ホームベースへと走り続ける青春群像

「サード Third」

- 東陽一 Yohichi Higashi 、寺山修司 Shuji Terayama -

<僕の青春映画>
 大学に入学して東京に住みだした最初の年、僕は映画に本格的にはまり、名画座を中心に年間で100本弱の作品を見ました。(結局、これが生涯最高本数になりそうです)古い洋画の名作からニューシネマのマイナー作品、そして邦画の数々。そんな中、18歳だった僕にとって、まさに青春映画として心に残った作品が、このATGの傑作でした。
 これからの人生が見えず、不安で不満に満ちた毎日の連続。青春時代のそんな鬱屈した毎日を淡々と描いたドキュメンタリー・タッチの映像。思えば、楽しい作品ではありません。でも、それは心に響く作品でした。原作は、軒上泊の小説「九月の町」。そして、その脚色を担当したのは、当時話題の人だった寺山修司でした。歌人、詩人、作家としての活躍から演劇界の寵児へ、そして作詞家、エッセイストとしても活躍していた彼が担当したこの映画の脚本は、作品に大きな影響を与えました。

<寺山修司の脚本>
 改めて、この映画のパンフレットを引っ張り出して見ました。(この時代のATG(アートシアター・ギルド)のパンフレットは、脚本までついて60ページ以上になり、それで300円でした!)そこに掲載されている脚本は、あえて最終脚本ではなく撮影前に準備された寺山による準備台本です。この脚本が実に面白いのです。場所によっては、俳優に台詞を任せると記述されていたり、様々な指示はありながら、かなりの部分、俳優に自由を与えています。
 さらに面白いのは、彼自身の自由さでしょう。例えば、彼がシーンごとにつけたタイトル。野球が好きでなければ不可能なそれらのタイトルだけでも、十分にシーンの雰囲気が想像できます。

 1.このシナリオは野球用語で書かれる(オープニング映像についての説明)
 2.シートノックに関する注意事項(各俳優が自己紹介をするシーン)
 3.ヒット・エンド・ラン - 走り過ぎ
 4.過ぎた日の送りバント
 5.凡打
 6.盗塁幻想
 7.少年院のビーンボール
 8.バッターは正午に抗議する
 9.作戦タイム
10.野球ルールその解釈と鑑賞
11.作戦タイム - 高校生は一塁ランナーであるか?
12.第一球空振り
13.過去のスコアブック
14.タッチアウト - バッターは二度死ぬ
15.二死無走者 - 九月の土地
16.ベンチの会話 - なぜ盗塁は罪なのか
17.守備妨害 - 自由への道
18.ラストシーンのための二、三の提案 延長戦またはゲームセット

 もちろん、内容はそのままの野球の試合というわけではありません。でも、タイトルだけでなんだかワクワクしてきませんか?やっぱり寺山修司って天才だと思います。
 さらに映画の中で彼は本業である短歌も披露しています。これがまた味わい深い作品ばかりです。

今日もまた夢精のあとのかなしさよ
パンツのしみをじっと見ている

青春を青い春とは書くけれど
ただひたすらに揺れるものかな

チリガミはかなしからずや若き日の
夢をつつんで捨てられるのみ

春の夜の電柱に身を寄せて
思う人を殺したまごころ

いら立ちをひとに見せるはやすけれど
われはだまって短歌をつくる


 「青春」という言葉がぴったりの短歌ばかりです。

 寺山が書いた自由度たっぷりの脚本をもたされた若い俳優たちは、それに答えて自由な演技をみせ、アドリブによって多くのセリフを生み出したといいます。この脚本は、俳優に「言いたい台詞」を語らせることで、映画に見事なリアリティーを与えることに成功しているのです。

<魅力的な俳優たち>
 この作品でデビューした永島敏行は、高校野球の選手がそのまま映画に出演したかのように自然な演技を披露。新聞部役の森下愛子も、この後長く活躍するすることになります。ヤクザの男として登場した峰岸徹の凄味も忘れられません。その他、少年たち全員の自然な演技が印象深いのですが、そこは寺山修司の脚本ともう一つ監督の東陽一の存在が重要でした。

