江戸から東京へ、時と歴史を巡る旅


「追憶の東京 異国の時を旅する」

- アンナ・シャーマン Anna Sherman -
<味わい深い異色の文学>
 久しぶりに文章をじっくりと味わいながら本を読んだ気がします。
 日本近代史の研究書であり、江戸から東京への街物語であり、「時」という概念についての哲学書であり、都内の各地を巡る旅と人との出会いの記録でもある異色の文学作品。
 失われた日本を追体験できる文学による時空の旅に連れて行ってくれるのは、アメリカ生まれの作家アンナ・シャーマンさんです。
 読みだしてすぐに「この本を凄い!」と思いました。久しぶりのことです。
 坂野公一、川上貴士さんによる装丁の素晴らしさも印象的。現代の東京の風景が北斎が描いた江戸のような雰囲気で描かれています。
 もちろん著者の意図をくみ取り、それを美しい文章に翻訳した吉井智津さんの貢献も大きい!
 珍しく本文後の著者による「謝辞」もしっかりと読んでしまいました。なぜなら本文に登場する様々な人々が、それぞれ魅力的だからです。
 そこまで読ませる本はめったにありません。
 そんなわけでここでは、その中から素晴らしい文章やしらなかった歴史について、まとめてみました。是非、実際に本をお読みください!

<旅のはじまり>
 この本は彼女の幼少期のささやかな体験から始まります。

 日本はベルの国だ。子どものとき、日本の風鈴をもらったことがあった。仏塔のかたちをしたうすっぺらい品で、三つ重ねの五角形の屋根の端にそれぞれチリチリ鳴る小さな鈴がついて、下にさがった五本の空洞の筒がぶつかりあうたびに音を立てた・・・・
 その風鈴がわたしのはじめての東洋だった。きらめく金属、ゆらめく音、夜の風。


 2001年彼女は来日。日本語を学びながら、10年を日本で過ごす間に彼女は東京も街に時を告げてきた「鐘」について興味をもち、そこから歴史の旅に出ることになります。

・・・最初、江戸には、時を知らせる鐘は三つしかなかった。ひとつは日本橋、江戸の町のまんなかにあった牢屋敷のなかに。もうひとつは北東の観音を祀る寺のそばに、そして、もうひとつは江戸城の北の鬼門に近い上野にあった。・・・これらの鐘が時を知らせたおかげで、城下の町は、いつ起きて、いつ眠り、いつ仕事をし、いつ食事をするかを知ることができた。
 その鐘による時刻のお知らせは、200年以上続き、一度に3回、1日に12度鳴らされました。元々は江戸城の中に鐘はありましたが、将軍様のお耳にさわるということで牢屋敷に移されたそうです。
 明治時代に入ると近代化と皇室中心政治への変化により仏教が否定され、鐘の多くが消えることになりました。
 1872年、天皇の命により、古い時の数え方が廃止され、欧米式の時間管理法と暦が持ち込まれました。これにより、昼と夜は季節に関わりなく常に同じ長さになり、天候や潮の干満に合わせて変化することもなくなりました。新年も真冬に始まり、初春ではなくなりました。
 江戸から東京に変わった街で時を告げるのは、皇居で正午に撃たれる空砲になりました。さらにその後は、日本人にとって、「時を知る文化」は「鐘の音」から「時計」へと変化してゆくことになります。
 戦時中に多くの鐘が供出されたことも、鐘の音が消えた理由の一つです。

<時の概念>
 日本における鐘の文化を知ることは、日本における時間の概念の変遷を知ることでもあります。

 時を表す単語が、英語にはひとつしかないのに対して、日本語には無数にある。そのいくつかは中国の故事に起源をたどることができる - ”鳥兎(うと)”、”星霜”、”光陰”。サンスクリットからは、広大なひろがりを表すことばが日本語に取り入れられた。人の想像を超えて永遠へ向かう無窮の時間 - ”劫”。サンスクリットからはほかにも、時間のもっとも細かい断片、”一瞬のかけら”を表す刹那がはいってきた。英語からは”タイム”を借用した。ストップウォッチで測る時間やレースの用語として使われる。

「ぼくら欧米人は、時間は前に進むものだと思っているよね。知らない、見えない、なんらかの終わりに向かって進んでいく抽象的なもの。でも、日本では時間は十二支、動物になぞらえて表されていたことを忘れちゃいねない。昔の日本人は時間を生きものと見ていたんだ」
アーサー・ビーナード(翻訳家)

 現在でも日本における時(年)の数え方は、天皇の肉体と結びついています。千年以上に渡り、天皇の在位期間ごとに特別な名前がつけられてきました。

 どのような社会組織でも、時間はまとまりを保つためのもっとも基本的な原則のひとつである。時間を制するものが支配力をもち、それゆえに、時間の支配を求める戦いが起きてきた。将軍やその他の武将たちは、時間を制する力を手にしようと何度となくこころみた。たとえば江戸時代の初期には、あたらしい将軍が就任すると年号が改められた。将軍は天皇とちがい、その”即位”は年号改変の理由になりはしないのだが・・・。
岩竹みかこ

「和時計の時間」
 日本で唯一の和時計製作者、成瀬拓郎
「日本人は愉しみを極めようとするからね。和時計のいいところは、時間が正確であることじゃなく、狂っていくことです。だって時計なんか必要でした?たいていの人は農民で、太陽が時計だったわけですから」

「現代日本の時間」
 インスタレーション作家、宮島達男
「時間はわたしたちが考えているようなものではない。わたしたちは生きています。だから時間は存在するのです。わたしたちが時間に命を与えている。わたしたちがそれを発明しているのです」

