- トッド・ラングレン Todd Rundgren -

<トッドのシングル集>
 トッド・ラングレンが1970年のデビューから1982年までに発表した19枚のシングルのAB面すべてを収録した「シングルズ」というアルバムがあります。(日本独自企画として制作されたものです)
 さすがに珠玉のポップ・メーカーだけのことはあり、どの曲もポップで、キッチュで、ちょっとアバンギャルドな、いかした曲ばかりです。しかし、アルバムのライナーによると、彼のシングルの中で最もヒットした曲は"Hello,It's Me"で、全米5位(かつて彼が所属したナッズ時代にも、この曲はシングル化されているが、ここまでヒットはしていない)。そして、それ以外でヒットしたのは"I Saw The Light"が16位、"We Gotta Get You A Woman"(デビュー・シングル)が20位、"Can We Still Be Friends"が29位、"Good Vibration"(ビーチ・ボーイズのカバー)が34位と4曲がトップ40に入っているだけなのです。
 もちろん良い曲だからといって、アメリカン・トップ40に入れるとは限らないのは当然です。トッド自身、シングル・ヒットを狙って作った曲は一曲もないと語っているわけですし・・・。とは言え、これだけのクオリティーをもつ曲が、ほとんどトップ40に入っていないとは・・・実に不思議です。そこには、何か一般受けを拒否する秘密が隠されているのかもしれません。そして、そのことこそが「トッドらしさ」の証明なのかもしれません。

<ソロ・デビューまで>
 トッド・ラングレンは1948年6月22日ペンシルヴァニア州アッパー・ダービーに生まれました。4歳で家にあったピアノを弾き始め、8歳でギターを弾き始めましたが、どうやら友達も少なく家にこもりがちな子供だったようです。ビートルズにあこがれ、バンドを組んで演奏を始め、18歳の時、家を出て本格的に音楽活動を開始します。そして1967年、Nazzを結成し、翌年デビュー・アルバム「Nazz」を発売、モンキーズ系のアイドル・グループとして売り出され、後にソロでも大ヒットした"Hello,It's Me"をシングル・ヒットさせました。
 アルバム3枚を発売した時点で、バンドは解散してしまったのですが、その時すでに彼はデビュー・ソロ・アルバムの録音を開始していました。さらに彼はエンジニアとして、ジェシ・ウィンチェスターのデビュー・アルバムとザ・バンドの「ステージ・フライト」に参加。さらに、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドのプロデュースまでも同じ年に行っています。彼はソロ・デビュー時点で、すでにその多彩な才能を認められた存在だったのです。

<デビューから、驚異のアルバム・リリース>
 1970年のデビュー・アルバム"Runt"に続いて、1971年にはセカンド・アルバム"The Ballad Of Todd Rundgren/Runt"を発表、1972年"Something/Anything"、1973年"A Wizard,A True Star"、"Todd"。そして1974年には、彼が作ったバンド、ユートピアとしてのファースト・アルバム"Todd Rundgren's Utopia"を発表。1975年には、ソロ作の"Initiation"、ユートピアの"Another Live"とものすごいペースでアルバムを発表し続けます。この多作ぶりこそ、まさに天才の証でしょう。

<プロデューサーとしての大活躍>
 それだけではありません。彼は自らの作品の合間を縫って、前述のジェシ・ウィンチェスターに加えて、ジェームス・コットン・バンドバッド・フィンガーニューヨーク・ドールズグランド・ファンク・レイルロードホール&オーツなど、そうそうたる顔ぶれのアーティストたちのプロデュースも行っているのです。シンガー・ソングライター、ブルース、ポップス、パンク、ハード・ロック、それにブルーアイド・ソウルと、意識的としか思えないほど、異なるジャンルに挑んでいることには驚かされます。この後も彼は、優れたアルバムをプロデューサーとして発表し続けていますが、特に、パティ・スミスの"Wave"とXTCの"Skylarking"は彼の代表作と言えるでしょう。ともに強烈な個性をもつパティ・スミスとアンディ・パートリッジに対して、同じく個性の塊のようなトッドがどうやって折り合いをつけ、作品に仕上げていったのか?まして、それが素晴らしい作品に仕上がっていたのは、トッドが凄かったのか、それともトッドに負けなかった二人が凄かったのか。気になるところでもあります。

<新たなる挑戦へ>
 トッドは、元々「元祖宅録派アーティスト」であり、スタジオでほとんどすべての楽器を演奏するだけでなく、ミキシング、プロデュースまでもこなしていました。しかし、1980年代に入ると、彼はさらに新しい挑戦へと向かいます。
 例えば、1983年のアルバム「アカペラ」では、文字通り声と録音テクニックだけで作品を作り上げてしまいました。そうかと思えば、1989年の「ニアリー・ヒューマン」は、スタジオ・ライブによる一発録りという、実に彼らしくない方法によって制作され、その好評に気をよくしたのか、1991年には今度は観客を前にした一発録りという究極の録音方法でアルバム「2ND WIND」を発表しています。(同じような試みをジョー・ジャクソンも行っています)
 それ以外にも、彼はコンピューター・グラフィックスという音楽以外のジャンルでもその才能を発揮しているとのことです。

<時代の変化とともに進化し続けた男>
 なんだか、彼のやってきた仕事を並べただけで疲れてしまいました。しかし、彼にとって、次々に技術革新が進む最近のテクノロジー社会は、面白くて仕方がないに違いありません。かつては、部屋にこもって、レコードを作ることでしか表現できなかった自分という存在を、今やコンピューター・グラフィックスやインターネットなどのハイテク手法だけでなく、オペラやライブ活動など生の肉体を用いて発表することもできるのですから。
「シングル・ヒットなんか狙ってられないからね。俺は忙しいんだよ」と彼なら言うに違いありません。

<締めのお言葉>
「ピカソはすべての歴史の中で、僕が最も偉大だと思う芸術家だ、なぜなら彼は驚くべき多作であったから」

アンディー・ウォーホル

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