- スリー・ドッグ・ナイト Three Dog Night -

2002年8月26日更新

<カバー、サンプリングの時代>
 最近ラジオや有線を聴いていると、やたらとカバー・ソングが多いことに気づかされます。良い曲は何年経っても良い曲なのですから、それはそれで悪いことではないのかもしれません。しかし、昔のヒット曲を知っていればいるほど、それらの曲に新鮮味が感じられなくなるのもまた事実。おまけに、過去の曲にやたらと似たリズム・パターンを持つ曲とかメロディーの一部が明らかにパクリだったりする曲もけっこう耳につく今日この頃です。(これは単に自分が年をとったせいとも考えられるのですが)とにかく、ヒップ・ホップの登場とサンプリング機材の発展によって、今やオリジナルとコピーの垣根はいよいよ分からなくなってきています。それなら、いっそのことオリジナル曲はいっさいやらず、カバー専門で生きて行くバンドがあっても良いような気もするのですが、意外なことにそういうバンドは、メジャーでは存在しません。(著作権料が高すぎてペイしない?)

<かつてスリー・ドッグ・ナイトというグループがいた>
 かつて1960年代から70年代にかけて、スリー・ドッグ・ナイトというカバー専門ともいえるロック・コーラス・グループがありました。(後期になってオリジナル曲も録音しています)彼らはそれほど長くはない6年程度の活動期間中にアメリカン・トップ40入りするシングルを21曲、全米ナンバー1ヒットを3曲放ち、一時は大変な人気グループとなりました。

<抜群の選曲センス>
 しかし、彼らは、かつてのヒット曲をただ単にカバーしたわけではありませんでした。ほとんどが当時まだ無名だったアーティストたちの作品を、彼らが見つけだした曲ばかりだったのです。その選曲センスの良さは、後にそこで取り上げられたアーティストたちが、彼ら以上の大スターになったことからも明らかです。
ニルソン("One")、ローラ・ニーロ("El's Comin'")、ランディー・ニューマン("Mama Told Me(Not To Come)")、ポール・ウィリアムス、ロジャー・ニコルス("Out In The Country")、アラン・トゥーサン("Play Something Sweet (Brickyard Blues))、ジョン・ハイアット("Sure As I'm Sittin Here")、レオ・セイヤー("The Show Must Go On")、ジミー・クリフ("Sittin' In The Rimbo")など、実にバラエティーに富んだアーティストたちの名が並びます。
 そして彼らは、これら日の目を見ていなかったアーティストたちにチャンスを与えただけでなく、僕のようなポップス・ファンに、世界中のまだ見ぬアーティストたちの優れた曲を紹介するという伝道師の役目を果たしてくれました。特に彼らの大ヒット・アルバム「ナチュラリー」(1970年)は、最高にご機嫌なポップ・ロック・アルバムです。

<スリー・ドッグ・ナイトの結成>
 スリー・ドッグ・ナイトの母体となった3人のヴォーカリスト、ダニー・ハットンコリー・ウェルズチャック・ネグロンは、60年代の初めから、それぞれバラバラに活動していましたが、1967年にグループを組み、バック・バンドを集めて、スリー・ドッグ・ナイトを結成しました。彼らがなぜカバー・ナンバーにこだわったのか?もしくは、なぜそこまで人気を獲得できたのか?そこには、1967年という時代が大きく関わっているような気がします。

<1967年という年>
 1967年と言えば、まさにロック史における「進化の大爆発」の年でした。(1967年ドアーズのページ参照)それは、あらゆるロックのスタイルがいっきに登場した時代であり、なんでもありの時代でした。したがって、その中にオリジナル曲を持たず、他人のカバーで食べて行くスタイルがあっても、それはそれで当然だったのかもしれません?まして、次々に登場する新しいアーティストたちの存在は、マスコミやレコード業界すらも把握できないほどの状態でした。となれば、そんな無数のアーティストたちの中から、光り輝く逸材を見つけだすという作業もまた十分芸術活動と呼ぶに値する行為だったのかもしれません。実際、彼らは常に何百枚ものレコードを選曲対象としてストックしていたということです。(21世紀に入りかつての隠れた名曲を掘り起こしてサンプリングするヒップ・ホップやDJ系アーティストたちの仕事は、これとちょっと似ているかもしれません)

<エンターテイメントとしてのロック>
 それともうひとつ、彼らがライブ・アルバムを二枚出し、コンサート活動に力を入れていたことからも分かるように、このグループは、アメリカン・ショービジネスの伝統を受け継いだロック・バンドだったということも重要です。そう言えば、彼らのジャズ版とも言える存在が、マンハッタン・トランスファーなのかもしれません。いかんせん、彼らにはオリジナル曲がなかったため、彼らの曲は彼らの歌でしか聴くことができません。それが、彼らの存在がいつしか忘れられていった最大の原因かもしれないでしょう。まして1970年代に入ると、シンガーソング・ライターのブームが訪れ、ミュージシャンは自分たちで曲を作るのが当たり前になって行きます。考えてみると、カーペンターズが光輝いていたのも丁度この頃でした。

<ヒット曲の数々>
 "Joy To The World","One","An Old Fashoned Love Song","Mama Told Me(Not To Come)","One Man Band","Black And White","You","Show Must Go On"などなど。
 それでも、彼らのヒットさせた曲の数々は、未だにラジオや有線放送を通じて僕らの耳に届いてきます。それだけ彼らの曲には、オリジナルを越える完成度が備わっていたということでしょう。しかし、そのために払われた努力もまた大変なものだったはずです。
 ロック、ソウル、ニューオーリンズ、レゲエ、テックス・メックスなど、彼らがちらりと覗かせてくれた世界各地のポップスの扉を、僕はその後再び覗くようになって行きました。今度はじっくりと覗き込み、こうしてあなたにも覗かせてあげられるようになったというわけです。

 ようこそ!「喜びの世界へ」 Joy To The World !
<追記:ブライアン・ウィルソンとの関係>
 先日小説「グリンプス」を読みなおしていてわかったのですが、ダニー・サットンとブライアン・ウィルソンは、スリードッグナイト結成前から親しい間柄で、ブライアンがダニーのグループのプロデュースをするという計画もあったらしいのです。もし、それが実現していたら、スリードッグナイトは生まれていなかったかも・・・どっちにしてもスリードッグナイトのハーモニーの影にはブライアンの影響があったことは間違いなさそうです。なんだか納得!

<追記:スリー・ドッグ・ナイトとは?>
 「スリー・ドッグ・ナイト」というグループ名の由来は、オーストラリアのことわざで「3匹の犬といっしょに眠れば寒さを感じないですむ」というところからきているそうです。

<締めのお言葉>
「どっちにしても音楽は人間にとって不可欠なものさ。そして誰もが音楽に耳を傾けることができる。耳を傾けることが真のアートなんだ。絵画だって同じだよ。誰かが絵を描かなくてはならないけれど、それを鑑賞する人がいなければ意味がない。芸術を鑑賞するアートこそ真のアートだと僕は思うんだ」 キース・リチャーズ

[参考資料]
「ポップ・ヒット・メイカー データ・ブック」 VANDA監修(シンコー・ミュージック)

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