- タワー・オブ・パワー Tower Of Power -

<消えた世界一のホーンセクション>
 "Tower Of Power"略してTOP、かつて世界一と呼ばれた彼らのホーンセクションは、スタジオ・ミュージシャンとしても引っ張りだこで、多くの有名ミュージシャンたちのバックをつとめてきました。(リトル・フィートやヒューイ・ルイス&ザ・ニュースなど)70年代前半にはご機嫌なアルバムを連発し、ブラス・ロックのブームに乗って大活躍をしました。(当時は、リズム&ブルースに引っかけて「リズム&ブラス」という言い方もあったとか)その影響力は未だに大きく、彼らを最高のファンク・バンドの一つにあげるミュージシャンも数多い。
 しかし、80年代以降、ほとんど彼らの名前は聞かれなくなってしまいました。そのうえ、あれほど素晴らしい作品を生み出しながら、彼らの名前はロックの歴史にも、ファンクの歴史にも、ほとんど見ることができないのです。いったい何故でしょう?

<オークランドにて>
 タワー・オブ・パワーが結成されたのは、1968年頃のこと、サンフランシスコにほど近いオークランドの街が故郷でした。この街は、ウェスト・コーストにおけるブルースの中心地だった黒人の多い街で、かつてあのブルースの大御所ジョン・リー・フッカーも住んでいました。しかし、この街出身のファンク・バンド、TOPは意外なことに黒人バンドではありませんでした。バンドのリーダー格、エミリオ・カスティージョはギリシャとメキシコの混血でしたし、メンバーの多くは、ラテン系の白人だったのです。(セカンド・アルバムから参加したヴォーカルのリック・スティーブンスは黒人で、有名なR&B歌手、アイヴォリー・J・ハンターの甥っ子にあたり、ちょっと異色の存在でした)エミリオとベースのフランク・ロッコ・プレスティア、バリトン・サックスのスティーブ・カプカらが中心となり、R&B好きの若者たちが集まって演奏を始めたのが、バンド結成のきっかけでした。
 したがって、ほとんどのメンバーはしろうとだったわけですが、当時すぐ近くのサンフランシスコからは、ファンクの神様のひとりスライが登場し大活躍を始めていただけに、彼らはそのファンク・サウンドを目標に練習に励んで行きます。

<メキシコ系とホーン・セクション>
 黒人ではないけれども、エミリオのようなメキシコ系ミュージシャンたちとファンキーなホーンとの関係は、けっこう奥深いものがあります。なぜなら、メキシコを代表するポピュラー音楽、マリアッチにおいて最も重要な役割を担っている楽器は、トランペットであり、世界でも有数の高地に位置し、空気の薄いメキシコ・シティーでパワーにあふれたトランペットを吹き鳴らす彼らの実力は世界でもトップ・クラスだと言われているのです。
 そんなメキシコ人トランペッターの実力を世界に証明してみせたのは、あのマンボの王様、ペレス・プラードでした。彼はメキシコ人トランペッターのパワーを活かすことで、ホーン・セクションをメロディーを吹き鳴らす楽器ではなく、リズムを刻む楽器へと変えてしまったのです。その結晶とも言える作品が、マンボの歴史的名曲あの「マンボNo.5」でした。したがって、あのサルサの豪快なホーンのもとは、マリアッチを吹いていたメキシコのトランペッターたちだったのです。

<ビル・グレアムとの出会い>
 ある日、TOPの演奏をナイト・クラブで見て感激した音楽関係者が、今や伝説のライブ・ハウス、フィルモア・ウェストを経営するビル・グレアムに紹介してくれました。そのおかげで、ついに彼らはサンフランシスコだけでなく当時アメリカで最も注目を集めていたフィルモアのステージに登ることになります。時は1970年5月30日、それはなんとあのジミー・ヘンドリックスの前座でした。
 彼らのことが気に入ったビル・グレアムは自分のレーベル「サンフランシスコ」から彼らのデビュー・アルバム"East Bay Grease"を発売(1970年)、いよいよ彼らの名前は全米へと広がって行くことになります。

<メジャー・デビューへ>
 こうなるとメジャー・レーベルも彼らのことを放ってはおかなくなりました。当時ロックのレーベルとして最強の布陣を築きつつあったワーナーは、さっそく彼らと契約を結びます。ワーナー側は、豪快なホーン・セクションの音に負けないヴォーカルにするために、前述のリック・スティーブンスをメンバーに加え、さらにアルバムの録音を、当時R&B界最高のスタッフがそろっていたメンフィスで行ない、エンジニアにはスティーブ・クロッパーを抜擢しました。(どうりで無駄のないきりっとした音造りになっていたはずです!)
 こうして彼らのセカンド・アルバム"Bump City"が1972年に発表され、シングル・カットされた"You're Still A Young Man"とともに見事なヒットとなりました。

