」(監)今井正(脚)水木洋子、八住利雄(出)岡田英次、久我美子、滝沢修
「宗方姉妹」(監)(脚)小津安二郎(脚)野田高梧(原)大佛次郎(出)田中絹代、高峰秀子
「羅生門」(監)黒澤明(翌1951年ヴェネチア映画祭金獅子賞の傑作)


<海外>
朝鮮戦争勃発
ネール首相ももとインド共和国成立
インドネシアが単一国家として成立(スカルノ大統領)
 (100以上の言語をもつ複雑な民族国家の独立と統一に成功)
台湾(中華民国)で蒋介石が総統に就任
小説「ライ麦畑でつかまえて」(J・D・サリンジャー著)出版
<日本>
警察予備隊発足(後の自衛隊)
共産党幹部の追放、レッドパージの嵐が吹き荒れる
京都にて金閣寺消失事件発生

<芸術、文化、商品関連>
「黄金の腕」ネルソン・オルグレン著(全米図書賞)
<音楽関連>
後にサン・スタジオと名前を変えるメンフィス・レコーディング・サーヴィスがオープン
アフリカン・ポップスの先駆け、E.T.メンサー、テンポスを率いて活動開始
この年の音楽については、ここから!

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