「東京物語 」 1953年

- 小津安二郎 Yasujirou Ozu -

<究極の小津作品>
 数ある小津作品の中でも、ほとんどの人が最高傑作と認めるこの作品は、今見ても十分にその輝きを失っていません。それはこの作品が小津安二郎ワールドの集大成ともいえる多くの要素をもっているからでしょう。「消え行く日本の家族」、「消え行く東京の風景」、「消え行く日本の風俗」など小津作品が描き続けたいくつものテーマを兼ね備えているのがひとつ。それとそんな小津ワールドを生み出していた常連の俳優たち、笠智衆、東山千栄子、山村聡、三宅邦子、杉村春子、中村伸郎、原節子らがそろって出演していること。さらには小津安二郎独特のカメラ・アングルと人物の配置、これもまたこの作品では完成の域に達していることなど、いくつものポイントがあげられます。
 こうした小津作品のもつ特徴は、今や日本映画を象徴する存在として多くの海外の映画ファンに受け入れられているようになりました。黒澤明もまた「世界の黒澤」として高い評価を得ていますが、彼の場合、ジョン・フォードやハワード・ホークスなどアメリカのアクション映画の監督たちからの影響も明らかで、単純に「日本的な監督」とは思われていません。だからこそ、いち早く海外でも受け入れられたのでしょう。ところが、そんな日本を代表する映画監督、小津安二郎が実はアメリカ映画の大ファンで、その作品の多くにはアメリカ映画の下敷きとなる作品があったというのはあまり知られていません。
 なんとこの「東京物語」も、あるアメリカ映画からストーリーを引用した作品なのです。

<「明日は来らず Make Way for Tomorrow」>
 「東京物語」の元になった作品というのは、パラマウント映画の「明日は来らず」という作品ですが、この映画のストーリーはこんな感じです。時代は1930年代、大恐慌の頃、不況で財産を失った老父婦が家を手放すことになり、二人は子供たちを頼って家を転々とします。しかし、どの家も家族が生活するだけで手一杯で、二人の居場所はありませんでした。
 結局、養老院へ行くことを決意した二人は、最後にニューヨークの街を訪れ、ひさしぶりにデートをし、そこで親切な人々と出会いながら素晴らしいひと時を過ごしました。実の家族の冷たさに比べ、ニューヨークの街で出会う他人の優しさが心にしみる作品となっていて、「東京物語」の次男の未亡人の優しさを思わせます。
 サクセス・ストーリーが大好きなハリウッド映画に、こんな作品があったというのは、ちょっと驚きです。(近い将来、サブ・プライム問題に揺れるアメリカからもこうした映画が生まれることになるのかもしれません)それだけ1930年代の大不況は、この映画の老夫婦のような境遇の人々を数多く生み出したということかもしれませんが、逆に他人どうしが今よりずっと優しかった良い時代だったのかもしれません。かつては大都会ニューヨークにも「人情」という「人が人を思いやる心」が存在していたのです。
 そして、小津安二郎はそんなアメリカの人情話しを日本に持ち込み日本風にアレンジして見せたわけです。これは黒澤明がジョン・フォードやハワード・ホークスの西部劇を日本の時代劇に持ち込んで独自の世界を作り上げたことを思い起こさせます。

<小津安二郎とアメリカ映画>
 小津安二郎の初期作品は、他にもアメリカ映画からアイデアをもらっているものが多く、彼自身大好きな監督としてアメリカの人情喜劇を代表するエルンスト・ルビッチをあげています。最も日本映画らしいとされる小津安二郎作品の基礎には、実は古き良きアメリカの人情喜劇があったのです。1980年代に活躍した今は亡き人情喜劇俳優ジョン・キャンディーの主演映画を見ると、そこには寅さん映画と共通する「旅、人情、男気、見栄、涙」があり、驚かされたものですが「人情」というものに国境による違いはそうないのかもしれません。

