蘇った東京オリンピックの記憶


「東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典」

- 三島由紀夫、石原慎太郎、大江健三郎、有吉佐和子・・・ -
<幻のオリンピック文集>
 2020年のオリンピック東京開催が決まり、1964年の東京オリンピックの直後に出版された「東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典」という本が復刻されました。その執筆陣の顔ぶれに驚かされました。
 阿川弘之、大岡昇平、獅子文六、中野好夫、柴田錬三郎、平岩弓枝、有吉佐和子、石川達三、小田実、瀬戸内晴美(寂聴)、堀口大學、石坂洋二郎、亀井勝一郎、曽野綾子、松本清張、石原慎太郎、三島由紀夫、北杜夫、水上勉、井上靖、草野心平、檀一雄、遠藤周作、小林秀雄、安岡章太郎、大江健三郎、佐藤春夫、山口瞳・・・

 例え、50年以上前の本とはいえ、これだけの作家たちが書いたのだから、読みごたえはあるだろう。そう思いました。それに、オリンピックの直接的な記憶を当時の文章で読む機会は、貴重かもしれない。そうも思いました。「記録(データ)」で「東京オリンピック」を振り返ることはできても、「記憶(メモリー)」で「東京オリンピック」を振り返ることはそうはできないだろうとも思いました。しかし、2020年にも同じような企画はあるかどうかはわかりません。たぶん同じ出版社からまとめて出版されることはないかもしれません。当時と今では文学の状況はあまりにも違います。

 こんどのオリンピックは、筆のオリンピックなどともいわれた。ずいぶん、おおぜいの小説家や評論家が、オリンピックについて、なにかを書いてきた。こんなにも多くの文士が、あるひとつの行事に対して、いっせいに勝手なことを書きならした、ということは、おそらくほかに例がないだろう。
 だが、オリンピックに対して、だれもがそんなにいいたいことを、たくさん、持っているはずはないのだ。オリンピックというものは、あまり文句をいわずに、のんきにながめていれば、それでいいものであり、精神の衛生のためには、そうすべきであろう。

「やってみてよかった」 菊村 到

 ということで、ここではその復刻された「幻の文集」の中から、ごくごく一部をご紹介します。残念ながら、今読むと、さすがに明らかに感覚が古すぎたり、著者がスポーツのことを知らなさすぎたり、ちょっとなあ、という文章もありましたが、予想以上に読み応えのある文章があったので良かったら、文庫で出ている本を読んでみて下さい!きっと面白いはずです。
 改めて、僕が選び出した文章をみてみると、ダントツで三島由紀夫の文章が多いことに気づきました。思えば、文壇でもナンバー1のスポーツ・オタクだった彼ほどスポーツの本質を理解している作家はいなかったかもしれません。もちろん彼の文学者としての才能の問題もあるでしょう。さすがです。現在なら、村上春樹か村上龍がそんな位置にいるのかもしれません。とにかく三島の文章は美しい!ではここからは、ベスト・オブ・オリンピックを順を追ってご紹介して行きます。

<戦争の記憶>
 改めて、21世紀の今、当時の文章を読むと様々なことに気づかされます。中でも印象深いのは、このオリンピックが太平洋戦争の記憶がまだ生々しかった時期に開催されていたという事実です。このことは、当時のオリンピック映像からだけでは、まったくわからないことです。
 先ずは、そんな戦争の記憶を色濃く映し出している文章から始めます。

 二十年前のやはり十月、同じ競技場に私はいた。女子学生のひとりであった。出征してゆく学徒兵たちを秋雨のグラウンドに立って見送ったのである。場内のもようはまったく変わったが、トラックの大きさは変わらない。位置も二十年前と同じだという。オリンピック開会式の進行とダブって、出陣学徒壮行会の日の記憶が、いやおうなくよみがえってくるのを、私は押さえることができなかった。・・・
 音楽は、あの日もあった。軍楽隊の吹奏で「君が代」が奏せられ、「海ゆかば」「国の鎮め」のメロディーが、外苑の森を煙らして流れた。しかし、色彩はまったく無かった。・・・
 オリンピック開会式の興奮に埋まりながら、二十年という歳月が果たした役割の重さ、ふしぎさを私は考えた。同じ若人の祭典、同じ君が代、同じ日の丸でいながら、何という意味の違いであろうか。・・・
 きょうのオリンピックはあの日につながり、あの日もきょうにつながっている。私には、それが恐ろしい。祝福にみち、光と色彩に飾られたきょうが、いかなる明日につながるか、予想はだれにもつかないのである。私たちにあるのは、きょうをきょうの美しさのまま、なんとしてもあすへつなげなければならないとする祈りだけだ。

