時間の逆行で映画復活にさせたヒット作


「TENET テネット」

- クリストファー・ノーラン Christopher Nolan -
<理解困難映画の頂点>
 この作品は、「難解なのに世界的大ヒットとなった異色作」として、映画史にその名を刻む作品になりそうです。
 これまでも理解困難なストーリーをもつ映画は数多く公開されてきましたが、それはそもそも論理的に破綻していたり、妄想的世界を描いたファンタジー作品がほとんどで、ある意味理解困難なのは当然のことでした。
 映画が娯楽産業の頂点に立って以降、ストーリーそのものが複雑すぎる映画は、映画化すること自体が困難で、例え無事に完成してもヒットすることはあり得ないと考えられてきました。ところが21世紀に入り、状況は変化しつつあります。脚本の内容が複雑でも映画化が可能な時代になりつつあるのです。
 例えば、1980年代には「アルマゲドン」のような単純なストーリーの作品がヒットし、「ブレードランナー」のような複雑なストーリーの映画はカルト作品として評価はされても、公開時はまったくヒットしませんでした。ところが、21世紀の今、新型コロナの影響で家族向けの映画が公開困難な中、よりマニアックで複雑なストーリーを持つ作品がヒットする時代になりつつあるのです。そんな複雑な映画の代表格として、歴史に名を残すことになるであろう作品が、2020年コロナ禍の直後に世界公開された「TENET」です。将来、この映画は新型コロナによって危機的状況に陥っていた映画界を救った歴史的作品としてその名を残すことになるかもしれません。
 ところで、この映画はよく見れば、しっかりと理論立てて組み立てられていて、乱雑なだけの作品ではありません。そこをご説明させていただきたいと思います。
 先ずは、映画の「あらすじ」を振り返ることから始めましょう。すでにこの作品をご覧になった方は、読みながら記憶を蘇らせて下さい。

<あらすじ>
(1)キエフ国立オペラ劇場での公演中、謎のテロリスト集団による占拠事件が起きます。ところがそこにやって来た特殊部隊の中に、この物語の主人公となる「名もなき男」を含めた別グループが混じっていました。彼らの目的は、混乱の中、そこに持ち込まれた危険な核物質を確保することでした。ところが、途中で彼らの存在がバレてしまいます。銃撃戦の中、彼は何者かに助けられますが、結局敵につかまり、拷問の途中に証拠隠滅のため毒入りカプセルを飲み込みます。
時間逆転弾を使う何者かが現れます。
(2)目が覚めた彼は謎の組織のエージェントから世界を第三次世界大戦から救うための作戦に参加する資格を得たと告げられます。彼は秘密の研究所に迎え入れられ、そこで銃弾が目標から戻って銃の中に入るという時間の逆転現象を見せられます。そして、時間の逆転が未来で起きていて、その秘密を巡る戦闘で用いられた銃を何者かが入手していると知らされます。そのカギとなるのが、逆転現象を起こす銃弾で、その銃弾を扱うインドのムンバイに住む大物武器商人に会いに行くよう指示されます。
弾丸が壁から出て銃に収まる時間逆転が起きます。
(3)インドのムンバイで彼はニールという協力者を得て、二人で武器密売業者の家に潜入します。するとそこで彼らは謎の女性プリヤと出会い、彼女からその後の作戦の指示を受けることになります。彼女はその銃弾の入手先であるロシアの大物武器商人セイターに接触するよう彼に指示。そのために、セイターの妻で絵画鑑定士のキャットと知り合いになるよう指示されます。実はキャットは夫セイタ―と別れることを望んでいるものの、彼に騙されて偽のゴヤ作品を本物と鑑定。そのことをバラされたくなければ、妻として側にい続けるよう命令されていたのです。そこで「名もなき男」は、キャットに接触するとゴヤの贋作を盗み出し、処分する代わりにセイターに紹介してくれるよう依頼します。
(4)ゴヤの贋作があるのはオセロ空港にある絵画の保存倉庫ROTASで、そこに彼はニールと共に侵入し、絵画を盗み出す計画を立てます。二人を含めたチームは、ジャンボ機を乗っ取り、それをROTASに衝突させ、その混乱の中、強奪作戦を実行します。ところが作戦の途中、二人組の特殊部隊兵士が謎の回転扉から侵入し二人とバトルとなり、作戦は失敗してしまいます。
オスロ空港の回転扉による時間逆転が起きています。
(5)キャットの紹介でセイターのヨットに招かれた彼は、クルージング中にキャットに殺されかけたセイターを救うことで、彼の信頼を得ます。そこで彼はさらに信頼を得るために、キエフの街中を移送されることになっているプルトニウムの強奪作戦を提案し、協力を持ちかけます。大型のトラックを使った彼らの作戦は見事に成功し、彼らはプルトニウムの奪取に成功します。ところが、その中身はプルトニウムではなくまったく別の謎の物体であることがわかります。しかし、セイターはその謎の物体をキャットを人質に要求。それを奪い去ります。その後キャットはセイターに撃たれ、余命わずかの状態となります。彼はこの時点で謎の物質が時間逆転の鍵(アルゴリズム)であり、ニールはそのことを初めから知っていたことを教えられます。未来のどこかで誰かが作ったそのアルゴリズムは、時間を逆転させることが可能になりますが、核兵器と同じように、世界を終わらせる可能性がある危険な存在でした。そのことを知った研究者が、それを隠すため過去に送り込みますが、セイターによって回収、悪用されようとしていたのです。彼はそのセイターの作戦を終わらせ、同時にキャットの命を救うため、もう一度オセロ空港の強奪事件まで時間を逆転させて戻る道を選択します。
セイタ―たちも回転扉を使い時間逆転を利用します。

