- 「恐怖政治」から日本赤軍へ -

<テロリズム>
 20世紀の社会を大きく揺るがし、21世紀に入ってからは社会を根本的に破壊しかねない巨大な存在となった「テロリズム」。時代とともに危険なものとなりつつある「テロリズム」とは何なのでしょうか?それは非常に定義付けが難しい言葉です。それは、「テロリズム」という言葉が他者によるラベリングによる、呼称だからかもしれません。意外なことかもしれませんが、自ら「テロリスト」と名乗る「テロリスト」はいないのです。そのうえ、そのラベリングの規準は人、国家、組織、それぞれの立場によって異なります。誰が「テロリスト」なのかは、それぞれの立場により、それぞれの時代により異なるのです。
 アメリカでは、「恐怖をおしつけるための計算した暴力行為あるいは、その脅しで、政府や社会を弾圧あるいは脅す意図のもとに行なわれる」と言われ、イギリスでは「政治的、宗教的、イデオロギー的行為を目的に、人あるいは財産に対する重大な暴力の行使あるいは脅し」と定義されます。当然、お国の事情や政府の都合、大衆の思いにより、必然的に異なる対応をすることになるわけです。中でも国家の立場からすると、国家のみがテロに対する力の行使を行なう権利を有していると考えられています。それは、「暴力行為の正当な独占」と定義されています。
 しかし、反政府活動をする側にとっては、そうした見方はまったく逆になります。だからこそ、その立場は時に逆転することもあるわけです。例えば、ロシア革命のように、かつて反政府テロ活動をしていた側が政権を獲得することもありえるのですから。歴史の変化によって、「テロ活動」は「革命」や「独立運動」の過程として肯定的に扱われるようになる可能性もあるのです。それだけに、「テロリズム」を定義することは非常に難しいのです。

<戦争とテロリズム>
 「戦争」と「テロリズム」の区別もまた困難です。一般的に「戦争」は国家間の争いであり、「テロリズム」は国家に対して弱者である国内の反体制勢力が抵抗するための一手段と見られています。ただし、それもまたゲリラ戦という本格的な戦闘行為に近い存在となると、それは「戦争」と呼ぶべきでしょう。(ベトナム戦争やキューバ革命は、そうした例の大型化したものです)基本的に「テロリズム」と「戦闘行為」とは別ものです。それは軍隊を相手にした戦闘ではなく、一般市民や政治家など非戦闘員を標的とした一方的な暴力的行為といえます。
 その目的は、戦闘によって政権を奪うのではなく、一般市民に恐怖を与える与えることで体制の基盤を揺さぶり、政権を崩壊させることにあります。
 例えば、アイルランドの有名な反政府軍事組織「IRA」は、あくまで戦闘組織としてテロ活動も行なっていました。しかし、同じ目標をもつ政治組織として別にシンフェイン党という政党があり、そこでは政治的な活動を担当。二つの組織の役割ははっきりと分けられ、両方が活動することでアイルランドの改革を目指していました。しかし、長い長い紛争の歴史が続く中、結局テロ行為だけでは社会を変えることはできませんでした。アイルランドに平和が訪れるのは、1990年代にIRAが活動を終結してからになります。

<なぜ市民を攻撃するのか?>
 なぜ、テロリストたちは一般市民に恐怖を与える手段を選ぶようになったのでしょうか?
 1880年代のアナーキスト、ヨハン・モストは自らの著書「爆弾の哲学」の中でこう記しています。
1. 異常な暴力は人民の想像をつかむ。
2・ そのとき人民を政治問題に目覚めさせることができる。
3. 暴力には固有の権限があり、それは「浄化する力」である。
4. 体系的暴力は国家を脅かすことができ、国家に非正統的な対応を余儀なく。
5. 暴力は社会秩序を不安定化し、社会的崩壊に追い込む。
6. 最後に人民は政府を否定し、「テロリスト」に頼るようになる。


 社会を変えるための「革命」において、一時的にテロという手法が用いられたことはあるものの、最終的にそれによって社会が改善されたという例はありません。歴史は、この考え方が間違いであったことを実証しています。

