「黄金 The Treasure of the Sierra Madre」 1948年

- ジョン・ヒューストン John Huston、ハンフリー・ボガート Humphrey Bogart -

<生涯一本の監督たち>
 映画会社に入りサラリーマン式に働いて映画監督になるという時代がかつてはありました。しかし、現代において映画監督になるということは、もともと映画を撮りたくて映画界入りした人にとっての目標であり、かつそこから自分の撮りたい作品を撮れるようになるためのスタート地点だといえます。だからこそ、多くの監督はそれぞれ自分の撮りたいテーマをもっており、常にそのテーマにもとずく作品を撮り続けています。
 自分が生まれ育った貴族階級の消え行く姿を描き続けたルキノ・ヴィスコンティ。イギリス人の視点から異文化との衝突を描き続けたデヴィッド・リーン。暴力の美学と男の死に様にこだわり続けたサム・ペキンパー。母国ギリシャを中心とするバルカン地域の政治変動を追い続けたテオ・アンゲロプロス。・・・あげるときりがありません。ロシアが生んだ巨匠、アンドレイ・タルコフスキーは、映画監督は生涯を通して一本の映画を撮るのだ、といったとか。
 面白いのは、こうした監督のもつ個性がそれぞれの人生にまで大きな影響を与えていることです。例えば、「エイリアン2」でエイリアンをなぎ倒した元祖女性闘士リプリー、「ターミネーター」と闘うマッチョ・ウーマンのサラ・コナーや「タイタニック」の沈没から生きのびたローズなど、常に強い女性を描き続けているジェームス・キャメロンは、同じような強い女性ばかりと結婚しています。彼の結婚相手、サラ・コナーを演じたリンダ・ハミルトン、やり手の女性プロデューサー、ゲイル・アン・ハード、それにハードなアクション映画を得意とする女性監督キャスリン・ビグローらの顔ぶれは、映画の登場人物よりも強そうな女性たちばかりです。(そのためか、彼の結婚生活は長くは続いていないようですが、・・・)それにウディ・アレンが共演した女性たちと結婚してるのも有名です。(ダイアン・キートン、ミア・ファローなど)
 そしてもうひとり、監督の生き様と作品が一致する例として有名なのが、この映画「黄金」の監督ジョン・ヒューストンです。彼の代表作のひとつ「アフリカの女王」(1951年)を撮影時の数々の逸話は今や伝説となり、1990年ついにクリント・イーストウッド監督、主演により「ホワイトハンター・ブラックハート」として映画化までされました。(この映画、イーストウッド作品だけあって面白いです!未見の方は是非ご覧下さい!)
 映画を撮るよりも冒険が好きだった男、ジョン・ヒューストン。彼と数多くの作品でコンビを組んだ彼の分身ともいえる男、ハンフリー・ボガート。ロマンを追い続けた二人の男の代表作「黄金」と彼らの人生を追ってみたいと思います。

<ジョン・ヒューストン>
 この映画の監督ジョン・ヒューストン John Hustonは、1906年8月6日ミズーリ州の俳優一家に生まれました。父親は「黄金」の演技でアカデミー賞助演男優賞を受賞している名優のウォルター・ヒューストン。彼も、3歳の時から舞台に立ち、俳優として活躍していました。しかし、冒険好きの性格は彼に落ち着くことを許さず、カリフォルニア陸軍士官学校に入学して兵士を目指したかと思えばボクサーに転進、その後メキシコへと旅立つとそこでメキシコ騎兵隊に入隊するなど、放浪生活を続けます。(まるでサム・ペキンパーの登場人物のようなアウトローぶりです)しかし、そうした生活の中、彼は小説や戯曲の執筆を続けていて父親ウォルターの紹介によってハリウッドで脚本家として働くようになります。「モルグ街の殺人」や「黒蘭の女」などの脚本を書いた後、ハンフリー・ボガートの初主演映画「ハイ・シエラ」の脚本を担当。この時、出会ったハンフリー・ボガートを主演にして初監督作品「マルタの鷹」(1941年)を撮ることになりました。ハードボイルド小説を代表するダシール・ハメットの作品を映画化したこの作品は、映画界初の「フィルム・ノワール」作品と言われています。