(6)ここから主人公の視点は今までと逆の時間方向に向かい、ここまでの事件を逆向きに再体験して行きます。

 オセロ空港に二人は時間逆転の回転扉を使って侵入し、自分たちと遭遇、あの日に起きた戦闘が始まります。そこで彼らはキャットを死から救い出すことに成功。セイタ―がアルゴリズムを集めただけでなく、それを自分の心臓と連動させ、自殺によって世界を終わらせようとしていることを知った彼らは、キャットにセイターが自殺しないよう止めることを依頼します。そして、その間に彼らは未来から来た部隊と共にすべてのアルゴリズムが集められているロシアの秘密核基地だった場所スタルスク12に侵入し、その発動を阻止する作戦を開始します。侵入する部隊は、時間の流れ通りの巡行部隊と時間逆行部隊に別れ、両方向からその場所に潜入する作戦をとります。こうしていよいよアルゴリズムを巡る最終決戦が始まることになります。時間の逆転と順行が同時に進行するこの戦闘シーンは、映画史に残る斬新な映像です。ビルが爆破によって崩れた後、時間が逆転し元に戻る映像などは、単なる逆転映像とは違う迫力があります。

 ここで注意が必要なのは、ラストの最終決戦はスタルスク12での戦闘だけではなく、キエフのオペラ座における占拠事件とベトナムの戦場でのキャットとセイターのやり取りも同時に進行していることです。
 それともう一つ、回転扉の出入りの後に通るガラス張りの廊下では、逆転組と巡行組がガラス越しにすれ違うことになります。そこでは以前、自分が行った行為とは逆の動きが見られ、話す言葉もまた逆向きの会話になってしまいます。

<エントロピー増大の法則>
「エントロピーは常に増大するという法則(熱力学第二法則)は、自然法則の中でも最高の地位を占める、と私は思う。もしだれかが、君の宇宙論はマックスウェルの方程式に反すると指摘したら -マックスウェルの方程式の方が、それだけ欠陥がある。もし君の宇宙論が観測結果と矛盾することがわかったら -そう、この実験家はときどきへまをやる。しかし、もし君の宇宙論が熱力学第二法則に反することがわかったなら、私はもう君に何も希望を与えられない。その理論は屈辱にまみれて葬られる以外にない」
アーサー・S・エディントン

