「タクシー・ドライバー Taxi Driver 」 1976年

- ポール・シュレイダー、バーナード・ハーマン、マーティン・スコセッシ -

<現実とシンクロした映画>
 映画の歴史上、この映画ほど現実とシンクロしながらその存在感を増していった作品は、他にないかもしれません。公開当時、この映画はヴェトナム戦争による精神的な後遺症が生み出した異常な事件を描いた作品とされていました。ただただ都会の中で孤独に生きていたからといって、ここまで異常な人間が生まれないだろう、多くの人はそう思っていました。
 しかし、今やトラヴィスは世界中どの国のどの街からも現れる可能性があります。そして、彼らのほとんどは戦場に行った経験などないはずです。(ヴェーチャルの戦闘ゲームは別として・・・・・)戦場での異常な体験ではなく社会からの孤立こそがトラヴィスを生み出す最大の原因であることは今や明らかになったのです。

<アーサー・ブレマーの魂>
 実際、この映画の脚本家ポール・シュレイダーは、1972年に共和党の大統領候補だったジョージ・ウォーレス(アラバマ州知事)を暗殺しようとしたアーサー・ブレマーの手記をもとに、この映画の脚本を書き始めたといいます。そして、彼がブレマーの手記に注目し、それを映画化したいと思った動機。それは彼自身がブレマーとの類似性に驚き恐れたからだというのです。当時まだまったくの無名だったポール・シュレイダーは、映画界にコネもなく、収入もなく、家もなく、車の中に住みながら脚本を書いていました。その間彼はまったく人に会うこともなく完璧な孤独の中で彼がもし脚本家としてすでに成功していたら、ブレマーの手記にひかれることもなく、「タクシー・ドライバー」という映画も生まれなかったかもしれません。
 もちろん、この映画の監督マーティン・スコセッシもまたブレマーの魂に強く心を動かされた人物でした。かつては神学校に入学し神父を目指していたこともあるスコセッシは、背も低く内気で典型的な映画オタクでした。女の子に声をかけるのも、もちろん苦手な彼は当然自らをトラヴィスに重ね合わせていたはずです。
 この映画でトラヴィスを演じたロバート・デ・ニーロもまたブレマーの魂に共鳴してしまった一人でしょう。「タクシー・ドライバー」の脚本を読み、あまりに暗く重く凄惨な内容に恐れをなしたコロンビアは当初映画化を拒否したそうです。それに対して、当時「ゴッドファーザーPart2」の成功によって一躍ブレイクしたロバート・デ・ニーロが自分が主演するので是非映画化を実現してほしい直訴。そのおかげで、この作品は映画化が実現したわけです。

<意外なヒット、意外な影響>
 コロンビアの上層部は完成したこの映画を見て衝撃を受けます。特にラスト近くの銃撃戦、大量に血が噴出すのはまだしも、指は吹き飛ばされるは、脳味噌が飛び散るわ、それまでになかった凄惨なシーンの連続に、彼らは驚き、とてもこのままでは公開できないと再編集、カットを要求します。当然、監督のスコセッシは猛反発。結局、画面の色を抑えることで凄惨な印象を和らげて公開にこぎつけることになりました。
 ところが、公開後、この映画は縮小公開だったにも関わらずコロンビアの予想を覆して大ヒットとなりました。観客は怖いもの見たさで映画館にやって来たのでしょうか?カンヌ映画祭でのグランプリ獲得がきいたのでしょうか?ロバート・デ・ニーロの人気のおかげだったのでしょうか?
 この時の観客たちの中には、映画の製作者たちと同じようにブレマーの魂に強く共鳴した者も多かったはずです。15日間映画館に通ってこの映画を見続けたというジョン・ヒンクリーという青年もそんな若者の一人でした。彼は映画の中でトラヴィスに救出される娼婦アイリスを演じたジョディ・フォスターに恋をしてしまいます。そしてトラヴィスと同じように彼女の注目を引くために飛行機のハイジャックそして彼女の前での自殺などを考えました。しかし、それらの計画に失敗し、さらなる計画を立てます。それは、ジョン・レノンに憧れて歌手になろうとしていたという彼らしいものだったのかもしれません。