「あすへの祈念」 杉本苑子
<参考>
 ここで書かれている出陣学徒壮行会というのは、1943年10月21日文部省学校報国団本部主催によって開催されました。77校の2万5千人が入場行進を行い、5万人の学生が若い兵士たちの出征を見送りました。スポーツ大会の開会式と同じ方式で行われたこの国家的イベントをラジオで生中継をする予定だったNHKアナウンサーの和田信賢は当日になって悩んだ末に降板。志村正順アナが急遽担当しました。

 この大会の最終聖火ランナーに選ばれた青年が、原子爆弾が投下された日に広島で生まれた子供だったことも、今や知る人はほとんどいないはずです。世界の歴史を変えた悪魔の兵器が誕生したその日に生まれた赤ん坊が、世界の平和を象徴する火を灯すというのは、なんと劇的な瞬間でしょうか!

・・・彼が聖火の最終ランナーに選ばれた時、日本在住の米人ジャーナリストは、それが原爆を思い出させて不愉快だといった。そこで、われわれは、あらためて、かれが原爆投下の日、広島で生まれた青年であることを意識したのだった。・・・
 青年は聖火台にたどりつきたいまつをなおも高くかかげ、あきらかに微笑する。いま、広大なスタディアムのふたつの核が、ロイヤルボックスにたたずむ人影と、そこにむかって晴れわたった空にくっきり浮かびあがる<原爆の子>かれだ。
・・・
「七万三千人の<子供の時間>」 大江健三郎

 ここからは今読んでも素晴らしい文章の数々を競技別にご紹介してゆきます。

<開会式>
 開会式を見た作家たちの感想は、その多くが「オリンピックなんて、やる意味あるの?」から「やるからには成功させないと」に変り、終了後には「やればできるじゃないか!」に変ったというのが大勢のようです。

・・・日本もムリして、こんな大仕事をやって、ともかく、ここまでこぎつけたのかという感想でいっぱいだった。貧乏人が帝国ホテルで、結婚式をあげたようなものだが、ともかく無事にすみ、関係者のみなさんに、お役目ご苦労さまと、本気で、ごあいさつ申し上げる気になった。
「開会式を見て」 獅子文六

「ボリビアか。たった一人か」
「コンゴか。黒いなあ」
 隣のじいさんは、感に堪えたように声をあげた。
 生物学的に言えば、地球上の人類はたった一つのはずだが、それが多く人種、つまり地方型とか亜種にわかれ、言葉から風習からちがうのは、不便な損なことと思っていたが、選手団の行進を見守るうちに、私の考えも変わった。
 この多様さはいい。この変化は好ましい。」

「実に多様な人種」 北杜夫

 単純素朴な感想も、それはそれで時代を感じさせます。でもこうした感想は、もう過去のモノ。それに比べると、三島由紀夫の文章は、今見ても新鮮です。スポーツの本質的な部分が芸術と共通していることを理解する人ならではの描き方のような気がします。ただし、この見方は、一歩間違うとヒトラーが作り上げたベルリン・オリンピックのファシズム的な美意識に至る可能性もあり、ちょっと恐いのですが・・・。

 坂井君は緑の階段を昇りきり、聖火台のかたわらに立って、聖火の右手を高く掲げた。その時の彼の表情には、人間がすべての人間の上に立たなければならぬときに、仕方なしに浮かべる微笑が浮かんでいるように思われた。そこは人間世界で一番高い場所で、ヒマラヤよりも高いのだ。聖火台に火が移され、青空を背に、ほのおはぐらりと揺れて立ち上がった。地球を半周した旅をおわったその火の、聖火台からこぼれんばかりなさかんな勢いは、御座に就いた赤ら顔の神のようだ。坂井君はその背後に消えた。彼は役目を果たして、影の中へ、すなわち人間生活の中へ、すなわち人間の生活へ戻った。
「東洋と西洋を結ぶ」 三島由紀夫