 9・11同時多発テロ事件の際、アメリカの大統領顧問カレン・ヒューズはこういいました。
「彼らはわれわれを憎んでいる。われわれが指導者を選挙で選んでいるからだ」
 イスラムのテロリストは、「民主主義」=アメリカ国民と考えているからこそ、無差別なテロ事件を起こすのだと、アメリカ人は思いたいのです。もちろん、回答はそんな簡単なものではないはずです。しかし、多くの人は「テロリズム」とは理解不能な存在と考えていて、「理解」よりも排除することの方が重要と考えています。それが今の世界の現状でしょう。
 それどころか、9・11以降、テロリストについて理解しようとすることは、テロに屈することであり、テロリストに協力する行為だと見られるようになったともいえます。しかし、本質的には理解することができなくても、なぜ理解できないのかを知るところまでは迫ることは無駄ではないはずです。
 残念ながら世界からテロがなくなるとは思えません。それどころか、放っておけば21世紀の世界はテロによって終末を迎える可能性さえでてきました。現状では、テロとの共存を模索し、その流れを食い止めることしかないと思います。
 「テロリズム」とは、巨大な権力に対して反抗するために、弱者が選んだ最終手段という見方があります。確かにそれはテロについての一般的なイメージといえそうです。しかし、テロについてのそうした考え方は実はまったく不十分なものです。「テロ」とは、「弱者が選んだ最終兵器」である以上に「権力が行なう恐怖政治の道具」だというのが20世紀の現実だったのです。そのことを理解しながら、「テロリズム」の本質に迫りたいと思います。そのために、先ずはテロリズムの起源にさかのぼり、そこから始めてみたいと思います。

<「テロリズム」の原点>
 「テロリズム」という言葉は、今から200年以上前1798年、フランスでアカデミー・フランセーズが当時の暴力的な政治を「恐怖(Terror)のシステム、体制」と定義したことが起源といわれています。それは1792年から始まったフランス革命後にロベスピエールらによって行なわれた「恐怖政治」によって生み出された言葉だったのです。
 革命によって、歴史上初めて「共和制」を導入したフランス政府は、国内の混乱状態に乗じてヨーロッパの他の国が侵攻してきたり、国内において反乱が起きることを恐れていました。そのため、政府は反対勢力を押さえ込むだけでなく、一気に取り除くための専守防衛的な政策を実行に移します。それは反政府的な言動をとった人間を問答無用に逮捕し、リンチや拷問によって痛めつけて仲間を白状させた後、ギロチンにかけて処刑するという残虐このうえない手法でした。この異常な政策の犠牲となった国民は、一万人に及んだといわれています。
 「テロリズム」の原点は、権力に反抗するために行なわれた現在の「テロ行為」とは異なるものであり、統治のための手法として生み出されたものだったのです。それは「支配のためのテロ(Regime of Terror)」と呼ぶべき存在でした。そして、この「支配のためのテロ」すなわち「権力機構によるテロ」は、その後も歴史上何度となく現れることになります。そして、その多くは少数派、反対派を抑えつけるための脅迫を目的とするテロだったといえます。
 そうした国家による「支配のためのテロ」が究極の形に進化したものとして有名なのは、ドイツのナチズムで有名になった「ジェノザイド(民族浄化)」という名のテロリズムです。ナチス・ドイツによるユダヤ人の虐殺にスターリン体制下のソ連が行なった反体制派とユダヤ人の大虐殺。その他にも中国国内各地で行なわれてきた少数民族に対する弾圧と虐殺。20世紀の歴史において「国家によるテロ」が最も多くの被害者を出しているということ、このことは非常に重要な事実であり、忘れてはいけないことだと思います。