<フィルム・ノワールとは?>
 「マルタの鷹」以前にも、ギャングもの、探偵もの、ハード・ボイルドものの映画化作品はありました。しかし、そのテーマは「金」や「権力」を求める男たちが、そのために犯罪を犯すという単純な内容のものばかりでした。それに対して「フィルム・ノワール」の作品群においては、犯罪者は金や権力を求めて犯罪を犯すというよりも、「ファム・ファタール」(運命の女)と呼ばれる「魔性の女」によって犯罪へと導かれるというのが定番的なストーリーとなります。さらに、それまでの犯罪映画では、映画界がつくった独自の自主規制規格(ヘイズ・コード)によって最終的には犯罪者は逮捕されたり、殺されたりすることになっていました。そこでは犯罪者を魅力的に描くことはタブーだったのです。それに対して、「犯罪者の人物像」、「その犯罪行為」そして「運命の女の魅力」を描くのが「フィルム・ノワール」の特徴だったといえます。
 さらにこのタイプの映画では、謎解きが重要な場合が多く、そのため「フラッシュ・バック」などの手法を用いることで時間軸を行ったり来たりすることが多く、より複雑な構造をもつようになっていました。当然、これらの映画を撮る監督はその後一流の監督となってゆくことになります。代表的な監督としては、フリッツ・ラング、ビリー・ワイルダー、オットー・プレミンジャー、ロバート・シオドマークなどがおり、そのほとんどがヨーロッパで映画の技術を身につけていた移住組みでした。その作風はヨーロッパ的な香りをもつ芸術的なものだったため、その後の映画界に大きな影響を残すことにもなったわけです。
 「フィルム・ノワール」は、その後逆にヨーロッパの映画界にも影響を与えることになります。特にジャン・リュック・ゴダールやクロード・シャブロルらヌーヴェル・ヴァーグの監督たちに大きな影響を与えます。さらにさらにそのヌーヴェル・ヴァーグの作品群に感動したアメリカの若手の映画人たちは、「俺たちに明日はない」に始まるニュー・ウェーブの時代を築いてゆきます。そう考えると、「フィルム・ノワール」というB級映画の一ジャンルは世界の映画史にとって実に大きな役割を果たしたことになります。
 「マルタの鷹」は初監督とは思えない傑作で、興行的にも大ヒットを記録。この映画で生み出された私立探偵サム・スペードのキャラクターは私立探偵ものの定番的なキャラクターとなるほど、後の私立探偵映画に大きな影響を与えることになります。数多くの仕事につき世界各地を放浪した後、35歳で監督デビューした彼の作風はすでに完成の域に達していたのかもしれません。そして、この年1948年に彼はお気に入りのハンフリー・ボガートと組んで二本の傑作「キーラーゴ」とこの「黄金」を生み出しています。「黄金」は彼にアカデミー監督賞を、彼の父親でもあるウォルター・ヒューストンにアカデミー助演男優賞をもたらし、「キーラーゴ」はクレア・トレヴァーに助演女優賞をもたらしました。どちらも、彼にとって生涯の代表作となりましたが、「黄金」は見果てぬ夢を追いかけて冒険を続け、ついには夢破れるという彼が生涯撮り続けた「王になろうとした男」伝説の代表作であり、彼の生き様の投影として取り上げないわけにはゆかない作品です。

<ハンフリー・ボガート>
 「黄金」で主役を演じ、後に同じヒューストン作品「アフリカの女王」でアカデミー主演男優賞を獲得することになるハンフリー・ボガート は、ある意味ジョン・ヒューストンの分身のような存在でした。彼は1899年1月23日ニューヨーク生まれの生粋のニューヨーカーです。父親は外科医で母親は画家という経済的にも芸術的な恵まれた環境のもとで育った彼は、エリート街道を進むこともできたはずですが、ヒューストン同様彼はドロップ・アウトの道を選びました。高校を中退した後、彼は海軍に入隊します。しかし、そこを3年で除隊すると俳優を志すようになり、ブルックリンの劇場に立つようになります。そして、1930年に映画「河上の別荘」に初出演した後はギャング映画の悪役専門の役者としてその強面の顔を生かして活躍。しかし、そのために仕事は限られ、主役も回ってくることのない地味な俳優生活が続きました。そんな流れを変えたのは、俳優レスリー・ハワードとの友情でした。(レスリー・ハワードはあの「風と共に去りぬ」で主人公スカーレットの夫アシュレイを演じた俳優です)