<オリンピックの見方>
 文学者たちは、開会式を通して、「オリンピックの見方」についても記しています。その後、東京オリンピックと大きな関りを持つことになる石原慎太郎の文章が印象的です。思えば、彼は2020年にもう一度オリンピックを見ることができそうな数少ない文学者になりそうです。

 我々はただ、自分と同じ人間が、いかに闘い合うか、と言うことを見守りたい。そこにあるのは、日本の代表選手ではなく、ただ一人の人間なのである。
 民族とか国家とか、狭い関心で目をふさがれ、この祭典でなければ見ることの出来ぬ、外国人対外国人の白眉の一戦を見逃がしてしまうことも最も愚かしいことと思う。

 ・・・・・
 オリンピックは、我々にとって最後に残された祝典に違いない。そしてこの祭りの祭主は我々一人一人であり、そこで祭られるものも人間である。この祭りのみにおいて人間は自らを神に近い尊厳にまで高めることが出来るはずである。そうなってこそ、この祭典は完全に行い遂げられたはずであり、そのためにはすべての夾雑物を排して競技者、観客の一人一人が裸の、ただ一人一人の人間に還らねばならない。
「人間自身の祝典」 石原慎太郎

<栄光を失った水泳>
 戦後、最初に日本にオリンピックの金メダルをもたらした水泳は、かつての栄光を失って久しく、東京大会でも結果を残すことができませんでした。その象徴のひとつが惜しくもメダルを逃した平泳ぎの田中選手です。

 泳ぎ終わった田中嬢は、コースに戻って、しばらくロープにつかまっていたが、また一人、だれよりも遠く、のびやかに泳ぎだした。コースの半ばまで泳いで行った。その孤独な姿は、ある意味ですばらしくぜいたくに見えた。全力を尽くしたのちに、一万余の観衆の目の前で、こんなしみじみと、こんなに心ゆくまで描いてみせる彼女の孤独。その孤独は全く彼女一人のもので、もうだれの重荷もその肩にはかかっていない。一億国民の重みもかかっていない。
 田中嬢は惜しくも四位になったが、そのときすでに彼女はそれを知っていたにちがいない。

「白い叙情詩」 三島由紀夫

<究極の徒競走100m>
 究極のスポーツともいえる男子100m走。この当時、まさか日本人が10秒の壁を越える時代が来るとは誰も思ってはいなかったはずです。とにかく、どの作家も、日本人と黒人アスリートの体格に絶望的なまでの違いを感じ、「日本人はスポーツ以外の分野でがんばればいいんじゃないか・・・」そんなあきらめのような反応を示す傾向にありました。
 まさかそんな日本人が21世紀に入ると400mリレーで銀メダルを獲得するとは!

 それから何が起こったのか、私にはもうわからない。紺のシャツに漆黒の体のヘイズは、さっきたしかにスタート・ラインにいたが、今はもうテープを切って彼方にいる。10秒フラットの記録。その間にたしかに私の目の前を、黒い炎のように疾走するものがあった。しかも、その一瞬に目に焼きついた姿は飛んでもいず、ころがりもせず、人間の肉体の中心から四方へさしのべた車輪の矢のような、その四肢を正確に動かして、正しく「人間が走っている姿」をとっていた。その複雑な厄介な形が、百メートルの空間を、どうしてああも、神様に駆け抜けることができるのだろう。彼は空間の壁抜けをやってのけたのだ。
「空間の壁抜け男」 三島由紀夫

<体操日本>
 数少ない日本が活躍した競技である体操についての記述はさすがに多いのですが、やはり三島由紀夫の文章が素晴らしい!

