酒と女と美食の不条理ワールドへ、ようこそ!


「酒国 特捜検事丁鈎児(ジャック)の冒険」
「変 Change 」


- 莫言(ばくげん) Mo Yan(モー・イェン) -
<酒の国の物語>
 この小説「酒国」は中国人として初めてノーベル文学賞を受賞した作家、莫言の初期代表作です。彼はこのサイトでも紹介している映画「紅いコーリャン」の原作者としても有名な作家です。
 その映画「紅いコーリャン」で主人公の仕事はコーリャンを使った酒作りでしたが、この小説の主人公は酒と女で次々と失敗してしまいます。その失敗談こそが、この小説の基本的ストーリーになっています。どんな話かというと・・・。

<あらすじ>
 鉱山によって潤う中国の都市、酒国が舞台(架空の都市)。街を支配する金剛鑚(きんごうさん)を中心としたグループはあり余る富を使い究極の美食として幼児の料理を出しているという情報が中央政府に寄せられます。そこで敏腕の特捜検事、丁鈎児(ジャック)が酒国に向かうことになります。彼は街に着くとすぐに盛大な歓待を受けますが、それは彼の捜査を妨害するための罠でした。そして酒と美食の果てに酩酊する彼の前に 、金色に輝くこんがりと焼き上げられた幼児の丸焼きが現れます。
 彼は危険に溢れ腐敗しきった街の裏側を暴くことはできるのでしょうか?

 「あらすじ」からして、かなり不気味な物語です。これは推理小説なのか?カルトな残虐趣味小説なのか?それとも超高級グルメの美食小説なのか?中国版のハードボイルド小説なのか?政治腐敗を暴く社会派小説なのか?
 実は、上記の「あらすじ」は、あくまで小説内小説の「あらすじ」(ジャックの冒険)で、小説全体を見ると、そこにはもうひとつ大きな構造が存在しています。「ジャックの冒険」の物語は、莫言が書いたのではなく、文学者を志す大学院生、李一斗が莫言に送って来た未発表の原稿だったという設定なのです。李はその原稿が世に出るよう莫言に出版社を紹介してもらおうと手紙と共に原稿を送り続け、莫言はそれに対して返事を書くというやり取りが続きます。
 終盤には、李が莫言を小説の舞台となっている酒国に呼び寄せ、ジャックと同じように歓待を受けるという不思議な展開が訪れます。

 西部劇でも、ハードボイルド小説でも、主人公がアルコール中毒のダメ男というパターンは結構あります。そのダメ男が危機に追い込まれる中で、「友人の死」や「恋人のビンタ」や「恩師からの一括」によって覚醒するという展開はお馴染みです。
 ところがこの小説ではそうはなりません。主人公は「酒」によっていきなり捜査どころではなくなります。その後も覚醒するどころか、どんどん酒国の泥沼にはまって行きます。「混沌」は「混沌」を呼び、莫言が登場する現実?の物語にまで影響を与えてしまいます。

<脱ハードボイルド小説>
 「ジャックの冒険」の物語は、酒による酩酊状態が延々と続くようにハチャメチャな展開が続き、エロ・グロ・暴力・グルメ満載で、「社会派犯罪小説」、「本格推理小説」、「ハードボイルド小説」、「カルトな不条理小説」・・・どれとも呼べないような不思議な物語です。
 マリファナやヘロインによってぶっ飛んだ状態で捜査を行い物語が破綻ギリギリで展開した脱ハードボイルド映画「インヒアレント・ヴァイス」をさらにメチャクチャにした感じです。
 それにしても、なぜ、社会主義国のはずの中国からここまでぶっ飛んだ小説が現れたのでしょうか?
 カフカが描いた不条理小説がナチスの登場という不安から生まれたように、中国における不条理な政治体制がこの小説を生み出したのではないか?
 それとも、著者である莫言という人物にその秘密があるのではないか?そう思って、彼の自伝的小説「変」を読んでみました。すると、なるほど・・・ということか・・・。
 思えば、彼の出世作となった「紅いコーリャン」もまた「戦争映画」であり「美食メイキング映画」であり「女性の自立映画」でもある不条理でエネルギーに満ちた不思議な作品でした。
 「酒」と「女性差別」と「戦争」のごった煮ともいえる世界は、中国の混沌そのものを表現した作品だったともいえます。