<「放し飼いテロリズム」>
 チリ、アルゼンチン、ペルー、ブラジル、それにギリシャなど、かつて軍事政権が支配していた国々では、1950年代から1960年代にかけて左翼の活動を抑え込むために軍と警察、そしてその下部組織によって暴力による抑圧政策が暗黙のうちに行なわれていました。当時、行なわれていた拷問や処刑の残虐さについて、アムネスティーの調査がこう記しています。
「拷問には、電気ショック、殴る、叩く、酸やタバコで火傷させる、長時間起立、長時間フードで覆う、独居監房に閉じ込める、爪をはぐ、睾丸を握り潰す、性的暴行、水攻め、首絞め、刑の執行の模擬実験が含まれ、・・・・・さらに他人の拷問に立ち合わせた」
 書いていても気分が悪くなってきますが、これらの拷問は、つい最近までキューバのグァンタナモ米軍基地でアルカイーダらしき容疑者たちに行なわれていたことと大差ありません。もちろん、それは軍の一部の関係者が勝手にやったこととされていますが、それこそ見てみぬ振りの「放し飼いテロリズム」そのものです。
 21世紀に入ってもなお、「支配する側」もしくは「権力をもつ側」による「放し飼いのテロリズム」は続いているのです。(これら「放し飼いのテロリズム」は、多くの映画や小説でも取り上げられています。(「Z」はギリシャの軍事政権がモデル、「サンチャゴに雨が降る」はチリで起きた軍によるクーデターと虐殺のドキュメント、「未来世紀ブラジル」は近未来SFとして・・・)

<テロリズム」の世界的拡がり>
 「テロリズム」という闇の存在が、フランス革命という民主主義の誕生とともに現れたというのは実に皮肉な事実です。しかし、現在我々が「テロリズム」と一般的に考える「反体制側によるテロリズム」が世界的な広がりをみせたのは、意外に最近のことです。
 第一期テロリズム時代とも呼ばれるのは19世紀後半のことです。ヨーロッパにおいて、テロリズムは「アナーキスト(無政府主義者)」という言葉とともに「思想」として確立されています。なかでも、ロシアにおいて、その思想は社会主義闘争と結びつき、1887年には皇帝アレクサンドル3世の暗殺未遂事件が起き、アレクサンドル・ウリヤノフがそのメンバーとして逮捕、処刑されました。
 なぜアレクサンドルらの反逆者たちは自らの命を賭けてまで皇帝を暗殺しようとしたのか?その理由を知った彼の弟は自らも兄の意思を継ぎ、革命による社会の変革を目指すようになります。そうして、彼はロシア革命における偉大なカリスマ指導者として歴史にその名を残すことになります。その人物こそ、ウリジミール・レーニンでした。革命という社会変革運動の多くは、当初は圧倒的な力の差の元で「テロ」による反抗から始まったものだったといえます。「ロシア革命」の場合も、当初はごく一部のインテリ階級の人々によるテロ活動が発端となり、その後大衆参加による運動へと発展することになりました。
 「ロシア革命」の後、世界は「第一次世界大戦」と「第二次世界大戦」など大きな戦争の時代に突入、終戦後、世界各地で独立戦争が始まることになり、その中で資本主義陣営と共産主義陣営がそれぞれの勢力圏を広げようと各地で戦争が起こる時代へと移り変わりました。そうした状況の中、世界各地で新たなテロリズムが誕生し、大きな拡がりをみせることになります。

<都市ゲリラの登場>
 新たなテロリズムともいえる「都市を舞台としたテロ」、それは支配する側の「放し飼いテロリズム」に対抗するために必然的に生まれたといえます。1960年代にその舞台となったのは、中南米の都市でした。その中心人物の一人、ブラジル革命的共産党の設立者カルロス・マリゲーラは、チェ・ゲバラの死に象徴されるように農村部での革命運動が行き詰まっていたことから、新たな革命運動の舞台を都市部に移し、そこで爆弾による破壊活動や要人の誘拐を行なうゲリラ活動を展開し始めます。
 ただし、そうしたゲリラ戦法は、それだけで革命を勝利へと導く力は生み出せませんでした。都市部で身を隠すことは難しく、長期間にわたって市民から支援を受け続けることは、さらに困難なことでした。そのため、彼らのゲリラ活動は次第に大衆から見えない場所、地下へと潜らざるを得なくなってゆきました。革命運動の沈静化とともに、そうした傾向は世界中に拡がり、ラテン・アメリカ以外のヨーロッパ、アメリカ、日本など先進国での左翼活動は、地下により深く潜ることになり、同時にその活動もより過激になってゆき、それぞれのグループが内部分裂を繰り返すようになってゆきます。それが「セクト・テロリズム」とも呼べる1970年代以降の新たなテロリズムの源泉となってゆきます。