 1980年から1981年にかけて、キューバ危機以来となる世界大戦の恐怖が全世界を覆っていました。イラン・イラク戦争、イランによるアメリカ大使館占拠事件、ソ連軍によるアフガニスタン侵攻、立て続けに起きた世界規模の事件によって世界中が揺れ動く中、アメリカではタカ派のロナルド・レーガンが大統領に就任。一気に世界中が核戦争の危機にさらされることになりました。ならば、とヒンクリー青年は世界を核戦争へと導きかねないロナルド・レーガンを暗殺することで愛するジョディの心をつかもうと考えたのです。結局彼はレーガンを殺すことはできませんでしたが、彼の裁判の際、証拠として「タクシー・ドライバー」が上映され、この映画の影響力の大きさが再び世界を驚かせることになりました。
 「タクシー・ドライバー」が生み出したトラヴィスというキャラクターは、今やひとりぼっちではありません。異なる民族の中で暮らすうちに、いつしか孤立してしまい爆弾テロを計画する若者。クラスの中で無視され続けることに耐え切れず、教室に銃を持ち込んで乱射事件を起こした少年。実社会からはじき出されネットの世界でサイバーテロという形で自分を表現するしかない若者。もし、こうした若者たちに一つの目標を与え同じ方向を向かせることができたら、・・・。それは、オウム真理教となるかもしれず、アルカイーダとなるかもしれず、イラクに侵攻したアメリカ軍の兵士となるかもしれないのです。
 「タクシー・ドライバー」は名作として、その輝きを増し続けています。それはこの世界にとって良いことなのか・・・・・本当の意味で怖い映画です。

<タクシー・ドライバーの音楽>
 この作品を見たことのある人なら、けだるいムードの不気味な音楽はかなり印象に残っているのではないでしょうか。(このサックスを演奏していたのは、当時売れっ子だったトム・スコットです)
 特にオープニング・シーンには、忘れられない凄みと美しさ、そしてエロチックさがありました。白い水蒸気の中からゆっくりと現れるイエロー・キャブの姿は、まるで一匹の凶暴な生き物が地獄から甦ってきたかのようでした。(同じスコセッシ監督の傑作「レイジング・ブル」もまた、この映画に匹敵する美しいオープニングが印象的でした・・・)そして、この怪しげで美しいシーンにとって、バックでかかっていた音楽は無くてはならない存在でした。

<不運な男>
 けっして出しゃばらず、脇役として映画を盛り上げるという意味で、「タクシー・ドライバー」の音楽は、理想的な映画音楽と言えるでしょう。この音楽の作者、バーナード・ハーマンは、この映画によって1976年のアカデミー作曲賞にノミネートされました。ところが、この年彼はブライアン・デ・パルマ監督の「愛のメモリー」でもアカデミー作曲賞にノミネートされていたため、票が割れてしまい、結局賞を取り損ねてしまいます。いや、それどころではありません。なんと、この授賞式の時、彼はもうこの世にはいなかったのです。彼は死ぬまでハリウッドに無視され続けた不運な音楽家でした。

<バーナード・ハーマン>
 1911年6月29日、ユダヤ系ロシア人の子としてニューヨークに生まれたバーナード・ハーマン Barnard Herrmann は、まさに天才と呼ぶに相応しい人物だったようです。あの名門ジュリアード音楽院では、特待生として、作曲や指揮を学び、22歳でニューヨーク・フィルを前に指揮棒を振いました。その後、クラシック音楽だけではあきたらず、現代音楽に挑戦し、天才の名をほしいままにします。
 そんな彼にとっての運命の出会いは、1940年のことでした。彼以上に天才と呼ばれていた映画界の異端児、オーソン・ウェルズが自らの監督第一作市民ケーン」の音楽をバーナードに依頼してきたのです。数々の困難を乗り越えた映画史に残る傑作「市民ケーン」は、世界中に驚きと賞賛を持って迎えられ、彼の音楽もまた作品同様、世界中に知れわたることになりました。(ここで一言、「市民ケーン」は、今見ても古さを感じさせない傑作です。まだ見ていない方は、是非一度見ることをお薦めします)
 1955年「ハリーの災難」で初めてヒッチコック作品の音楽を担当した彼は、その後まるでヒッチコックお抱えの作曲家のようにヒッチコック映画になくてはならない存在になって行きます。オーソン・ウェルズ同様、ヒッチコックもまた、映画史に残る傑作を次々に生みだして行きますが、彼もまたオーソン・ウェルズ同様、ハリウッドにとっては異端者と言ってよい存在でした。(ハリウッドはヒッチコックを認めず、一時は共産主義者として閉め出したほどでしたし、アカデミー賞でも彼は一度も監督賞をとっていません)
 こうして彼は、「間違えられた男」(1956年)、「めまい」(1958年)、「北北西に進路を取れ」(1959年)、「サイコ」(1960年)、「マーニー」(1964年)、「引き裂かれたカーテン」(1966年)などを担当しヒッチコック映画の顔となって行きました。

 ヒッチコック映画を担当する傍ら、彼はもうひとつの顔ももっていました。それは、SFファンタジー、オカルト映画など、B級映画音楽の巨匠としての顔でした。(ヒッチコック映画も当時はこの分野に入れられていたのかもしれませんが・・・)
 「地球の静止する日」(1951年)、「シンドバッド7回目の航海」(1958年)、「トワイライト・ゾーン」TVシリーズ(1959年)、「地底探検」(1959年)、「アルゴ探検隊の大冒険」(1963年)、「悪魔のシスター」(1973年、ブライアン・デ・パルマ監督の出世作)
 クラシック音楽の世界でかつてエリート街道を走った男は、なぜかハリウッドの主流派を嫌い、あえてB級映画音楽の巨匠の道を選んだのです。(どうやら彼はハリウッドの映画業界のやり方、人間関係が大嫌いだったようです)