<東陽一の演出>
 東陽一は1934年11月14日和歌山県の野上町の農家に生まれています。(寺山修司と同世代です)高野山の連山に囲まれた小さな町に育った彼は、小さな空の下の小さな町を早く出ようと早稲田大学に進学。もともと肺結核にかかったこともあり、身体が弱かった彼が農家の後継ぎにはなれないと思った父親は彼に好きな文学を学ばせてくれたのでした。
 東京に出て大学に通い始めた彼は、映画「真空地帯」に感動したことがきっかけとなり、将来の道を文学から映画へと変えます。そして、その「真空地帯」の監督、山本薩夫の下で働かせてもらおうと、彼のもとを訪ねます。しかし、独立プロの山本には彼を雇うことができなかったため、しかたなく彼は岩波映画に就職しドキュメンタリー映画を撮ることになります。岩波映画はドキュメンタリー映画専門の映画会社だったため、彼が撮りたい劇映画を撮ることはできませんでした。しかし、そこで彼は後に大物監督となる羽仁進や黒木和雄の助監督を務めることで、映画について多くのことを学ぶことができました。そして、そこで身に着けたドキュメンタリー映画の手法は「サード」にも大いに生かされることになります。
 彼は黒木和雄が岩波映画を退社した数か月後に彼の後を追って、フリーになります。もちろん、一本の監督作もない彼にフリーで映画を撮る機会はなく、バイトをしながら2,3年に一本かろうじて映画を撮る状況が続きました。そしてこの映画を撮るまでにも5年のブランクがありました。
 そんな彼に映画を撮る機会を与えることができた新会社ATGの存在は、実に意義深いと思います。

<走る映画>
 この映画は野球をテーマに作られていますが、実は「走る映画」と呼ぶべき作品かもしれません。はるか遠くにあるホーム・ベースを目指して走り続ける主人公の姿を撮り続けた記録映画的側面。それと寺山修司の脚本と短歌が生み出したアドリブ演技による前衛演劇的側面。両方を併せ持つことで、この映画は奥行のある作品になったといえます。
 「走る映像」は、見る者に感動を与えるだけでなく思索させる不思議な力をもっています。この作品は、「東京オリンピック」、「炎のランナー」、「マラソンマン」、「フレンチコネクション2」、「長距離走者の孤独」など、様々な「走る映画」の中の一本に数えられる作品だと思います。
 この映画のラストシーンについて、寺山はこう書いています。

「都市は巨大なグランドで、すべての市民は野手である。うまく『まわりこまなければ』刺されるだろう。全速力で町を走り抜けてゆくサード、追って行くⅡBを俯瞰で。
 いずれにしても、ものみな音楽で終わる。
 ラストシーンを作るのは、演出家の仕事です」


 実は、僕はこの映画がどんな終わり方をしたのか、もう思い出せません。いや、それどころか自分の青春時代の終わりですら、もう忘れてしまいました。
 あなたの青春時代はまだ続いていますか?
 そういえば、サードは農家の息子でしたが、サードを演じた永島敏行はこの映画の後、今度は根岸吉太郎監督のもと「遠雷」で農家の息子を演じて俳優としての地位を確立することになります。そして、その後実際に自分自身が農業を始めて、農業タレントともいえる活動もしています。どうやら彼は「サード」で走り始めた道を未だに走り続けているようです。

「サード」 1978年
(監)東陽一
(製)前田勝弘
(原)軒上泊
(脚)寺山修司
(撮)川上皓市
(編)市原啓子
(音)田中未知
(出)永島敏行、森下愛子、吉田次昭、志方亜紀子、島倉千代子、内藤武敏、峰岸徹、片桐夕子

<参考>
アートシアター132号
「サード」
(発行)ATG(編)多賀祥介

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