「スプートニク」

- ジョアン・フォンクベルタ Joan Fontcuberta -

<異色の歴史サスペンス小説>
 「宇宙からの帰還」(立花隆)や「ライト・スタッフ」(トム・ウルフ)など、優れた宇宙もののノンフィクションは、SF小説を読むよりも読者をワクワクさせる気がします。やはり「リアル」ならではの迫真性は、ドラマを面白く感じさせるのでしょう。そして、この小説もまた読者をワクワクさせること間違いなしです。
 それはただ単なる宇宙開発の内幕もの、異色の記録文学ではありません。宇宙開発史の裏側に隠されていた秘密を明らかにする歴史サスペンス小説としての面白さこそ、この小説最大の魅力です。

<ソ連の宇宙開発>
 ここでは先ず、この作品の主人公となるソユーズ2号が打ち上げられるまでのソ連による宇宙開発の歴史を簡単に振り返っておきたいと思います。
 1961年、人類が初めて有人宇宙飛行に成功。それはアメリカと熾烈なデッドヒートを繰り広げていたソ連が打ち上げたボストーク3K−2によるものでした。この時、ユーリ・ガガーリンが残した名言「地球は青かった」は、世界に感動をもたらし、アメリカに屈辱を与えることになりました。やっとロケットを人工衛星の打ち上げに成功しただけのアメリカは、大きく水を開けられてしまいました。こうして、1957年にソ連が人類初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げて以来、1960年代に入るまで、米ソの差が縮まることはありませんでした。しかし、1961年にJ・F・ケネディがアメリカの大統領に就任すると、アメリカは巨額の予算を宇宙開発に投入し、いっきにその差は縮まることになります。
 1966年、アメリカは月に無人の着陸船サーベイヤ1号を軟着陸させると、1968年には有人宇宙船による月の周回飛行に成功。1969年に人類初の月面到達まで秒読み段階に入ることになります。この時点で、すでにソ連は宇宙開発におけるそれまでの優位を完全に失い、仕方なくアメリカの目指す方向とはことなる宇宙空間での活動により重点を移すことになります。そして、そのための拠点となる宇宙ステーション建設を目指して、スプートニク計画が進められ人工衛星のドッキングが初めて行われることになったわけです。方向が違うとはいえ、当然、それはアメリカが予定する月面への人類到達の前に行われなければなりませんでした。
 こうして、アメリカの急激な追い上げにあせったソ連は、ついに大きなミスを犯すことになります。それが宇宙初の死亡事故となったソユーズ1号と2号のドッキング計画でした。

<ソユーズ1号>
 1967年4月23日、ソ連の宇宙開発基地バイコヌールからソユーズ1号が打ち上げられました。乗員はウラジミール・コマロフ。彼はその後、打ち上げられる予定だったソユーズ2号と宇宙空間でドッキングし、乗り移るという使命を与えられていました。ところが、この打ち上げを前に行われた無人のロケットによる実験はことごとく失敗。この状況のまま打ち上げるのは、あまりに危険すぎる。この時、コマロフのサブ・スタッフとなっていたガガーリンは、実験の延期を進言し、自分が代わりに飛ぶとまで言ったそうです。(自分が飛ぶことになれば、英雄を危険にさらせないために打ち上げは中止になるだろう。そう考えたのです)
 ところが、ソユーズ1号の打ち上げ前日、1月22日はレーニンの誕生日でした。打ち上げは、レーニンの生誕を祝うためにも絶対に行わなければならない。それがソ連上層部の統一見解であり、絶対的な命令でもありました。こうして、死の危険を感じながらも、コマロフは宇宙へと旅立つことになりました。そして、その不安はやはり的中します。ソユーズ1号は打ち上げに成功したものの、宇宙空間で活動をい行うために必要だった太陽電池パネル2枚のうち1枚が開かないことが明らかになります。そのため、宇宙空間での活動が大幅に制限されたことから、ドッキングは不可能と判断され、ソユーズはそのまま帰還することになりました。
 ところが、帰還中に宇宙船は操縦困難となり、予定通りの位置に降下することも不可能となり、さらには降下に必要なパラシュートが開かないというさらなるアクシンデントまでもが重なります。制御不能となった帰還船は、そのまま地上に激突。コマロフは人類初の宇宙開発での犠牲者として歴史にその名を刻むことになったのでした。

