「天井桟敷の人々」

- マルセル・カルネ Marcel Carne -

<戦火の下で作られた名作>
 1940年代初め、ナチスドイツの占領下にあったヴィシー政権のフランスからは多くの映画人が国を捨て、アメリカなどに渡ってゆきました。しかし、そんな危険な状況下にもかかわらずフランス国内では映画の製作が続けられ、数多くの作品が公開されていました。もちろん、その中には占領国ドイツによるプロパガンダ的な作品も多かったのですが、そうではない作品も含まれていました。そんな中、終戦ギリギリの混乱の中で完成した奇跡のような作品があります。それが今でも映画史に残る傑作と呼ばれるマルセル・カルネ監督作品「天井桟敷の人々」(1945年)です。

<アレクサンドル・トローネルによるパリの街の再現>
 この作品は、多くの映画が製作されていたパリではなく、南仏ニースのラ・ヴィクトリーヌ・スタジオで撮影されています。そこにパリの通称「犯罪通り」と呼ばれていた繁華街を実物大セットとして再現したのは、「巴里の屋根の下」のセットを作ったラザール・メールソンの愛弟子アレクサンドル・トローネルでした。彼のデザインに基づいてスタジオ内には50軒の芝居小屋や店が建てられ、そこに1500人ものエキストラが配置されたといいます。このセットの建造には、デザインも含め6ヶ月が要されました。そのうえ、デザイナーのトローネルがユダヤ人だったため、彼は現場に現われることができませんでした。彼はその間ニース近郊の山の中にある修道院に隠れ住んで、そこから指示を出しながらセットを完成させました。しかし、1943年に始まった映画の撮影は、困難の連続でした。戦闘による中断だけでなく、アメリカ軍のイタリア上陸により、資金の多くを負担していたローマからの入金が途絶え、撮影が中止され、スタッフ全員がセットを放棄する事態にも追い込まれています。
 この危機を救ったのは、フランス大手の映画会社パテでした。フランスの威信を賭けた作品ということでパテ社はその後の資金を出資し、撮影を再開させたのです。ただ、その間にも撮影所が強力な雷雨によって破壊されたりしていたため、セットの大幅修復が行われることになり、撮影は1944年3月にやっと再開されました。そして、1945年3月9日ドイツ軍から解放されたばかりのパリで、この映画の先行上映会が行われ、歴史的名作が世に出ることになりました。

「映画のセットはひとつの全体として成立しているのであって、その物質性を尊重しなくてはならない。人がセットに期待するのは、セットには人格があり、セットとしての性格を持ち、われわれの周囲にあってわれわれを驚かせるだけのキャラクターを持つことである。セットには真実であることだけが要求されるのであって、自然であることが要求されているのではないことを理解しよう。」
アレクサンドル・トローネル(1964年)

<素晴しいセリフ>
 この映画の見所は、素晴しいセットだけではありません。監督のマルセル・カルネと「ジェニイの家」(1936年)、「おかしなドラマ」(1937年)、「霧の波止場」(1938年、「日は昇る」(1939年)と続けてコンビを組んできた詩人としても有名なジャック・プレヴェールによる素晴しいサリフもまたこの映画の魅力のひとつです。

「人生は素晴しい。あなたも人生と同じように素晴しい」
登場人物ピエール・ブラッスールの女性に対するお得意の口説き文句

 ちなみに1946年に二人が再びコンビを組んだ作品「夜の門」(日本未公開のようです)の主題歌(作曲はジョセフ・コスマ)は、後に多くの歌手たちに歌われることになるジャンソンのスタンダード曲「枯葉」です。(イヴ・モンタンの歌が特に有名です)

<あらすじ>
<第一部>「犯罪大通り」
 犯罪ものの芝居を上演する劇場が多かったことから、パリっ子の間で「犯罪通り」と呼ばれていた通りには、常に多くの人々が集まっていました。
 「嘆きのピエロ」役で有名なパントマイム役者バチスト(ジャン=ルイ・バロー)。ダンサーから貴婦人にまで登りつめた危険な女(ギャランス)(アルレッティ)。最高の舞台役者と呼ばれていたフレデリック・ルメートル(ピエール・ブラッスール)。連続殺人犯で36歳でギロチンで首を落とされることになるピエール=フランソワ・ラスネール(マルセル・エラン)。三人の男たちは、全員が魔性の女ギャランスにに恋をしていました。
<第二部>「白い男」
 数年の後、バチストはナタリー(マリア・カザレス)と暮らし、ギャランスはモントレー伯爵夫人になっていました。しかし、モントレー伯爵(ルイ・サルー)に嫉妬したラスネールは伯爵を暗殺してしまいます。再開したバチストは、ギャランスに愛を告白します。しかし、ギャランスはバチストをナタリーの元に残して消えてしまいます。

 この映画の登場人物、バチスト、ルメートル、ラスネールは、いずれも実在の人物です。そして、三人ともに波乱に富んだ人生を歩んでいたことから、どのエピソードも素晴しく削るには惜しいものばかりでした。そのため、この映画は当初二部作として公開される予定だったといいます。結局、映画は3時間2分の大作として公開されることになり、二部にわけて、中休みがはいることになりました。

<マルセル・カルネ>
 この映画の監督マルセル・カルネ Marcel Carneは、1909年8月18日パリに生まれています。父親が家具職人だったことから、彼も家具職人の学校に入学しますが、その後、職業技術学校の写真映画科に入り、映画界入りします。そして、下済みを経た後、ジャック・フェデー監督の助監督となり、「外人部隊」「ミモザ館」などの撮影に参加。さらには彼と同じパリ出身のルネ・クレールが監督したパリを舞台にした名作「巴里の屋根の下」の撮影にも参加しています。その後、彼は映画雑誌への執筆や編集などを担当した後、1936年、フランソワーズ・ロゼー主演の映画「ジェニイの家」で長編映画を初監督。そして、33歳の時に、早くも名作「天井桟敷の人々」を発表したわけですが、その後も彼は「夜の門」(1946年)や「嘆きのテレーズ」(1953年)などの名作を撮るなど活躍を続けます。
 しかし、ルネ・クレールやジュリアン・デュビビエ同様50年代後半に始まったヌーヴェルバーグ以降は、その勢いを失い、日本でも未公開の作品が多くなってゆきます。
 フランス映画史に残る最高傑作ともいわれる作品を残した彼は、1996年10月31日、21世紀を目前に長い人生にピリオドをうったのでした。


「天井桟敷の人々Les Enfants du Paradis」 1945年
(監)マルセル・カルネ
(脚)ジャック・プレヴェール
(美術)アレクサンドル・トローネル、アンドレ・バルサック、レイモン・ガブッティ
(音)モーリス・ティリエ、ジョゼフ・コスマ、ジョウルジュ・ムーケ
(製)レイモン・ボルドゥイリ、フレッド・オラン
(出)ジャン=ルイ・バロー、アルレッティ、ピエール・ブラッスール、マルセル・エラン、マリア・カザレス、ルイ・サルー

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