生命の樹をたどる内宇宙の旅


「ツリー・オブ・ライフ The Tree of LIfe」

- テレンス・マリック Terrence Malick -

<映画の面白さ>
 映画を面白いと思えるかどうかは、人それぞれ。だから映画の評価も、人それぞれ違って当然。というのは常識的考え方かもしれません。でも、映画が好きならば、それをを理解するために努力することは、不思議なことではないでしょう。そのための努力の仕方は当然違うし、映画の種類によって、個人の好みによっても、その努力は違って当然です。ただし、理解しようとする努力を否定することは、僕としては認めたくありません。その映画を理解しようと、調べたり、体験したり、旅したりすることは、素晴らしいことだと思います。
 それに対して、なんの努力もなしにその映画を理解不能と簡単に評価してしまうのは、正直恥ずかしいと思います。誰もが、単純に見て理解できる作品は確かに素晴らしいでしょう。でも、勉強してでも理解したいと思わせる作品も存在することを知っておかないと、映画の見方は生涯進歩しないことになります。
 この作品を否定することは簡単です。
 「宗教の知識がないと理解不能」とか「生命の進化史に興味がないと面白くない」とか「クラシック音楽ばかりで古臭い」とか「作者の精神世界の吐露であり自己満足に過ぎない」とか・・・
 でも僕は正直、最初から最後まで、ずっとわくわくしながら見ることができました。次にはどんな映像が来るのだろう?と期待しながら2時間20分が過ぎてしまいました。もし、あなたが、そうは思えなかったとしたら、趣味が違うせい。そう考えることもできます。しかし、いつかこの作品を改めて見て、そうかこんなに面白い映画だったんだ・・・そう思えるようになるかもしれません。昔面白かった映画が、理解不能になることはなくても、理解できなかった映画がある日、素晴らしい映画に思えるようになる可能性は大いにあるのです。そのことだけは、覚えておいてほしいし、あなたがもし映画が好きならば、そうなるよう努力することはきっとあなたの人生のために素敵なことのはずです。

<内宇宙版「2001年宇宙の旅」>
 この映画を見た方の多くは、この作品が「2001年宇宙の旅」に似ていると思ったでしょう。特に、ドラマの間に挿入される大自然の風景や特撮による宇宙や恐竜の映像の連なりは、「2001年宇宙の旅」のラストに延々と続くトリップ・シーンを思わせます。僕的には、それと、もう一本リュック・ベッソンのドキュメンタリー作品「アトランティス」の水中の旅を思い出さずにはいられませんでした。あの映画における低音の渋いナレーションはこの映画の雰囲気にそっくりです。
 ただし、この映画の旅は、「宇宙の旅」ではなく1960年代に一世を風靡した「ニューウェーブSF」がこだわった「内宇宙の旅」であり、それが宗教と必然的に関わっていたために「宗教映画」のように見られたのではないかと思います。特に日本人のほとんどはキリスト教の知識がないので、知識不足のために理解できないと判断してしまったかもしれません。

「現実の外世界と精神の内世界が出会い、融けあう領域。成熟したSFの真の主題は、この領域にのみ見いだされる」
J・G・バラード

 この作品は、「宗教映画」というよりも「SF映画」に近いと僕は思います。この映画のカメラマンのエマニュエル・ルベツキは、「ゼロ・グラヴィティ」(アカデミー撮影賞受賞)のカメラマン。思えば、あの映画もまたラストに人類の進化を早送りで見せてくれていました。この映画は、けっして神を賛美する単純な映画ではなく、そこに行きつくまでの人類の精神進化を描いている科学的作品だと僕は思っています。
 もしかすると、「2001年宇宙の旅」の方がよほど、具体的に「神」とは何かを描こうとした「宗教映画」だったのかもしれません。なぜなら、「2001年宇宙の旅」では、生命が進化して人類となり、さらにそれが進化して超人類=神になるのではないか?という科学に基づく神の誕生が描かれていたからです。いうなれば、「2001年宇宙の旅」は、「科学という宗教に基づいた宗教映画」だったということなのです。