<小津スタイルとは?>
 では、小津安二郎の作品は他の監督の作品とどこが違うのか?それは彼が誰にも真似することのできない独自の映像スタイルをもっていたことにあるのでしょう。彼の作品の魅力は脚本の面白さやテーマの新しさや重さではなく、まして台詞回しの楽しさとか映像の美しさでもないのです。彼の作品においては、映像表現のスタイルがすべてであり、俳優も背景も小道具も脚本も、そのために集められたパーツと考えるべきなのです。そして、その「映像のスタイル」こそが彼が主張する映画のテーマであり、世界中の映画ファンの心をつかんだ日本的映像美の極致とされる魅力の源なわけです。
 小津安二郎の映像スタイルを特に良く表わしているとされるシーンがこの映画の中にもあります。それはラストに近く、旅から戻った母親が尾道の実家で倒れてしまい子供たちが急遽集まる場面です。この時の画面の構図こそ、まさに小津スタイルの典型的なものです。
 画面手前の畳の上に母親は寝ています。そして、その母親を見つめるように子供たちが並んでいますが、それぞれの座り方が見事な相似形になっていて、母親を中心として見事に一枚の絵のような構図を作り上げているのです。これはもちろん監督の指示によるものですが、それぞれの人物は身体を傾ける角度まで細かく指示されていたそうです。もちろん、こうした構図は見た目がきれいだからという単純な理由で決められたわけではありません。それは、家族がそれぞれの異なる思いを抱きながら、部屋の中の異なる位置についているものの、心だけは確かに母親へと向けられているのだという思いを映像で語らせるための仕掛けなのです。
 そうした目的のため、時に彼は画面上のリアリズムさえも無視していたといます。例えば、小道具の配置をカメラの位置に合わせて自分の思いどおりの構図になるよう、最初の位置を無視して動かすこともあったというのです。そうなると、当然その小道具は前のカットで置かれていた位置とは異なる場所に置かれていることになります。さらに彼の映画の最も大きな特徴かもしれない点、役者が常にカメラに向かって台詞を言うというのも、明らかにリアリズムを無視した演出方法でした。
 当然、彼は移動撮影もパンもオーバー・ラップも画面の構成を変化させる撮影方法をいっさい用いませんでした。

<「儀式」の映画>
 「小津安二郎の芸術」を書いた映画評論家、佐藤忠男氏によると小津作品は画面上に常に「儀式」を展開させていたのだということです。そのため、「儀式」への参加者でもある登場人物は、常に周りから見られていることを意識して、参列者と同じ行動をとるように心がけています。そうした行動は当然、前述の母親のもとに集まった子供たちのような構図を生み出すわけです。
 さらに彼は、俳優たちに何度も何度もリハーサルをさせることで疲れさせ、彼らの演技をわざと平板なものにしてしまうことでも有名でした。それは、彼らの行動を「儀式」向きのお行儀のよいものにすることが目的だったと考えられています。他人の目を意識した「儀式」のような行動、これはまさに昭和の日本人のもつ特性だったのかもしれません。だからこそ、彼の映画は海外の人々にとって日本的と映るのでしょう。
 一般的に映画が描いているのは、観客が日常体験したことのないドラマチックな出来事や異常な事件など、日常の調和が崩れてゆく過程とそれを押し留めようとする人々の葛藤の物語です。観客はそうした映画に精神的に参加することでスリルを味わいカタルシスを感じるわけです。
 それに対し、小津安二郎の映画では常に調和が保たれたまま物語が進行します。そして、小さな事件は起きるものの、けっしてそれによって家族の崩壊や犯罪などが起きることはなく、再び何事もなかったかのように調和に満ちた日常が始まることになります。
 ほとんどの日本人にとって、人生とはこういうものであり、それはけっして日本人の人生とはこういうものであり、それはけっして日本人の人生だけにいえることではないでしょう。しかし、映画の世界でそうした世界観を画面構成まで含めて、初めて表現しきったが日本の小津安二郎だったというのは偶然ではないはずです。
 日本の文化において「調和」が重要視されているのは有名ですが、やはりそうした文化的な背景が小津映画を生み出したと考えるべきなのでしょう。その後、こうした日本的なものの見方は、海外でも受け入れられるようになり、映画界でもヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュ、アキ・カウリスマキなど小津を師と仰ぐ監督が数多く現れてくることになります。