<大坊珈琲店にて>
 彼女が旅の中継点にしていた都内の古い喫茶店「大坊珈琲店」とその店主の大坊さんもこの作品の重要な脇役の一人です。

 大坊さんは”ゆっくり”を好んだ。以前彼は、自分がコーヒーを淹れているあいだにお客さんは眠ってしまうくらいがいいと書いていた。
 ・・・大坊珈琲店では、有名な画家が家出少女のとなりに座っているかもしれない。指揮者の小澤征爾がフラメンコダンサーのとなりに。大坊さんはどんな人に対しても接し方を変えることはなかった。喫茶店は日本における数少ない誰に対しても差別のない場所なのです。

 お客様はこの店を見つけるだけでも一苦労だ。下の青山通りは混沌としている。狭い階段を上がって、店にすわったら、この一週間のうちに、あるいは一生のうちに重ねてきた分厚くなった鎧をしっかり脱ぎ捨てていただく。大坊さんはそう言っていた。
 そっとしておいて、その人にぴったり合ったコーヒーを淹れてあげる。そうすれば、ゆっくりと、少しづつ、人はほんとうの自分に返っていく。


「大坊さんの時間」
「ひとりひとりが自分なりの時間枠を持っているとしたら、時間は存在しないのとおなじです。みんな自分の時計に合わせて行動できたら、もっとしあわせになれるでしょうに。他人の都合で決めたことに無理やり従わされていると、そう頭がおかしくなってしまう」
「でも、”一瞬は永遠とおなじ・・・” - そう思うと、自分が生きていると感じます」


<時の変化の節目となった場所>
「鹿鳴館について」
 鹿鳴館が建てられたのは1883年。それは日本政府の出資でできた西洋風の見せかけの建物でした。フランス人シェフのいる広い晩餐室に、サロン、パーラー、ビリヤード台の置かれた遊技場、それに”遊歩”のための大廊下がありました。館内のバーでは、アメリカのカクテル、ドイツのビール、イギリスのたばこが供されました。・・・
 鹿鳴館は日本の文明開花の代名詞となり、退廃的文化と欧化政策の象徴となりました。
 1890年、外務省はこの建物を民間に払い下げ、鹿鳴館は華族が集うクラブに姿を変えました。
 1941年、戦時内閣の命令によって、欧米文化の象徴だったことから解体されました。

「隅田川について」
 いまの隅田川は、千年前の隅田川ではないし、徳川家の初代将軍が江戸の漁村を大都会につくりかえたころのそれでもない。第二次世界大戦前の隅田川でもない。英語で”ウォーター”という単語ひとつが雨粒でも湖でも大海でも表せるように、隅田川には時代ごとにそれぞれの隅田川があった。そのときどきの時代に合った姿をしていた。いまの隅田川はコンクリートの堤防にはさまれて、川ぞいの建物はまるでそこに川などないと言わんばかりにそっぽを向いている。
 ”すみだ”という名前の意味を知る人はいない。ある19世紀の地名辞典によれば、そのことばは関東平野に最初の日本人が住み始めたときよりも古くからあり、アイヌ語と関係があるという。意味は”荒波”。”溺れそうにない”。もしくは”洗い去る”。

「東京大空襲慰霊碑」
 東京大空襲で亡くなった人々のための慰霊碑は、当初の計画では、関東大震災の犠牲者を追悼する施設とは別の場所に、立派な平和祈念館と並んで設置されることになっていた。生存者の一部からは、日本の”アジア大陸各地への侵略、植民地化、併合・・・そして政府の是認のもとにおこなわれた日本の軍隊による数々の残虐行為”があったことを祈念館で認め、それを表明すべきとのはたらきかけがあった。館の創設に取り組んでいた人々には、そうすることで、1945年の空襲で失われた命だけでなく”戦争の犠牲になった世界の人々”に哀悼の意をあらわしたいとの思いがあった。
(この計画は都議会右派議員らの反対によってストップしました。東京には広島、長崎のような平和祈念館的な施設は作られませんでした)

「江戸から東京そして戦後へ」
 江戸は何度も焼け、そして生まれ変わった。東京もまたしかり。この街のもっとも美しく生まれ変わった姿はもっとも短命でもあった。それは昭和初期の帝国の首都、1923年の震災の火に焼かれたあとから1945年の戦火に包まれるまでのあいだに存在した首都の姿だった。
 それはアールデコの街。古い運河にかかるあたらしい橋とゆらめく街灯の光。シャーベットカラーのネオンに際立つビル群。シルエットとシンメトリー、光と影が織りなす幾何学模様の街。

<外国人からの目線>
 この作品のもうひとつの面白い点は、かつて日本を訪れた日本オタクの外国人の視点や記録についての紹介があることです。それは著者自身の外からの目線があったからこそ可能になったのでしょう。

 外国人が書いた最初の日本のガイドブックは、英国領事のアーネスト・メイスン・サトウによるもので、1870年代の東京が紹介されている。立ち入り可能な場所や内国旅券取得の必要、旅に持ち歩くべきもの、電信局一覧、入浴の仕方など詳細に解説。もちろん、彼は見るべき観光地や美術品についての説明や歴史についても書いています。特に芝の増上寺を彼は絶賛。東京はここだけ見れば十分かもしれないとまで書いています。

 日本の魅力がここまで見事な美しい文章によって紹介されたことに感謝すると同時に、新型コロナの影響がなくなり、早く彼女がもう一度日本の地を訪れることができるよう願います。

「追憶の東京 異国の時を旅する」 2019年
The Bells of Tokyo : Travels in Japanese Time
(著)アンナ・シャーマン Anna Sherman
(訳)吉井智津
(装丁)坂野公一
(装画)川上貴士
早川書房

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