「ツィゴイネルワイゼン Zigeunerweisen 」

- 鈴木清順 Seijyun Suzuki -

<テント劇場にて>
 初公開時にこの映画を渋谷のドーム型テント劇場シネマプラセットで見た人は、映画を見たというよりも、映画を体験したような感覚だったと思います。まるで寺山修二や唐十郎の芝居小屋に来たかのような怪しい空間での映像体験は、この映画の内容にもピタリとはまっていました。
 日本の映画界にとって重要な存在となった映画プロデューサー荒戸源次郎が立ち上げた移動テント劇場で映画を公開しながら映画を製作するという新たな試み。その第一作がこの作品でした。
 この映画のタイトルになっている曲「ツィゴイネルワイゼン」は、作曲者サラサーテ自身の演奏を録音したもの。なぞめいた音楽の魅力もまたこの映画の見所のひとつ。この曲の効果を高めるため、あえて効果音を排除したことで、映画にはさらに独特な雰囲気が生まれることになりました。(このサントラのアナログ・レコードは大事にとってあります。お宝?)
 映像美、音楽の素晴らしさもさることながら、この映画最大の魅力は俳優たちの個性あふれる演技合戦でしょう。最高に色っぽい大谷直子と怪しく美しい大楠道代の女優陣といよいよ渋さを増してきた原田芳雄。そして、俳優として初めて本格的に仕事をした映画監督の藤田敏八の怪演もまた大きな魅力でした。この後、彼は俳優として様々な作品に出演することになります。(東陽一の「四季・奈津子」、根岸吉太郎の「永遠の1/2」、阪本順治の「鉄拳」など・・・というかほとんど彼は1990年以降は俳優しかやっていないのですが・・・)

「生きているひとは死んでいて
 死んだひとこそ生きているような
 むかし、
 男の旁には
 そこはかとない女の匂いがあった。
 男にはいろ気があった。」


<鈴木清順>
 この映画の監督、鈴木清順は、1923年5月24日東京生まれです。戦争中、青森に住んでいた彼は弘前高校在学中に軍に召集され、戦争を体験しました。終戦後、やっと高校を卒業した彼は東京大学を受けますが不合格となり、当時開校したばかりの鎌倉アカデミア映画科に入学。映画の道へと歩みだしました。同じ1948年、松竹の助監督試験に合格した彼は、渋谷実、佐々木康、中村登、岩間鶴夫らについて経験を積んでゆきます。その後、1954年、戦争中休止していた映画製作を再開した日活に彼は移籍。1956年には本名の鈴木清太郎名義で歌謡映画「港の乾杯、勝利をわが手に」を初監督。しばらくは二本立ての添え物的作品を専門に監督していましたが、名前を鈴木清順と改めた後、赤木圭一郎のデビュー作「素っ裸の年令」を監督したあたりからは評価も高くなり、日活お得意の無国籍アクション映画の数々を撮り、しだいに評価を高めてゆきます。この時期、彼はベテランの美術監督、木村威夫と出会い、その後、彼から美術だけではなく脚本面でも協力を得るようになります。鈴木清順ならではの映像美は、この木村との出会いから生み出されたもののようです。
 1966年、川内康範原作・脚本によるミュージカル・アクション映画「東京流れ者」は、渡哲也主演の異色作で、後の彼の異色の時代劇ミュージカル「オペレッタ狸御殿」(2004年)にもつながる作品でした。さらに同年彼は映画史に残る青春映画の傑作「けんかえれじい」を発表します。

「けんかえれじい」 1966年
(監)鈴木清順
(原)鈴木隆
(脚)新藤兼人
(撮)萩原憲治
(音)山本丈晴
(出)高橋英樹、浅野順子、川津祐介、宮城千賀子、片岡光雄

 岡山中学を舞台に毎日のように喧嘩を繰り返す硬派中学生たちの青春群像を描いた痛快アクション映画。ユーモアにあふれ、ピュアな恋愛や熱く男っぽい情熱にあふれた青春が懐かしく眩しい今見てもわくわくする傑作。バンカラ中学生の生き様は、時代を超える魅力を放っています。予想以上のヒットに続編もできました。

