「TOKYO YEAR ZERO トーキョー・イヤー・ゼロ」

- デヴィッド・ピース David Peace -

<終戦後の混沌世界>
 「灰とダイヤモンド」のワルシャワ、「第三の男」のウィーン、そして「野良犬」、「肉体の門」の東京。それらの映画のモノクロの混沌とした街の映像が目に浮かぶような小説です。終戦後、空襲によって焼け野原となっていた東京が復活する裏側で何が起きていたのか、さらには、その街に住む人々の心の裏側で何が起きていたのかにまで迫った暗く重いサスペンス小説です。これがまさか、イギリス人作家によるものとは!驚きです。

<混沌とした小説>
 冒頭に手紙のような不思議な文章が置かれた複雑な作りのこの小説は、時々、意味不明の文章がはさまれるなど、正直かなり読みづらいかもしれません。しかし、物語の展開はテンポ良く進み、読者は数多くの「?」マークを抱えながらも、混沌とした東京の裏社会の奥深くへとさ迷いこむことになります。あなたが歴史に興味があり、日本の近代史について知りたいなら、ノンフィクションに近い事実の積み重ねにワクワクさせられるはずです。

<連続婦女暴行殺人事件>
 この小説のもとになっている事件は、小平義雄という元兵士による連続婦女暴行殺人事件です。彼は日本軍の兵士として中国に渡り、そこで日中戦争の混乱の中、軍隊による様々な残虐行為を体験。自らも一般市民の殺害や強姦を行い、戦場という混沌とした世界でモラルを完全に失い、さらに生きる目的をも失ってしまいました。
 終戦後、生きて帰ってきた彼は、生きてゆくためにヤミの食料を買出しに行く若い女性に近づき、次々に強姦。そして、彼女たちを殺してゆきました。しかし、この男は戦争という異常な状況が生み出した悲劇的な存在だったのか?元々そうした資質をもつ異常者だったのか?きっと彼以外にも多くの兵士が同じような体験をし同じようにモラルの崩壊を体験して来たはずです。
 そしてそれは兵士だけではなく、爆撃にさらされ、飢えに苦しみ、赤鬼軍団アメリカ軍の上陸を恐れていた一般市民も同じことだったはずです。街のほとんどが焼け野原になっていた東京の街に住んでいた人々の心もまた変わらないはずがないのです。この小説は、著者のデイヴィッド・ピースが、この事件のことを知ったことから生まれることになったそうです。
 一人の男の精神の崩壊から崩壊した街、東京のスタート地点である1945年(=0年)を描き、そこから始まる日本の再生と隠されてゆく闇の部分を浮かび上がらせる。著者は、第一作でもあるこの作品の後、「帝銀事件」と「下山国鉄総裁謀殺事件」を続く作品で描くことになっています。
 実際に起きた事件に架空の人物を交え、そこで本格推理小説を展開する。それだけでも凄いのにそこに前述の壮大なテーマまでも持ち込んでしまうのですから、面白いに決まっています。

<新橋闇市人種抗争>
 さらにこの小説の背景として登場する事件として、「新橋の闇市を巡る人種間抗争」があります。中国、台湾、朝鮮連合VSヤクザVS警察VSGHQ、この複雑な対立関係の中で繰り広げられた権力争いは、その後、裏社会へと潜ってゆくことになりますが、当時はそれが堂々と「表」で行われていたわけです。
 こうした裏社会との関わりなしに、美空ひばりの歌声も、力道山によるプロレス・ブームもなかっただけに、昭和という時代がまた違った奥行きをもって見えてきます。

<デヴィッド・ピース>
 著者のデヴィッド・ピース David Peace は、1967年イギリスのヨークシャー生まれ、もちろんイギリス人です。1994年に英語教師として来日。当時、すでに27歳になっていたのですから、よほど日本が好きでやって来たのでしょう。もともと作家志望でもあった彼は、1999年日本で作家デビューします。デビュー作は「1974 ジョーカー」。2004年には長編小説「GB84」でイギリスの文学賞「ジョイス・テイト・ブラック記念賞」を受賞。彼の小説は本国イギリスでも高く評価されるようになりました。もちろん、彼の作品は英語で書かれていて、この作品も日本向けの小説として書かれていましたが、完成前すでに英米での出版が決まり、英語版と日本語版が同時に出版されるという特殊な作品となりました。それはたぶん僕が「第三の男」や「灰とダイヤモンド」をイメージしたように海外の読者にも、そうした混乱の時代は国境を越えてイメージしやすいと判断されたからなのでしょうか。

<あらすじ>
 1945年8月15日 東京
 玉音放送が終わり、日本中が敗戦を知った頃、海軍施設内で発見された女性の腐乱死体のそばにいた朝鮮人が兵士により犯人として処刑される事件が起きました。しかし、その死体、宮崎光子に暴行し殺したのは別の人物でした。
 それから一年後、芝増上寺で女性の他殺死体が発見されます。捜査にあたった三波警部補は、一年前の殺人事件との共通性に気がつきます。ところが、その後、次々に同一犯人によると思われる女性の遺体が発見され、事件が連続殺人事件となってゆきました。捜査を本格化させる警察ですが、彼らの前には様々な障害が立ちはだかります。
 闇市の支配権をめぐって抗争を繰り返すヤクザ組織と外国人組織。ヤクザ組織をあやつり日本を裏から操ろうと目論むGHQと警察。生きるために身体を売り、クスリによって命を縮めていく女性たち。一般庶民の知らないところで、モラルを失った東京にはSEXと暴力が支配する裏社会が形成されようとしていました。
 そんな混沌とした社会を象徴するように次々と女性を襲う連続殺人犯を追う刑事。彼は捜査を続けながら、自らの心の中に潜む忘れていた闇の部分を思い出し始めます。彼は犯人を逮捕しますが、ついに自分が隠し持っていたもう一つの顔を思い出してしまいます。
 最後の最後になって明かされる衝撃的なエンディング。とにかく、そこまで一気に読みましょう。そして、あとがきを参考にもう一度読むと、なるほど!と納得できるはず。良く仕組まれています。ここで明かすと面白さ半減なので、ご勘弁を・・・。

「TOKYO YEAR ZERO トーキョー・イヤー・ゼロ」 2007年
デヴィッド・ピース David Peace(著)
酒井武志(訳)
文藝春秋社

「Tokyo Year Zero U 占領都市 Occupied City」 2012年
デヴィッド・ピース David Peace(著)
酒井武志(訳)
文藝春秋社
 続編では戦後史における重要事件「帝銀事件」を取り上げています。ただし、驚くような説が登場しているわけではなく、様々な人々の視点から事件を描くという「薮の中」(芥川龍之介作品)的構造の小説です。英語ならもっと詩的に読めるのかもしれませんが・・・正直文章がウザかった。文章までもが「藪の中」なのでは?

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