 体操というものに、私は格別の興味を持っている。それは美と力の接点であり、芸術とスポーツのように、芸術の岸から見て完全に対岸にあるものではない。
 あんなに直線的に、鮮やかに、空間を裁断してゆく人間の肉体。全身のどの隅々までも、バランスと秩序を与えつづけ、どの瞬間にもそれを崩さずに、思い切った放埓を演ずる肉体。・・・
 全く体操の美技を見ると、人間はたしかに昔、神だったのだろうという気がする。というのは、選手が跳んだり、宙返りしたりした空間は、全く彼の支配下にあるように見え、選手が演技を終わって静止したあとも、彼が全身で切り抜いてきた白い空間は、またピリピリと揮えて、彼に属しているように見えるからだ。

「『美と力』の接点・体操」 三島由紀夫

 体操ほどスポーツと芸術のまさに波打ちぎわにあるものがあろうか?そこではスポーツの海と芸術の陸とが、微妙に交わり合い、犯し合っている。満潮のときにスポーツだったものが、干潮のときは芸術となる。そしてあらゆるスポーツのうちで、形(フォーム)が形自体の価値を強めれば強めるほど芸術に近づく。どんなに美しいフォームでも、速さのためとか高さのための、有効性の点から評価されるスポーツは、まだ単にスポーツの域にとどまっている。しかし体操では、形は形それ自体のために重要なのだ。これを裏からいえば、芸術の本質は結局形に帰着するということの、体操はそのみごとな逆証明だ。
・・・・・
 この世に、ほんの数秒の間であろうと、真のあやまりのない秩序を実現するのはたいへんなことだ。体操選手たちは、その秩序を、少なくとも政治や経済よりはるかに純度の高い形で、人間世界へもたらすためには努力する。
「完全性への夢」 三島由紀夫

<女子バレーボール>
 東京オリンピックにおいて、日本人が最も記憶に刻んだ場面は、間違いなく女子バレーの決勝戦でしょう。視聴率は当時90%を越えていたという話もあるくらい、誰もがテレビ画面に釘付けになった瞬間でした。これほど多くの国民から金メダルを求められ、プレッシャーをかけられた選手たちは、歴史上他にいないでしょう。当時は、間違いなく金メダルを獲れるだろうと考えられた種目は、女子バレーぐらいだっただけにそのプレッシャーの重さは視聴率の高さに匹敵して凄かったはずです。
 当然、文学者たちの多くが彼女たち女子バレーチームについて書いています。特徴的なのは、有吉佐和子ら女性作家たちが女子チームのメンバーへのねぎらいの言葉を書いているのに対し、男性作家たちの多くはスパルタ練習で有名だった大松監督の根性バレーこそ、金メダルに必要不可欠な存在であると書いています。
 体格で劣る日本人はチーム・ワークと根性で対抗するしかないという、なんだか太平洋戦争の延長のような考え方がまだまだ主流だったようです。まあ、今でもそれほど変わらないかもしれませんが・・・。

 女子チームのみなさん、恋愛も結婚も返上などという悲壮な言葉は、もう二度と口にしないで下さい。これからは、あなた方の人生を、あなた方のボールのように見事に伸びやかに、自信を持って歩いて下さい。職場に帰っても、結婚生活に入っても、あなた方ならもう何をやっても大丈夫でしょう。スポーツに、どれほどの技術がいるものか、またその技術を駆使するためにはどんなに頭がよくなければならないか、それをあなた方は日本中の人たちに見せたのですから。・・・
「魔女は勝った」 有吉佐和子

・・・私は試合開始前から日本チームの表情を見ていて、ふしぎな気がした。だれの顔にも、宿望の決戦などと思える緊張が見られない。河西選手などは、試合前の整列時に、かすかな微笑を口角にたたえていて、みじんもあがっている気配はなかった。・・・
 なみの顔ではないぞ、と私は思いはじめた。案の定日本チームは、ストレートで三セットを勝ち取ったのである。完勝したのである。
・・・
「魔女たちの素顔を見た」 水上勉

