「トウキョウソナタ」

- 黒沢清 Kiyoshi Kurosawa-

<怖いファミリー映画>
 和製ホラー映画「CURE]や「回路」などで知られる監督ということで、ホラーを苦手とする僕には接点が少ない存在でした。しかし、オダギリ・ジョー主演の「アカルイミライ」では、ホラー映画一歩手前の日常に潜む暴力と恐怖を描き、一般映画でも知られるようになりました。やっと彼の映画を見られてから、彼の過去の作品などを調べてみると、意外に彼がベテラン監督であることがわかりました。彼の監督としての道のりを見ると、そこには日本の映画界がたどってきた厳しい道のりも見えてきます。

 画面の中でなにかがうごめいている映画。
 手前にある物体に注意をひかれながら、やはり奥でうごめいているものを見ようとする観客の心は、ふと、まばたきをした瞬間にとても大事なものを見落としてしまうのではないかというかすかな焦りをつくりだしてしまう。見る者がどんなストレスに苛まれようとも、その映画は不協和音を奏でながら進行する。・・・
 「なにか」を怖がることよりも、「なにもない」ことの空虚さのほうがすさまじい。私はその白い紙がさまざまなイメージを投影させる。するとしまったことに、その白い紙が、「死」の後に展開する無限の世界に思えて、背筋が凍りつくような気持ちになる。

田中英司「現代・日本・映画」より

<映画界のトレンドとともに>
 黒沢清は、1955年7月19日、兵庫県神戸市に生まれました。立教大学在学中に自主映画製作を始め、万田邦敏らと制作集団パロディアス・ユニティを立ち上げます。(そのグループは、後に「EUREKA」の監督、青山真治らを輩出します)立教大学では、当時映画講座を担当していた蓮實重彦から多くを学び、自主製作の8ミリ作品「しがらみ学園」がPFF(ピア・フィルム・フェスティバル)に入選します。さらに、在学中、彼は長谷川和彦の傑作「太陽を盗んだ男」の撮影現場に参加。卒業後は相米慎二の出世作「セーラー服と機関銃」の助監督も担当し、1982年、長谷川、相米らが立ち上げたディレクターズ・カンパニーの設立に助監督として参加しました。彼は映画監督としては実に幸福な経験を積むことができたといえるでしょう。
 こうして、彼はディレクターズ・カンパニーのメンバーとして、初の作品「神田川淫乱戦争」(1983年)を監督するチャンスを得ます。当時、ほとんどの監督がそうだったように、彼もまた監督としてのデビュー作はピンク映画でした。しかし、ピンク映画は、予算は少ないものの監督に与えられる自由度はかなりありました。そのおかげで、第二作「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(1985年)ではかなり映画界の注目を集めるようになります。そして、当時人気絶頂だった伊丹十三監督に認められ、彼の製作のもとホラー映画「スウィート・ホーム」(1989年)を撮るチャンスを獲得します。
 その後、彼が書いた脚本「カリスマ」がロバート・レッドフォードが主催する若手映画人の登竜門サンダンス・インスティテュートのスカラーシップを受賞。アメリカで映画製作について学ぶ機会を与えられました。
 映画界にとって最も厳しい時代だった1970年代から1980年代にかけて、彼はそれぞれの時代のトップに立っていた映画人から学びながらじっくりと力をつけていったのです。
 帰国後、彼はビデオ向けの低予算映画「勝手にしやがれ!!」シリーズや「復讐」シリーズを量産し、サイコホラー映画「CURE」では日本国内だけでなく海外からも高い評価を得ることになりました。(この映画の主役、役所広司は東京国際映画祭で最優秀主演男優賞を受賞。その後、黒沢作品の常連俳優の一人になります。

「CURE」 1997年
(監)(脚)黒沢清
(撮)喜久村徳章
(音)ゲイリー芦屋
(出)役所広司、萩原聖人、うじきつよし、中川安奈、蛍雪次朗
 「セブン」をも上回る戦慄のサイコホラー映画の傑作。役所広司はこの映画で東京国際映画祭主演男優賞を獲得。なぞの男、萩原聖人の怪しい演技も素晴らしいとのこと。ただし、僕は怖くてみていませんでした。