 1936年、舞台劇「化石の森」が映画化される際、舞台で主人公を演じていたレスリー・ハワードは、エドワード・G・ロビンソンに決まりかけていた共演の役を舞台で共演していたハンフリー・ボガートに変更するよう強く主張し彼にチャンスをもたらしてくれたのでした。その後、この作品での演技が認められた彼はやっと主役級の役を演じることができるようになったのです。彼はこの時の恩を一生忘れず、後に自分の娘にレスリーという名前をつけるほどでした。
 しかし、二枚目とは到底いえない彼のマスクではそう簡単にチャンスをつかめるわけではありませんでした。彼が初めて主演した映画「ハイ・シエラ」(1941年)も、「マルタの鷹」ももともとは別の俳優が主役になるはずでした。ところが、それぞれ役が気に入らないと断ったために彼に役が回ってきたのでした。こうした幸運とハード・ボイルドもののブームがなければ彼にスターの座は巡ってこなかったかもしれません。しかし、彼の親分気質のキャラクターはアメリカ人に合っていたのでしょうか、その後彼の人気はアメリカでもトップ・クラスのものとなり、死んで後も高い人気を保つことになります。(1999年にアメリカ映画協会が発表したアメリカ映画における人気俳優ベスト100において、なんと彼は男優部門の第1位に選ばれています!)
 「黄金」における彼の役柄もまた本当は主役とは言えないかもしれません。彼は後半、精神的におかしくなり、仲間を裏切ったあげく黄金を独り占めしようとするのですから、主役どころか悪役と呼ぶべき役といえそうです。

<ボガートとヒューストン>
 そんなアメリカを代表する人気俳優とジョン・ヒューストンはプライベートでも仲が良かったようです。それは二人が似た者同士だったせいもあるでしょう。
 ハンフリー・ボガートは二枚目とは程遠いにも関わらず魅力的な俳優として成功しましたが、ジョン・ヒューストンも後に性格俳優として映画に何本も出演しています。「風とライオン」(1975年)「モモ」(1986年)そして、なんといってもジャック・ニコルソン主演ロマン・ポランスキー監督作品の「チャイナ・タウン」(1974年)での演技は彼にピッタリの役でした。
 それに二人とも、二枚目ではありませんでしたが、女性にはもてました。ボガートは4人の女性と結婚。しかし、彼が57歳で肺ガンによりこの世を去るまで愛し合うことになった女優のローレン・バコールとの関係は最後まで理想的なものだたようです。それに対して、ジョン・ヒューストンはこちらも5人の女性と結婚。その中でも3人目の妻イブリン・キースは「風と共に去りぬ」でヴィヴィアン・リーの妹役を演じた女優。4人目の妻はロシア人の美しいバレリーナ、リッキー・リマで彼女との間に生まれた娘アンジェリカ・ヒューストンはアメリカを代表する大物女優の一人になりました。

 二人とも裕福な家庭に育ちながら放蕩生活を送った後に映画界入りしたという点でも似ていますが、最も似ているのは、もしかすると二人が異常なほどの酒好きだったことかもしれません。「アフリカの女王」撮影の際、二人はロケ現場で酒びたりの生活を送り、常に酔っ払った状態だったといいます。おまけにジョン・ヒューストンは途中から象狩りに熱中してしまい撮影はほったらかしになってしまいました。この時、たまたま映画の最終稿を書くために現場のアフリカを訪れていた脚本家のピーター・ヴィアテルはこの時の出来事を「ホワイ・トハンター・ブラック・ハート」という小説として発表。それがその20年後、クリント・イーストウッドによって映画化されました。(主演はイーストウッド自身)映画の中でヴィアテルがヒューストンに対して象殺しを批判すると彼はこう答えたそうです。
「象を殺すことは犯罪なんかじゃない。もっとずっと恐ろしいことなんだ。象を殺すことは罪悪なのさ。分かるか、罪悪なんだよ。許可証を買うだけで犯せる罪悪だ。だから何を犠牲にしてもこの罪悪を犯したいと思う。分かるか?・・・」