<懐かしき日本の風景>
 1953年の東京、熱海、尾道の風景は、まだ生まれてもいなかった僕にとっても懐かしく、涙が出そうなほどノスタルジーを感じさせてくれます。それに母親役の東山千栄子には僕の母方の祖母を思わせる雰囲気があり、笠智衆には葬式に出席した思い出しか残っていない祖父のイメージがだぶったりしまいした。こうした思いを抱けるのは、昭和生まれの人間までなのかもしれませんが・・・。
 昭和育ちの日本人で田舎に両親を残して東京や大阪に出たことのある人、あの「東京タワー」の主人公のような生き方をした多くの都会人にとって「東京物語」は、ある種共通の思いを抱ける作品なのかもしれません。そう考えると、「東京物語」というタイトル自体が実に見事に作品の内容を表わしているといえそうです。「東京物語」は「昭和の日本の家族の物語」を小津安二郎が自らの手法を駆使してフィルムの中にフェルメールの絵画のごとき完璧さで描きこんだ動画のタイムカプセルとして永遠に残ることでしょう。

<追記>(2012年12月)
「『東京物語』で告げられているのは、家族制度のゆるやかな解体にほかならない。小津はそれを、正面の切り返し、構図のなかの人物の大きさの厳密な調整、これ以上削れないほどに単純化された科白といった様式のもとに、臆することなく描いた。おそらくそれは日本映画史のなかでもっとも禁欲的なフィルムであるだろう。
 戦後民主主義の女神的な存在であった原節子は、小津作品に登場することで、女優としてのみずからの神話を完璧に切り替えてしまった。彼女は封建主義の打破を唱える活動家から、伝統的な美徳とされた貞淑さの最後の体現者へと、女優人生において2度目の転向を果たしたのである。」
四方田犬彦「日本映画史100年」より
<追記>(2017年2月)
 最後、夫の父親の笠智衆からも、気兼ねなしに嫁にいってくれと優しくいわれ、耐え切れずに紀子が泣き崩れるのは、彼女の揺れ動く心が一気に噴き出してくるからである。戦争で夫を失い、戦後ずっと一人で夫を忘れまいと生きてきた自分の気持ちがあらわになるからである。
 そしてこういう女性の悲しみは、戦時中、軍国主義の優等生を演じ続けてきた原節子だからこそ美しく表現しえたといえる。

川本三郎「映画の戦後」より

<祝!究極の映画ベスト1>(2014年4月追記)
 英国映画協会が選んだ2013年版世界の映画オールタイム・ベスト100において、なんとこの「東京物語」がナンバー1に選ばれました!
1位:『東京物語』“Tokyo Story”(1953/日) 監督:小津安二郎
2位:『2001年宇宙の旅』“2001: A Space Odyssey”(1968/米・英) 監督:スタンリー・キューブリック
2位:『市民ケーン』“Citizen Kane”(1941/米) 監督:オーソン・ウェルズ
4位:『8 1/2』“8 1/2”(1963/伊) 監督:フェデリコ・フェリーニ
5位:『タクシー・ドライバー』“Taxi Driver”(1976/米) 監督:マーティン・スコセッシ
6位:『地獄の黙示録』“Apocalypse Now”(1979/米) 監督:フランシス・フォード・コッポラ
7位:『ゴッドファーザー』“The Godfather”(1972/米) 監督:フランシス・フォード・コッポラ
7位:『めまい』“Vertigo”(1958/米) 監督:アルフレッド・ヒッチコック
9位:『鏡』“Mirror”(1974/ソ連) 監督:アンドレイ・タルコフスキー
10位:『自転車泥棒』“Bicycle Thieves”(1948/伊) 監督:ヴィットリオ・デ・シーカ

「東京物語」 1953年公開
(監)(脚)小津安二郎
(製)山本武
(脚)野田高梧
(撮)厚田雄春
(美)堀田辰雄
(衣)斉藤耐ニ
(編)浜村義康
(音)斉藤高順
(出)笠智衆、東山千栄子、杉村春子、原節子、山村聡、香川京子、三宅邦子、中村伸郎、東野英治郎、大阪志郎
(1958年度 ロンドン映画祭サザランド・トロフィ受賞

