- ティト・プエンテ Tito Puente -

<ティンバル王ティト>
 50年代、マンボ全盛時代のニューヨークを描いた最高にご機嫌な映画「マンボ・キングス」、その中で見せた御大ティト・プエンテの華麗なティンバレス・ソロにぶっ飛んでしまった人も多いことでしょう。あのシーンは本当に何回見ても、背筋が続々するほどの快感です。(見ていない方は、これを読んだ後、すぐにレンタル・ビデオ店へGO!)彼を越えるティンバレス奏者は、未だにいないと言われるほど、その才能は飛び抜けたものです。
 しかし、彼の才能はもちろんそれだけではありません。バンド・リーダー兼作曲家、アレンジャーとして、マンボの黄金時代を築いただけでなく、その後のニューヨーク・サルサの基本となるお洒落で、洗練されたラテン・ダンス・ミュージックのスタイルを生みだした功労者でもあります。「マンボの王様」は、マンボ・ブームが終わっても、ラテン・ダンス・ミュージック界のドンであり続けた偉大な存在なのです。

<アクシデントが育てた才能>
 ティト・プエンテは、もともとダンサーを目指していたようです。しかし、足にけがを負ったために、断念せざるを得なくなり、ミュージシャンの道を選んだといいます。彼は、先ずピアノやドラムスの演奏者として活躍をした後、マチートの楽団にティンバレス奏者として、参加します。ところが、時は太平洋戦争のまっただ中、彼は徴兵されてバンドを退団、海軍に入隊しなければならなくなりました。しかし、幸いなことに、彼は音楽の才能を買われ軍楽隊に配属、そこでバンド・リーダーのチャーリー・スピヴァクに編曲などの音楽理論を学ぶことができました。ところが、除隊後、彼がマチート楽団のティンバレス奏者の座に戻ろうとしたところ、代わりのティンバレス奏者が家族持ちであることを知り、自らその権利を放棄し、音楽理論を学ぶためにあの有名な「ジュリアード音楽院」に入学しました。そして、この時に学んだアレンジの技術が当時の多くのミュージシャンたちに評価され、再び音楽界での活躍が始まったのです。

<プエルトリカン活躍の先駆け>
 ティトは、1923年ニューヨーク生まれのプエルトリカンですが、この時代(1940年代)、ラテン音楽シーンはほとんどキューバ系の独占状態でした。したがって、プエルトリコ系のミュージシャンは、キューバ系ミュージシャンの不足を補うために雇われている場合が多かったようです。そんな中、ティトは自らが学び取った音楽理論を武器に自らのバンドを持つまでにのし上がって行きます。この後、キューバ革命によるアメリカとの国交断絶により、ラテン音楽界の主流派はキューバ系からプエルトリコ系へと変わって行くのですが、ティトはそんなこととは関係なく自分の力で、トップに立ったミュージシャンだったのです。

<マンボ黄金時代>
 ついに彼は1947年に自分のバンドを持ち、キューバ系のともすれば泥臭いダンス・ミュージックとは違う洗練された音づくりで、一躍人気バンドになります。そして、1950年代、あの空前のマンボ・ブームが訪れます。彼のバンドは、ティト・ロドリゲスペレス・プラードらのバンドとともに大活躍し、その間に傑作「マンボラマ」や「ダンス・マニア」などのアルバムを発表しました。

<マンボとサルサのつなぎ目>
 こうして彼はマンボ時代の代表的人物となったのですが、この後60年代に訪れたサルサへの大転換期においても彼は重要な役割を果たしています。
 サルサ創世記の重要なレーベル、ティコのオールスターバンド、「ティコ・オールスターズ」のメンバーとしての活躍です。このバンドは、来るべきサルサの時代に向けて、その養成所の役割を果たしたのですが、ここでもティトは多くの若者たちの尊敬を受けながら、数々のデスカルガ(ジャム・セッション)に参加しています。そして、自らのバンドに、ヴォーカリストとしてセリア・クルース、サントス・コローン、チェオ・フェリシアーノ、イスマエル・キンターナなどを起用し、サルサの時代にも見事に対応して行きました。

<ラテン音楽の歴史を記録した100枚>
 1991年、ついに彼は通算100枚目のアルバム"The Mambo King 100th LP"を発表しました。その後もその制作意欲は衰えず、1999年心臓の病でこの世を去るぎりぎりまで、アルバムを発表し続けました。
 彼のように半世紀にわたって、音楽シーンのトップに君臨し続けたミュージシャンは、他のジャンルを見渡しても、見あたらないでしょう。ルンバの時代から、マンボ、パチャンガ、ブーガルー、サルサなどの流れ以外にも、ボサノヴァやジャズとの共演など、常に旬のラテン・ダンス・ミュージックを作り続けてきた男。彼の100枚を越えるアルバムは、そのまま、ラテン音楽半世紀の歴史といえるでしょう。

<天に響くティンバレス>
 20世紀とともに生きた男、ティト・プエンテ。今頃、天国では、かつての仲間たち、チャーリー・パルミエリやライバルだったマチート、ティト・ロドリゲスらとの、壮烈なデスカルガが繰り広げられていることでしょう。ご苦労様でした。

<締めのお言葉>
「パラディアム、マンボの故郷へようこそ!」 映画「マンボ・キングス」より

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