 この映画をより深く理解するためには、物語の流れる方向を決めている物理法則「エントロピー増大の法則」について知る必要があります。
 あらゆる物理法則の中で、唯一無二、絶対的な存在と言われているのが「エントロピー増大の法則」です。「覆水盆に帰らず」とも言うし、「すべての物質はより無秩序な状態に向かう」とも言い換えられます。あらゆる生命がいつかその生を終えるのも、「死」こそが究極の無秩序状態だから必然的な結果なのです。
 それに対し、結晶状態となった「氷」は「無秩序」とは正反対の状態にあります。しかし、その状態は簡単に崩れてしまう脆いものです。そこに熱エネルギーの「炎」が加われば、氷は簡単に融け、最後には蒸発してしまいます。その状態が、宇宙が向かうべき必然的な方向であり、「ビッグ・バン」はそうした「炎」の究極の存在と考えられます。そして、そのビッグ・バンが起きる前、宇宙は究極の秩序である「氷」や「結晶」のような存在だったとも考えられます。映画の中で、主人公が炎に包まれた後、低体温症になってしまうのは「炎」と「氷」が背中合わせでくっついているからと考えられます。
 セイターは9個のアルゴリズムを集め、それを同時に作動させることで、世界をエントロピーがゼロの状態にしようと考えました。それは宇宙を「ビッグバン」の前の瞬間に戻すことです。
<宇宙は乱雑さへ>
 ビッグバンから宇宙は乱雑さに向かいます。これが時間の順行です。その中で、一時的に秩序を復活させ時間の順行に逆らっているように見えるのが生命と考えられます。下の図は、その概略図です。
<完璧な秩序>から<乱雑な状態>へ、その中で部分的に秩序が現れます。(赤い点)その秩序が生まれる原因は、偶然なのか?神の技なのか?科学的に根拠があるのかは、未だに謎と言えます。この問題に挑んだ「散逸構造」の研究についてはその研究でノーベル賞を獲得したイリヤ・プリゴジンのページがあります。
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
・ ・ ・
  ・・・
 ・ ・
・・・
 ・ ・
・ ・ ・
・  ・・・
 ・ 
・・・
・  
・・・
 
 ・・  ・
  ・ ・
 ・  ・

<世界の結晶化と生命の存在>
 世界の結晶化、もしくは冷凍化というテーマはSFにおいて、多くの名作を生み出す世界終末の定番的状態の一つと言えます。特に有名な作品は、J・G・バラードの歴史的名著「結晶世界」、アンナ・カヴァンのカルトSF小説「氷」カート・ヴォネガットの「猫のゆりかご」などで、映画では「アナイアレーション- 全滅領域 -」などがあります。
 ここで重要なのは、我々人類が属する「生命」が「結晶」と「無秩序」の中間に位置し、「無秩序」から「結晶(秩序)」を生み出し続ける異色の存在だということです。それは乱雑な世界へと向かい続ける宇宙の法則に対する反逆行為であり、時間が向かう方向に逆行することです。ただし、単に生命活動によって時間を逆行させているだけではありません。なぜなら、それだと宇宙は「結晶」という完璧に氷の世界になり、そこですべては終わってしまうからです。(これは宇宙が誕生する「ビッグバン」以前の世界と同義なのかもしれません)
 生命は、宇宙の中で「秩序」と「無秩序」のバランスをとることで、それまでなかったまったく新しい秩序を生み出し続けているのです。これこそが我々人類を生み出すことになった神の御業とも呼べる奇跡なのです。

「生命は、あるパターンが脈打ちながら拡大してゆくことである」
ランスロット・L・ホワイト

 ということは、この映画の主人公による様々な作戦は、そうした「生命」によるバランス修正作業のことを示しているのでしょうか。

<回文とTENET>
 キャットの命を救うため、主人公はオスロ空港の絵画収容施設での作戦開始時点に戻ります。この施設の名前はROTAS。この名前は逆から読むとSATORセイターとなります。キャットを殺したのがラスボスのSATORで、彼女を救う場所がその逆読みの言葉ROTASだったわけです。
 キャットを陥れ、彼女をセイターから逃げられなくしたゴヤの贋作を描いた画家の名前はAREPOといいました。不思議な名前だと思ったら、その名前のスペルを逆に読むとOPERAとなります。それはこの映画の始まりの場所、キエフのオペラ座のことだと思われます。
 この映画の主人公には名前がありません。それは彼がすべての時間軸の中心にいる文字通り「主人公」であり、物語の視点であり、仕掛け人だからかもしれません。 ということは、どちらからでも読める回文になっているTENETという合言葉は、作戦名であると同時に彼の名前でもあるのかもしれません。
 そのことに気づいてから、「SATOR」という言葉について調べてみたら、「SATORの謎」という有名な文字表があることがわかりました。
「SATORの謎」
 上記の言葉が縦横に読めるようになっている不思議な表は、ポンペイの遺跡からも発見されている古いもの。キリスト教に関わる言葉を並べているとも言われますが、未だにはっきりした意味は解明されていないようです。ラテン語の「我らが父 PATER NOSTER」のアナグラムになっているという説は有力のようです。
 この謎の文字表を上手く使うことで、この映画の脚本は出来ているのです。
S A T O R
A R E P O
T E N E T
O P E R A
R O T A S