<セクト・テロリズムと運動の崩壊>
 日本では全学連のような学生全体を巻き込んだ左翼活動は1970年代に入るとその方向性を失ってゆき、それでもなお、「革命」を目指すグループが分離独立し、より過激化してゆきました。その代表格が、テルアビブ空港での乱射事件で世界にその名を知られることになる日本赤軍で、彼らにとっての「革命」は、もう日本という狭い舞台ではなく「世界革命」こそが目標となっていました。
 同じように過激化しながらテロ事件を起こすことになるグループとしては、ドイツでキリスト教民主党党首アルド・モロ氏を誘拐し殺害したイタリアの「赤い旅団」や同じくドイツで元ナチ親衛隊の実業家を誘拐し殺害したドイツ赤軍派などがいました。彼らは真面目にテロ活動によって大衆を目覚めさせることができると考えていたのです。

「武装闘争を実行することが国家に対する闘争の性質を人民に意識させることになると信じている」
ウェザー・アンダーグラウンド「プレイリー・ファイヤー」(1974年)より

 しかし、現実にはこの時期、大衆と左翼の活動は決定的に分裂。彼らの向かう先は、より過激なハイジャック事件や爆弾テロ、一般市民を標的とした銃の乱射、そして、最後には連合赤軍による総括事件(メンバー内での派閥争い、内部抗争により、裏切り者と見なされたメンバーが処刑されてゆきました)のような内部崩壊しか残されていませんでした。

<テロリズムがもたらしたもの>
 これまでの歴史を振り返ると、テロリズムによって、社会が改善されたり平和が訪れたことはありません。その運動は、途中から平和的な大衆運動へと変わることで初めて、成功することが可能になるのでした。テロリズムは街を破壊し、社会を破壊すると同時に人と人の絆、さらには人の心までも破壊することで長い期間にわたり修復することのできないトラウマをその地域に残すことになりました。

「20世紀には多くの民族解放闘争が成功した。そこには重要なテロ戦術を取り入れたとは、テロリズムだけで成功闘争はない。そのうえ、1970年代、80年代の都市ゲリラ、例えばドイツ赤軍派やイタリアの赤い旅団などテロを最も純粋に信望したグループは、最も顕著に敗北した。彼らのテロの結果は、歴史が示してきた通り、国家転覆どころではなく、国家と治安の強化そして自由の低下をもたらした。・・・・・」
チャールズ・タウンゼンド著「テロリズム」より

 そして、21世紀の今、テロリズムはより巨大でより無差別大量殺戮を可能にした危険なものへと変貌をとげています。そこには世界を改善しようという信念はなく、ただ憎むべき他者を抹殺しようという「憎しみ」だけが存在しているのです。

[参考資料]
「テロリズム」チャールズ・タウンゼンド(著)宮坂直史(訳)岩波書店

<関連するページ>
北アイルランド紛争の歴史 イスラム原理主義からアルカイーダへ

<テロに関する文章>

 テロリストと不良は同じもので、不良対策は「全滅させること」ではなくて、「なぜ不良になったの?ほんとは、不良になんかなりたくなかったんだろう?」と言って、元の自分に戻すことだろう。
橋本治(著)「このストレスな社会!」より

 「テロリスト」というのは、「全滅させればいいもの、全滅させていいもの」と考えられている。そして「テロリスト」には、「帰属する国なんてない」と思われている。じゃ「帰属する国を追われて、テロリストにならざるをえなくなる人」はどうなるんだろう?「テロリストを殲滅する」として、その結果、周辺住民を傷つけて、「テロリストになる」という方向へ追いやっていることに気がつかなかったら、どうなるのだろう?それは、「国土に帰属する国民をも皆殺しにする」という方向に進みかねない。
橋本治(著)「このストレスな社会!」より

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