 そんな中、やはり三島由紀夫の書く文章は違いました。

 バレーボールの緊張は、ボールが激しくやりとりされるときのスリルであることはいうまでもないが、高く投じ上げられたボールが、空中にとどこおっている時間もずいぶん長く感じられる。そのボールがゆっくりとおりてくる間のなんともいえない間のびした時間が、実はまたこの競技のサスペンスの強い要素なのだ。ボールはそのとき、すべての束縛をのがれて、のんびりとした「運命の休止」をたのしんでいるようにも見えるのである。
「彼女も泣いた、私も泣いた」 三島由紀夫

<伝説のマラソン・ランナー>
 日本人選手の活躍以外では、やはりこの大会の主役として、史上初のマラソンに連覇を成し遂げたアベベの存在を忘れるわけにはゆきません。まるで、神が走っているかのように神々しい輝きを放っていたアベベの走る姿は、単にオリンピックの歴史だけではなく、20世紀におけるアフリカの自立に向けた戦いを象徴する映像のようにも見えました。アメリカの黒人選手たちがトラック競技で見せた「ブラック・パワー」の力強さに対し、アベベが見せた哲学者のように「クール」な姿は、「ブラック・イズ・ビューティフル」の象徴となりました。

 私はオリンピックでいろいろな競技を見たが、ひとり疾走するアベベほど、文字通り崇高なほど美しい選手を見たことがない。それは行為者が到達しうる極限の美というべきであろうか。その美しさはまさしく神秘的ですらあった。多くのレーサーの中でただひとりスタティックな彼の表情に私は、未知の青く深い大陸の神秘を感じつづけた。・・・
 マラソンにアベベ優勝、というよりも、マラソンの競技は「走る」という競技を司どる神の姿を現実に目の前に見ながら、それにつづいて、二位以下のランナーたちによって争われた感すらあった。オリンピック大会を通じて初めてアベベが人々に味わいしめたものは、「美」の勝利以外の何ものでもない。

「突っ走るアフリカの神秘」 石原慎太郎

<感動の閉会式>
 東京オリンピックが以後のオリンピックに残した最大の遺産としてあげられるのが、閉会式のカジュアルな選手入場でしょう。アルファベット順に、それぞれの国のユニフォームを身にまとった整然とした開会式の入場行進に対し、自由気ままな衣装を着て、国籍もアルファベットの順番も関係なくバラバラに入場するというスタイルの原点が東京オリンピックでした。そんな素敵な閉会式の記述です。

 しかし何といっても、閉会式のハイライトは、各国選手の整然とした入場のあとから、突然セキを切ったように、スクラムを組んでなだれ込んできた選手団の入場に瞬間だ。開会式のような厳粛な秩序を期待していた観衆の前に突然、予想外の効果をもって、各国の選手が腕を組み一団となってかけ込んできたときのその無秩序の美しさは比べるものはなかった。・・・
 世界中の人間がこうして手をつなぎ、輪踊りを踊っている感動。冗談いっぱいの、若者ばかりの国際連合 - 。これをいかにもホストらしく、最後から整然と行進してくる日本選手団が静かにながめているのもよかった。お客たちに思うぞんぶんたのしんでもらったパーティーの、そのホストの満足は11万の観客一人一人にも伝わったのである。

「『別れもたのし』の祭典」 三島由紀夫

・・・予期していた別離の感傷はなかった。これほど楽しい別れがあったろうか。闘い終えた人間たちの表情はみな底抜けに明るかった。
 この別れは、そのまま再会につながるのだ。人間が魔につかれて愚かな戦争を起こさぬ限り、人間の美と力と尊厳の祭典は所を変え、きり無くくり返されていく筈なのだ。
 聖火は消えず、ただ移りゆくのみである。この祭典は我々に、人間がかくもそれぞれ異なり、またかくも、それぞれ異なり、またかくも、それぞれが同じかということを教えてくれた。
 この真理が何故に政治などという愚かしいエネルギーの前に押し切られるのであろうか。
 最後の選手たちが消えていった巨大なスタジアムの中の巨大な空虚さ。しかしその中に尚、祭典を通じての、人間同志の共感の残響は感じられる。我々がすべきことは次の祭典までの四年間、あの共感の残響を消さずに保ちつづけることでしかない。