 1967年、彼は宍戸錠主演のハードボイルド作品「殺しの烙印」を撮ります。ところが、当時の日活の社長、堀久作が彼の作品は難解すぎる?として彼を解雇してしまいます。(未見なのですが、どうやら確かに難解きわまりない作品のようです)フリーになった彼はその後、映画界を離れざるをえず、それから10年テレビ・ドラマやCMの演出しかできない状態が続くことになりました。しかし、当時彼の映画の熱烈なファンは多く、彼が日活に対して解雇を不当とする訴訟を起こすと「鈴木清順問題共闘会議」が組織されるなど大きな動きとなりました。
 1977年、彼は松竹で久々の映画「悲愁物語」を撮りますが、自分の撮りたい作品を作るチャンスは巡ってきませんでした。そんな中、あいかわらず彼はテレビ・ドラマの演出やアニメの監修、それに俳優としての映画出演などで食いつなぐことになります。ただし、この間に彼が監修したアニメこそ、いまだに高い人気を誇り、我が家の子供たちも大好きな「ルパン三世」(第二、第三シリーズ)です。彼が映画界から追い出されていたことで生み出された作品もあったわけです。

<清順、復活>
 いつしか伝説の監督となりつつあった彼についに本格的な監督復帰のチャンスが巡ってきます。それが本作「ツィゴイネルワイゼン」で、彼はこの作品でベルリン映画祭審査員特別賞をはじめ数々の映画賞を受賞。完全復活をし、その後も「陽炎座」(1981年)、「夢二」(1991年)、「ピストル・オペラ」(2001年)など、数は少ないものの彼しか作れない独自の映画を撮り続けてゆきます。
 日本では珍しいミュージカル映画を撮るハリウッド的な監督であると同時に、日本人ならではの美しい色を画面に映し出す和心をもつ監督でもある彼は、それに加えて寺山修二や唐十郎の前衛演劇の要素も取り入れたワン&オンリーの映画を撮る監督です。人によっては、なんじゃこれは?となる人もいるかもしれませんが、だからこその「鈴木清順ワールド」なのです。先ずはこの「ツィゴイネルワイゼン」をご覧下さい!

「ツィゴイネルワイゼン Zigeunerweisen 」 1980年
(監)鈴木清順
(プロ)荒戸源次朗
(脚)田中洋造
(撮)永塚一栄
(原)内田百閨uサラサーテの盤」
(音)河内紀
(配給)シネマプラセット
(出)原田芳雄、大谷直子、藤田敏八、大楠道代、真喜志きさ子、麿赤児、樹木希林

<追記>2012年11月
<原作「サラサーテの盤」>
 この映画の原作は内田百閧ェ1948年に雑誌「新潮」に発表した短編小説「サラサーテの盤」です。この作品は、図書刊行会から出ている「日本幻想文学集成」(別役実編)にも掲載されています。他にも彼の短編「盡頭子」「昇天」「山高帽子」「件」「東京日記」などが収められています。
<あらすじ>
 夫を亡くした後妻が、夫が以前貸したはずのサラサーテが演奏した「ツィゴイネルワイゼン」(1904年録音)のレコードを返してほしいと主人公のもとを訪れます。しかし、そのレコードは家になく、後妻は家に帰って行きました。なぜそのレコードのことを知っているのか、不思議に思いながら主人公は彼女と亡くなった友人との出会いのエピソードを思い出していました。
 その後、主人公は又貸ししていたそのレコードを見つけ、それを持って後妻のもとを訪れ、そこで久しぶりにそのレコードを聴きます。するとそのレコードの中の世界でサラサーテがマイクに向かって何かを話す声が聞こえました。

 たったこれだけの短いお話です。(ページにすると、19ページ)レコードの中の過去の世界とそれを聴く主人公の住む世界、その境界線はぼんやりとしていてはっきりしません。狂気と正気、日常と非日常、死者と生者などがその境界線を失う様子が見事に描かれています。物語が展開するのは、やはり夕暮れ時の薄ぼんやりとした時刻です。短いがゆえに、膨らますのに最適の短編小説でもありました。
 

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