<莫言>
 この小説の著者、莫言は、1955年2月17日、山東省高密県の中流の農家に生まれました。本名は、管謨業といい、そこから真ん中の漢字をばらすことでペンネームの「莫言」となったようですが、この「莫言」という言葉は、中国語で「言うなかれ」という意味のようです。これは中国の政治体制を考えると実に意味深な名前です。実は彼の波乱の人生は、このペンネームである「言うなかれ」が身に染みる不条理な出来事から始まっています。
 彼が小学校5年生の時、学校の革命委員会副主任の教師に「ガマ」という綽名をつけたとして、一人その罪を着せられて退学させられてしまったのです。(クラスの皆がその綽名を使っていたのにです)それでも親の影響もあり、読書・勉強が好きだった彼は、農家や工場で働きながらも勉強を続け、ついには職場の推薦枠で人民解放軍に入隊することができました。(縁故などがなければ、一般庶民が入隊することは困難であり、出世することもコネなしでは不可能なのは21世紀に入っても変わっていません)
 解放軍に入った後も彼はその勉強熱心さを買われ、様々な分野について教師として兵士たちを教育する役割を与えられ、そのための勉強をしながら、その合間に小説を書くようになります。そして、自学自習で大学(解放軍芸術学院の文学科)に合格。その後、大学院まで進んだのですから、もともと彼は天才だったのかもしれません。
 1984年、彼は入学後すぐに出世作となった小説「透明な人参」を書いています。続いて発表した「赤いコーリャン」は、1987年に張芸謀(チャン・イーモウ)によって映画化され、ベルリン映画祭では見事に金熊賞を受賞しています。これで彼は一躍世界的な作家の仲間入りを果たしました。ところが、ここでまた彼は、不条理な理由によって、その地位を失うことになります。
 1989年「天安門事件」が起きると海外でも高い評価を得ていた彼の作品は政府によって危険視され、数年間まったく作品を発表できなくなったのです。当時、大学院で学んでいた彼は大学から追い出され、2年間彼は毛沢東の石膏像十数体と共に大学の倉庫で暮らしていたといいます。たとえ世界的に有名な作家でも、政治的な変化によっては簡単にその地位を失ってしまうのが中国という不条理国家の現状なのです。
 彼の少年時代、1965年から1976年にかけて、中国では文化大革命の嵐が吹き荒れていました。学びたくても学ぶことが許されず、「勉強」より「肉体労働」が尊ばれ、教育の機会と青春時代を奪われた彼は、不条理の世界をかろうじて生き抜き、それでも幸いなことに大学で学ぶチャンスを得た最初の世代だったともいえます。
 彼はその後2012年に中国国籍の作家としてはノーベル文学賞を受賞し、中国を代表する作家として高い評価を受けることになります。しかし、中国での地位を確立した分、民主化を求めるグループからは保守派として批判される傾向もあるようです。
 幸いなことに、1992年の「酒国」には、そんな保守的な面などかけらも感じられませんし、民主化の思想も感じられません。検閲も困難なほどの混沌とした不条理ファンタジー美食小説を書いた時、彼は最もエネルギーに満ちていたのかもしれません。
 明日には社会体制がどう変わるか予測することができない国。それは中国という国が未だエネルギーに満ち溢れていることの証明でもあります。もちろん、世界が同じように混沌とした世界に巻き込まれることを願っているわけではないのですが・・・。(2016年英国は自らEU離脱という離脱という決断を下し、混沌へと向かいつつありますが・・・)


「酒国 特捜検事丁鈎児(ジャック)の冒険」 1992年
(著)莫言(ばくげん) Mo Yan(モー・イェン)
(訳)藤井省三
岩波書店

「変 Change 」 2010年
(著)莫言(ばくげん) Mo Yan (モー・イェン)
(訳)長堀祐造
明石書店

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