- T-Rex 、マーク・ボラン -

<マーク・ボランの死>
 1977年9月16日、多くの謎を残したまま、T-Rexのリーダー、マーク・ボランは交通事故により、この世を去りました。それは、一度は忘れられ欠けていた彼らのサウンドが、パンク・ムーブメントによって、再評価され始めた矢先のことでした。彼のもとに死神が訪れた時、彼はまだ29歳でしたが、ミュージシャンとしてのキャリアはすでに15年を越えていました。しかし、その青春時代には多くの謎があり、彼が魔法使いとしての修行を積んでいたというまことしやかな伝説も残っています。彼らのサウンドがいつまでも新鮮さを失わないのは、彼が身につけた魔法の力のせいだという説もあるほどです。

<マーク・ボランの驚くべき青春>
 1947年、ロンドンに生まれたマーク・ボランは、10歳になる前にドラムとギターを始め、12歳でバンドを結成し音楽活動を始めていたといいます。15歳の時、スージー&ザ・フラフープスというバンドを結成し、自らレコード会社への売り込みも行っていました。しかし、結局その売り込みは上手く行かず、彼はひとりイギリスを離れ、芸術の都パリへと旅立ちました。この時、彼はまだ15歳だったというのですから、凄い!
 パリで、彼はきままな放浪生活をおくりながら、絵画の勉強を行っていたらしいのですが、その間同じパリの街に住んでいた魔術師に弟子入りし、錬金術を学んでいたとも言われています。

<ミュージシャンと魔術>
 西欧におけるミュージシャンと黒魔術、錬金術との関わりは、日本のミュージシャンが外見だけ真似ているビジュアル的なものではありません。例えば、レッド・ツェッペリンジミー・ペイジは魔術に関してものすごい造詣の持ち主で、アレスター・グローリーという今世紀最大の魔術師が住んでいたスコットランドの邸宅を購入し、住み着いていたほどです。(その家は、次々に不幸が起きるため売りに出ていたという、不気味な曰く付きの家でした)
 それにホール&オーツダリル・ホールもまたアマチュアの魔術研究家として有名な存在で、彼の部屋にはものすごい数の魔術関係の蔵書が集められているそうです。元フリートウッドウッド・マックのスティービー・ニックスもまたかなりの黒魔術マニアなのだそうです。
 とはいえ、本物の魔術師に弟子入りしたミュージシャンは、そう多くはないでしょう。もちろん、彼の初期のサウンドにその影響は明らかで、当時のサイケデリックな時代の雰囲気にぴったりでした。

<Tyrannosaurus Rexの誕生>
 その後イギリスに戻ったマーク・ボランは、1965年に"The Wizard C/W Beyond The Rising Sun"と言う曲でシングル・デビューを果たしますがヒットせず、1967年にはJohn's Childrenというサイケデリック・ロック・バンドに加入しますが、そこも数ヶ月で脱退。結局、スティーブ・ペレグリン・トゥックというパーカッショニストと二人だけでバンド活動を開始しました。こうして、マーク・ボランのアコースティック・ギターとスティーブのパーカッションという不思議なスタイルのフォーク・デュオ、ティラノザウルス・レックスが誕生しました。(ペレグリン・トゥックの名は、もちろんあの「指輪物語」の登場人物からとられています)
 彼らのサウンドは、90年代にロバート・プラントとジミー・ペイジが展開したイスラム風ロックとケルト音楽の神秘性を融合した当時どこにも存在しない音楽に近いものでした。このサウンドは30年早すぎたかもしれません。
 それでも彼らのファースト・シングル「デボラ Debora」(1968年)は、当時のサイケデリック・ブームの影響でヒット。続いてアルバム"My People Were Fair And Had Sky In Their Hair"(1968年)も発表されました。

<エレクトリック・ブギー・バンドへ>
 1969年に3rdアルバム「ユニコーン」を発表した後、S.トゥックは脱退し、代わってミッキー・フィンがパーカッションで参加します。そして、この頃からT-Rex独特のエレクトリック・ブギーが始まることになりました。1970年に第1弾シングル"Ride A White Swan"が発売され、名前をT-Rexとしてからのファースト・アルバム"T-Rex"を発売。2ndアルバム「電気の武者」からはスティーブ・カリー(ベース)とウィル・リジェンド(ドラムス)がメンバーとして参加、いよいよT-Rexの黄金時代が始まりました。