<「007」シリーズとの融合>
 複雑この上ないこの映画の物語を完全には理解することができなくても、この映画は十分に楽しめます。それはなぜかというと、物語の柱として「007」シリーズの基本的なドラマを取り入れているからです。
「第三次世界大戦という世界的な危機を救うミッション」
「敵か味方かわからないが主人公と愛し合う美しいヒロイン」
「最強最悪のラスボスと用心棒たち」
「世界各地の最高級ホテル、食事、スーツ、リゾート、ヨット・・・」
 こうした誰もが知っている007シリーズに代表されるスパイ映画の基本的なスタイルを下敷きにすることで観客はそれを頼りに、敵味方を判断し、とりあえず、なんとかついて行けるのです。
 ちなみにクリストファー・ノーラン監督が初めて映画館で観た映画は、「007私の愛したスパイ」(1977年)でした。それ以来、彼は007シリーズが大好きでいつかスパイ映画を撮りたかったようです。ただし、彼が単なるスパイ映画を撮るはずはなく、今回はスパイ映画と時間旅行を融合させてしまったわけです。

<ニールの存在>
 もう一つ気になるのが主人公の相棒として活躍するニールの存在です。主人公が宇宙の絶対的法則に逆らう「生命」の活動を象徴しているのだとすれば、ニールは何を象徴しているのでしょうか?
 多くの人は、ニールはキャットが愛し、何度も画面に登場した息子が大きくなった姿なのではないか?と思ったのではないでしょうか。もしそうなら、母親を苦しめ続けた父親セイターへの憎しみそが、彼がこの作戦に参加したモチベーションだったと考えることができます。
 具体的にそうかどうかは確認できませんが、(母なる)地球を破壊しようとする父親への憎しみは、現在の子供たちが環境を破壊し続ける大人たちに対して抱く憎しみを象徴していると見ることも可能だと思います。ニールはそうしたこれから現れる若い世代を象徴しているのかもしれません。
 主人公が始めた宇宙の法則への反抗は、都合よく出来上がった「生命」システムによるある意味自動的な戦いと言えます。(科学的に言うと「散逸構造理論」によるもの)しかし、そこにニールに代表される「憎しみ」や「愛情」などの「感情」をもつ科学的とは言えない存在が援軍として現れたのです。「感情」という科学的に説明困難な「意識」もまた生命が進化することで生み出された「宇宙の進化」に反する存在と言えます。
 「毎回どうなるかはわからないけど、やってみる価値はあるでしょ」というニールの感情は、「憎しみ」や「恐怖」の感情だけでなく「好奇心」も加わった実に人間的な感情に基づく行為なのだと思います。
 あなたはどう考えますか?

「TENET テネット」 2020年
(監)(製)クリストファー・ノーラン
(製)エマ・トーマス
(製総)トーマス・ヘイスリップ
(撮)ホイテ・ヴァン・ホイテマ
(PD)ネイサン・クロウリー
(衣)ジェフリー・カーランド
(編)ジェニファー・レイム
(音)ルートヴィッヒ・ヨーランソン(音楽というより「音響」と呼ぶべき音楽に関しては最高峰!「ブラックパンサー」に次ぐ作品です)
(出)
ジョン・デヴィッド・ワシントン(名もなき男)
デンゼル・ワシントンの息子で元アメフト選手。前作「ブラック・クランズマン」ではKKKに潜入する黒人刑事役。名前を消して潜入するのが得意か?
ロバート・パティンソン(ニール)
「ハリー・ポッター」シリーズのセドリック役からスタート。今や出世頭!地味ながら「グッド・タイムズ」(2017年)は素晴らしかった!
ケネス・ブラナー(セイタ―)
SFの原点とされる小説の映画化「フランケンシュタイン」(1994年)の監督、主演俳優でもあります。
彼がその中で演じたフランケンシュタイン伯爵と言えば、生命を自らの手で作ろうとした最初の人間です!
エリザベス・デベッキ(キャット)
190cm越えの長身女優ですが、オードリー・ヘップバーンを思わせる雰囲気を持っています。
マイケル・ケイン(クロスビー)
「バットマン」シリーズ、「プレステージ」、「インセプション」、「ダンケルク」とクリストファー・ノーラン作品の常連俳優です。
ヒメーシュ・パテル(マヒア)
「イエスタデイ」(2019年)の主役マリクの俳優。ビーチルズのいない世界から時間逆転してやって来たのか?
アーロ・テイラー=ジョンソン、ディンプル・カパディア、クレマンス・ポエジー

現代映画史と代表作へ   トップページヘ