「聖火は消えず移りゆくのみ」 石原慎太郎

 この十五日間、われわれは多くの最高のスポーツを見た。単に見物していても力のこもって疲れる重量挙げ。一万メートルにただ一人二周おくれて完走したセイロンの選手。延々とくりひろげられた棒高跳びの死闘。アベベの超人的な魔術。ため息をつくヘーシンクの強さ。重たいうえにも重たい荷を見事に果たした女子バレーチーム。
 それらの緊張と汗は消えた。今は、満面を笑みくずし、愛嬌たっぷりに観衆にこたえ、自らカメラをまわし、帽子をほうりあげ、口々に「サヨナラ、サヨナラ」とどなる選手たちがいる。
・・・・・
「つくづく”参加する”意義」 北杜夫

 この作品集で面白いのは、オリンピックが終わった後の「オリンピック・ロス」について書かれた文章がけっこうあることです。それがまた面白い。間違いなく2020年の東京オリンピックの後、同じように日本全体が「オリンピック・ロス」に襲われることは間違いないはずです。

 やがて聖火が消えてついにスタディアムを暗闇がとざすと、それまで真っ暗だった空があかるみ、ほとんどバラ色に輝いた。数万人がじっと沈黙して暗闇に座っている雰囲気は、なにか恐ろしいものだ。そしていままで、お祭り気分でぼくらがスタディアムの明るみの背後に忘れさっていた世界こそが本当に荒々しい光にさらされた世界であり、そこではこの二週間のあいだに、じつに様々の激しい響きをたてる歴史の進行があったのだということを思いださせるところのものがある。・・・
 もしあの瞬間に再び明るい光がスタディアムを照らしだしたとしたら、ぼくらは甘い夢からさめたような気恥しさと、漠然とした不安とを感じ、おたがいの顔をキョロキョロ見まわしあったにちがいない、あなたは正気ですか?お祭りのあと、明日から、ほんとうに大丈夫ですか?このぼくは正気に見えますか?とたずねたい気分で。しかし、ありがたいことにスタディアムはなお暗闇につつまれたままで、グラウンドをうずめた数知れないタイマツのゆるやかな流れが、新しい嘆息をさそいはじめるのである
・・・。
「お祭りの教訓は現実生活では役にたたない」 大江健三郎

 さすがは大江健三郎です!彼はさらに東京オリンピック以後に本格化するテレビ中継とスポーツの関係についても実に先見的かつ印象深い記述を残しています。

 マラソン競争を見ようとして、二時間以上もずっとテレビのまえにすわっていて(ぼくは、これほど長く、しかも始終、緊張して、テレビの視聴者だったことは、かつてなかった)ぼくは、あらためて、スポーツ大会にテレビがもたらした、ほとんど革命的な変化のことを考えないではいられなかった。すくなくともそれは、まず、われわれ観衆のがわにもたらされた変化である。・・・
 スポーツをおこなっている選手のがわにも、おそらく幾分は、テレビの力が働きかけていることだろう。・・・
 すなわち、そのようにテレビが、われわれと選手とのあいだの距離をちぢめ、選手の活躍を、文字どおりひとごとでなくしたのだ。・・・テレビはもともと外的な、かつ集団的な体験だったスポーツ見物を、内的な、かつ個人的な体験とした。オリンピックを日本人の心のすみずみまで浸透させる役割りをはたしたのは、なによりもテレビのそういう性格だったろうと思うのである。さて、テレビの画面に見る選手たちによってもたらされるそのような感動は、小説や演劇からもたらされる芸術的体験と似通っている。したがって、おなじテレビでもって芸術的感動をあたえようとする俳優たちや、演出者たちは、これから非常に大きいハンディをおうことになるだろう。・・・・・
 ぼくは以前、SFで、外国の戦争をテレビ中継する光景を読んだことがあるが、テレビの画面に、苦しみにゆがんだ選手たちの表情がクローズアップされるたびに、やがてテレビは実際、もっとほんとうにおそろしいものをうつしだすようになるかもしれないと感じたりもしたものである。
・・・
「テレビのなかの苦しむ顔」 大江健三郎


「東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典」 1964年(2017年)
(編)(出版)講談社

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