<ソユーズ2号>
 これだけの失敗をしながらも、ソ連はこの後も国家の威信をかけて宇宙開発を進めます。そして、1968年10月25日、ソユーズ2号が今度は無人ロケットとして打ち上げられます。そして、その後すぐに打ち上げられたゲオルギ・ベレゴヴォイが乗船するソユーズ3号との宇宙空間でのドッキングが試みられることになっていました。
 当初の予定では、3号に乗っていたベレゴヴォイは2号に乗り移り、そのまま2号に乗って地球に帰還することになっていました。ところが、やはりここでもドッキングは上手く行かず、結局ベレゴヴォイはそのまま3号に乗って地球に帰還したのでした。
 ここまでが、ソ連から公式に発表されている記録に基づいたソユーズ計画の歴史です。ところが、この公にされた歴史の裏には、隠されている部分があるのではないか?そのことに気づいたある人物によって、この作品が書かれることになりました。

<隠蔽された歴史の数々>
 ソ連の歴史に様々な隠蔽された部分があることは有名です。特に東西冷戦時代には、ソ連にとって不利益となる情報はことごとく隠されてきた歴史があります。
 最近でも20世紀末になって明らかになり、名匠アンジェ・ワイダ監督によって映画化された「カチンの森」における大虐殺もまた有名な歴史的事件です。スターリンによってシベリアに送られ、そこで命を落としたユダヤ人の数は、ナチス・ドイツによって虐殺されたユダヤ人よりも多いという説もあり、21世紀になってもわからない歴史はまだまだ存在します。SF小説の古典的名作「1984」で描かれているように、歴史を改変することは、全体主義国家が最も得意とする分野かもしれません。それだけに、ソ連の宇宙開発には隠された部分がかなり存在するのではないか、そう考えるのは当然だと思います。

<あらすじ>
 1993年、マイクル・アレーナ(著者)という人物が、世界最大のオークション「サザビーズ」で行われたロシアの宇宙開発に関する競売品の中にあった一枚の写真と出会います。それがすべてのきっかけとなります。その写真に写っていた宇宙飛行士たちを見ていた何か腑に落ちないと感じた彼は、それと良く似た写真を以前にもどこかで見ていたことを思い出します。そのもう一枚の写真を見つけた彼は、その違いに驚かされます。
 イワン・イストニチコフという宇宙飛行士が、一枚には写っているのに、もう一枚では消されていたのです。それは、イストチニコフが公式の歴史から消されていることを示していました。ではなぜ、彼はソ連の宇宙開発史から消されてしまったのか?
 彼は実は公式記録では無人のはずだったソユーズ2号に乗っていたのではないか?こうして、謎に包まれたソユーズ号の事故に関わる事故の再調査が始まることになります。
 1991年にソ連は崩壊。ソ連の民主化と東西の雪解けが急激に進み、過去の記録を公開することも可能になりつつありました。こうして社会状況の変化を利用することで、著者は、様々な関係者にインタビューを試みるなどしながら、隠されていた歴史の再構築を開始します。そして、たどりついたのがイストチニコフ自身が残した日記でした。
<ネタバレ注意?>
 その中に書かれていた文章に見覚えのあるものがありました。それは彼が夢で見た情景を書き留めたもので、夢に現れた戦士が彼に語った言葉でした。

「とてもあんたたちには信じてもらえないよいうなものを見たのだ。オリオン座よりもむこうで、災いに包まれた船団を攻撃する。タンホイザー門の近くの暗がりで、D光線が眩く輝くのを、おれは見た。こうしたすべての瞬間は、雨に涙が流されるように、時の中に失われてゆく。もう死ぬ時がやってきた」
(この後、彼の両手から白い鳩が飛び立ってゆきました)

 あなたはこのくだり、どこかで聞いたことはありませんか?もし、あなたがこの言葉にピンときたらかなりの映画通。でも、そうなるとこの作品のネタバレになるかもしれませんのでご注意下さい。実は、上記の言葉は、ある有名な映画のクライマックス・シーンのセリフです。どうしても、知りたい方は、ここからどうぞ!

<最後に>
 小説とノンフィクションの違いは、どこにあるのでしょう?それは文体や文章スタイルと関係ないでしょう。そこに書かれていることが真実か虚か、それだけの違いなのでしょう。しかし、それが真実か嘘かは本当に明らかなのでしょうか?ましてそれが国家権力などにより秘密にされていることなら、それを証明することは永遠にできないかもしれません。
 この小説は、もしかするとその境界線上に位置しているのかもしれません。見事な仕事です!

「スプートニク」 1997年
(著)ジョアン・フォンクベルタ Joan Fontcuberta + スプートニク協会
(訳)管啓次郎
筑摩書房

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