 ピンク映画出身、ディレクターズ・カンパニー出身、サンダンス・インスティテュート出身という映画界におけるエリート・コースをすべて通ってきたともいえる彼の出世作が和製ホラー映画だったというのもまた、実に時代の波に乗っていたといえるでしょう。

「アカルイミライ」 2002年
(監)(脚)黒沢清
(撮)柴主高秀
(音)パシフィック231
(出)オダギリ・ジョー、浅野忠信、藤竜也、笹野高史、白石マル美、りょう
 不思議な赤クラゲを育てる社会から孤立した青年と彼の危機、狂気と暴力が紙一重のところにある現代社会の精神的な危機を描いたサイコな青春ドラマ。この映画はカンヌ映画祭正式出品作品となり、一般映画の監督としての彼の評価が一気に高まった。

 そして、2008年、彼は日本映画の海外での活躍の流れに乗ったかのようにカンヌ国際映画祭で「ある視点部門審査員賞」を受賞します。その作品こそ、この映画「トウキョウソナタ」でした。

「トウキョウソナタ」
<あらすじ>
 リストラされたことを妻に告げられない古風で頑固な父親(香川照之)は、仕方なく毎日会社に行くふりをして変わらない生活を続けていました。そんな父親にうんざりしていた長男(小柳友)は、大学をやめ、突然アメリカの軍隊に入り、日本のために働くと言い出しアメリカへと向かいます。家庭にも、学校にも嫌気がさしていた小学6年の次男(井之脇海)は、学校帰りに見かけたピアノの先生に憧れ、家族に秘密でピアノ教室に通い始めます。バラバラな家族にうんざりしつつも、そこから抜け出すこともできない妻(小泉今日子)は、ある日強盗(役所広司)に誘拐されてしまいます。権威にこだわる父親を中心とする家庭は一気に崩壊へと向かいます。

<すぐ隣にある危機>
 この映画が怖いのは、日常の中、すぐ隣りに暴力が潜んでいたり、不条理な出来事が待ち受けていることが、ある日突然明らかになるかもしれない、ということを
描いていることです。何か悲惨な事件が起きそうでいて、なかなか起きず、それがブラックなユーモアに転化するなど、面白いのに居心地の悪い不思議な映画です。
 この映画を家族で普通に見られることは幸福なことです。僕自身、うちの奥さんといっしょに見られたことに感謝です。それでも、帰宅した父親が玄関前で笑顔を作り、心を落ち着けてから家に入る場面には身がつまされます。だれでも一度はそんな経験はあるのではないでしょうか。

 香川照之の鬼気迫る演技はいまさら褒めるまでもないかもしれません。それに対して、静の演技で挑んだ小泉今日子はすっかり大物女優の貫禄を感じさせるようになりました。主人公のリストラ仲間を演じる津田寛治も、普通の中に潜む狂気を演じて見事です。
 謎めいた美女ピアノ教師を演じる井川遥も魅力的です。だんだん色っぽさが増してきましたね。
 ダメダメ強盗犯を演じる役所広司は、今回正直まわりに食われている感じです。それに対し、演技をせずに目立っているのが、次男を演じている少年役、井之脇海君です。

<21世紀の「東京物語」>
 「トウキョウソナタ」というタイトルは、「東京物語」へのオマージュかもしれません。何度となく描かれる家族での食事は、バラバラになりつつある家族がギリギリでつながっている貴重な命綱のようです。日本映画における「家族」の象徴は、「東京物語」の時代から変わることなく「家族の食卓」なのかもしれません。
 「東京物語」から「男はつらいよ」、そして「家族ゲーム」をへて「トウキョウソナタ」を見ると、日本の家庭の変遷を知ることができるでしょう。そして、その先に生まれつつある新たな「家族の風景」、それはもしかすると「かもめ食堂」で描かれている他人と家族になる新たな「家族集団」の誕生なのかもしれません。

「トウキョウソナタ」 2008年
(監)(脚)黒沢清
(脚)マックス・マニックス、田中幸子
(撮)芦沢明子
(音)橋本和昌
(出)香川照之、小泉今日子、井之脇海、小柳友、井川遥、役所広司

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