<あらすじ>
 広島県の尾道に住む老夫婦、東山周吉、とみ(笠智衆、東山千栄子)が東京の息子や娘たちを訪ねて上京することになりました。二人は、最初医者になった長男(山村聡)と妻(三宅邦子)の家に行きますが、仕事が忙しく相手ができないため、次男の未亡人(原節子)が二人を案内することになりました。
その後二人は長女(杉村春子)と夫(中村伸郎)の家に世話になりますが、美容室を経営する長女が忙しかったため、二人は熱海の温泉に行かされることになりました。ところが、のんびりできるはずの温泉でしたが、宿の隣の部屋が夜中までやかましく、眠れなかった二人は一日早く東京へ戻ってしまいます。すると、長女は出かける用事があるのに困るじゃないかと迷惑がったため、しかたなく夫婦は次男の未亡人の家に行きますが、父親は旧友に会いに行くと言い出します。結局、彼は旧友とともに飲み屋に行き、自分たちの子供のことを愚痴りながら泥酔し、そのまま長女の家に戻ってしまいました。
 こうして、二人の東京でのひと時は終り、尾道への帰路につきます。ところが帰る途中、母親の体調が急に悪くなり、家に着くと倒れてしまいます。こうして、今度は子供たちが尾道に集合しますが、彼らの看病もむなしく母親は息をひきとってしまいます。
 葬儀が終り、子供たちは一人二人と去って行き、父親が一人寂しく残されてしまい、次男の未亡人と次女が残るだけになりました。



シネマスコープ作品第一作「聖衣」公開(テレビの普及への対抗策でもありました)

「カラミティー・ジェーン Calamity Jane」(監)デヴィッド・バトラー〈脚)ジェームズ・オハンロン〈出)ドリス・デイ、」ハワード・キール
「愛しのシバよ帰れ」(監)ダニエル・マン(主)シャーリー・ブース(カンヌ映画祭主演女優賞
「宇宙戦争」〈監)バイロン・ハスキン〈原)H・G・ウェルズ〈脚)バー・リンドン(出)ジーン・バリー、アン・ロビンソン
「恐怖の報酬」(監)アンリ・ジョルジュ・クルーゾー(主)シャルル・バネル(イブ・モンタンがカンヌ映画祭グランプリ、主演男優賞
「原子怪獣現わる」(監)(脚)ユージン・ローリー(原)レイ・ブラッドベリ(脚)ルー・モーハイム他(出)ポール・クリスチャン、ポーラ・レイモンド(「ゴジラ」の元になった作品)
「シェーン Shane」(監)ジョージ・スティーヴンス(出)アラン・ラッド
「終着駅」〈監)ヴィットリオ・デ・シーカ(原)チェーザレ・ザヴァッティーニ〈出)ジェニファー・ジョーンズ、モンゴメリー・クリフト
「ジュリアス・シーザー Jurius.Caesar」(監)ジョゼフ・L・マンキウィッツ
「紳士は金髪がお好き Gentleman Prefer Blondes」(監)ハワード・ホークス(出)マリリン・モンロー
「聖衣 The Robe」 (監)ヘンリー・コスター〈出)リチャード・バートン、ジーン・シモンズ
「第十七捕虜収容所 Starag 17」 (監)ビリー・ワイルダー(ウイリアム・ホールデンがアカデミー主演男優賞
「地上より永遠に From Here to Eternity」(監)フレッド・ジンネマン
アカデミー作品賞受賞作。フランク・シナトラが人気を復活させたこの作品に出るため、シナトラはマフィアを使ったと言われています。「ゴッドファーザー」で有名なエピソードとして登場。アカデミー監督賞、シナトラが助演男優賞、ドナ・リードが助演女優賞受賞、翌年のカンヌ映画祭では特別グランプリ
「地の塩」 Solt of the Earth(監)ハーバート・J・バイバーマン(脚)マイケル・ウィルソン(出)ホアン・シャコン、ロザウラ・レブウェルタス
(1947年から始まった「赤狩り」により「ハリウッド・テン」の一人として映画界から追放された悲劇の監督)
「バンド・ワゴン The Band Wagon」 (監)ヴィンセント・ミネリ〈出)フレッド・アステア、シド・チャリシー
「僕の伯父さんの休暇」(監)〈出)ジャック・タチカンヌ映画祭国際批評家連盟賞
「嘆きのテレーズ」(監)マルセル・カルネ(出)シモーヌ・シニョレ、ラフ・ヴァローネ(ヴェネチア映画祭銀獅子賞
ローマの休日 Roman Holiday」(監)ウイリアム・ワイラー〈出)グレゴリー・ペック
(この映画でアカデミー脚本賞を受賞したイーアン・マクレラン・ハンターという人物は後に赤狩りで映画界を追放されていたドルトン・トランボの変名だったことが明らかになります。オードリー・ヘップバーンがアカデミー主演女優賞))

