- トム・ウェイツ Tom Waits -

<誰よりも多彩なアーティスト>
 一度聞いたら忘れられない独特のしわがれ声をもつヴァーカリスト。主役を演じなくても常に印象に残る個性派脇役俳優としての活躍。トリヴュート・アルバムで常に周りのアーティストを喰ってしまう一味違った曲の解釈とセンスの良い編曲。常に一癖、二癖あるアーティストたちと交流することから生まれる新鮮さ。彼の曲がカバーされヒットすることで証明された作曲能力の高さ。彼の多彩さは、現代の他のアーティストたちとは別格といえるでしょう。商業性を無視しまるで映画のサントラ版のような物語性の高いアルバムを作れるのは、彼に対する高い評価の現われです。
 数多くの切り口からトム・ウェイツと出会うことが可能であり、一度ひっかかるとその後はずっと気になる存在になるアーティスト。それがトム・ウェイツです。ただ残念なことに、彼の曲、彼のアルバムは大ヒットしたことがありません。しかし、彼のコンサートは常に満員らしく新作アルバムが出るまで何年かかっても、それを待っていてくれるファンがいるのも確かです。多彩で変化に富み、常に進化し続ける彼のようなアーティストは今や非常に珍しい存在になりつつあります。多くの人が彼のことを知りたいと思うのも当然かもしれません。

<トーマス・ウェイツ>
 トム・ウェイツは本名をトーマス・アラン・ウェイツといい、生まれたのは1949年12月7月、カリフォルニア州パモロの街を走るタクシーの中でした。(もちろん、それは病院へと向かう途中のことでした)父親はスコットランドとアイルランドの混血で母親はノルウェイ人でともに高校教師でしたが、彼が10歳の時、両親は離婚しています。教師の息子が社会からドロップアウトするというのは日本でも多いパターンですが、彼もまた高校を中退し、昼間働きながら歌手としての活動をするようになりました。
 高校時代はジェームス・ブラウンの「パパのニュー・バッグ」を得意としていたという彼ですが、その当時彼が好きだったアーティストは、ビング・クロスビージョージ・ガーシュイン、レイ・チャールズ、フランク・シナトラなど実に渋い顔ぶれでした。しかし、彼が生き方として最も強く影響を受けたアーティスト、それは1950年代に一世を風靡したビートニク作家のジャック・ケルアックだったようです。彼の自伝的小説「路上」はトムの生き方を変えただけでなく、その後の音楽活動にも影響を与え続けています。
 1949年生まれの彼はビート世代よりはひと回り若いので、後に彼は「遅れてきたビート世代」とも呼ばれることになります。

<デビュー>
 彼はウェストコースト・ロックの大物を数多く生み出したクラブ・トルヴァドールで歌っていた時、デビューのチャンスをつかみました。フランク・ザッパ、キャプテン・ビーフハート、アリス・クーパーのマネージャー、ハーブ・コーエンが彼の才能を認め、デモ・テープの制作をさせてくれたのです。これだけ濃い顔ぶれを扱った人物だからこそ、彼に目をつけることになったのでしょう。そして、このデモ・テープを聴いた新興ロック・レーベル、アサイラムの社長デヴィッド・ゲフィンはすぐに彼と契約を交わしました。こうして、1973年彼のデビュー・アルバムにして初期の傑作となったアルバム「クロージング・タイム Closing Time」が発表されました。このアルバムの中の「オール55」はすぐにイーグルスやエリック・アンダーソンらにカバーされ、早くも彼の作曲家としての才能が評価されることになりました。

<ボーンズ・ハウとの出会い>
 1974年、彼はその後6枚のアルバムのプロデュースを担当することになるボーンズ・ハウ Bones Howeとコンビを組み、アルバム「土曜日の夜 Hearted of a Saturday Night」を発表します。ボーンズ・ハウは、タートルズ、アソシエイションズ、フィフス・ディメンションなどのプロデュースで知られる凄腕の人物です。元々エンジニア出身ということで、ハーモニーやリズムなどを細かなところまでいじるタイプのプロデューサーでしたが、トムと組んでからはアーティストの個性を重視する方向に変わったといわれています。そうせざるを得ないだけの強烈な個性をトム・ウェイツが持っていたということなのかもしれません。
 こうして、1975年にはスタジオ・ライブ・アルバム「娼婦たちの晩餐 Nighthawks at the Dinner」を発表後、「スモール・チェンジ Small Change」(1976年)、「異国の出来事 Foreign Affairs」(1977年)、「Blue Valentine」(1978年)、「Heart Attack & Vine」(1980年)と着実に作品を発表して行きました。これらのアルバムの中には、ロッド・スチュアートがカバーした「トム・トルバーツ・ブルース」(民謡ワルチング・マチルダを一部使用した名曲)、ベット・ミドラーとのデュエットが話題になった「アイ・ネヴァー・トーク・トゥ・ストレンジャー」、「映画「ウエストサイド・ストーリー」の中の名曲「サムホェア」のカバー、後にブルース・スプリングスティーンによってカバーされた「ジャージー・ガール」などが納められていました。
 さらにこの間、1978年にはまだ無名に近かったシルヴェスター・スタローンが主演していた映画「パラダイス・アレイ」にピアニスト役として出演。早くも彼のもうひとつの本業である俳優業が始まっていました。彼にとって映画の仕事は、俳優業だけでなくフランシス・フォード・コッポラのミュージカル映画「ワン・フロム・ザ・ハート」では、クリスタル・ゲイルとテーマ曲をデュエット。その後も、コッポラ作品の「ランブルフィッシュ」などでも音楽を担当するなど、映画音楽の分野でも活躍するようになります。しかし、この間しだいにアサイラム・レコードとの関係は悪化、ついにはクリス・ブラックウェル率いるアイランド・レコードへと移籍することになりました。(要するに、彼のアルバムは評価のわりには売れていなかったのです)