<大自然の美、進化の歴史の映像化>
 この映画を、「難しいし自己満足にしか思えない」と批判する声も多かったようです。確かに、映像全てに意味を求めると非常に難解だし、それぞれの場面をいちいち止めて分析しないと納得できなくなるかもしれません。科学や生物の進化の歴史が好きな人にはワクワクするような映像の連続なのですが、それが楽しめないと眠くなるのは当然かもしれません。たぶん、それぞれの映像・場面には、意味があるのでしょう。例えば、砂浜に上陸した首長竜の映像は、海で誕生した生命が陸上に進出した歴史を象徴しているとか・・・
 大自然の神秘的な映像とその間に挿入される人間界のドラマ。この二つが一つの流れにつながったとき、ついにジャックは天国へのエレベーターに乗って天井の人々と再会し、お互いを理解できるようになるのです。
 最初から最後まで揺れるような映像で収められた人間たちのドラマは、現実離れしているように見えますが、記憶に収められた過去を映像化するとこんな感じになるものではないでしょうか?さらにそんな切れ切れの映像は、大自然の不思議な映像と自然につながるような気もします。現代の映像が妙に現実離れしているのも、これら大自然の映像と特殊撮影によるSF的映像、両方に自然につながるための工夫だったのかもしれません。

<クラシック音楽>
 クラシックに詳しくなくても、この映画で使用されているスメタナの「我が祖国」第2曲「ヴルタバ」通称「モルダウ」は誰もが知る名曲です。この場面は特に印象深く、亡くなった次男への兄の思いが伝わってきます。モルダウ(ドイツ語)というのは、チェコのボヘミア地方を流れるヴルタバ川のことで、その川の流れをテーマにした「モルダウ」はチェコの国の激動の歴史の流れを描いた象徴的な曲として「人生」や「歴史」を感じさせる名曲です。
 他にも多くのクラシック音楽を使用しているようですが、クラシックに疎い僕にはどの曲かはわかりませんでした。ただし、曲名は分からない方が、先入観が生まれないので映画にとって良い気もします。

「ツリー・オブ・ライフ The Tree of LIfe」 2011年
(監)(脚)テレンス・マリック Terrence Malick
(製総)ドナルド・ローゼンフェルド
(撮)エマニュエル・ルベツキ
(編)マーク・ヨシカワ
(音)アレクサンドル・デスプラ
(出)ブラッド・ピット、ショーン・ペン、ジェシカ・チャステイン、フィオナ・ショウ、ハンター・マクラケン、ララミー・エップラー
<あらすじ>
 優秀な建築家?主人公のジャック(ショーン・ペン)は、未だに少年時代のことを思い出しては、父親との確執を後悔していました。そして、若くしてこの世を去った弟のことを思い出すたびに、命の意味について考えさせられていました。なぜ、生命は誕生したのか?そして、人類がそこから進化したのは何のためだったのか?そんなことを考えるうちに、彼の妄想は宇宙の誕生から、地球の誕生へ、さらに生命の誕生、恐竜の登場から陸上への進出にまで広がって行くことになりました。

 彼がテキサス州で過ごした少年時代、父親のオブライエン(ブラッド・ピット)はクリスチャンではありましたが、躾は厳しく子供たちへの体罰も日常的に行われていました。自分がエリートになれなかっために苦労してきたことが、父親にとってはトラウマになっていたのかもしれません。そんな3人兄弟にとっての救いは、敬虔なクリスチャンで子供たちを愛する母親の存在でした。しかし、父親の躾の厳しさにジャックは次第に反発するようになり、近所の子供たちとつるんで悪さをするようになります。弟たちもそこに巻き込まれ、音楽や芸術に優れ父親に可愛がられていた弟はジャックにいじめられるようになりました。そんな中、地元企業の営業マンだった父親が会社を首になり、家族は家を売り、街を去ることになります。それまで保ち続けてきた威厳を失った父親は、自分が子供たちにいかに嘘をつき、権威を押し付けてきたのかに気づき謝罪します。
 しかし、家族の間の亀裂が解消されることはなく19歳でこの世を去った弟に対し、父親は自分の厳しさを悔い、ジャックもまた彼に対する仕打ちを後悔します。しだいに、ジャックは自分は父親を嫌いながら、いつの間にかそっくりの人間になっていたと思うようになっていました。

<オープニング>
「旧約聖書 ヨブ記第38章4節~7節」

 わたしが大地を据えたとき お前はどこにいたのか。
 知っていたというのなら 理解していることを言ってみよ。
 誰がその広がりを定めたかを知っているのか。
 基の柱はどこに沈められたのか。
 誰が隅の親石を置いたのか。
 そのとき、夜明けの星はこぞって喜びを歌い 神の子らは皆、喜びの声をあげた。

 ちなみに、8節以降はこうなっています。

 海は二つの扉を押し開いてほとばしり 母の胎から溢れ出た。
 わたしは密雲をその着物とし 濃霧をその産着としてまとわせた。
 しかし、わたしはそれに限界を定め 二つの扉にかんぬきを付け
 「ここまで来てもよいが越えてはならない。高ぶる波をここでとどめよ」と命じた。


 こうして、オープニングの言葉を改めて見てみると、やはりこの映画は「宗教映画」なのかな?

20世紀映画劇場へ   トップページへ