「あにいもうと」〈監)成瀬巳喜男(原)室生犀星(脚)水木洋子〈出)京マチ子、森雅之、久我美子
「雨月物語」(監)溝口健二〈製)永田雅一(出)京マチ子、田中絹代、森雅之(ヴェネチア映画祭銀獅子賞
「煙突の見える場所」〈監)五所平之助〈原)椎名鱗三(出)田中絹代、上原謙、芥川比呂志
「雁」〈監)豊田四郎〈原)森鴎外〈脚)成沢雅茂〈出)高峰秀子、芥川比呂志、宇野重吉
「君の名は(第一部)〈第二部)」〈監)大庭秀雄(原)菊田和夫(脚)柳井隆雄〈出)佐田啓二、岸恵子、淡島千影、月丘夢路
「祇園囃子」〈監)溝口健二〈原)川口松太郎(脚)依田義賢(出)木暮実千代、若尾文子
「東京物語」(監)〈脚)小津安二郎〈脚)野田高梧〈撮)厚田雄春〈出)笠智衆、東山千栄子、原節子、山村聡
「にごりえ」〈監)今井正〈原)樋口一葉〈脚)水木洋子、井手敏郎〈出)杉村春子、淡島千影、久我美子
「日本の悲劇」〈監)〈脚)木下恵介(撮)楠田浩之〈出)望月優子、桂木洋子、三橋達也
「ひめゆりの塔」〈監)今井正〈脚)水木洋子〈出)津島恵子、香川京子、岡田英次、小田切みき


朝鮮戦争の休戦協定成立
米国、アイゼンハワー大統領に就任(国務長官にはダレスが就任)
米国、マッカーサー旋風吹き荒れる
 (いわゆる赤狩りにより多数の共産党支持者が人生を奪われる)
米国、原子力スパイ事件でローゼンバーグ夫妻死刑となる
エベレスト(サガルマータ山)初登頂成功(ヒラリー卿テムジン
東ベルリンで反ソ連暴動発生(その他東欧全体に広がる)
コペンハーゲン世界婦人会議開催
ユーゴ大統領にチトーが就任
ソ連の指導者スターリンが死亡
中国で第一次五カ年計画始まる
パキスタン民主共和国成立
エジプト共和国誕生(ナギブ大統領)

<芸術、文化、商品関連>
「老人と海」アーネスト・ヘミングウェイ著(ピューリツァー賞受賞)
「見えない人間」ラルフ・エリスン著(全米図書賞)
「失われた足跡」アレッホ・カルペンティエル著(キューバ、ベネズエラ)
NHKテレビが放送を開始
バクミンスター・フラーの「フラードーム」(アメリカ)
シボレー「コルベット」生産開始(アメリカ)
<音楽関連(海外)>
人気DJアラン・フリード主催の「ムーンドッグ・ボール」が定員オーバーで中止になる
人気カントリー・シンガー、ハンク・ウイリアムス死去(1月1日)
<音楽関連(国内)>
雪村いずみがデビューし、美空ひばり、江利チエミとともに三人娘と呼ばれる
エラ・フィッツジェラルドオスカー・ピーターソンらからなるJATP(ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニッック)来日、ルイ・アームストロングも来日しジャズ・ブームが本格化。
ジャズ喫茶の草分け「銀座テネシー」開店。(大橋巨泉、福田一郎らが司会を務めていた)
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