 もしかすると、この台詞こそ、彼が生涯撮り続けた映画すべてに共通するテーマだったのかもしれません。
「マルタの鷹」は、中世ヨーロッパで活躍したマルタ騎士団が残した「マルタの鷹」と呼ばれる秘宝の像を巡る探偵物語。「アフリカの女王」は、アフリカの奥地でドイツ軍の部隊に戦いを挑んだ男と女による小さな戦争物語。「白鯨」は、巨大な伝説の白鯨を追い続けた船乗りたちの悲劇の追跡物語。「王になろうとした男」は、アジアの小さな国で自らがそこの王になろうとした男の夢物語。
 彼は今や過去のものになりつつある「男のロマン」を求める男たちを描くことにこだわり続けました。そして、この映画「黄金」はその象徴的な作品といえるでしょう。「黄金」ほど大昔から男たちのロマンをかき立て、かつ狂わせてきたものはないのですから。しかし、この映画は黄金探索ものにありがちなストーリーにちょっとしたひねりを加え、悲劇的なラストを前向きなものへと変えることに成功しています。この手のお話しの定番として彼らは黄金を見つけるものの仲間割れがもとでそのすべてを失ってしまいます。それも主役と思われていたハンフリー・ボガート演じる男のせいで。しかし、残された男たちには「黄金」に代わる「宝」が残されてというある意味ハッピー・エンドともいえるラストは後味が良いものになっています。こうして、一応のハッピー・エンドが与えられたことでこの作品はアカデミー賞を撮ることができたのかもしれません。
 ジョン・ヒューストンは、1950年代にアメリカの映画界で赤狩りの嵐が吹き荒れた頃、ハリウッドに嫌気がさしメキシコへと移住してしまいました。彼は「黄金」においてもメキシコの小さな村をまるで理想郷のように描いており、この頃からメキシコという国に非常に好感をもっていたことがうかがえます。この映画の中で主人工の一人は最後にその村に戻りそこで暮らす道を選びます。そして、その選択は監督である彼自身の選択ともなったわけです。そのうえ、彼は五人目であり最後の妻となる女性に現地に住むメキシコ人女性を選んでいます。(かなり若い女性だったyぷですが・・・)
 後にサム・ペキンパーが「ワイルド・バンチ」でメキシコの小さな村をやはり理想郷のように描き「壁の穴」一味をそこへ逃げ込ませていますが、その原点はこの映画にすでにあったといえそうです。今や、見果てぬ夢を追い続ける男は、世の中から消え去りつつあり、映画の中でしか見られない存在になろうとしています。そして、ジョン・ヒューストンのような伝説を地で行く映画人の存在はそれ以上に貴重な存在といえそうです。「男のロマン」よ今いずこ!

「黄金 The Treasure of the Sierra Madre」 1948年公開
(監)(脚)ジョン・ヒューストン
(製)ヘンリー・ブランク
(製総)ジャック・L・ワーナー
(原)B・トレイブン
(撮)テッド・マッコード
(音)マッコイ・タイナー
(出)ハンフリー・ボガート、ウォルター・ヒューストン、ティム・ホルト、ブルース・ベネット、バートン・マクレーン

<あらすじ>
 放浪の末、メキシコのある街に流れ着いたダッブスは安宿で知り合った老人ハワード(ウォルター・ヒューストン)から金鉱探しの話しを聞かされ友人のカーチン(ティム・ホルト)と二人で参加することにしました。ダッブスが宝くじで当てたお金で装備品を買った三人は誰もいない山中へと分け入り見事金鉱を見つけ出しました。しかし、金を掘り出し始めるとダッブスは他の二人が自分の取り分を奪おうとしているのではないかと疑い始めます。さらにそこに金鉱探しの別の男が現れ自分も参加させろと言い出します。そのうえ、ちょうどこの時、近くの村々を襲っていた山賊たちが現れ、彼らを襲おうとしたため彼らの間に銃撃戦が始まってしまいます。
 何とか彼らは山賊たちを撃退し、黄金をロバに積んで山を降り始めます。下山の途中、病気で死に掛けていた男の子をハワードが助けたため、彼はその男の子の村に招待されることになります。そのため、残った二人はハワードの分の黄金を持って山を降り続けることになります。ところが、再びダッブスは、自分の取り分が友人であるはずのカーチンに奪われるという妄想に取りつかれてしまいます。そして、ついに彼は友人を裏切って黄金を奪い、一人山を降り始めるのでした。ところが、その時彼はまたもやあの山賊たちと出会ってしまうのでした。
 黄金の行方は?そして、男たちの運命は?