<TOPのメンバーたち>
 当時のメンバーは以下のようになっていました。
 リック・スティーブンス(Vo、後にレニー・ウィリアムスに変わる)、グレッグ・アダムス(Tramp,F.Horn)、ミック・ジレット(Tramp,F.Horn,Tromb.)、スキップ・メスカイト(T-Sax,Flut)、エミリオ・カスティージョ(T-Sax)、スティーブ・カプカ(B-Sax)、ウィリー・ジェイムス・ファルトン(Guit)、フランシス・ロッコ・プレスティア(Bass)、デヴィッド・ガリヴァルディ(Dru)、ブレント・バイヤーズ(Cog)、ゲストとしてジェイ・スペル(Pia,Org.後にチェスター・トンプソンがキーボードとしてメンバーに加わった)

<TOP全盛期へ>
 この後彼らは、3rdアルバム"Tower Of Power"(1973年)に続き、"Back To Oakland"(1974年)、"Urban Renewal"、"In The Slot"、"Live And In Living Colour"(1976年)と次々にご機嫌なファンク・アルバムを発表して行きます。(彼らはファンク・バンドではありましたが、ビューティフルなバラードもまた実に魅力的です)

<時代の変化から不遇の時代へ>
 1970年代半ば、ダンス音楽の流れは、どんどん単純明快なディスコ・ミュージックへと傾いていました。しだいに、そこにはホーン・セクションが必要不可欠ではなくなり、リズム・ボックスがそのサウンドの中心になって行きました。当然、ホーン・セクションを売り物にしていたバンドは、どんどん姿を消すか、そのスタイルを変えて行かざるを得ませんでした。E,W&Fはいつの間にか、ド派手なだけのディスコ・バンドになり、クール&ザ・ギャングも、すっかり大甘なバラード・グループになってしまいます。(白人系のシカゴもそうでした)
 TOPもまた例外ではなく、しだいにその存在は忘れられていったのです。

<白人のファンク・バンドであったが故に>
 彼らが白人のファンク・バンドであったということも、災いの原因となりました。アメリカという国は、まだまだ社会的偏見がなくなってはいません。それは、音楽業界におけるジャンル分けにも大きな意味をもっています。例えば、黒人にとっては、白人のファンク・バンドというものは、ジェームス・ブラウンのものまねにすぎず、したがってマーケット的に非常に売りにくい存在となってしまうのです。彼らのアルバムは、ロックのコーナーに置くべきか、ファンク、R&Bのコーナーに置くべきか?それが売れている間は、両方のコーナーに置くことが可能なのですが、売れなくなったらもうその居場所は、どこにもなくなってしまうのです。それが市場での売り上げを最優先するアメリカのやり方であり、ジャンルの壁を越えようとしたアーティストたちは、皆この壁に打ち当たってきたのです。例えば、黒人でありながらロック的なサウンドに挑んだリヴィング・カラーフィッシュ・ボーンは、本来ならもっともっと評価されてしかるべきです。しかし、彼らはジャンルの狭間に押し込まれてしまったがために、マーケットからはじき出されてしまったのです。

<未だに新鮮なサウンド>
 それにしても、彼らのサウンドは未だにその新鮮さを失っていません。かえって、音楽のデジタル化が進むほど、その輝きは増していると言えるでしょう。
 「バンプ・シティー」に収められている彼らのテーマ・ソング"Down To The Night Club"におけるホーン・セクションの切れ味とパワーは、何度聴いても鳥肌が立つほど素晴らしい。もちろんそれはコンピューターによってミリ・セコンド単位に制御された完璧なリズムとも違う音の厚み、重量感、立体感を持っているからであり、その再現は未だ到底困難なのです。

<ヒューイ・ルイスの助け船>
 そうそう80年代に入り、一時彼らがパワーを取り戻したことがありました。それは同じように叩きあげのバンドとして苦労した後、突如全米で大ブレイクしてしまったバンド、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのおかげでした。
 ヒューイ・ルイスは、当時ほとんど消えかかっていたタワー・オブ・パワーのホーン・セクションを自らのバック・バンドに雇いツアーにも同行させました。おかげで彼らは久しぶりに息を吹き返し、1987年には久しぶりの好アルバム"Power"を発表しています。(ちなみに僕はリトル・フィートのライブのバックとして来日したTOPのホーン・セクションを見ることができました)
 さすがは、苦労人ヒューイ・ルイスさん、良い人だ。

<締めのお言葉>
「私はさげすまされたことも尊敬されたこともある。その間は紙一重だ。臆病者も英雄も普通の人間で、ちょっとした出来事が、どちらかにさせてしまう」

映画「ロード・ジム」より(原作はジョセフ・コンラッド、製作、監督、脚本はリチャード・ブルックス)

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