<グラム・ロックのヒーローへ>
 かつてモデルもやっていたことがあるというマーク・ボランは、スパンコールのギラギラした衣装と有名な爆発ヘアーによる独特のファッションでステージに立ち、一躍グラム・ロックのヒーローに躍り出ました。
 ちなみに、この頃のヒーローは他にデヴィッド・ボウィモット・ザ・フープルアリス・クーパースレイドなど・・・グラム・ロックのグラムとはグラマラスGlamorousの略で、「女性的な魅惑」「幻惑的な魅力」であるとともに「魔法のような」という意味でもあります。実に見事なネーミングでした。

<グラム・ロックの仕掛け人>
 この頃彼らのプロデューサーを勤めていたのが、アメリカ人のトニー・ヴィスコンティーという人物で、彼はT-Rexをアコースティックからエレクトリック・ブギーへと転向させ、同時期に彼がプロデュースしていたデヴィッド・ボウィとともにグラム・ロックのカリスマへと押し上げました。まさに彼はグラム・ロックの影の仕掛け人でした。(映画「ベニスに死す」の監督ルキノ・ヴィスコンティはイタリア貴族の出身で、その少年趣味は有名でした。トニー・ヴィスコンティがグラム・ロックの怪しげな雰囲気にぴったりだったのもまたヴィスコンティという高貴な血の成せる技だったのでしょうか?)

<グラム・ロックの終焉とともに>
 彼らは1972年に3rdアルバム「ザ・スライダー」を発表、「メタル・グルー」、「テレグラム・サム」だ次々にヒットし、いよいよその人気は頂点に達しました。しかし、この後ミッキー・フィンが脱退したあたりから、しだいに彼らの勢いは減速し始めます。グラム・ロック自体の盛り上がりが凄かったぶんその勢いに巻き込まれた形でヒットした彼らのサウンドは、シーンの沈静化とともに急速に人気が衰えてしまったのです。マスコミが作り上げたブームに乗った反動が、ここにきて彼らを苦しめることになりました。グラム・ロックはあっという間に時代遅れのファッションの仲間入りをしてしまったのです。
 おまけに、70年代前半のロックは、いつの間にか大人のための音楽になり始めていて、ギラギラとして怪しげな鬼っ子的存在のグラム・ロックの居場所は、気がつくとなくなっていたのです。イギリスはまだしも、アメリカにはまったくその居場所はありませんでした。

<パンクの登場>
 しかし、そんな彼らの音楽に居場所をあたえてくれる状況が再び現れます。それは大人の音楽になってしまったロックを根底から覆そうという大きな地殻変動、パンク・ロックの登場でした。パンクはかつてそのブームがファッションとともに広がっていったグラム・ロックと同じようにファッションとともにその人気がイギリス全土に広がって行きました。(グラム・ロックとパンク・ロックは、根っこのところでつながっていたのかもしれません。ファッションとしてのパンクの下地はグラム・ロックであり、バンド・ブームとしてのパンクの下地はパブ・ロックにあったと、僕は思うのですが・・)
 そんな流れに乗って、再び勢いを取り戻したマーク・ボランは、新生T-Rexを率いてアルバム「地下世界のダンディー」を発表し、再び活躍を開始しました。しかし、彼に残された時間はもうわずかしかありませんでした。

<魔法の時代の終わり>
 彼はかつてインタビューで「俺は30歳までは生きられないだろう」と言っていたそうです。それは、かつて弟子入りしていた魔法使いとの契約だったのでしょうか。その予言どうり、彼は30歳を前にして、交通事故でこの世を去りました。もしかすると、それは自分の音楽を永遠に残るものにするための契約だったのではないでしょうか?
 もしそうでないとしても、彼は自分の音楽に魔法をかけ永遠に色あせることがないようにする方法を知っていたに違いありません。どっちにしても、彼は魔法使いだったのです。

<締めのお言葉>
「フロイトとカール・マルクスによれば、幻想とは現実と責任感からの逃避とされる。マスローによれば、幻想とは意を決した人間が現実を支配する際の手段である」
コリン・ウィルソン「至高体験」より

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