<アイランド3部作>
 1983年、移籍第一弾アルバム「ソードフィッシュ・トロンボーン Swordfish Trombones」は、それまで以上に彼の個性を前面に押し出した実験的作品で、ヒットはしないものの専門家からは高い評価を得ました。この路線は次作「レイン・ドッグス Rain Dogs」(1985年)、「Frank's Wild Years」(1987年)へと受け継がれ、後にこれらのアルバムはアイランド3部作と呼ばれることになります。特にアルバム「レイン・ドッグス」は彼の代表作のひとつで、その中の一曲「ダウンタウン・トレイン」はロッド・スチュアートのカバー曲が全米3位の大ヒットとなっています。1988年、3部作の完成にあわせて、アメリカ、ヨーロッパ・ツアーを行い、さらにその映像をもとにドラマと組み合わせた異色のライブ映画「Big Time」を自らの主演、監督で製作。この作品は大いに話題となりました。

<トリヴュート・アルバムでの活躍>
 彼は数多くのトリビュート・アルバムに参加していることでも有名です。ドイツが生んだ偉大な作曲家クルト・ワイルのトリビュート・アルバム「クルト・ワイルの世界〜星空に迷い込んだ男」(1984年)
 「オンリー・ザ・ロンリー」、「オー・プリティー・ウーマン」などで有名なロックンローラー、ロイ・オービソンの「ザ・ブラック・アンド・ホワイト・ナイト〜ロイ・オービソン&フレンズ」(1987年)
 ビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド」を丸ごとカヴァーした異色のコンピレーション・アルバム「Sgt.Pepper Knew My Father}(1988年)
 ディズニー映画へのトリビュート・アルバム「眠らないで〜不朽のディズニー、名作映画音楽」(1988年)
 エイズ患者救済のためにつくられたコール・ポーターの作品集「レッド・ホット&ブルー」(1990年)(コール・ポーターはゲイだったそうです)
 ティム・ロビンス監督が「死刑制度」について深く深く描いた名作「デッドマン・ウォーキング」(1995年)のサントラ盤には、B・スプリングスティーンジョニー・キャッシュ、スザンヌ・ヴェガ、パティ・スミス、エディー・ベダーそしてヌスラット・ファテ・アリ・ハーンらとともに参加。(ただし、このアルバムの曲はラッシュ・フィルムを見た各アーティストたちがイメージした音楽を録音したもので、ほとんど映画には使われていません)
 そうそう、1994年には、彼に対するトリビュート・アルバム「ステップ・ライト・アップ〜トム・ウェイツ作品集」も発表されています。(参加しているのは、10000マニアックス、ジェフ・バックリーらの若手)

<俳優、トム・ウェイツ>
 もうひとつの彼の顔である俳優トム・ウェイツとしての活躍をひろってみると、・・・。
フランシス・フォード・コッポラの作品では「ワン・フロム・ザ・ハート」「ランブルフィッシュ」の他、「アウト・サイダー」(1983年)、「コットン・クラブ」(1984年)、「ドラキュラ」(1992年)。
ジム・ジャームッシュ作品では、「ダウン・バイ・ロー」(1986年)、「ナイト・オン・ザ・プラネット」(1991年)(ただし、音楽のみの参加)、「コーヒー&シガレット」。その他、チャールズ・ブコウスキーのドキュメンタリー映画「ブコウスキー:オールドパンクBukowski:Born Into This」(2002年)、ロベルト・ベニーニの監督作品「人生は奇跡の詩」(2005年)、その他へクトール・バベンコの「黄昏に燃えて Ironweed」(1987年)では、名優ジャック・ニコルソンとメリル・ストリープとの共演も果たしています。

<幸福なる天才>
 いったい彼の本職は何だろう?そう思わせるほど、彼は数多くのジャンルで活躍を続けています。彼こそ、「天才」という言葉がぴったりの人物です。自由自在にジャンルを超えて活躍するアーティストは他にもいるでしょう。しかし、彼ほど周りから理解され、愛されている「天才」も珍しいかもしれません。これはたぶん彼の人間性によると思います。かつて無名時代に恋人同士だったというリッキー・リー・ジョーンズとの関係など、彼は酒飲み友達に恵まれ、多くの友人に恵まれてもいるようですから。
 どんなに有名なアーティストでも、どんなにお金を稼いでいるアーティストでも、どんなに豊かな才能に恵まれているアーティストでも、彼ほど自由な活動ができている人はいないかもしれません。

<締めのお言葉>
「・・・人間は自由である、だが人間たちは自由ではない。一個人には限りない自由がある、だが万人の自由というものはない。万人などというのは空疎な概念であり、不用意な抽象である。人は失われた自立性をついに再び見出してほしい。・・・」

ルイ・アラゴン著「シュルレアリスト革命」より

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