 彼は、「地球の静止する日」で元祖電子楽器テルミンを使用しています。ヒッチコックの「白い恐怖」や当時の恐怖映画には、このテルミンが欠かせませんでした。これは映画「テルミン」を見てわかったことですが、彼とテルミンは非常に深い関わりがあったことになるでしょう。ところで、ビーチ・ボーイズの「グッド・ヴァイブレーション」に、テルミンが重要な役割を果たしていたことをご存じですか?ドキュメンタリー映画「テルミン」を見ていない方は、是非見て下さい!文句なしに面白いです。
 そんな彼が、自らの死の間際にみせた入魂の作品が、「タクシー・ドライバー」だったわけです。しかし、こうして彼の人生を振り返ってみると、「タクシー・ドライバー」のあの恐怖映画のように不気味な音楽は、彼のB級映画音楽人生の集大成だったと思えてきます。
 確かに、「タクシー・ドライバー」はカンヌ映画祭でグランプリを受賞した歴史的名作ですが、B級犯罪暴力映画の延長線上に位置する作品とも言えます。
 それ以前なら、サム・ペキンパー、最近ならクエンティン・タランティーノ。これらの芸術的超B級暴力映画の歴史に燦然と輝く傑作がこの映画なのですから。
 それにしても、バーナード・ハーマンという人物は、具体的にどんな人だったのか?かなり興味深い謎です。(僕は彼の顔写真も見たことがありません)いつか彼の伝記映画ができないでしょうか?

<追記>2012年3月
 以下はポーリン・ケイル「明かりが消えて映画がはじまる - ポーリン・ケイル映画評論集-」より
「この映画がひそかに語っている恐怖は、彼が何をやっても人に注目されないということだろう。都会では誰もが匿名でいられる。人はそこに吸収されれば透明人間になれる。だから彼も単なる「群集の中の一つの顔」になることができたのだったが - 。」

「都会の冷たさというものをこれほどドラマチックに描いた映画はなかった。」

「ふだんは空っぽだが、役を与えられればいっぱいになる容器 - そんな風に評される俳優がいるものだ。しかし、ロバート・デニーロは違う。彼は何も詰め込まず、ふだんの空虚さをそのまま使い、人間の混沌の状態として演じきってしまう。この種の危険な賭けをしたことがある俳優はマーロン・ブランドだけだった。」


<追記>2016年6月
 自らの監督作「マネー・モンスター」の宣伝で来日したジョディ・フォスターはNHKの「朝イチ」に出演した際、「一番印象深い作品はどれですか?」という質問に対し、「タクシー・ドライバー」と彼女は答えていました。

「タクシー・ドライバー TAXI DRIVER」 (1976年)
(監督)マーティン・スコセッシ Martin Scorsese
(製作)マイケル・フィリップス Michael Phillips,ジュリア・フィリップス Julia Phillips
(脚本)ポール・シュレーダー Paul Schrader
(撮影)マイケル・チャップマン Michael Chapman
(音楽)バーナード・ハーマン Barnard Herrmann
(出演)ロバート・デニーロ Robert De Niro, シビル・シェパード Cybill Shepherd
    ピーター・ボイル Pater Boyle, ジョディ・フォスター Jodie Foster
    ハーヴェイ・カイテル Harvey Keitel, アルバート・ブルックス Albert Brooks
    マーティン・スコセッシ Martin Scorsese(ヒッチコックのマネをしたのかな?)
<豪華な出演者にも注目>
 この映画で、ロバート・デ・ニーロのもつ「危険な男」のイメージ(おとなしいけどいつか切れそうな危険さを持つ男)が出来上がったわけですが、それ以外にも娼婦のひも(スポーツ役)として登場したハーヴェイ・カイテルの格好良さ、娼婦役の少女、ジョディ・フォスターのかわいらしさとお色気も見逃すわけはゆきません。後の彼らの大活躍を考えるとかなり感慨深いものがあります。しかし、もっともこの映画らしい怪しい出演者は、タクシーの乗客として、ちょい役で現れるスコセッシ監督自身でしょう!

<あらすじ>
 ベトナム戦争帰りのトラヴィスは不眠に悩み、深夜タクシーの運転手として、ニューヨークの裏側を見ながら目的の無い生活を送っていました。そんな彼の目の前に現れた美しいベッツィに恋をした彼は思い切ってアタックしますが、すぐにふられてしまいます。彼は、そんな鬱屈した思いから大統領候補の暗殺を計画しますが、それも失敗。その後、彼はポン引きのスポートに騙され売春婦として働かされていた少女アイリスと出会い、彼女を救い出そうとスポートたちのアジトに完全装備で向かいます。
 壮絶な銃撃戦の後、生き残った彼でしたが・・・・・。

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