独占禁止法によりアメリカのメジャーが解体され、ハリウッドのスタジオ・システムが崩壊(米)
セミ・ドキュメンタリー映画の製作が活発化。代表作は「裸の町」
カラー映画の色彩に大きな影響を与えた「赤い靴」公開(英)

「赤い靴」〈監)(脚)マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー(音)ブライアン・イースデイル〈出)モイラ・シアラー
「イースター・パレード」〈監)チャールズ・ウォルターズ(音)ジョニー・グリーン、アーヴィング・バーリン〈出)フレッド・アステア、ジュディ・ガーランド
「黄金」(監)(脚)ジョン・ヒューストン(出)ハンフリー・ボガート、ウォルター・ヒューストン(アカデミー監督賞、助演男優賞
「落ちた偶像」〈監)キャロル・リード〈原〉〈脚)グレアム・グリーン〈出)ラルフ・リチャードソン、ミシェル・モルガン
「恐るべき親達」(監)(原)(脚)ジャン・コクトー(出)ジャン・マレー、イヴォンヌ・ド・プレ
「キーラーゴ」(監)ジョン・ヒューストン(出)ハンフリー・ボガート、ローレン・バコール、エドワード・G・ロビンソン、クレア・トレヴァー(アカデミー助演女優賞
「自転車泥棒」〈監)(製)ヴィットリオ・デ・シーカ(原)ルイジ・バルトリーニ〈出)ランベルト・マジョラーニ、エンツォ・スタヨーラ
「情婦マノン」(監)(脚)アンリ・ジョルジゥ・クルーゾー(原)アベ・プレヴォー
「ジョニー・ベリンダ」(監)ジーン・ネグレスコ(出)ジェーン・ワイマン(アカデミー主演女優賞
「ハムレット」(監)(製)(脚)(主)ローレンス・オリビエ(アカデミー作品賞、主演男優賞ヴェネチア映画祭最高賞
「裸の町」(監)ジュールス・ダッシン(セミ・ドキュメンタリー映画の先駆け)(出)バリー・フィッツジェラルド
「にがい米」(監)ジュゼッペ・デ・サンティス(原案)カルロ・リッツァーニ(出)ヴィットリオ・ガスマン、ラフ・ヴァローネ、シルバーナ・マンガーノ
「ママの想い出」(監)ジョージ・スティーブンス(原)ジョン・バン・ドルーテン(出)アイリーン・ダン、オスカー・ホモルカ
「私は殺される」〈監)アナトール・リトバク(原)(脚)ルシル・フレッチャー〈出)バーバラ・スタンウィク、バート・ランカスター

第三次東宝争議

「王将」〈監)〈脚)伊藤大輔(原)北條秀司〈出)阪東妻三郎、水戸光子
「風の中の牝鶏」〈監)〈脚)小津安二郎(脚)斉藤良輔〈出)佐野周二、田中絹代
「手をつなぐ子等」〈監)稲垣浩〈脚)伊丹万作(原)田村一二〈出)初山たかし
「破戒」〈監)木下恵介〈原)島崎藤村〈脚)久坂栄二郎(出)池辺良、桂木洋子、宇野重吉
「酔いどれ天使」〈監)〈脚)黒澤明〈脚)植草圭之助〈出)志村喬、三船敏郎、久我美子、笠置シヅ子
「夜の女たち」〈監)溝口健二(脚)依田義賢(原)久坂栄二郎〈出)田中絹代,高杉早苗

<1948年の出来事>
世界保健機構(WHO)成立
世界人権宣言
極東国際軍事裁判終了(東条英機らの戦犯に死刑求刑)
ボゴタ憲章(米州機構成立)
ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)結成(マーシャル・プランの受け入れ)
ソ連によるベルリン封鎖
チェコで二月革命(共産党により無血革命でマサリク首相自殺)
イスラエル共和国成立(中東紛争の始まり)
性についての衝撃的調査、キンゼー報告発表される
中国共産党軍が北京入場
大韓民国(李承晩大統領)朝鮮民主主義人民共和国(金日成首相)
ビルマ独立
帝銀事件(日)
全学連結成される
ベビー・ブームがピークに達した年(日)

<音楽>
アトランティック、ジュビリー、ジー、ルーレットなど個性的なレーベルが次々とNYで活動開始
ラジオの黒人向けチャンネルWDIA誕生
「シャイン」フランキー・レイン
「マニャーナ」ジョー・スタッフォード
「It's Too Soon To Know」オリオールズ
この年の音楽についてはここから!

<文学、思想>
「遠い部屋、遠い声 Other Voice,Other Rooms」トルーマン・カポーティ
「花のノートルダム」ジャン・ジュネ Jean Genet
「俘虜記」大岡昇平
T.S.エリオットがノーベル文学賞受賞

<美術>
「第一番A」ジャクソン・ポロック

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